第一話 人生ハードモード
おれの手は突然、モデルのような美女に掴まれた。
こんな綺麗な人は今まで見た事無い。
顔は小さく、目はくりっとしている。
テレビの中でもなかなか見る事の出来ない美人だ。
そんな人がおれの手を握っているのだ。
顔を覗けば、彼女の熟した果実のような唇がふるふると震えている。
頬は上気して、おれを見つめる意思の強そうな瞳は潤んでいた。
どうしておれの手を握っているのか?
理由はわからないが、この状況はおれのハートビートをガンガングングンズイズイ上昇させてメロメロや。
すまん。取り乱した。
今日は何という日だろう。
神様、ありがとう。
おれの名前は小出平次だ。
みんな、小出でも平次でもコイジでも何でも好きに呼べばいい。
突然だがみんなは、『どんな人でも人はコンプレックスを持っている』という話を聞いた事はあるかい?
どんな美人もイケメンも、大なり小なり自分の容姿にコンプレックスを持っているのだという。
実はおれ、小出平次は世間一般に言うところのブサメンであるらしい。
しかし、おれは自分の顔にコンプレックスは持ってなかった。
おれのコンプレックスはもっと下。
ヘソだ。
そう、デベソなのだ。
それだけがおれのコンプレックスだった。
おれには友達がいない。
昔はいたが、多くなかった。
女友達はいない。
少しだけ男友達がいた。
多くない男友達も見事に全員ブサメンであった。
大学時代、友達と五人(友達全員集合状態)で道を歩いてたら、全く知らない女子高生たちに「ほら、ブサメン集団! うわ、やっばー!」とか言って馬鹿にされた事がある。
友達は小さな声で「うべぁ」とか小声でビビってたが、そんなんだからダメなのだ。
てか、ぶっちゃけおれから見ても、この友達の容姿は下の下の下だ。
おれはそんな言葉は意に関さない。
当時、おれは自分をブサメンだと思っていなかった。
まあイケメンとはいかないが、まあまあイケてる方だと思っていた。
悪いのは顔じゃなくてヘソ。
デベソ。
そう、デベソだ。
不細工と直接言われた事もないし。
おれは自分のデベソ以外は好きなのだ。
毎日鏡の前でスマイルを作るくらいには自分の顔が好きなのだ。
だから女子高生がブサメン集団といったのは、おれを除いて、だろうと思っていた。
後々考えると、女子高生の放ったブサメンは完璧におれも含まれていたと思う。
当時の男友達とは絶交した。
けんか別れだ。
些細な事だった。
おれが落ち込んでる時に慰めてくれたのに、おれは友人に対して汚い言葉を吐いたのだ。
「てめえら不細工のせいでおれまで不細工扱いじゃねえか!
もうおれに関わるなよ、クソども!」
それ以来、彼らとは会っていない。
当時おれはそれだけ自分はイケてると思っていたのだ。
不細工扱いされるのを友人のせいにして。
本当に酷かったな、おれ。
だが、ブサメンと影で言われ続けて二十五年。
おれは自分をブサメンと認めるようになった。
初めて認めたのは、五十を越える面接を乗り切り、ようやく入社にこぎ着けた今の会社に入った時だ。
新入社員歓迎会の時に、周りの女子社員がイケメンに集まり始めた。
その歓迎会でのおれの席は、女の子に囲まれたラッキーポジションだったにも関わらず、開始5分でおれの周りの女子社員は皆無となった。
女は所詮男を顔でしか判断しない。
そこそこだと思っていたおれの周辺には、全く女の子はいなかった。
全員イケメンに群がりだしたのだ。
こんな状況あっていいのか!?
おれも負けてないのに!
声を大にして空に叫んでやりたかった。
小中高で女っ気の全くなかったおれは、ついに社会人の仲間入りを果たしても女っ気はなかった。
くそう!
その日は新入社員歓迎会という名目の飲み会だったにも関わらず、おれはやけ酒を飲み、二次会ではトイレにこもりっぱなしだった。
翌日には見事に遅刻し、勤務初日からダメ社員のレッテルを張られた。
そんなおれはますます女っ気がなくなった。
そしてついに、ある朝、それは起こってしまう。
おれは蛇口を捻り、歯ブラシをくわえ、いつもと同じように身支度を整える。
歯を磨き終わり、口元に残ったままの歯磨き粉と一緒に顔を洗う。
水の滴る顔で鏡を見る。
今までイケてると思っていた顔がなかった。
あったのは意地悪なブタのような顔。
ただ、それはまさしく自分の顔であった。
その日からおれはついに自分を不細工だと認識したのである。
辛い日々だった。
周りの目が怖くなって、外に出るのも最小限になった。
幸い、これまで培って来たライフワークのおかげで引きこもりにはならなかった。
だが、もちろん会社では同僚と話す事はあまり無く、仲の良いヤツもいない。
女子社員からは露骨に避けられ、給湯室ではおれの使ったコップは洗うなというルールまであるらしい。
家に帰れば帰ったで絶望する。
玄関を開ければ酒の匂いが鼻を突き、ゴミがどこかしこに散乱する光景が目に入る。
狭いボロマンションにはおれと親父の二人暮らし。
親父は自分の浮気が原因で母と離婚して以来、酒浸りで全く仕事をしない。
絵に描いたようなダメ親父だ。
さらに言ってやると、めっちゃ不細工だしな。
おれの顔はコイツの遺伝か……
てか、その顔でよく浮気とか出来たな。褒めてやりたい。
そんなダメ親父だが、若い頃きっちり稼いでいたみたいで、貯金の余裕はまだあるらしいが、全て酒代に消えて行く。
しかも、「おれはもう働かん! 酒飲んで過ごすぞ!」とか言って、このボロマンションに引っ越して来たのだから、もう口から出るのはため息だけだ。
さらに毎日朝からデカい声で「もう働かん!」っていうのを、まるで自分の人生のスローガンのように繰り返す。
もちろんそんなダメ人間はおれに学費なんて出してくれなかった。
大学までの学費は奨学金で賄い、おれのバイト代はその奨学金の返済にあてた。
自分で言うのもなんだが、もう……手の打ちようがないのだ。
おれの人生はまさにハードモード。
疲れてしまった。
しかし今、ついに春が来たのだ。
美女がおれの手を握る。
その力は強く、おれを離さないという意思が感じられる。
ハニー、そんなに力強く掴まなくても、僕はどこにも行きはしないさ。
ようやくこのおれを認めてくれる人か現れたのだ。
しかもこんなに美人さんが!
