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短編小説

ボーイ・ミーツ・ガール

作者: 旱咲

リハビリです。注 心の病という単語が出てきます。

 彼は少年だった。

 空はどこまでも青く澄み、木々は鬱そうと生えている。川のせせらぎが夏の暑さをやわらいでいた。

 少年はいつも大きな欅の前に立っていた。この欅は秋になるときれいに色づいたものだった。

 幹を借りて、少年は本を読む。背中から体温が欅に流れていく。そうして本に没頭して、気が付くと本には影が落ちているのだ。

「こんにちは、ユール」

 ―――そして少年は自分の時間から顔を上げた。







***


 彼女と初めて会ったのはいつのことだったか、はっきりと覚えていない。

 栗色の長い髪を帽子に隠して、水色のワンピースを着た彼女は、本を読む僕の前にあらわれた。

 彼女はそれから僕の隣に僕と同じように座って、ただ景色を見ている。

 気まずい空気に耐えられなかった僕は、とうとう彼女に話しかけてしまった。

自己紹介から始まり、さらにはこれまで読んだ本の内容、面白かった出来事。彼女は決まってにこにこと僕の話を聞くだけだった。


 彼女は白い帽子を被っていた。

 流行に敏感な姉に買い物の荷物持ちをよくやらされていた僕は、それが流行おくれのものであるとすぐに気付いた。だから僕は帽子に飾る花を用意してあげた。

 欅のまわりにある名も知れない花たちであったが、彼女はとても喜んでくれた。ありがとうユール、そう言った彼女の笑顔は忘れられない。


「こんにちは、ユール」

 彼女が紡ぐ僕の名前は、極上の響きを持っていた。まるでどこかの王子様になったかのような気分にさえなったものだった。

 うだるような暑さの中、彼女の声はひとつの清涼だった。


 ―――僕は彼女が欅に来るのが楽しみで仕方がなかった。




「ねぇ、ユール。今日は何の本を読んでいるの?」

 彼女は帽子の中からにこりと笑った。

「海の立派な海賊の話さ」

 僕は海賊と聞いただけでわくわくしたものだが、どうやら彼女は違ったらしい。まるで僕が海賊の本を読んでいたことを知っていたかのように、微笑んでいた。

「どんな話なのかしら、聞かせて?」

 そして僕は彼女がそう言うのを知っている。

「七つの海の美しいもの、すばらしいものをなんでも手に入れることが出来る海賊なんだ。大荒れの海を乗り越えることも、ほかの海賊との争いも、彼らにとっては会話をするよりも簡単なことなんだ。ただ……」

 彼女が静かに耳を澄ましているのがわかった。

「船長が病気になってしまうんだ。とても重い病気にね」

 僕はそうしてようやく顔をあげた。どうやら自分でも気づかずに俯いていたようだ。

 彼女は少しだけ身じろぎして、ちいさく問いかける。どんな病気なのかしら―――と。

「自分が何者かわからなくなるんだ。自分は何故この船に乗って、船長をしているのか。何を目標に海を渡ってきたのか。そうして船長は船長でなくなった」

 僕は持っていた本の表紙をそっと撫でた。

「心の病は、治すことが難しい。そう思わないかい?」

 彼女はそうね、と呟く。

「船長は最後に港に降りて街の娘と一緒になるんだ。いままでの海賊生活を忘れたかのようにね」

 ざらついた木の幹が、少しだけ僕の服にひっかかる。湿った土の感触がこの時だけ生々しかった。

 そんな時だった。清涼な声が僕の頭に入ってきた。

「誰しも逃げたくなる時はあるわ。その船長は逃げてしまったのね」

「……なににだい?」

「―――自分の心からよ」

 表紙を撫でていた僕の手に、ひんやりしたものが触れた。彼女の手だ。

「逃げていくうちに、心を見失ってしまったの。それを見つけるのは大変なことだわ。誰かが一緒に探してあげないといけないわね」

「……君は一緒に探してくれるのかい?」

 そして彼女は笑う。もちろんよ、と。



 ―――僕はずっと夏の暑い日欅の下で本を読んでいた。もうずっと、秋の欅を見ていない。











***



 ―――少年はこの国の王子だった。恒例の家族旅行である、小さな避暑島へ向かう途中、王と王妃、王女を亡くした。敵国から襲撃されたのだ。

 少年は奇跡的に外傷が少なく生き延びたが、心は大きな傷を負ってしまった。自分の殻に閉じこもってしまったのだ。

 王の代理を行っている宰相であった少年の叔父は、とうとう目を覚まさなくなった甥を心配した。そこで、国一番の魔女を呼んだのだった。心優しい彼女は、心を病んだ少年の『殻』に入った。どんな医者でも治すことの出来ない、少年の心の病を取り除くために。

 魔女は根気よく少年に付き合った。時間が止まった少年の殻の中で、同じ本の話題、同じ会話を魔女は微笑みながら過ごしていった。―――そうして少しずつ少年の『内側』に入ろうとしたのだ。



 ―――少年と魔女の逢瀬は、三年にわたった。


 ようやく、魔女の仕事は終わったのだ。




 ―――目が覚めた僕が最初に見たものは、栗色の長い髪をした女性だった。彼女はきれいな鳶色の瞳いっぱいに涙をためて、一番の笑顔を見せてくれた。








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