第02話 旅の始まり-4
応戦の気配を感じ取り、吉弔はその長い首をもたげ威嚇するように口を大きく開いた。老獪で狡猾な亀龍は己の鈍さをよく心得ている。少しでも油断や逃亡の気配を見せれば、その隙を突いて確実に殺しにかかるだろう。
逆に言えば、隙を見せるまでは積極的に攻撃はしてこない、受けの構えだ。それはこの状況で唯一の救いだ、とムベは考えた。
「いいか、アタカ。攻撃を受けようとは絶対に考えるな!
距離をとって足を使って回避に専念するんだ!」
「はいっ!」
アタカはクロの背に跨り、ぽんとその首筋を軽く叩いた。クロは横っ飛びに跳躍すると、口を開けて矢継ぎ早に火の粉を吐き出す。火の粉といってもその一片はアタカの手の平を広げた程の大きさで、ちょっとした木立くらいなら一瞬で炭化させる程度の熱量がある。
それを、吉弔は長い尻尾でいとも容易く打ち払った。そのままお返しとばかりに高く鳴くと、波打ち際の水が球状に盛り上がって空中に浮き上がり、槍のように鋭く尖って飛んできた。
「う、わ、あっ!」
俊敏にそれをかわすクロの毛に、アタカは振り落とされない様に全力でしがみついた。平常時ならアタカの事を考慮した動きで振る舞うクロも、さすがに吉弔相手には余裕など微塵もない。
「喰らいなあ!」
逃げ惑うクロとアタカが攻撃を引き受けている隙に、ムベはぐっと右腕を吉弔に向けてつきだした。その腕の先にはまるで砲台のようにドラゴン・フライがしがみついていて、その口を大きくかぱりと開けた。
きゅぅん、と炎の粒が口の中に収束し、ゆっくりと大きいオレンジ色の玉となる。ドラゴン・フライ自身と同じくらいの大きさにまで成長した火弾は、ドンという音と共に急加速し、吉弔の顔面にぶつかると大爆発し黒煙を上げた。
「どうだっ!」
叫ぶムベの腕を、ドラゴン・フライがヴンと飛んで引っ張る。ムベはその動きに逆らわず、引かれるままに跳躍した。その直後、水の槍がその場に突き刺さる。黒煙の晴れ間からその凶悪な視線を覗かせる吉弔は殆ど無傷だった。
「ちっ、さすがにかてぇな……!」
火弾は若干の「溜め」を必要とする分、強力な技だ。と同時に、ムベの相棒が使える最大の技でもあった。それでも殆どダメージが通らないとなるとこれはかなり厳しい。
「ブレス来るぞ、思いっきり火吹かせろ!」
首をもたげて大きく息を吸う吉弔に、ムベは警告の声を叫び右腕を前に突き出す。カチッカチっと歯を鳴らし、ドラゴン・フライが炎を吐き出した。それと同時に吉弔が凍える冷気の吐息を、クロが炎の吐息を吐き出す。
クロとドラゴン・フライの炎は互いに喰らいあうように絡み合い、より巨大な炎の柱となって空中を走る。しかし、吉弔のブレスは単独でそれと拮抗した。
……どころか、徐々に吉弔のブレスが勝り、押し寄せてくる。
「ムベさん、伏せて!」
それに最初に気づいたのはアタカだった。クロの身体は未成熟で、発炎気管もそれほど発達していない。炎の威力自体はもとより、吐き続けられる量にも難があった。
アタカは早々にブレスでの防御を諦めると、クロを離れムベの身体を海中へと引きこんだ。
「ごぼっ……!? な、なにしやが……んん? 何だこりゃ」
「土道で作った塹壕です。それと、空気膜」
そこはアタカたち2人と2匹が何とか入れるくらいの大きさの、魔術で掘った穴だった。海中に掘ったために海水が絶えず流れ込んでいるが、やはり魔術で張った空気の膜で包み込むことにより呼吸や会話も問題ない。
その上、その海水自体が冷気からの防御壁となってくれていた。アタカは三頭の竜のブレスが激突し、双方の視界が塞がれている間にこれを用意していたのだ。
「……その年でこれだけの魔術を使うか。大したもんだな……」
ムベは感心してそういった。魔術の使えない人間というのは滅多にいない。魔術はちょっとした煮炊きや移動、はたまた遊びなど、生活に根付いているものだからだ。しかし、それを実戦で使えるレベルまで昇華させた使い手となるとそうはいない。
竜使い、特に若い竜使いともなるとなおさらだ。何せ竜の魔力や学習速度は人とは比較にならない。自分が苦労して覚えた魔術を、はるかに超えた出力で軽々と振るう竜を見ていれば、自分で魔術を練習しようという気になどならないのだ。
「やっぱり、龍鱗甲が厄介ですね。あれは一種の結界になってて、背中の甲羅だけじゃ
なくて体全身を守っているはずなんです」
考えを纏めるように、アタカは言った。アレだけ歯が立たず、辛うじて身を隠せた状態になっても、アタカは逃げることではなく倒すことだけを感じている。ムベにとって、その心の強さは頼もしくも、羨ましくもあった。
「……アタカよ」
だから、ムベは彼に賭けてみることにした。
「おめぇ、俺を信じられるか」
