第七話 旅立ち
「うふふぅ……上がってくださぁい」
泥だらけの悠ちゃんが、靴も脱がずに家には上がった。
歩くたびにビタッと泥の足跡が廊下に残る。
彼女はそのまま中に入って行った。
あわわわ、どうしてこうなった……
「あれれ☆ おかえり平次っち!」
土足のまま家の中に突き進む悠ちゃんとすれ違う形で神様がにょろにょろ出て来た。
「あ、ただいま……」
そう言いかけて、おれの脳裏にはデベソが浮かんだ。
「てか! なんでデベソ治ってないの!?」
声がちょっとばかり大きかった。
未だ泥だらけの悠ちゃんがペタペタ音を立てながら戻って来た。
「ふえ? 何ですか平次さん?」
「いや、何でも無い……」
すると彼女はニタァとだらしなく笑う。
「早く入ってくださいよぅ。服は着たままお風呂までどうぞ」
悠ちゃんはそのままペタペタ歩きながら再び中に入って行った。
服を着たままでお風呂って、ちょっと意味が分からない。
てかおれのデベソを見てから悠ちゃんの様子がおかしい。
おかしいなんてもんじゃない。
狂ってる。
「平次っち! チート発動したみたいじゃん☆」
神様が気持ち悪いクネクネダンスを踊った。
極彩色の毒ボディーが艶かしくうねる。
くっ! キモいな……!
てかチート?
「チートってどういう事ですか?」
おれの問いかけに意外そうな顔(芋虫の姿だから表情は分からないのだが)して、神様は踊りを止めた。
「え? だって転生する時にチート欲しいって言ってなかった?」
「言いましたけど、ええ? どういうチートですか?」
確かに言った。
おれは人生イージーモードにはチートは付き物だと思っていたしな。
しかし、さっきチートが発動しただと?
一体なにがチートなんだ?
「さっき悠っち、平次っちのおへそ見なかった?」
え?
彼女はバッチリ見ましたよ?
もう完全に見られましたよ?
それの一体何がチートだと言うのですか?
てか名前の後ろに『○○っち』って付けるの、神様もするんだ……古くね?
「そうですが?」
おれは腑に落ちない声色で答える。
それを聞いて神様はまたクネクネダンスを始めた。
「おへそを一メートル以内の至近距離で見た女の子は、平次にメロメロになっちゃうっていうチートだょ☆」
「……はい?」
一メートルの至近距離でヘソを見せると発動するチート?
……なんだそりゃ!?
てか、チートって言ったら身体能力がラスボス並みになるとか、魔力が無限とかそういう系じゃないの?
まあ、そういうファンタジーな世界じゃないっぽいから、それはないにしても……
「といっても、顔だけでも十分チート効果はあるんだけどね☆」
ブンブンという効果音が出そうなほどの速度で芋虫が体を振る。
「神様! 僕は自分のデベソが大嫌いだったのに、あまつさえチートの発動条件にするなんて!」
ふるふると震えた。
おれは今にも泣き出しそうだ。
てか、もう涙目だ。
「いいじゃん☆ 昔嫌いだったところを、今度は好きになっちゃおうぜ☆」
にょろりと動く芋虫。
「言っとくけどぉ、神の加護は平次っちのおへそに着いてるんだからね?
それに、メロメロって本当に凄いんだから☆ もう発情と言っても過言じゃないんだよぅ!」
「なんですか、それ……それでも僕は嫌なんですよ!」
「平次さーん」
悠ちゃんがまた来た。
神様の話じゃ、この子、もう発情してしまってるらしい。
確かに顔を見ると、頬は紅潮し、呼吸は若干荒いような気がする。
なんだかエロいな……
「もう、洗わないと風邪ひいちゃいますよ?」
甘えるようにおれのシャツの裾をつまみ、もじもじする悠ちゃん。
彼女の露出した肌にこびり付いたままの泥は、背徳的な官能さを持っている。
されに、おれの身長から見える悠ちゃんの上目遣いは、破壊力抜群だ。
さっきまでの有頂天モードのおれだったら押し倒していたかもしれない。
しかし。
しかし、だ。
チートでも何でもおれのヘソは見せる訳にはいかないのだ。
何人にも見せられないのだ。
うう、
だが、可愛い……
こんな可愛い顔してモジモジして、しかもシャツの裾つまみながら上目遣いで……
無駄だ!
