第13話 花咲く季節-5
気まずい無言が、二人の間を支配していた。
アタカとルルは互いに言葉を交わす事無く、並んで道を歩く。物心つく前から一緒に過ごしていた幼馴染に対して、こんな空気を感じるのは初めてかもしれない、とアタカは思った。
この大陸では、言語や貨幣、法などはおおむね統一されている。しかし、互いに塀で囲われ、行き来するのは竜使いやそれに護衛を頼む商人など、ごく僅かにすぎない。自然、それぞれの街に根付く文化や習慣は随分異なるものとなっていた。
カクテの指示によって購入された水着は、彼女の感覚で言うとかなり大人しいものであった。が、ルルやアタカにとってはそうではない。フィルシーダ市民はシルアジファルア市民に比べると、実に慎ましやかでクラシカルな価値観を持っているのだ。
彼らの感覚で言うと、それは殆ど下着同然の『はしたない』代物であった。
つまるところ……アタカは確かに、カクテの狙い通り、ドキドキしていた。しかしそれは、異性を意識したというよりもむしろ、一種悪事を隠しているかのような罪悪感、禁忌感によるものだった。
「……で、次はどこに行くの?」
それゆえに、彼は意外と素早くその空気を振り払うと、極力普段通りを装ってそう尋ねた。
「う、うん……えっと」
ルルは鞄から地図を取り出し、一通り視線を走らせる。その地図は、カクテが書いて寄越してくれたものだった。大雑把な街の地図の中に、彼女が発案した『アタカにアピールする為のポイント』が幾つも載っていた。どれもこれも、先ほどの水着選びと似たり寄ったり……もしくは、より酷い内容である。
ルルは無表情に地図をくしゃりと握りつぶすと、それを鞄の奥に突っ込んだ。
「アタカは、どこか行きたいところある?」
「え? 他に、行きたいところは無いの?」
「うん。今、無くなった」
清々しい笑顔で、ルルはそう答えた。
「あーっ! あいつ何やってんのよ! ちょっとソルラク!」
「何をやってらっしゃるんですか?」
地図を握りつぶすルルの姿に激昂し、カクテが後ろに控えるはずの相方を振り返り見ると、そこには金の髪の美女が立っていた。
「……ソルラクが美人になった……」
「えっ?」
桜花は困惑に声を上げる。
「なわけないか。桜花ちゃん今日は、昨日ぶり!」
「は、はい。こんにちは」
ハイテンションに両手を挙げて挨拶するカクテに戸惑いながらも、桜花はぺこりと頭を下げる。
「あの……カクテ様。私の事は、ただ、桜花とそうお呼び下さいませ」
「うん、わかった。そんで、桜花ちゃんは何してんの?」
頷き、直後にそれを反故にするカクテに、桜花は思わず唖然とする。アタカとは違い、何度頼んでも全くの無駄であろう、という事を、聡明な竜の娘は一瞬にして悟った。
「買い物です。ご主人様に、お魚ばかりじゃなく、お野菜も食べていただかないと」
市場で買ってきた野菜の詰まった袋を掲げ、桜花は生真面目に答えた。様々な野菜がぎっしりと詰まった袋は二抱えほどもあり、凄まじく重そうだったが、桜花は軽々と手に提げている。
「……絶対おじいちゃん一人で食べきれる量じゃないでしょ、それ」
「余った分は、冷気の術で冷やしておきますから大丈夫です」
そう答えつつも、買いすぎた自覚はあるらしく、桜花は頬を赤く染めて恥ずかしそうに咳払いした。
「カクテ様達は何をなさってたんですか?」
物陰に隠れ、こそこそと道の様子を窺うカクテの姿は明らかに怪しい。
「あたし達は、ルルと……」
言いかけ、カクテは両手で自分の口を押さえた。表情で疑問符を浮かべつつ、桜花が不思議そうに首を傾げる。
「な……なんでもないよ。ちょっとぶらついてただけ」
「お二人でですか?」
「うん、そう! 二人で! ソルラクとあたしの二人で、ね!」
カクテは桜花の意識がアタカ達のいる方向へと向かないように、カクテは『二人で』を強調した。何かに気付いたように、桜花はハッと目を見開く。
