第13話 花咲く季節-8
その炎は、とてもドラゴン・パピーが放つものとは思えなかった。
クロの出すそれとは比べるべくもない。
ディーナが全力をもって放つ炎の魔術と比べてさえ、強力なものだった。
それを一切の溜め無しに振るうのだ。
一体どれほど鍛えたのかすらわからない、圧倒的な力だ。
「さて、この辺は片付いたからちょっと向こうの方加勢してくるねー」
そう言ってツブサが取り出したのは、魔力結晶だった。
「見ててごらん、アタカ君。これが、わたしの戦い方はあなたの参考にならないといった理由よ」
ぽいと放り投げられる魔力結晶を、ナナは器用に口で受け止める。
「『リンドブルム』」
魔力結晶を用いて細かく種族を変えて戦うスタイルなんだろうか。それなら確かに自分の参考にはならない。
アタカはそう思ったが、そこで起こった出来事は彼の予想を超えていた。
「イクイップメント」
ごくりと魔力結晶を飲み込むナナに、アタカは目を見開く。
ナナの毛並みがざわりと蠢き、その背中を突き破るようにしてコウモリの翼が生えだした。
ドラゴンパピーの身体はそのままに。
「えっ……!?」
ナナはふるふると二、三度身体を震わせると、口からぺっと魔力結晶を吐き出した。先程飲ませたものとは別の、真っ赤な結晶だ。
「それは?」
「レッドドラゴンの魔力結晶よ」
ツブサは地面に転がる結晶を拾い上げて鞄に入れる。
その答えに、アタカの中で全てが繋がった。
「さっきのブレスは、そのレッドドラゴンのものですね?」
「……よくわかったわね」
ツブサは感心したというように、口を綺麗にオーの字に開いた。
ブレスの威力というのは基本的に、その発炎器官の大きさによる。要するに同じ種であれば身体の大きければブレスも強力になる、という理解で大体正しい。
確かにナナの身体はクロに比べてかなり立派なものだが、それでも何倍も大きいわけではない。炎のブレスにそこまでの威力差が生まれるわけはないのだ。
では、なぜあれほどの熱量を出せるのか。大きさを変えられないのなら、燃やすものを変えればいい。より高熱を発するガスにすればいいのだ。……例えば、レッドドラゴンのそれだとか。
「これが『過剰定着』って技術よ。完全定着させた竜の力を更に加えてやることで、竜の姿はそのまま、別の竜の力を操れる。しかも、解放と違って結晶は消費しないの」
「そんな方法があったなんて……」
ルルはぽつりと呟く。彼女はおろか、桜花すら驚いていた。
「なるほど、それは確かに僕には使えない方法ですね」
そう言いながらも、アタカの表情は明るい。
「落ち込まないの?」
「はい。仲間には有益な情報ですから。ありがとうございました!」
アタカにとって、仲間達が成長する事は自身の成長にも等しい。だがそれを置いても、彼らが更に強くなれるというのは純粋に嬉しい事だった。
「仲間、ね」
ツブサは何か言いたげにルルと桜花を見る。
「……まあ、今はまだ」
そんな視線を受けて言うルルに、アタカは首を傾げ、ツブサはくすりと笑みを漏らした。
「わたしがパピーを使ってるのはそう言うわけ。あの子は確かに強くはないけど、代わりに全くクセがないからね。どんな魔力結晶でも過剰定着させて扱える。汎用性が高いのよ」
「なるほど……」
ツブサの説明に、アタカは深く頷く。
クロとアタカが何とか戦えているのも、その特徴のおかげだ。
考えてみれば、パピーも主竜種の端くれなのである。
ブレス、体術、魔術。その三つをバランスよくこなせるのは主竜ならではだ。だからこそ、出力の低さを手札の多さで何とか補う事が出来る。
これが他の竜種であったら、アタカの道はもっと苦難に満ちていただろう。
「さて、ちょっとお喋りしすぎちゃった。いってくるね」
ナナの背中に跨り、ツブサは空に舞い上がる。
「……凄い!」
その飛翔能力はまさにリンドヴルムそのもので、アタカは思わず歓声を上げた。リンドヴルムは最初に貰える四種に数えられる程基本的な竜種ではあるが、その飛翔能力は侮れるものではない。
前足を捨てて飛翔に特化した飛竜の飛ぶスピードは、全竜種の中で見ても上位に位置するのだ。その代わり、リンドヴルムはそれ以外の能力に弱い。骨格は貧弱でパピーよりも耐久性に劣り、ブレスも吐けず、魔術も得意ではない。
だが、その飛翔能力を丸ごと手に入れつつ、他の竜種として戦えるとしたら……それは、恐ろしい事だった。