いやー、やっぱり自分の悪い所を認めたから、何か変わってきたのかもしれない。
しかし、積極的だな……
こんな人の多い電車の中で……
「この人、痴漢です!」
冷たく言い放つと、握っていたおれの手を高々に掲げた。
へ?
ここは出勤ラッシュの電車の中。
周りの視線を一気に集める。
同時に、周りから人が遠ざかる。
満員のくせに遠ざかるスペースがあったのか。
ざわざわと声があがる。
「ち、違うんでぃぉぉぉお!?」
テンパって変な声がでた。
おれは本当になにもしてない。
でも怪しまれてる。
ていうか、もう犯人扱いだ。
汚いものを見る目でおれを見るな。
電車を降りると、正義感の強い男達によって取り押さえられた。
なんだよ、冤罪なのに。
そして気づけば警察署に。
道中はよく覚えてない。
ただ、「会社に遅れてまたダメ社員の刻印が深くなるんじゃないか」と心配していたのだけ覚えている。
警察署では、強面の刑事さんは出てこなくて、気の強そうなおばさん警官が出て来た。
おれを見るなり、口汚く罵る。
不細工なくせに、とか。
汚い、とか。
その言葉を受けて、涙が溢れた。
おれは人前だというのに、わんわんと泣いた。
今まで心の中にわだかまっていた物が、堰を切って出てきたんだと思う。
それでもおばさんは罵り続けた。
汚い言葉を聞き続け、心は不安定になってくる。
泣き顔もキモいみたいな事を言われて、おれはついにキレた。
泣いてばかりではダメなんだ、と心の中のおれが囁いたのだ。
復讐だ!
ぶっ殺してやれ!
どうせ失うものなんて無いんだろ?
それとも、こんなクソみたいな世の中で罵倒され続けるのか?
やっちまえ!
心はおれの四肢に直接神経を連結したように、おれの体を支配する。
これがまさに制御不能の興奮状態というやつだろう。
おれは立ち上がり、目の前のババアを張り飛ばした。
「きゃあ!」
その声を聞いて素面に戻ってしまいそうだったが、もうやってしまったものは仕方ない。
心のままに言葉を吐く。
「ババアのくせにきゃあときたか。調子に乗んなよ」
おれは座っていたパイプ椅子を折り畳むと、そいつに向かって振り上げる。
いざ振り下ろすところで、若い男の警官が入って来た。
二人いる。
そいつらはおれを羽交い締めにした。
どんなに力をいれて暴れてもビクともしない。
情けない。
おれが本気でキレて暴れても、所詮こんなものなのか。
鍛え方が違うんだろう。
おれも怠けないで鍛えれば良かった。
くそう。
そうしておれは留置所行きとなる。
よくドラマでみる牢屋の中でおれは膝を抱いて泣いた。
声を殺して泣いた。
それでも看守の人はうざがっていた。
そして、突然地面が揺れた。
揺れた? とぼんやり思っていたら、それはかなり大きい揺れに変わった。
「地震だ!」
看守はソッコーで逃げ出した。
おれだけが牢屋に残される。
さっきまでこの世に絶望していたのに、こんな状態ではおれもパニックだ。
こんな時になれば、やはり生にしがみついていたいのだ。
かなり揺れる。
どこかに捕まらなければ、まともに座っている事もままならない。
天井がギシギシと音を立てている。
よく見れば、ヒビも入っているではないか。
揺れるたびに天井の塗装が剥がれて落ちて来る。
次の瞬間。
無情にも天井が落ちて来た。
大きな天井だ。
危険だと判断できるが、全く体が反応しない。
下敷きになればきっとぺっちゃんこだろう。
徐々に迫り来る天井。
それはとてもゆっくりと見えた。
ああ、おれ死ぬのか……
おれの人生ってなんだったんだろう。
不細工と言われ続け、ダメ人間と思われ。
友達を傷つけて。
ああ、もし来世というのがあるなら、イージーモードの人生を生きたい。
神様、どうかお願いします。
イケメンが無理なら、せめてデベソだけでも無くしてください……
ついに天井がおれに覆い被さった。
一瞬でブラックアウトする視界。
こうしておれ、小出平次の歪んだ人生は終わった。
そして……
「ハロー! わたしは神様だよ☆」
妙な声が聞こえて来た。