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第14話 死の大海原-7

 世界は、魔力に満ちている。

 竜とはこの世界の根元であり、その竜の身体を形作っているのは魔力であるからだ。

 その魔力を、竜は普段呼吸によって取り入れている。

 食事を必要とせず、在るだけで在ることができる。竜がそう言われる由縁だ。


 だが、呼吸自体は必要であった。

 人やただの獣の様に数分息を止められれば窒息するという事はないにせよ、何日も息を止めていれば衰弱し、やがては死に至るだろう。

 そんな風になった例は聞いた事はないとはいえ、呼吸をしていないというのは間違いなく大問題だった。


「クロっ!」


 首に手を当ててみれば脈はあり、アタカは安堵と同時に怖れを抱く。

 まだ生きてはいる。だが、その脈動はあまりにも弱く儚かった。


「桜花、回復魔術を!」


「はい!」


 回復と防御の魔術は麒麟の専売特許だ。

 桜花の手の平から暖かな光が漏れだして、クロを包み込む。


「アタカ、どうしたの?」


 アタカの声を聞きつけたのだろう、ルルとディーナが寝間着のまま顔を出した。いつでも隙無く身なりを整えている彼女にしては、髪がところどころ跳ねている。身支度する間もなく来てくれたのだとわかるが、それを感謝している余裕は今のアタカにはなかった。


