第14話 死の大海原-3
「あっつい~……」
ごとごとと音を立てて進む竜車の中。
いつになくだらしない姿で、ルルは呟いた。
どんな時でも隙無く身嗜みを整えている彼女だが、そんなルルでさえ服の胸元を大きく開き、ぐったりとして長椅子に身体を預けていた。
クロも力なく床に横たわってピクリともしない。
そんな中、ディーナだけがじっと姿勢を保ったまま魔術に集中していた。
竜車の内外の空気を遮断し、冷気で満たしている。
それでようやく、これ程の暑さである。
「おうかー……だいじょうぶー……?」
「はいっ、桜花は大丈夫です」
ならば外で竜車を引いている桜花はどれほどだろうか。
心配になってルルが息も絶え絶えと言った様子で尋ねれば、しっかりした声が聞こえてきた。流石は桜花だ。
「桜花は何ともありません。桜花は大丈夫です」
「……桜花?」
アタカ達がそう思った矢先、桜花は言葉を繰り返した。
「大丈夫です。大丈夫。桜花は、桜花は、大丈夫でしゅ……」
「駄目だアタカ、桜花回収して!」
「わかっ……熱っ、熱い! 暑いじゃなくて熱い! ディーナ、熱保護お願い!」
大騒ぎしながら、慌ててアタカ達は桜花を回収した。
「すみません……」
「いや、本当、無理しないで」
人の姿で横たわる桜花の額に、アタカは水を含ませ硬く絞った布を乗せてやる。
そんな事をしても、この熱気と乾燥の中では殆ど気休めのようなものだ。
「ごめん、桜花にばっかり負担をかけちゃって」
「いえ……私が、やらなければ」
魔力特化の精霊竜であるディーナには、そもそも竜車を引く程の力がない。
長い毛をもつクロも、砂漠は向いていない。
自然、桜花に任せる事になったのだが、やはり彼女にもこの炎天下に長時間竜車を引くのは相当辛かったらしい。
完全に音を上げてしまう前にクロと交代できればよかったのだが、桜花の健気な性格が災いした。
「駄目だ。ゆっくり休んで」
アタカは身体を起こそうとする桜花の肩を押さえつける。
「進むのは夜にしよう。相当寒いらしいけど、熱いよりはマシだろう」
「さんせーい……」
力なく頷きながら、ルルは横に身体をずらした。
竜車には左右に二つ長椅子が取り付けられていて、それぞれ二人ずつ、最大四人くらいは楽に座る事が出来る。
今はその片方に桜花が横になっているのでアタカは立っているしかないが、細身のルルが身体を詰めると、アタカが何とか座れそうなスペースが出来た。ここに座れと言う事らしい。
ディーナは髪の色こそ真っ赤で見間違える心配はないが、それ以外はルルと瓜二つだ。そんな二人に囲まれるのは不思議な気分だった。
「あ、すごい。暑過ぎて意外と人肌熱くないね」
流石に二人分のスペースに三人で座ると狭い。ルルはアタカにぴっとりとくっ付きながらそう言った。
「確かに。特に、ディーナは冷気出してるから凄くひんやりしてる。この子真ん中に置いた方が良いんじゃないの?」
しかしこの朴念仁はそんな風にしても些かの動揺もない。
「直接ディーナを抱っこすると今度は冷えすぎるから、このくらいで良い」
言いながら、ルルはアタカの腕を抱きしめる様にかかえる。
「そう?」
そこまでしても、さり気無く手首に回した指先から感じられる脈拍数には変化なし。ルルは心中で舌打ちした。
「しかし、ここまで過酷とは予想外だったな」
「申し訳ございません……」
「いや、桜花が謝る事じゃないよ。むしろ気付けなかった僕のミスだ」
シンバから信頼して預けてもらったのに、とアタカは悔やむ。
「多少無理にでももう一人くらい連れて来たらよかったかもね。戦えなくても、竜車引くだけでも」
彼が沈み込みそうになるのを察知して、ルルは話題を変えた。
「うーん……でも、竜車を引ける竜となるとまたちょっと難しいんだよね」
アタカの方もそんな彼女の気遣いを察しつつ、それに乗った。
失敗してもずっと悔やむのは彼の流儀ではない。
「ウミは問答無用で無理だし、ジンやビー・ジェイも向いてない。ムベさんのエリザベスくらいかなあ」
「でもムベさんが来るならイズレさんも来たがるでしょうしね」
「あっ、ゴールディがいた。ナガチさんのゴールディが車輪蛇になれば楽に引けたのに」
「でもあの人絶対嫌がるでしょ、こんな所に来るの」
「言われてみれば、すぐに姿を隠してたなあ……」
まあ付いてこられても困るけど。
ルルは心中でそう呟く。
「日が沈むころには桜花も回復するだろう。そうしたら、クロと交互に引いてもらおう。桜花も、疲れて来たらすぐ教えてね」
「はい。ご迷惑をおかけしてすみません」
項垂れる桜花に、アタカはむしろ笑みを浮かべた。
「桜花でも失敗することがあるんだなって、ちょっと安心したよ」
「安心……ですか?」
「そうね。私達より遥かに高位の竜使いの使竜だもの。それこそ、私達なんていらないんじゃないかって思ってた」
目を瞬かせる桜花にルルがそういうと、ディーナも主人に同意してこくこくと頷いた。
「だからそんなに気にせず、今はゆっくり休んで」
「……はい。ありがとうございます」
ようやく微かに微笑む桜花に、アタカとルルはほっと胸を撫で下ろす。
「でも、こんな時に竜に襲われたら最悪だよね」
「本当だね」
何気ないルルの言葉に、沈黙が降りた。
まるでその会話を待っていたかのように、地面が振動する。
同時に、床に臥せっていたクロが顔を上げ、激しく鳴き始めた。
「何!?」
「嘘だろ、クロ、そんなにいるのか!?」
その吼え方は、敵を見つけた時の声。
しかし、見つけた数だけ吼える筈の声がいつまで経っても鳴り止まない。
アタカは慌てて竜車の窓から首を突き出した。途端、凄まじい熱波が皮膚を刺すように襲うが、気にしている場合ではない。
右を見ても左を見ても、敵の影はない。
だが、遥か彼方に砂煙が上がっていた。
「あれは……!」
砂原が盛り上がって、山の様に聳え立つ。次の瞬間、それは弾け飛んで中身が露出した。
膨大な砂煙の中から現れたのは、蛇のような竜だった。
ただしその顔には目もなく、鱗もない。
つるりとしたゴムのような質感の長い体は、幾つもの節に分かれていた。
「何あれ、ミミズ……?」
アタカの横から顔を出して、ルルが呟く。
確かにそれは、蛇というよりミミズに似ていた。
ただし、大きさが桁違いだ。
遠くに見える山より高いのではないかと思うくらいに巨大な首。
それをもたげながら、未だその身体の大部分は砂中にある。
「サンドワームだ……!」
クロが吼え続けたのは、敵が多いからではない。
無数にいるのと同じくらいの巨大さであると言いたかったのだ。
水の海に棲むマカラよりも巨大な砂の海の主が、悠然とその姿を現した。




