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第14話 死の大海原-4

「どうする、アタカ」


 ルルはちらりと桜花に視線を向ける。


「私なら、大丈夫です」


「駄目だ」


 起き上がろうとする桜花の身体を、アタカは押し留めた。


「ほら、僕の力でも止めちゃえるくらい弱ってるじゃないか。それに顔もまだ真っ赤だ。無理しちゃ駄目だよ」


「は、はい」


 間近で目を見つめつつ真剣な表情で言うアタカに、桜花は恥ずかしそうに頷いて素直に身体を倒す。本当にそれは暑さのせいなのだろうか、とルルは思った。


「でもどうするの、アタカ。あんなに大きいのに襲われたら、この竜車なんてひとたまりもないよ」


 今の所サンドワームはこちらに気付いていないのか、襲ってくる様子はない。

 だがあの体格だ。もしその気になれば、幾ら対竜用に補強された竜車と言えどあっという間にバラバラにされてしまうだろう。


「サンドワームには瞳がないんだ」


 彼方の蛇竜を見やりながら、アタカは言った。


「その代わりに音と振動で獲物を察知する。だから、動かなければ多分襲われる事はないと思う」


「じゃあ、ここでこのまま夜になるか、あの竜がいなくなるのを待つ?」


「いや、それもあんまりよくない」


 アタカは首を横に振った。


「そうして他の野生の竜がきたりしたら、その音を聞きつけてサンドワームまでやってくる。そんな事になったら大惨事だ」


「じゃあ……どうする?」


 アタカはクロに視線を移した。


「……囮をクロに任せたいと思う」


「えっ!?」


 ルルが声をあげ、ディーナがその瞳を真ん丸に見開いた。


「アタカさんはいかずに……ですか?」


「うん」


 ただ一人真意を図るようにじっと見つめてくる桜花に、アタカは頷いた。


「クロ一人ってわけじゃない。勿論ディーナにも手伝ってもらうし、あのサンドワームを倒そうってわけでもない。ただこの馬車から引き離してくれればいいだけ。……だけど、いつもと違って僕の細かい指示はなしだ」


 クロが顔をもたげ、軽く首を傾げた。


「どうして? そんなの……」


 ルルは信じられないと言いたげに首を振った。

 アタカの案はまるでクロを見殺しにするかのようだと、ルルは思う。


「シンバさんと桜花の関係を見て、思ったんだ」


 そんな彼女に、アタカは冷静に言葉を紡いだ。


「竜と竜使いが共にあることは大切だ。それは間違いない。でも、僕はもっとクロの事を信頼できるんだって」


「信頼……」


 シンバの桜花への態度はそんな風に呼んでいいものなのか。

 ルルはそう思ったが、流石に桜花の前で言うのは憚られた。


「そう、信頼だよ。こうして僕に預けてくれたのも、桜花の事を信じてるからこそだ」


 しかしアタカは疑いなく頷く。


「この砂漠では僕ははっきり言って足手まといにしかならない。僕が外に出なければ、クロは僕に防御魔術や耐熱魔術をかける必要が無くなる。ならむしろ、クロだけの方がいい。そう思うんだ」