「ディーナ、回復を! クロが、大変なんだ!」


 言いながら、アタカも自身の魔力を振り絞る。

 人間の魔術など竜には何の効果もない。

 わかっていながらも、そうせざるを得なかった。


「駄目よ、ディーナ。桜花も魔術を止めて」


 血相を変えながらアタカに続こうとするディーナを止め、ルルは桜花の手を掴む。


「何するんだ!」


 魔術を継続しながらも、アタカは怒鳴り声をあげた。


「落ち着いて、アタカ。回復魔術は……」


「これが! 落ち着いてる場合……!」


 ルルの言葉を遮り、アタカは声を荒げる。

 ルルはすっと目を細めると、アタカの首を力任せに引っ張り、その口を無理やり閉じてやった。


 ディーナと桜花が息を飲み、アタカの目が真ん丸に見開かれる。


「落ち着いた?」


「……う、うん」


 唇を離せば、アタカは気まずげに視線を泳がせながらも頷いた。

 深々と溜め息をつき、固まる桜花を敢えて無視して、ルルは腰に手を当てた。


「どう見たって怪我じゃないでしょう。昨日までは元気に動いていたんだから。病気か、衰弱か……どっちにしたって回復魔術で何とかなるものじゃないでしょう?」


 回復魔術は万能ではない。むしろ、極めて用途が限定されたものだ。

 傷を治すことは出来るが、体力までは回復しないし、病気も治せない。

 竜の魔力で人に使えば強力過ぎて逆に身体を害してしまう。


 平時であればまだしも、もしクロが衰弱しきっているなら回復魔術は逆効果となる可能性さえあった。


「でも、竜が病気だなんて……」


「うん。私も聞いたことない」


 肉体の構造が人や獣と違う事もあるし、そもそも生命としての強度が桁違いだ。

 アタカが聞いた事がないのなら、まずあり得る事ではないのだろう、とルルは思う。


「しかし、毒や呪いの類でもありません」


 クロの身体を丹念に魔術で探りながら、桜花が断言する。


「ご主人様にも、アタカさんにも、桜花さんにもわからないの?」


 ディーナが泣きそうな表情を浮かべた。


「一人だけ、アタカより竜に詳しい人がいるでしょ?」


「そうか! ありがとう、ルル!」


 ルルの言葉に表情を輝かせ、アタカは慌ただしく宿の受付へと向かう。


「遠声、借ります!」


 財布から硬貨を取り出す手ももどかしく、アタカは遠声機のボタンを押す。


『はい、こちらフィルシーダ市庁舎受付です』


「ルビィさん、アタカです!」


 真っ先に出てきたのは、彼が求めていたもの。

 アタカの師の一人であり、フィルシーダでドラゴン・パピーたちを育てている竜飼い、ルビィの声だった。


「クロの様子がおかしいんです! 朝起きたらぐったりして、呼吸が無くて……!」


『落ち着いてください。ゆっくり、一つずつ説明してください。どんな状態ですか?』


 切羽詰まったアタカの声に、おっとりとしたルビィの声色は真剣味を帯びる。


『全く動かなくなって、毛に艶がなく、呼吸もない……ですか……』


 アタカがクロの症状を説明すると、ルビィは何かを思い悩むように声をあげた。


「クロは……大丈夫、なんでしょうか……?」


『それ、は……』


 縋るようなアタカの声に、ルビィは答える事が出来ない。


『話は聞かせてもらった』


 と、突然、ルビィの声は低い男の声色に取って代わられた。


『アタカ君、久しぶりだね。市長のコウだ』


「市長……」


 アタカが竜使いを目指そうとしたとき、実際に教えてくれたのはルビィとコヨイ。

 しかし、そこへと導いてくれたのは、この市長だった。


『実際に見てみない事には判断が出来ない。今はどこに?』


「ビレンラーヴァです。宵闇の黒猫亭という宿の、203号室に泊まってます」


『わかった、すぐに向かう。待っていてくれ』


「よろしく、お願いします……!」


 彼なら、今度も何らかの救いの手を差し伸べてくれるのではないか。

 僅かな光明に縋るように、アタカは深く頭を下げた。




 市長とルビィがやってきたのは、それから三日後の事だった。

 フィルシーダからたった三日でやってくるとは凄まじい事だったが、そんな事を気にしている暇はない。


「コウさん、これってやっぱり」


「ああ。……やはり間違いないな」


 クロの姿を見るなり、ルビィと市長は頷き合う。


「どうなんですか!?」


「アタカ君。残念だが……こうなってしまっては、もう手遅れだ」


 沈痛な面持ちで、市長は首を横に振った。


「そんな……」


 アタカはがっくりと膝をつき、クロの身体に触れた。

 あんなに柔らかくフカフカだった毛並みはもはや見る影もなく、脈動も僅かにしか感じられない。


 アタカの目の前が真っ暗になった。


 適合率が0%だと言われた時とは比べ物にならない程の絶望。


「まだ死んでしまったわけではない筈です。何とかならないんですか?」


 その時もこうしてルルが食って掛かったな、と市長は思い出す。


「無理だ。せめてもう一日早ければ……」


 彼はクロに視線を向けて、悪戯っぽく笑った。


「まだキャンセル出来たんだが」


「……キャンセル?」


 奇妙な物言いと表情に、アタカは思わず顔をあげる。


「ああ、そうだ。ほら、始まるぞ」


「ごめんなさい、アタカ君」


 ルビィが目を伏せて、心の底から申し訳なさそうに頭を下げた。


「うちの市長は、ちょっと困った人なの」


「……え?」


 ピシリ、と妙な音がした。

 何かが破れるようなその音に目を向ければ、クロの背中がぱっくりと裂けていた。


「失礼な。手遅れだ、とは言ったけど、死ぬなんて一言も言ってないだろ?」


 裂けた背中から、何かが突き出す。


「つば、さ……?」


 ゆっくりと開いていくのは、蝙蝠のそれによく似た一対の翼だった。

 次いで、背の裂け目は首の方へと延びて、角の生えた長い首が露わになる。

 長い前肢に、太くがっしりとした後ろ足、そしてすらりと長い尻尾。


 亜麻色のふさふさとした長い毛は短くなり、面影は僅かに残しているもののその姿はもはや犬とは似ても似つかない。手足の先や翼の骨は茶褐色の鱗で覆われ、全体的にシャープなイメージ。


 大きさこそドレイクやレッド・ドラゴンよりも小柄ではあるが、どう見ても『ドラゴン』と呼ぶしかない姿が、そこにあった。


「トゥルー・ドラゴンだ」


 市長は宣言するかのように、その名を告げた。


「育ったドラゴン・パピーは何度か脱皮する。と言ってもここまで姿形が変わるのは今回だけで、今後はそんなに変わらないけどね。いやはや、まさか一年でここまでくるとは、恐れ入った」


