第13話 花咲く季節-1
「ご主人様……!?」
目を見開き、桜花の手からぽろりと花が零れ落ちる。それを、危ういところでアタカは掴みとめた。
「そんな、どうして」
シンバが横になっているはずのベッドの上は、もぬけの殻であった。
「どこか出かけてるんじゃないの?」
「そんなはずは……今朝まで寝ていたのに」
カクテの言葉に、桜花はふるふると首を振った。
狼狽し、半狂乱になりながらも、彼女はさほど大きくもない家の中を凄まじい速さで探しはじめる。部屋の中につむじ風が巻き起こり、金色の髪の残像がまるで収穫時期の麦畑の様に部屋一杯に広がった。
「いない……」
隅々まで家の中を探し回り、猫の子一匹いないことを確認すると、桜花は「探してきます!」と言い放ち、家の中を飛び出した。
「おや、少年にお嬢ちゃん達。久しぶりじゃの」
「……あ、こんにちは、シンバさん」
ひょっこりと老人が入り口に姿を現したのは、その直後であった。
「偶然わしの家の近くにやってきた……というわけでもなさそうだの。
何か用事かの?」
「ええと、桜花さんに具合が悪いと聞いて、お見舞いに来たんですが……」
アタカがそういうと、シンバは嬉しそうに破顔する。
「そうか、そうか、よく来てくれたのう。
ところで、その桜花はどこにいるのかの?」
「おじいちゃん探しに飛び出していっちゃったよ」
空の彼方に視線を向けて、カクテはそういった。ふうむ、とうなり、シンバは髭を一撫でする。
「なら、しばらくすれば帰ってくるじゃろう。
それよりも、鮎を釣ってきたんじゃ。焼いて食べてみんか?」
「いやいやいやいや」
探しにいかなくていいんですか、と言いかけるアタカの言葉を遮り、
「鮎!? 食べる食べる!」
カクテが目を輝かせて両手を挙げた。
「ちょっと、カクテ!」
「お嬢ちゃん、魚を捌くのは得意かの」
「漁師の娘をナメないでよね。ささっとやっちゃうよ。塩焼きでいいよね?」
たしなめるルルの声を無視して、マイペースな二人は魚籠から魚を取り出すと、竈に火を起こし、魚を捌き始めた。
「ええと……いいの?」
「構わんよ。気が済んだら戻ってくるじゃろう」
思わず顔を見合わせるルルとアタカに、シンバは気楽な様子でそう答える。
街中を探し回って桜花が帰ってきたのは、魚がこんがりと美味しそうに焼けた頃だった。
「アタカ様っ、どうしましょう……ご、ご主人様が、街のどこにもいないんです」
双眸に涙を浮かべ、桜花はアタカの袖口に縋りつく。
「おやおや、少年や、随分と懐かれたもんじゃの」
アタカは彼女の頭を撫でてやりながら、無言で家の中を指差した。その先にあるのは、もぐもぐと焼き魚に齧り付くシンバの姿である。
「ご主人様……!」
桜花の表情が輝き、喜びから安堵に、そして瞬く間に怒りへと移り変わった。
「どちらに行ってらっしゃったのですかっ!」
雷が、落ちた。比喩ではなく、彼女の放った稲妻は植木を真っ二つに割ってめらめらと炎上させる。
「わっ、ルル、水、水!」
「ディーナ、消してっ」
「うむ、ちょっと河まで釣りにのう」
大騒ぎするアタカとルルを眺めながら、鷹揚にシンバはそう答えた。
「河ぁー? わかってないなあ、じいちゃん。
この街に住んでて、河で釣りをするなんて勿体無い。
釣りをするなら船で海釣り! これに限るよ」
その河で釣った成果をむしゃむしゃと貪りながら、カクテが偉そうにそう言った。
「しかしこの歳になって海釣りは身体に堪えるでなあ。
のんびり河で釣り糸を足らす位がちょうどいいんじゃよ」
「はー。まあ、風邪引いてたって話だもんねえ」
「そ、それです!」
カクテの胡乱な台詞に毒気を抜かれかけた桜花は、鋭くびっと指をさした。
「あっ」
その指摘に、カクテはしまった、という表情を浮かべる。
「ごめんごめん、桜花ちゃんも魚欲しかった? はい、アタカの分あげるよ」
「アタカの分じゃなくて自分の分あげなさいよ」
「そもそも桜花は竜だから魚食べないよ」
「そうでなく、風邪を召していたのに、何故外を出歩いていたのか、
とお聞きしているのです!」
どんどん論点をずらしていく三人の言葉を打ち消すように、桜花はぴしゃりと主張した。
「そうは言っても、随分体調も良くなったしのう」
よっ、と掛け声を上げて、シンバは準備運動のように身体を動かしてみせる。本人の言う通り、随分と軽快な動きだ。
「でも……」
「それよりも、今回は一人で頑張って来たんじゃろ?
