第13話 花咲く季節-4
「……静かな街だね」
大通りを歩きながら、アタカはそう言った。ちょうど同じことを思っていたルルは、こくりと頷く。つい最近まで、サハルラータにいたので尚更である。あの街は常に道を竜車や馬車が走り、歩道を人が行き交い、毎日が祭りの様な人の多さでごった返していた。
彼らの故郷であるフィルシーダはそれに比べれば、ムベ曰く『田舎』だそうだったが、シルアジファルアはそれとはまた異なる寂れ方である。竜車や馬車はたくさん走っているものの、人の往来が少ないのだ。
フィルシーダでは逆に、人の往来は多かったが竜車や馬車と言ったものはさほど見かけなかった。道も狭く、左右には露店が立ち並んでいたものだ。
「そうね……シンバさん達がここを選んだ理由も、わかる気がするかも」
何故彼ほどの竜使いが、こんな街に住んでいるのか……昨日、見舞いに行った際にアタカはそう、彼に尋ねた。それに対し、シンバの返答は簡潔であった。
曰く、静かで暮らしやすい街だから、だそうだ。
北に行けば行くほど、街と街の間の距離は開き、また、周囲に現われる竜も強力になる。それはつまり、北に行けば行くほど、そこにたどり着ける人間は少なくなる、と言うことでもあった。
そうなれば自然、住む人間も減る。人間が少なければ、運び込まれる物資の量も減る。本気でドラゴン・ロードを目指して研鑽を積んでいる竜使いでもなければ、大抵はサハルラータか、その周囲の街に住んでいるものらしい。
桜花の足なら、サハルラータまでも半日とかからないから、不便もない。確かに余生を過ごすにはいい街かもしれない、とアタカはそう思った。
「それで、今日はどうするの?」
ぽつぽつと開き始めた店を眺めながら、そういえば今回の目的を聞いていなかった事をアタカは思い出した。と言っても、自分で尋ねながら、ルルに何か明確な目的があるとはアタカ自身、あまり思っていなかった。
移動には竜車が必須なほど広大で、とても全てを見て回れる気がしないサハルラータとは違い、シルアジファルアは随分と小さな街だ。徒歩でも十分端から端へと移動できるし、数日もあれば主要な場所はすべて回れそうなくらいの街である。さして目的もなく散策するのも悪くないかもしれない、とアタカは考えた。
「うん、ええと……最初は、この店かな」
しかし案に相違して、ルルは地図を取り出すと印のついた店を指し示した。
「よし、じゃあ早速行ってみようか」
アタカは朗らかにそういい。
そして、店に着くなり、その言葉を後悔した。
「あのさ……ルル」
アタカは、己の顔に急速に血が巡り、恐らく耳まで真っ赤になっているであろう事を自覚する。
「う、うん……」
ルルはうつむき、目を合わせようとさえしないが、髪の隙間から覗き見えるうなじや耳はやはり同様に赤く染まっていた。
彼らの目の前に広がるのは、女性用の衣服。しかし、普通の店で売っているものに比べて、それは恐ろしく覆う面積が狭いものであった。
「流石に、ルル相手でも下着は……恥ずかしいんだけどなあ」
「し、下着じゃないよ!?」
慌ててルルはアタカを見上げ、そう弁明した。彼女の感覚から言えば目の前のそれだってかなり恥ずかしいと言うのに、そんなはしたない事を出来るわけがなかった。耳から蒸気でも噴出すのではないだろうか、と言うほど熱を帯びる頬を必死に手で押さえながら、ルルはカクテの受け売りの知識を話す。
「こ、これは……水着って言って、泳ぐ時のための服なの」
「水着……?」
こくりと、ルルは頷いた。河で水を浴びたり、ちょっと泳いだりした事くらいはあるアタカ達であったが、そうした時は素っ裸か下着、もしくは透けないような厚手の服を着て楽しむのが普通である。基本的には小さな子供か、男性のすることであって、慎みを持った女性がすることではないと言う認識だ。
しかし、街の中に海を持つシルアジファルアでは違った。住人達は日頃から海水浴を楽しみ、より泳ぎやすいようにと水着が作られ、一般的に流通しているのだ。そのような街など他にはなく、海水浴はシルアジファルアに住むもの達にとって貴重な娯楽であると共に、観光としての収入源にもなっていた。
しかし、これは……と、ルルは水着を手にとって、まじまじと見つめた。『刺激的』とカクテは言っていたが、幾らなんでも程度がある。完全に、下着と同じようなものではないか。
「あー……じゃあ、僕はちょっとあっちで」
流石にこの空気には耐えられなくなったのだろう。その場から離れようとするアタカの腕を、ルルはがしりとつかんだ。
「ま、待って……」