 ほとほと感心した、と言った様子で、市長は何度もうんうんと頷く。


「そんな話、聞いた事もありません」


 ただただ放心しているアタカの代わりに、ルルが言った。


「そりゃそうだろうね、滅多にある事じゃない。ある条件を満たしている必要がある。だからこそ、わざわざこうして見に来たんだ」


「条件?」


「パピーを一度も他の竜にせず、パピーのまま戦い続けることだよ」


 アタカはツブサと、彼女の竜のナナを思い出した。

 ナナはクロよりもよっぽど成長していたが、パピーのままだった。

 つまり彼女はその条件を満たしていないという事なのだろう。


「竜にとって魔力は食事だ。魔力は世界に満ち満ちているから、彼らは在るだけで在れる。だが、人の食事にも美味い不味いや、栄養の多少があるように、竜にとっても栄養豊富な食事というものがある」


「……他の、竜」


 殆ど無意識に漏れたアタカの呟きに、市長は頷く。


「そう。竜は死ぬとき、魔力結晶を残す。これはその竜の力の心髄であり、中核。だがそのものじゃない。結晶にならなかった余分な魔力は世界に還り――」


「それを、傍にいる竜が飲むことになる」


「ご名答」


 アタカの答えに、市長は笑う。


「でも、なんで魔力結晶を使っちゃいけないんですか?」


「魔力結晶は高濃度過ぎるからだよ。使えばその竜の特性が、パピーに定着していく。これは癖がつく、と言い換えても良い。何度も同じ竜の結晶を使えば、結晶が無くても姿を変えられるのはそういう理屈だ。だが、一度でも使えばパピー本来の持つ唯一の能力……『成長する』という特性は失われる」


 ルルは疑わしげな表情で市長を見る。


「何故それを黙ってたんですか?」


「教えても意味ないからだよ」


 その視線を、市長は軽く肩を竦めて躱した。


「だって作るの大変な割に、別段強いわけじゃないからねえ」


「えっ?」


 笑う市長の言葉に、アタカとルルの声が重なる。


「そりゃあ、パピーよりは強いよ。あれは殆ど最弱に近いからね。最初に渡したリンドブルムやドレイクになら勝てる。でも他に同じ主竜種でってなると……うーん。他に勝てるのいたかなあ? ああ、ホワイトドラゴンになら、ギリッギリ勝てるかな」


 眉根を寄せて、市長は首を傾げつつ竜の名を並べていく。


 ホワイトドラゴンとは、色の名前を冠する色彩竜クロマティック・ドラゴンの中で最弱の竜だ。

 最弱と言っても主竜種だ。かなりの力を持ってはいるが、その上にブラックやグリーン、ブルー。そして色彩竜最強のレッドドラゴンが存在し……


 そしてその上に更に、金属竜(メタリック・ドラゴン)と呼ばれるブロンズやシルバー、ゴールドドラゴンなどが鎮座しているのである。


「パピーで必死に頑張ってその程度だ。労力にまるで見合わない。例えばアタカ君に50%程度の適合率があって主竜種に適性があるなら、多分今頃はブルードラゴンくらいまでなら余裕で使えるんじゃないかな」


「なるほど……」


 そこまで言われれば、流石にルルも納得した。

 確かにそれはわざわざ教えるようなものではない。

 むしろ下手に興味を持って魔力結晶を使わないまま戦おうとし、竜の犠牲になる竜使いを増やしかねない。


 だが。


「とはいえ、だ」


 アタカにとってだけは、それは福音以外の何物でもない。


「おめでとう。これで君も一人前の竜使いだね」


「いちにん、まえ……」


 にっこりと笑い、嬉しそうに言う市長の言葉を反芻して、アタカはクロに視線を向けた。

 肩の高さにあったクロの頭は、もはや見上げなければならない。

 クロは首を曲げて下げ、アタカを見つめ返した。


 パピーだった頃の名残は殆どないその姿。

 だが黒い瞳だけは、変わることなくアタカを映す。


「クロ」


「グォウ」


 声は低く唸るように漏れる。

 その声色に誰よりもクロ自身が驚き、目を見開いた。


「これからも、よろしく」


 そんな彼の頬に触れ、アタカは万感の思いを込めて告げる。


 竜の吼え声が、狭い竜舎の中を揺らした。

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