第15話 ヒロイン・ロワイヤル-2
ばさり、と皮の音が響く。
みるみる小さくなっていく街並みを見下ろしながら、アタカはバサバサと揺れる前髪をおさえた。
アタカをその背中に乗せて、クロは翼をはためかせる。
一度羽ばたくたびにその身体はぐんと持ち上がって風を切る。
視界に広がる空の雄大さに、クロとアタカは揃って域を漏らした。
その隣を、麒麟の姿でルルとディーナを乗せた桜花が軽やかに駆ける。
翼もないのに虚空を踏み、悠々とついてくるのは流石と言う他ない。
「アタカ君、気を付けてください」
不意に耳元で鈴の鳴るような音がして、アタカはどきりとした。
彼の後ろで鞍に跨るルビィの声だ。
――脱皮後しばらくは経過を見る必要がある。
そんな名目でルビィがアタカについてくる事になったのは、青天の霹靂だった。
あんなことがあった直後なので気まずい事この上ない。
「サンドワームですね……」
遥か眼下に横たわっているのは、まるで山脈の様に砂漠を遮るサンドワームの巨体だった。先日倒した個体よりさらに大きいように見える。
サンドワームはすぐにこちらに気付いたようで、その身体をもたげた。
ルルの声が聞こえた気がして、アタカは後ろを振り向く。
桜花の背の上でルルは何かを叫んでいるようだったが、空の上ではごうごうと鳴り響く風の音のせいで何を言っているかは全く分からない。
だが、恐らくこちらを心配しているのだろうとアタカは当たりを付けた。
アタカが「大丈夫」と言うように大きく手を振って見せると、ルルは心配そうな表情を浮かべながらも叫ぶのをやめる。
今のクロなら問題ない……はずだ。
「しっかり掴まっていてください」
「はいっ」
後ろのルビィに声をかければ、彼女は遠慮なくアタカの腰にしがみ付く。
幸い、その柔らかな肢体の感触は竜使い用の皮衣のお蔭で殆どわからない。
しかし代わりに何とも言えない甘い香りがアタカの鼻腔をくすぐった。
緩みそうになる表情を何とか誤魔化しつつ、手綱を握る。
「さあ、クロ……」
しかしそれも目的を定めればあっという間に引き締まった。
「行くよ!」
ぐん、とクロが身体を傾け、サンドワームの上を旋回しながら降下する。
ド、ド、ド、と音を立てて炎の塊がその口から吐き出され、サンドワームの褐色の皮膚の上に幾つも赤い花を咲かせた。
サンドワームは轟と吼え、首をしならせながら砂を吸いこんでいく。
そして空中のクロに向かって、思い切り砂の吐息を浴びせかけた。
炎のブレスと砂のブレスには大きな相違点がある。
それは、『砂には重さがある』という事だ。
遠くに飛ばせば飛ばすほどその勢いは減じ、上に飛ばせば重力が邪魔をする。
アタカはその射程距離を完全に見切っていた。
ブレスの勢いが弱まるギリギリの距離でクロは翼を切り返し、すいと砂礫の嵐をかわす。
躱されたそれは、消えるわけではない。
万有引力に従って引き戻された砂のブレスは、砂礫の雨となって同じ速度でサンドワームを襲う。それに乗じて、クロは大きく口を開けてブレスを放った。
彼の口から吐き出されるのは、赤く燃え盛る炎ではなく、白く輝く冷気。
低温のガスがサンドワームの弾力に富んだ外皮を瞬く間に凍てつかせる。
そこに落ちてきた砂礫の雨が、柔軟性を失った皮を破り、肉に突き刺さった。
たまらず身を捩るサンドワームの首元にクロは食らいつき、皮を引き千切る。
「グォゥッ!」
しかし近づいたのは一瞬の事。
素早く飛び退きながら吼えれば、それに呼応するかのように鋼で出来た槍が宙に浮かんだ。
鋼の槍。
人であれば魔術を専門に扱うものだけが為しえる、アタカにも使えない五語呪だ。
クロの噛み千切った皮の裂け目に槍が突き刺さる。
しかしそれはサンドワームの巨体に比すれば余りに小さく、致命傷には成り得ない。
サンドワーム自身もそれをわかっているのだろう。
多少のダメージは気にせずクロを捉えようと、そのずらりと牙の並んだ口を彼に向ける。
その牙がクロの身体を捉える寸前。
サンドワームの動きは突如として止まった。
バチバチと音を立てて、クロの角が雷気を纏う。
それは稲妻の奔流となって空を駆け、鋼の槍に落ちるとサンドワームの肉を中から灼いた。
さしものサンドワームも身体の内側に直接雷撃を落とされてはたまったものではない。身を捩り砂の中に隠れ逃げようとするが、その動き自体をクロの雷撃が阻む。
「いけ、トドメだ!」
苦しみにのたうつサンドワームの目の前にその姿を晒し、クロは大きく大きく息を吸う。
そして、灼熱の炎が全てを焼き尽くした。
「すごい……」
桜花の背の上で、ルルは呆然とつぶやく。