吉弔はアタカ達を見失い、尾を振るいながらあたりを油断なく見渡していた。逃げてはいないことが気配でわかる。そして、隠れ続けているのならいつかは出てくるはずなのだと、そう本能的に承知していた。
そんな吉弔の視界の端で、ざぱりと音を立てて水柱が立ち上った。そして海中から奇妙な生き物が出現する。先ほどまで戦っていた生き物の中にはいなかった存在に、ほんの一瞬吉弔は戸惑う。
「うおおおおおおお!」
ムベは全力で疾走しながら、叫び声を上げた。その頭には海藻が大量に乗っていて、遠目には一見髪の毛が生えたようにも見える。
「竜のくせにッ! 髪で判断してんじゃねええええええええ!」
反射的に冷気のブレスを吐き出す吉弔に対し、ムベはがしっと頭の海藻を掴むと魔術と共に思い切り投げ放った。風の魔術で後押しされた海藻は空中に広がり、ブレスを受け止める。水を多量に含んだそれはあっという間に凍りつき、吐息を防ぐ盾のようにドーム状に広がった。
「おっしゃ、次だ! 行くぜアタカ!」
「はいっ!」
大柄なムベの背後に隠れていたアタカが、彼の前に飛び出す。
「『タツノオトシゴ』リリース!」
ムベはタツノオトシゴの魔力結晶を握りしめ、その中の魔力を解放した。竜に纏わせる方式ではなく、魔術として解放するやり方だ。魔力結晶は青い光を帯の様に纏うと、光を強くしていきながらゆっくりと崩壊していく。それと同時に、光の帯は互いに組み合わさり、タツノオトシゴの像をとった。
半透明に透けて見えるタツノオトシゴが、実体を伴った水鉄砲を真っ直ぐに吹き出す。
「いけぇぇぇぇぇ!!」
アタカはそれを足の裏で受け、わざと吹き飛ばされることで一直線に吉弔の口元を目指した。目隠しも兼ねた海藻の膜を易々と割り破り、目の前に現れたアタカを迎撃しようと吉弔はその長い尾を振るう。
「クロォォォ!」
その尻尾に、クロがかぶりついた。吉弔の長い尾は細く長くしなやかだが、力自体はそれほどない。少なくとも、全力で噛み付きしがみつくパピーを強引に振り回すだけのパワーはなかった。
その隙を突いてアタカは吉弔の顔に取り付き、その大きく開けた口に右腕を突っ込んだ。その腕の先には、ムベのドラゴン・フライが止まり、巨大な火炎弾をチャージしているところだった。
吉弔の頑丈さは物理的な鱗の硬さではなく、その龍鱗甲が形作る結界に裏付けされたものだ。そして結界というものは例外なく、中からの攻撃には脆い。
「喰らえ……!」
ドウ、と火炎弾が放たれ、アタカは急いで手を離し地面に飛び降りる。吉弔の頭の高さは数mだ。その体を、ムベが滑りこむようにして受け止めた。
一瞬の後、吉弔の頭がくぐもった炸裂音と共に爆発し、巨大な亀龍の頭が吹き飛んだ。その首がぐらりと傾いだと思えば、巨体を支えていた膝がおれ、吉弔は地面に倒れ伏す。やがて、その末端からきらきらと光の粒子の様に身体は崩壊し、魔力結晶をその場に残して消えていく。アタカとムベは海岸に転がったまま、ぼんやりとそれを眺めた。
「……はは」
「……く、く」
やがて、どちらからともなく笑い声を漏らす。
「はっはははははは! やった、おいアタカ! やったぜ俺達!」
「はい! やりました!」
「やってやった!
あの『初心者殺し』を、ずぶのルーキーと俺のたった二人でやってやったぜ!」
アタカの首にその太い腕を回し、ムベは快哉を叫んだ。
「おい、アタカ。俺ぁ決めたぜ」
ひとしきり笑いあったあと、ムベは不意に真面目な表情でアタカに言った。
「今まで俺ぁずっとこんな辺境でくすぶってた。自分にゃ才能がねえ。
この程度が限界だ、そう決めつけてな」
じっとアタカの目を見つめるムベを、アタカは不思議そうに見返す。
「だが! 俺は今日から、アレを目指す!」
「……ドラゴン・ロード?」
そう宣言し、ムベが指をさしたのは世界樹だった。
「そうだ。そんで、この世界の王になって……
俺は、女にモテる! いいや、王ならハーレムだって夢じゃねえ!」
真剣な表情でいうムベに、アタカは笑った。
「笑ってんじゃねえ! アタカ、弟子なんだからお前もついてくるんだよ!」
「弟子?」
何を言っているのかわからない、といった感じでアタカは首を傾げた。
「いや、お前、さっき言ってたじゃねえか。
『最高に格好いい師匠の言葉』だ、って」
得心がいき、アタカはぽんと手を叩いた。
「ああ、はい。僕に戦い方を教えてくれた、役所のコヨイさんの言葉なんです。
すごく強くて格好いい人で……」
ムベはアタカの言葉を思い返す。確かに、『あらゆる物を利用しろ』という趣旨の事は言ったが、絶対に諦めるなとはムベは言っていない。てっきりムベの事を師と仰いでいてくれたのだと思っていたが……
「ええい、知るか! とにかく、あの樹を目指して走るぞ!」
「え、ちょ、待ってくださいよ!」
いきなり走りだすムベを、アタカは慌てて吉弔の魔力結晶を回収し、クロと共に追いかける。こうして、アタカの旅は始まりを告げたのだった。