「なんだか、妙だな」
散発的に襲い掛かってくる竜をホムラに焼き払わせながら、ロカは不意に呟いた。
「どうしました?」
手持無沙汰なので、その戦い方をじっと観察しつつ、アタカは問う。力任せに対応しているように見えて、その実ロカの戦い方も興味深い。
「今日は妙に、長い」
そんなアタカを少し気味悪そうに見ながらも、ロカはそう答えた。
「段々多くなってきましたね……」
雷撃を放ちながらも、桜花はアタカに身体を寄せる。
タツノオトシゴに雨龍、たまに吉弔やイピリヤ。
最初で強力なものが出尽くしてしまったのか、出てくるのはあまり強いとは言えない竜が大半で、桜花とホムラの攻撃なら簡単に蹴散らせるものばかりだ。
……だが、倒しても倒しても、その数は一向に減らない。
それどころか徐々に多くなっているようにさえ感じられた。
「ルル」
「今、ディーナたちを呼び戻してる。でも、多分ここに来るまであと十分くらいはかかっちゃう」
呼びかければ幼馴染は頼むまでもなく、アタカの意図を察してくれていた。現状では、どう考えてもアタカとルルは足手まといだ。
「アタカ様」
桜花が真剣な眼差しでアタカを見つめ、己の水着の紐に手をかけた。
あっと思う暇もあればこそ、彼女はそれを脱ぎ捨ててしまう。
「これを持っていては頂けませんか」
水着を口に咥えてそう頼むのは、麒麟の姿の彼女だ。
見てはならないようなところが見える前に、彼女は本性の姿へと転変していた。
「う、うん」
受け取るそれはほのかに暖かく、そんな場合じゃないと知りつつもアタカは顔を赤く染める。
「私が預かっておくね」
それを、横からニコニコしながらルルが奪い取った。
「ありがとう」
アタカはほっと息を吐き、割と真剣に礼を言う。
流石に持っているのは精神衛生上よろしくない。
「お二人とも、私の背に」
アタカとルルを背に乗せて、桜花は蹄を鳴らし空中を駆けた。
舞い上がった彼女目掛けて一斉に攻撃が迸ったが、桜花は事もなげにそれを全て躱す。
「必ずお守り致しますので、ご安心ください」
タツノオトシゴたちが放った水の槍が、桜花に触れる事すらできず音を立てて消え去った。本来防御回復をその専門とする麒麟だ。この程度の攻撃であれば避ける必要さえない。
「何か、理由があるはずだ」
アタカは見回していった。この街の歴史は知らないが、この規模の攻撃が毎回あるならとっくに滅んでいる事だろう。であるなら、今回これほどの侵攻を受けている理由があるはずだった。
「何かわかったか?」
ばさりと翻る翼の音に目を向ければ、ロカとツブサがそれぞれの竜に跨り、横を並走するようにして飛んでいた。
「桜花……僕が今からやるのと、同じ魔術を使える?」
「やってみます」
「FilGlarva, Pafika Wemniko Lesko。魔力感知」
アタカの能力では不審な点は見当たらないが、桜花の魔力精度であれば何かわかるかも知れない。一つ一つ丁寧に真語を唱え、アタカは桜花にその魔力の動きを見せる。
クロが何十回と訓練してようやく覚えたそれを、桜花は一発で見事に再現して見せた。
「どう?」
「特に隠れている竜は……いないと思います。水中には何匹もいますが」
「……隠れてる竜じゃなく、見えている竜に変なところはない?」
少し考え、アタカはそう問うた。
「見えている竜、ですか?」
桜花はきょとんとしたように答えて、首を下に向けるとじっと目を凝らす。
「あの……気のせいかも知れないんですが」
「何でも良い。気付いたことがあったら言ってくれ」
「……敵の魔力の反応が、少し小さい気がします……」
自信なさげに、桜花はそう言った。
桜花の言葉に意識を向けるが、アタカには違いが良くわからない。
強力な竜である桜花から見れば弱い敵だから、小さいと感じるのは仕方ない事なのかもしれない。
だが、アタカは桜花の感覚を信じた。
「良く見て。その敵たちの魔力が、どこか……たぶん、海の奥に繋がってるはずだ」
「海の奥に……ですか?」
半信半疑で、それでも桜花は意識を集中させる。
「あっ」
そして、不意に声を上げた。
「ありました! 本当に、奥につながってます!」
そこにあるのだと気付いてさえ、ともすれば見過ごすほどの細い細い魔力の糸。それが、殆どの竜から伸びていた。
「やっぱり。どこに繋がってるのかはわかる?」
「はい。ちょうど、あの壊れた壁の奥です!」