「もしかして……逢引き、ですか?」
「えっ」
アタカとルルの存在に気付いたのか。どきりとするカクテの表情に、桜花は確信を抱いた。
「申し訳ありません、それは、お邪魔を」
「違う」
深々と頭を下げ、足早にその場を立ち去ろうとする桜花に、ソルラクはきっぱりと言い放った。
「カクテ様とソルラク様で、逢引きをなさっていたのでは……」
「違う」
「うー、何で心底嫌そうなのよあんたは」
こんな時だけ高らかに主張する無愛想な男を、カクテはうなり声をあげて威嚇した。
「……ええと、では、失礼致しますね」
二人の態度をどう解釈したものか、考えあぐねた結果、余り深く立ち入らないほうが良いだろう、と桜花は判断した。帰路へと向かおうとする彼女の行く手をカクテが遮る。
「……何か?」
「いや、えーと……そっちの道はあんまり良くないから、
迂回して帰ったほうが良いかなーって」
桜花の向かおうとした方向には、アタカ達がいるのである。
「ですが、他の道を通ろうとすると遠回りになってしまいますし」
「たまには遠回りも良いものだよ。人生には、道草を食う事だって大事なんだ。
それによって最短距離を走っていては見えないものだって、見えてくることがある。
何もかも急ぐことは無いんだよ」
カクテの言葉に、思わず桜花は感銘を受けた。
「確かに……仰るとおりですね」
今まで彼女は、余りに生き急いできたような気がする。主人の事ばかりをずっと考え、一心不乱に走ってきた。……だが、そろそろ他に目を向けてもいいのかもしれない。彼女はそう考えると、脳裏には自然と一人の顔が浮かんできた。主人ではなく、唯一他に、彼女がその背に乗せて駆けた男性の顔だ。
「わかりました、カクテ様。……私、しっかりと考えて見ます」
「う、うん。頑張ってね」
適当に言った言葉に返ってきた、予想外に真摯な瞳の輝きに気圧されつつも、カクテは曖昧に頷いた。
「では、失礼します」
ぺこりと頭を下げ、桜花は道を急ぐ。今は、この胸にある何らかの感情を、己の主人に訊ねてみたい。そんな思いが、彼女の足に最短距離を進ませた。
「あっ」
「あ」
そうして、彼女の目に飛び込んできたのは、仲睦まじく歩くアタカとルルの二人である。よりにもよって、手までつないでいる。桜花は呆然と、その光景を見た。
「あの……桜花、ちゃん……?」
「……逢引きをしてらしたのは、あちらのお二人だったんですね」
予想外に、桜花は特に変わらぬ態度で踵を返して微笑んだ。
「そうならそうと、言ってくだされば良かったのに。
私だって、お二人の邪魔をするような無粋な真似をするほど幼くはありませんよ」
「そ、そう? そうだよねー、ごめんね」
「そうですよ」
くすくすと笑いながら言う桜花に、カクテはほっと胸を撫で下ろした。つい、ディーナやウミに接するような態度で接してしまったが、言われてみれば、桜花はアタカ達よりも年上で、人にまぎれて暮らしてきた竜なのである。彼らよりもよほど分別がついている。
「では、私はこちらから帰りますね。さようなら」
もう一度頭を下げながら、桜花は道を変えて歩き始めた。
「さよなら……って、桜花ちゃん、前!」
ガン、と鈍い音を立て、桜花の頭が吊り看板に激突した。
「よ、余所見はいけませんね」
照れ笑いを浮かべつつ、看板を避けて進む彼女の足が、立て看板にもつれる。人間ならばこけるところだが、竜の強靭な筋力は立て看板を捻じ切り粉砕した。その弾みでよろける桜花の身体が柱を折り、消火栓を砕いて水を迸らせ、それを凍らせて止めようとして道一面を氷付けにする。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
桜花が一度謝る度に悲鳴が上がり、破壊音が鳴り響く。着々と広がっていく破壊の嵐に震えながら、「どうしよう」とカクテは呟いた。