おれは折れん!
鋼鉄の精神を見せてやる!
おれは口をへの字に曲げて腕を組んだ。
「どうしたんですかぁ? (おへそ)洗ってあげますよ?」
そんな卑猥な言葉を投げられても、おれは折れない。
「どいてくれ。おれは自分で洗うから」
「えぇー☆そういう感じ?」
神様は納得していない様な感じでにょろっとした。
「なんでですかぁーもう、一緒に入れば良いじゃないですか」
そんな事言って、悠ちゃんの視線はおれのヘソに釘付けだ。
服で隠れているが、間違いない。
くそう……あんなに可愛い悠ちゃんが憎たらしく思えて来た。
おれじゃなくて、ヘソか。
ヘソ目当てか……
このデベソのせいで、この子は狂ってしまった。
デベソが世界で一番憎い!
二番目は神様だ!
「お邪魔します」
「ふえ?」
ぺたっと、泥だらけの足で家に入り、悠ちゃんを追い越す。
汚れちゃうとか、そういう遠慮はもうしない。
おれは強行突破を仕掛ける。
一直線で向かうのは風呂場だ。
本日二回目の風呂場だ。
ガラガラと風呂の扉を開ける。
今度は悠ちゃんの悩ましいピンクの布には目もくれない。
未だ湯煙マックスの風呂に突入。
「待ってぇ平次さ……」
ピシャリと風呂の扉をシャットアウト。
内側から鍵をかける。
どんどんと扉を叩き、「平次さーん! なんでですかー!」と、やかましい悠ちゃんは放置し、服のままシャワーを浴びる。
服の泥は綺麗に落ちた。
次に服を脱いで体についた泥を流す。
それが終わったら服をもみ洗いし、ぎゅっと絞る。
シャワーを止め、絞った服に再び袖を通す。
水分だらけで気持ち悪いが、贅沢は言わない。
無言で風呂場を出た。
脱衣所では悠ちゃんが壁にもたれ掛かりながら、体育座りで地面にのの字を書いている。
完全にいじけモードだ。
おれはそんな様子を見ても冷静だ。
「次、悠ちゃんどうぞ」
その言葉にこくりと無言で頷き、力なく立ち上がった悠ちゃん。
おれと同じように服のまま風呂場に入って行った。
閉まった扉をおれは無言で見つめた。
その視界の隅、洗濯籠の縁をにょろにょろと毒々しい色が動いた。
「もう☆ 一緒に入ったらソッコー童貞卒業だったのに!」
神様はおれに童貞卒業させたかったみたいだ。
でもそれは、今のおれにとってありがた迷惑ってヤツだ。
何せ今の彼女は完全に体目当てなのだから。
そんなヤツにおれの神聖なる童貞を捧げたくない。
「ていうか、神様。悠ちゃんの発情、いつまで続くんですか?」
「ヘソから離れて三十分もすれば元通りよ☆」
なんと三十分で元に戻るとか。
よかった。
悠ちゃんが一生あのままだったらおれ責任感じちゃうところだった。
悠ちゃんが風呂に入ってる際、おれはリビングに移動。
置き手紙を書いて、毒芋虫と家を出る。
『正直、少し下心はありました。
でもあなたが僕のヘソに夢中な限り、僕の心は動きません。
さようなら。お元気で。 平次』
行き先は決めてない。
濡れた服が冷たい。
しかしおれは歩いて行く。
この毒虫とイージーモードの人生を。