 アタカの言葉に、ルルはクロへと目を向ける。自然、その場にいるもの全ての視線が彼へと向かった。


「クロ。お前なら出来るはずだ。そうだろう?」


「ウォン!」


 アタカの問いに、クロは迷いなく吠えた。


「ああ。やっぱりお前は最高だ」


 アタカは笑みを浮かべて、クロの頭をわしわしと撫でた。


「勿論僕も何もしないってわけじゃない。ルル、ディーナにクロの補助と中継役をお願いしていいかな?」


 ディーナをつけ、ルルとディーナの念話を通じてクロに指示を送る。この方法なら多少手間はかかるが、安全にアタカの指示をクロに伝えられる。


「……わかったよ。クロ自身がその気なら、私が止めるわけにもいかないし。ディーナ、お願いね」


「はいっ!」


 不承不承と言った感じでため息をつくルルとは裏腹に、ディーナは元気よく頷いた。


「桜花は体力回復に専念して。万一クロ達が戦ってる最中に別の竜が出てきたら、その時はお願いするから」


「……畏まりました」


 申し訳なさそうに頷く桜花に頷き返し、アタカはしゃがみ込んでクロと視線を合わせる。


「いいかい、クロ。なるべく大きな音を立ててあいつを引きつけてくれ。あっちにある岩山が見える?」


 砂漠の上には、小さな岩山がいくつも点在している。

 そのうちの一つを指さして言うと、クロは小さい声でオンと鳴いた。


「あいつは岩山の下には潜れないはずだ。あの岩山を迂回して向こう側に誘導した後、岩山を登って戻ってくるんだ。出来る?」


 クロはもう一度、先程より少し大きな声で吠える。


「良い子だ。それと、もう一つ」


 アタカは彼の耳の後ろ辺りを撫でてやりながら、最後の指示を伝えた。


「無理はしなくていい。絶対に、無事で」


 アタカの肩にすりすりと鼻面を擦りつけ、クロはウォフと鳴く。


 『任せておけ』と、そう言うかのように。


「ディーナ。クロをお願いね」


「はい、わかりました!」


 ディーナはふわりと跳んでクロの背に跨る。


「クロ、熱はわたしが防ぎます。全力で戦ってください」


「ウォン!」


 クロは一声吠えてすっくと立ち上がった。

 パタパタと二度、三度ふさふさの尻尾を振り、耳をピクピクと動かし、鼻を鳴らす。犬そっくりな動作だが、その瞳には確かな知性の輝きがあった。アタカと出会ったばかりの、右も左もわからなかった頃とは違う。