なるほど誰も気付かないわけだ、とアタカは思う。壁の中に侵入した竜を撃退することは考えても、壁の外に打って出て戦おうなどと言う竜使いはそうそういない。
「攻撃できそう?」
「少し……深いですね」
桜花はゆるゆると首を振る。彼女が得意としている雷撃は、地中や水中への攻撃に向かない。
「じゃあ、道を開くよ。あそこでいいのね?」
どうするべきか思い悩んでいるアタカに、ツブサが軽い調子でそう言った。
「開くって、どうやって……」
「いち、にの、さんでやっちゃってね」
ツブサは一方的にそういうと、ナナごとホムラの背中に乗って水色の魔力結晶を取り出す。
「『ミズチ』」
それをごくりと飲みこみ、その身に水の精霊の力を宿すナナの瞳が、青く輝いた。
「いち」
ホムラの上から、ナナが飛び降りる。
「にーの」
彼女の目の前で海が渦巻き、そして二つに割れた。
その奥にいたのは、蛇に似た龍だ。
長い体に細く貧弱な手足が生えていて、角と赤い鬣を持っている。
「さん!」
そして、桜花の電撃がそれを焼き尽くした。
「で、結局あれなんだったの?」
アタカ達が岸に戻ると、あれだけ無数にいた竜たちはさっぱりと姿を消していた。それどころか手に入れたはずの魔力結晶さえその大半が消え去っていて、竜使い達のざわめきが波の音に紛れてそこかしこから聞こえてくる。
「蜃です」
白色の魔力結晶をツブサに渡しながら、アタカはそう答えた。
「蜃気楼の語源になった龍の一種で、自在に幻影を扱うことを得手としている竜ですね。分類としては、精霊種に当たります。幻影以外は大した力も持ってないんですが……」
「これだけの数の竜使いを騙すとは、大した力ね」
ツブサは感嘆の息を吐きながら魔力結晶を眺め、アタカにぽんと放り投げた。
「あげる」
「いいんですか?」
「見抜いたのは、あなただからね」
にこりと笑い、ツブサはそう言った。
「休んでたところに、ごめんね」
そこにクロとディーナがようやく辿り着き、ルルは彼らの頭を申し訳なさそうに撫でる。
「ううん、大丈夫です」
取りあえず当面の危機が去ったことは念話で伝えたのだが、面倒事に巻き込まれた主人が心配になったらしい。ディーナはふるふると首を振って応えた。
「壁を修復しなきゃいけないから、ディーナの力は役に立つと思うよ」
竜使いたちの大半は、破損した壁の修復作業に移っていた。メリュジーヌの自在に城壁を作り上げる力は修復にも打ってつけだ。
「アタカーッ!」
「えっ」
そこにカクテが文字通り突っ込んできて、アタカは思わず反射的に腕でそれを叩き落とした。カクテの顔が、豪快に砂浜にめり込む。
後ろから悠々とついてきたソルラクが、『よくやった』とでも言いたげにこくりと頷いた。
「なにすんのよ!」
「いや、うん……大丈夫そうで何より」
ウミがちゃんと防御魔術をかけておいてくれたのだろう。がばりと跳ね起きるカクテには怪我一つない。
「まあいいわ。それより! なんか、竜が消えたんだけど! あたしの魔力結晶!」
「ああ。あれは、幻覚だったんだよ」
「そんな……」
カクテはがくりと膝をついた。
手に入れたと思った海竜種の魔力結晶がことごとく消えてしまったのだ。
「敵は」
「倒したよ。僕とルルと桜花と……あと、そっちのツブサさんとロカさんが……」
短く要点だけを尋ねるソルラクに、アタカは後ろを振り返る。
「誰もいないじゃない」
何もない空間を見つめるアタカに、カクテは眉をひそめた。
「あれ?」
「先ほどまでいたはずなのですが……」
アタカのみならず、桜花やディーナも首を傾げる。
竜の知覚を持ってしても察知しない動きで、二人は姿を消していた。
まるで、彼ら自身まで幻であったとでもいうかのように。
「どうだった?」
そんな彼らを眺めつつ、ロカは相棒に尋ねる。
「そうねえ、予想以上かも。まさかあんなに速く蜃を見つけて倒しちゃうなんてね」
そう答えるツブサの声は、どこか楽しげだった。
「それにすごく良い子ね」
「……そうだな」
アタカの目を思い返しながら、ロカは頷く。
「でも多分、わたしの力にはなってくれないでしょうね」
目を伏せるツブサに、ロカは答えない。
「だからとっても残念」
口ぶりとは裏腹に、ツブサは赤く彩られた唇の端を吊り上げる。
「いつか叩き潰さなきゃいけないなんて」
触れれば刺さる薔薇の花のような笑みが、咲き誇った。