すう、と大きく息を吸い込み、少女は覚悟を決める。毒を喰らわば皿まで。既にここまで恥を晒したのだから、ここでアタカを逃すわけにはいかなかった。
「試着……試着、するから。ちゃんと、見て」
「ええええええ!?」
慌てふためくアタカを、有無を言わさず店の中へと引きずり込むと、ルルは一着水着を手に取り、『そこにいてね』と言い放って、カーテンの中へと消えた。
アタカは流石に居心地悪そうに辺りを見回すが、目に映るのは色とりどりの水着ばかり。それも、見慣れぬ彼にとってはどうにも下着との違いがわからないようなものだ。数名いるほかの客もなにやら彼を見てはくすくすと笑っている気がして、アタカはただただ目を閉じ、じっとルルの帰還を待った。
人間の身体とは良く出来たもので、一つ感覚を閉ざすと、他の感覚器から得られる情報量というのが増すように出来ている。目を閉じたアタカの耳には、カーテンの向こうで着替えるルルの衣擦れの音が克明に聞こえてきた。
普段、兄妹の様に近しく思っている相手とは言え、彼も健康的な男性である。気にならないわけがないが、まさか聞き耳を立てるようなマネをするわけにもいかない。彼は必死で己の中から雑念を追い払うべく、脳裏に幾つも魔術の理論だの、竜の情報だのを思い浮かべた。
その時、しゃっと音を立て、カーテンが開く。
「どう……かな」
ルルが心許無げに、腕で身体を隠すようにしつつ、上目遣いにアタカを見つめる。
その全身は、足首から肩までぴっちりと水着で覆われていた。
「露出度下がってんじゃないのよー!」
そんなカクテの叫び声は、ソルラクの手に遮られむぐむぐとくぐもった音を立てるだけに留まった。ルルの選んだ水着は、選りにも選ってもっともクラシカルな、全身を覆う袖付きのタイプである。水着と言うよりも、素潜りや潜水に使われるスイミングスーツに近い。当然、色気も何もない。
むぐむぐむー! と叫びながら暴れるカクテを、ソルラクは的確な動きで押し留めた。片手で口を押さえて叫び声を殺しつつ、暴れる手足が壁や床などを叩いて音を立てぬようにもう片方の手で彼女を引っ張ったり、逆に押しのけたり、手で受け止めたりして調節する。
それは相手の動きを読み、先手を打ってそれをつぶすと言う彼の高い戦闘技術の真髄であったが、これほどまでに無駄なことに使うのは初めての体験であった。
いっそ手を離してしまえばこの茶番から開放されるのだろうか、とソルラクが考えていると、不意にカクテが暴れるのを止め、彼に何か言いたげに視線を向けていた。
「ソルラク、ルルに連絡! ちょっとこっち来いって言って!」
手を離してやるなり、カクテはそう言った。ソルラクを連れてきたのは、この時のためでもある。ソルラクがジンに連絡を送り、ジンからディーナに。ディーナが、念話を通してルルに言葉を伝えるという方法だ。これなら、アタカに知られることなくルルと会話をすることが出来る。
ソルラクからの伝言ゲームに、水着から元の服へと着替えを済ませたルルはきょろきょろと辺りを見回す。やがてカクテを発見すると、アタカに何事か言ってから、こちらへと駆けてきた。
「ねえ、カクテ、アタカが、私にあの水着似合うって――あぅっ」
ずびし、とカクテチョップがルルの眉間に突き刺さる。
「寝言言ってるんじゃなーい!
アイツあからさまにほっとしたけど少し残念、みたいな顔してんじゃないのよ!
出しなさいよ! 腹を! へそを! 脚をー!」
カクテは小声で怒鳴る、と言う器用な真似を見せた。
「む、無理だよそんなの……死んじゃう」
「なら死ね!」
一切の迷いなく、カクテは言い放った。
「いいこと、これは戦いなの……
死中に活を見出さなきゃ生き残れない、熾烈な争いなのよ……!」
「そ、そんな大事だったっけ?」
引け腰のルルに、カクテは大仰に頷いた。
「桜花ちゃんはね……既に、アタカに全裸まで見せてるのよ」
「ぜ、全裸……っ!?」
ルルは衝撃を受け、身体をぐらりとよろめかせて数歩後退りした。
「それに比べたら、水着の一着や二着、なんだって言うのよ。
さあ、アタカを悩殺してきなさい!」
彼女が衝撃から醒める前に、カクテはルルに畳み込むかのようにそういい、背中を押す。
「……何?」
どこかふらふらとした足取りで水着売り場へと向かうルルの背中を見ながら、カクテはじっと物言いたげに視線を送るソルラクに問うた。
「……鞍は、ついてたんじゃないか」
麒麟の姿でも、全裸は全裸だ。嘘は、言ってない。そう主張しようとする機先を制して発せられたその言葉に、カクテはソルラクの背中をばしばしと怒りを込めて叩いた。