あれほど苦労したサンドワームを手玉に取り、たった一人で完封。
これがトゥルー・ドラゴンの力か、とルルは戦慄さえした。
「市長はああ言ってたけど、すごく強いのね」
「いえ、あれはトゥルー・ドラゴンの力と言うより、クロさんの力ですね」
ルルの漏らした呟きを、桜花が冷静に否定する。
「元々ドラゴン・パピーの状態ですらサンドワームを曲がりなりにも相手できる実力を持ってらしたのです。その力に相応しいだけの種族であればあれほどお強い、という事ですね」
体力、筋力、魔力の全てが大きく底上げされているが、そればかりではない。
飛翔能力による高い機動力と制空権。
今まで魔力が足りずに使えなかった魔術。
炎に加え、冷気のブレスと雷撃。
元々豊富だった手札自体も大きく増えている。
「私でも……今戦えば、負けてしまうかも」
「え、嘘。桜花が?」
ぽつりと漏らした呟きに、ルルとディーナは揃って驚いた。
「勿論、単純な地力であれば私の方がまだ上です。……ですが、向こうにはアタカ様がいらっしゃいますから」
桜花なら、体調が万全ならばサンドワーム程度、一撃で倒すこともできる。
一方でクロの攻撃は、ただ重ねるだけでは致命傷を与える事は不可能だ。
だが、戦術がそれを覆す。
冷気の吐息でその柔軟性を奪い、鋼の槍で電撃の威力を最大まで引き出す。
工夫と技でその効果を何倍にもする発想は竜にはないものだ。
どこまででも強くなれるが故に、竜はそんな発想をすることができない。
「……そうね」
ルルは頷く。
かつてサハルラータで模擬戦をしたとき、アタカとの戦績は五戦五勝だった。
だが、今ならどうだろうか。
こちらに向かって大きく手を振るアタカとクロを見ながら、ルルはもし彼らと戦うならどうするか、と思い浮かべる。
幾ら考えても、勝つビジョンは全く浮かばなかった。
「流石に空を飛ぶと、あっという間ですね」
陸路であれば三日はかかると言われる距離をほんの一時間で飛び越えて、アタカはクロから降り、彼を撫でてやりながらしみじみと言った。
これでだいぶ、移動が楽になるのではないか。
「そうですねー。この辺りはそれほど空を飛ぶ竜はいませんし」
そんな楽観的な希望を、ルビィは意図せず潰した。
「あ、そうか。空を飛ぶ竜がいる地域だと、ここまで簡単にはいかないんですね」
「それに、クロ達もずっと飛んでられる訳じゃないもんね」
ルルの言葉に、桜花が頷く。
「はい。ただ飛ぶだけであればそれこそ一日中でも問題はありませんが、戦闘で疲弊した状態で飛ぶのは危険ですね」
そんな状態で万一さらに竜と遭遇し、墜落してしまえば大惨事だ。
竜本人はまだしも、その背に乗っている竜使いはただでは済まない。
「水上戦と砂上戦はやりましたが、空中戦はまだやったことないです」
「北の山脈に行けば、否応なしにやる事になると思いますよ」
何気なく言うルビィに、アタカは目を瞬かせた。
「ルビィさん、ティフェレト山脈に行ったことあるんですか?」
ティフェレト山脈。
大陸を遮るように横たわる、世界樹までの道のりの最大の障害だ。
「いえっ、聞いた話です」
慌てて、ルビィはぶんぶんと首を横に振った。
その耳は忙しなくピコピコと上下に揺れている。
相変わらず嘘がつけない人だなあ、とアタカは笑みを噛み殺した。
しかし、ということは山脈まで行ったことがあるという事だ。
竜使いでもない彼女が、一体なぜ?
疑問に思ったアタカがルビィをじっと見ていると、その頬がぐいと引っ張られた。
「はーい、そっちにばっかり見とれないの」
「いや、別に見とれてたわけじゃ……」
アタカの腕を抱きながら、ルルはニコニコと笑う。
しかしその内心が表情通りでないことに、付き合いの長い幼馴染はすぐに気付いた。
笑みを浮かべながらも、嫉妬し怒っている……のでは、ない。
「大丈夫だよ」
アタカは抱きかかえられているのとは逆の方の手で、ルルの髪を軽く撫でる。
「お蔭様で、思ったより平気みたいだ」
彼女は怒っている振りをしながらアタカを気遣い、慰めてくれているのだ。
「……それって、私の事少しは好きになってくれたって事かな?」
あっさりとそれを見抜かれて一瞬ばつの悪そうな表情を見せた後、ルルはすぐに目を輝かせながら尋ねる。
だがそれもまた、ある事を隠すための偽装だ。
「ルルの事は元々好きだよ」
アタカは本心からそう言った。
異性として、と言われれば困るが、それ自体は心からの言葉だ。
「そんな風に照れ隠しするところとか、可愛いと思う」
今度は割と本気の力を込めて、アタカの頬が引っ張られた。




