桜
杏はいつものように家路をたどっていた。
ひらひらと風が吹く度に舞う桜。昔の歌人のように感動することはないが、きれいだな、とは思う。
ここからしばらくは桜並木が続く。何を考えるともなしに散りゆく花を眺めていたが、ふっと子供のような遊び心がわいて足を止めた。荷物も地面に置いてしまって身軽になり、次の風に備えて構える。
今日はあいにくの曇天で、風も冷たい。春らしい日和とは到底言えないが、そこここに草木は芽吹いていてこの通り桜だって咲いている。もっとも花は散りかけですでに夏に向けた準備が始まっているようだったが。
そよ、と弱い風が吹いた。そのあとすぐに今度は強い風が吹く。
枝が揺れ、花が揺れ、その風に耐えきれなかったいくつもの花が花びらを散らした。
杏はそれを両手で追いかけた。くるんくるんと風に乗って不規則に回転するので、なかなか掴めない。何度かおしい所で逃げられたりもした。捕まえたと思ったのに、指の間からすり抜けて飛んで行ってしまうのだ。
そうこうするうち風がやみ、桜吹雪も止まってしまった。
子供の頃はよくやったものだが、そのときもあまり捕まえるのはうまくなかったのだっけと、どうでもいいことを思い出した。
三度目の風が止んだとき、杏は二枚の花びらを手にしていた。
根元が赤く色づいていて、それが余計に淡い桃色をひきたてている。
もう少し集めたい気持ちもあったが、本格的に空が暗くなっていて風にも土のにおいがまざりだしている。雨に降られると困るのでこれ以上の長居は諦めた。
傷がつかないように柔らかくこぶしを握って持って帰ることにする。荷物を担ぎあげてまた歩き出した。
途中、杏はもう一度手を開いてもう一度中を確認した。刹那、どこからか吹いてきた風が花びらを連れ去ってしまう。あわてて伸ばした手が空を切ること2回。舞いあがった花びらは降ってきたときと同じように不規則な回転をしながら消えていった。
伸ばした手が、引っ込められなかった。
あのとき手なんて開かなければよかったのに。口惜しさからくる後悔が止まらない。
唐突に、この手は自分そのものだと感じた。
どんなに手をのばしても戻ってはこないとわかっているのに諦められない。それはきっと、別れた相手を忘れきれないでいたり、済んでしまった失敗をくよくよと悩み続けたりすることと同じだ。いつも思いきることができなくて、未練がましく過去ばかり見て。
杏は決意を込めて腕を引いた。
空になった掌でぱちんと軽く頬を叩く。
杏は再び歩き始めていた。
そのとき、どこからか桜の花が丸々一つ分落ちてきた。反射的にそれをつかんだ。花はまだ瑞々しく、生き生きとしている。
杏はそれを強く握りしめた。しかしすぐにその手をひらいてしまう。
再び突風。視界いっぱいに桃色が舞う。手に載せていただけの花は簡単にあおられて飛んでいく。
だが、杏はもう手をのばそうとはしなかった。
散っていく桜を眺めながら思いついた掌編です。
とても短いお話になってしまったので書きたかったことが詰め込めているかは分からないのですが、楽しめて頂けたなら幸いです。
感想・評価ともお待ちしております。
それではまたどこかでお目にかかれますことを祈りつつ。