土産話を聞かせてくれんかのう」
ニコニコというシンバに、桜花の表情が、苛立ちから悩み、そして諦めへと変化し、彼女はしまいに溜め息をつくと、「お茶を淹れて参りますね」とキッチンへと姿を消す。
「馬の時はそうでもなかったけど、人間の姿だとなかなか面白い子だねえ」
まるで自分の家の様に椅子の上でくつろぎながら、カクテだけが楽しそうに笑った。
「ふぅむ、そんな事がのう」
コクマの森でアタカと桜花が経験した話を聞いて、熱く淹れた茶をすすりながら、シンバはのんびりとそう言った。
「そういえばシンバさんは、感覚の共有とかそう言った事はしてないんですか?」
シンバを必死に探し回る桜花の姿に違和感を抱き、アタカはそう尋ねた。
シンバの適合率をアタカは知らないが、少なくともそう低くはないはずだ。ある程度以上の高さがあれば、言葉を介さずとも互いの位置を知らせることが出来るし、最低でも念話で状況を伝えるくらいはできるはずだ。
「うむ、そういった事は基本的にはしておらんよ」
ルルやソルラクの様に、五感や思考の共有が出来るほどにはシンバの適合率は高くはない。しかし、互いの位置や状況の認識や、竜使いとしては必須であるはずの念話ですら、シンバは使おうとはしていなかった。
「桜花には、きちんと話すことの出来る口と、表現できる身体があるからの」
その言葉を聞き、ふと、ある考えがアタカの脳裏を過ぎる。
それは、桜花を人間の世界で生きていかせる為に、彼はあえてそうしているのではないか、と言うことだった。
桜花の立ち居振る舞いは、他の竜とは明らかに異なる。クロやウミは勿論の事ながら、ディーナやジンのような人間の言葉を話す事が出来る竜に比べても……なんというか、『人間らしすぎる』のだ。
「それに念話とか結構疲れるんじゃよなあ、アレ。
頭の中で考えるだけだと、どこまで喋ったのかわからんくなるしのう」
「ああ、あるある!」
そんなアタカの考えは、続くシンバの言葉と、それに同意するカクテの声に半ば崩れ去った。自分は深く考えすぎなのかもしれない、と彼は少し反省する。
「それにしてもさあ、アタカも酷いよね。
あたしには散々、まだ駄目だーとか言っておきながら、
自分だけでさっさと森に行っちゃうんだもん」
改めてアタカ達の話を聞いて、カクテは唇を尖らせる。
「いや……それは、その」
「アタカ様を責めないで下さい。私が巻き込んだ事なのです。申し訳ありません」
言いよどむアタカを庇うように桜花が前に出て、深々と頭を下げた。
「いや、桜花のせいじゃないよ。僕が軽率だったのは確かだし」
慌てて、アタカは言い繕う。
「あはは、慌ててる慌ててる」
その様に指をさして、カクテはけらけらと笑った。彼女としては特に不満はなく、ただそれをネタにアタカをからかいたいだけであった。
「……また、行く気なのかの?」
ふと、シンバは問う。アタカはそれに、こくりと頷いた。
「はい。今度はしっかりと準備を整えて……フンババも、こちらの能力を
覚えているかもしれませんし。それに、門を開ける手段も用意しないと」
そこまで言って、アタカは一つ、シンバに話し忘れていた事を思い出した。横から突然襲い掛かり、門を開けた竜……ドラゴン・ゾンビの話だ。
「ふむ……魔竜種使いとは、なかなか珍しいの」
アタカがその話をすると、シンバは髭を扱きながらそういった。
「やっぱり、そうなんですか?」
「うむ。そもそも魔竜種自体が稀少じゃからの。
例えば神竜種は、おぬしらはあまり見ぬかも知れんがもっと北へ行けばわんさと居る。
しかし、魔竜種はそうではない。希少性で言うなら、そうじゃの……」
ぐるりと、シンバは一同を見回すと、カクテとソルラクに目を向ける。
「魔竜種、人竜種、海竜種。この辺りを使うものは、稀少と言って良いじゃろう」
「やった、あたしってレアなの?」
嬉しそうに、カクテは声を上げた。
「海竜種に限って言えば、向いてる人間が少ないって言うのもあるけど、
そもそも地上での戦いに向いてないせいも大きいんじゃないかな」
「うっ……」
アタカのもっともな意見に、彼女は呻く。魔竜種や人竜種とは異なり、竜種そのものが稀少というよりは単に誰もが扱うのを避けるのが、海竜種である。
「いやいや、その歳でマカラを操れるのであれば、大した才能じゃよ。
よほど向いておるのじゃろう」
しかし、シンバは珍しくフォローの言葉をつけ加えた。
「へえ、そうなんだ」
「マカラは神獣じゃからの。格自体は、麒麟とさほど変わらん」
「ま……まあね!」
思わず、アタカは胸を張るカクテと桜花とを見比べた。