 そう言いたげに、クロはぐっと両手足を伸ばしてその身体の大きさを示した。


「よし、じゃあ」


 アタカは満足げに頷き、竜車の扉を開く。


「いけっ、クロ!」


「ウォン!」


 一声鳴いて、クロは勢いよく砂の上を駆けだした。


 竜車の中とは比べ物にならない熱気が彼の身体を襲い、焼けた鉄板のような熱さが手足の先から伝わってくる。


 だが、ディーナが守ってくれているおかげだろう。

 我慢できない程の熱さではなかった。


 舗装どころか土さえない砂の大地はずるずると滑り、酷く走りにくい。

 だが、クロはその爪でぐっと大地を捉えて蹴り、風の様に走った。


 砂の上を走るのは慣れっこだ。

 砂地を走るのは良いトレーニングになるらしく、大抵の訓練場には砂地が用意してある。クロはそれこそ毎日の様に、アタカと走り込んできた。


 ドラゴン・パピーである彼は、総合力ではディーナやジン、ウミには遠く及ばないかもしれない。


 だがその地力であれば、絶対に負けはしない。アタカとクロは誰よりも訓練を積んできた。その自負があった。


 ただがむしゃらに頑張っただけではない。

 どの程度の負荷であればクロの身体を損ねることなく鍛えられるか。

 どんな訓練をすれば最も効率よく成長できるか。


 それにアタカは常に頭を悩ませ、クロは常に彼の期待に応えてきた。


 アタカの為だったらどれだけでも頑張れる。

 あの努力家の少年を、絶対に最高の竜使いにして見せる。


 ――いつの頃からか、アタカの夢はクロの夢になっていた。


 行く手に見えるは巨大な、あまりにも巨大な竜。


「ウォォォン!」


 しかし小さなドラゴン・パピーは臆することなく吠えた。


 砂が盛り上がって槍となり、サンドワームを刺し穿つ。

 サンドワームの巨体に比して、その槍のなんと小さなことか。

 クロの身体など豆粒に等しく、生み出した槍は更に小さい。


 しかしその蚊が刺したほどにも感じられなかったであろう攻撃に、サンドワームは大きく身じろぎして波を立てた。まるで津波の様にそびえたつ、砂の波だ。

 ただし海の波と違って、巻き込まれればそのまま生き埋めになってしまう。


「壁を張ります!」


 ディーナがそう宣言するのを聞いて、クロは足を止めた。

 ざん、と音を立てて砂の中から石造りの塀がクロを守るように突き出す。

 だがそれは膨大な砂の津波に対してあまりにも貧弱に見えた。


 こんな時、アタカならどうするか。

 クロは幼い心で必死に考える。


「ウウォォオオオウ!」


 そしてぐっと四本の脚に力を込めて跳躍すると、彼はディーナの作り上げた壁の上に飛び乗った。


「っ!」


 一瞬にしてディーナは彼の意図を理解して、力を使う方向性を変える。壁を厚く防御力を高める事をやめ、更に高く高く上へと伸ばしていく。


『ディーナ、柱よ!』


 すると念話で主人の声が飛んできた。

 壁を作るよりも、柱を一本立てる方が遥かに速い。おまけに砂津波から受ける抵抗も壁より遥かに小さく、柱ならある程度受け流す事が出来た。


 とは言え、砂津波の勢いは凄まじい。柱がその形を保てたのはほんの一瞬の事で、すぐさま薙倒され、砕け散ってしまう。


 しかしその一瞬でディーナは次の柱を作り、クロは次の柱へとどんどん飛び移っていく。そのまま津波を飛び越え、更に立てられる柱を駆け上って、彼はサンドワームの上へと飛び乗った。


 ごう、とその口から火炎が吐き出される。

 しかし分厚い皮膚は表面が軽く焦げるだけで、まともに効いた様子すらなかった。


「グオオオンッ!」


 クロが低く唸り声をあげると、彼の前に雷撃が突き立った。


「ウォンッ! グォウ、ウオオオオゥッ!」


 緑色の毒矢が。火炎の塊が。氷の槍が。ありとあらゆる攻撃魔術がサンドワームの背中に放たれていく。その多彩な魔術の数々に、ディーナは目を見張った。

 魔術を得意とする彼女でさえこれほどの種類は使えない。


『ディーナ、柱を今度は上に出して!』


 そこへ再び、ルルからの指示。恐らく実際にはアタカが出している指示なんだろう。その有効性も良くわからぬまま、さっきまで作っていたのと同じようにディーナは石の柱を作り上げた。


「ウォオオオオウ!」


 クロの咆哮に、バチバチと爆ぜる音がした。

 石柱がパチパチと放電しながら、その形を変えていく。その重さを支えるために厚く平たい土台が伸び、鋭く尖って一本の槍となる。


 加速度のついた重い石槍は、サンドワームの分厚い外皮を突き破ってその背中に突き刺さった。


「えーいっ!」


 力の限りを尽くしてディーナは柱を無数に作り上げる。石の槍がまるで雨の様に降り注いだ。その一本一本はサンドワームの大きさに比すれば小さな針のようなもの。しかし針とて無数に刺されば十分な凶器となる。


 まるで林の様に突き立つ石槍の群れに、それまでクロ達を歯牙にもかけていなかったサンドワームがついに身体を捩じらせた。


 空間ごと震わせているかのような、大気を揺るがす鳴動。

 その凄まじい暴れぶりに、クロは空中に放り出された。


 その背にしがみ付きながら、ディーナは反射的にぎゅっと目を瞑った。

 いくら竜とは言え、この高さから落ちればただでは済まない。


「ウォン!」


 しかしクロの声に目を開けると、彼女の身体はまだ空中にあった。

 下に目を向けてみれば地面までは随分距離がある。


 そしてクロの身体は空中に浮くでもなく、飛ぶでもなく、ゆっくりと落ちていた。


 音もなく砂原に降り立つクロに、背に柱を突き立てたサンドワームがぐるりと身を翻して相対する。


 その円形状の巨大な口がぱっくりと開かれ、中には細かい三角形の牙が幾重にも重なりながらずらりと並び、牙が蠢いていた。

 クロくらい軽々と丸のみに出来そうな体格を持つ相手だが、あの牙に巻き込まれればバラバラのミンチになってしまうだろう。


「ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴ」


 地鳴りのような音が、辺りに響く。


 それは怒りの声。

 クロとディーナをようやく敵とみなしたサンドワームの吠え声。


「ウォォォオンッ!」


 それに応えるかのように、クロは吠える。



 本番は、ここからだ。

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