「その代わり、他の竜種は壊滅的なのよね」
「うるさいなあ、もう!」
竜使いには誰しも竜種ごとの向き不向きがあるものだが、カクテのそれは特に偏っていた。とにかく、海竜種以外には全く持って向いていないのである。辛うじて水関係で海竜に近い雨龍は扱えたものの、それ以外の初期四竜は全滅。龍馬やドラゴン・フライといった低級な竜すら扱えない。
代わりに、海竜種でさえあれば、竜使いに成り立ての頃から吉弔を扱えると言う滅茶苦茶ぶりであった。
「それはともかく、竜を悪事に使う者はけして少ないわけではない。
気をつけることじゃな」
シンバは話を元に戻し、いつになく真剣な口調でそういった。
「野生じゃない竜を外で見つけても、油断しちゃいけないって事ですね」
「……野生かどうかを、判断できたのかの?」
怪訝な表情で、シンバは問うた。話によれば竜使いそのものの姿は見てはいないというのに、アタカは確信を持って野性でない竜、と述べた。
「はい、何と無く、ですけど」
「ふぅむ……」
シンバは難しい表情で、髭をしごく。
「あの、それが何か……?」
その様子に、アタカは不安げに問いかける。すると、シンバはその不安をかき消すように陽気に笑った。
「竜を良くみていると言う証なんじゃろうのう、と思うてな」
「それは……そうなのかもしれないですね。
竜が好きだって思いだけは、誰にも負けないつもりですから」
その、一点。それだけは、他のどんな竜使いにも負けない自信が、アタカにはあった。
「なるほどのう。と言う事は、桜花の事もようく見ておったということかの」
「えっ」
からかうようなシンバの言葉に思わずアタカが視線を向けると、桜花は反射的に、素早くスカートを押さえつけた。
「いや、その」
そもそも竜の姿のときは一糸纏わぬ姿なのに、何故恥かしがるのか。アタカはそう思ったが、それを口にすればその先に破滅が待っていることくらいは彼にも察することが出来た。
「ほほー……どうやらこれは、まだあたし達に話してない内容があるようですな」
「そのようね」
ニヤニヤと笑みを浮かべるカクテに、ルルはニコニコと笑いながら同意した。
別に疚しい事はしていない筈なのに、説明すればするほどどつぼにはまる気がして、アタカは助けを求め、周りに視線を巡らせた。シンバは愉快げに髭を撫でながらそれを見、クロは状況を理解していないらしくパタパタと尻尾を嬉しそうに振り、桜花に目を向ければ、何故か彼女はぽっと頬を赤らめて視線を逸らした。
最後にソルラクを見ると、彼はこくりと頷く。
「俺には、無理だ」
そして、清々しいほどきっぱりとそう言った。ですよね、と思いながら、アタカは弁明を始めたのだった。
アタカが何とか、不完全ながらも女性陣の誤解を解き、「アタカも男の子だったんだねえ」という実に不名誉かつ不愉快なカクテのニヤニヤ顔をやり過ごして、シンバの家を後にしようとした時。
「そうそう、これなんじゃがの」
シンバは、桜花が摘んできた花を差し出した。
「桜花や。折角摘んできてくれたのじゃが、少年らに渡しても良いかのう?」
「ご主人様がよろしいのでしたら」
「なにそれ、食べられるの?」
まるで翡翠の様に艶やかに輝く花弁を見つめ、カクテはそう尋ねた。摘み取ってもう半日近く経っていると言うのに、全く萎れる気配もなく、未だ生きているかのようなつややかさだ。
「食べたら腹を壊すと思うぞ。ほれ、持ってみるといい」
シンバに渡され、手に取ると、アタカはそれがなんであるかを悟った。
「……これは……魔力結晶!?」
うむ、とシンバは頷く。どう見ても、一輪の美しい花にしか見えないそれは、確かに魔力結晶としての反応を彼の手に与えた。フンババの魔力結晶である。
「魔力結晶と言うのは、飽くまで竜を構成する魔力の一欠片。
竜自身がその気になれば死なずとも作り出すことは出来る。
……まあ、認めてくれたんじゃろうの」
アタカはしばし、手の中のそれをじっと見つめる。そして、「ありがとうございます」と一言礼をいい、その花をシンバに差し出した。
「……それでも僕は、もう一度、彼に挑んでみたいと思います」
「うむ……そうじゃの。少年の好きにするといい。
しかし、それはとっておきなさい。何かの役に立つかも知れん」
シンバはそういって、花をそっと押し返す。アタカは頷き、それを大切に背嚢の中にしまいこんだ。
「では、また」
「いつでも、遊びに来てくださいね」
手を振り、去っていくアタカ達をシンバと桜花は見送る。
「……お主は、お主の道を歩き続ければ、それで良い」
若者の背を見つめながら、シンバは一人、そう呟いた。




