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第12話 みちのその先-5

「では、アタカ様は暫らくはシルアジファルアに滞在なさるのですね」


「ええ、少なくともこれから一ヶ月程度は」


 和やかに世間話をしながら、アタカはそっと視線を下にずらし桜花の足元を見た。彼女の足は長いスカートに隠れて殆ど見えないが、楚々とした動作でゆっくりと歩いているのは間違いない。いかにも育ちの良い、上品な歩き方である。


 問題は、それで走るクロについてきているという事だ。


 勿論、森まではそれなりの距離があるため、全力疾走ではない。が、それでも相当な速度は出ている。人の足で付いて来れる速さではない。一歩一歩の歩幅が大きいわけでも、高速で足を動かしているわけでもない。ごくごく普通に歩きながら、大地を駆けるクロと同じ速度で横に並ぶ桜花の姿は実に不思議だった。


「いかがなさいましたか?」


 じっと見ていたのに気付いたのだろう。桜花は首を傾げ、不思議そうにアタカを見つめる。


「いえ、そのスカートの中がどうなっているのかと思って」


「えっ」


 声をあげ、ぽっと頬を染める桜花に、アタカは自分の言い方が非常に誤解を招く物であった事に気付いた。


「え、あ、いや、その、そう言う意味じゃ……!」


「アタカ様……いけませんよ」


 機嫌を損ねた様子はなく、ただたおやかに桜花はそう彼をたしなめた。


「……はい……すみません」


 なんと言い訳したものか悩んだ挙句、素直に謝るアタカに、桜花は優しく微笑んだ。






 街を出て、二十分ほど西へと進むと、アタカ達はコクマの森へと辿りついた。そんな短時間で到達したのは、アタカを乗せただけの身軽なクロと、それに悠々とついてきた桜花だからこそだ。そもそも今日は外に出る気は無かった為に、荷物らしい荷物も無い。竜車を引くエリザベスに合わせて移動する普段と比べれば段違いの速さだった。


「大きい……」


 天を衝くかのように聳える巨木を見上げ、桜花は思わず息を漏らした。


「コクマの森は初めてなんですか?」


「はい。初めて来ました」


 頷く桜花に、アタカは違和感を覚える。シンバと桜花は、間違いなく一流……その中でも、最高峰に数えて良い竜使いである。森はおろか、ティフェレト山脈を越えて世界樹に辿り付いた事があってもおかしくは無いはずだ。


「お花……ありませんね」


 森の入り口の周囲を見回し、桜花はぽつりと呟いた。以前、アタカがムベやイズレと行った西側に比べ、東側は更に密に木々が生い茂り、絡み合って壁を作るその様はまるで迷路の様だ。


 根は縦横に走り、花どころか下生えの草すらない。それは森の周りもまた同様であった。


「なさそう、ですね……」


 西側には多少なりとも生えていた記憶があるが、東側は見事なまでにまっさらだ。桜花が花を摘むイメージが余りに絵になる為に失念していたが、よくよく考えてみれば花屋で買えばいいだけの話である。


「仕方ないですね、街に……」


 戻りましょう、と言い切る前に、桜花は無造作に森へと足を踏み入れていた。


「桜花さん! その中は、竜が」


「アタカ様。どうぞ、ただ桜花と」


「……桜花。この先は危険だから、街に戻ろう」


 正直、いつまで経っても慣れる気はしない、と思いつつ、アタカはそう言った。しかし、桜花は首をゆっくり横に振る。


「私はこの先を探してまいります。

 ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました」


 彼女の意思は固い様であった。どうあっても、自分で花を摘んできたいらしい。


「……わかったよ、付き合う……

 と言っても、あんまり役には立たないかもしれないけど」


「よろしいのですか?」


 桜花は驚いたように、目を丸くする。アタカは、観念したかのようにこくりと頷いた。


「一応、リターンディスクも持っては来たし」


 コクマの森は、アタカとクロにとっては荷の勝ちすぎる場所だ。桜花が強いという事はわかっているが、どの程度の強さを持っているかは未知数である。慎重派のルルであれば絶対に反対するだろう。


 しかし、幾ら強いとは言え、竜を一人で危険な場所へ送ることはアタカには出来なかった。


「ありがとうございます、アタカ様」


 表情を綻ばせ、嬉しそうに桜花はアタカを上目遣いで見つめた。その笑顔はまるで宝石箱のような輝きだ。竜だとわかっていても思わずどきりと胸が鼓動を打ち、アタカは思わず視線を逸らした。






灯り(シェパフィ)


 短く唱え、アタカは小さな光の玉を空中に浮かべた。みっしりと空を埋め尽くす木々は完全に太陽の光を遮断し、明かりを灯さなければとてもではないが歩くことも出来そうにない。


「……やっぱり、森の中にも花はなさそうですね」


 弱弱しい明かりに照らされた範囲を眺め、アタカはそう言った。そもそも、日の光が届かないほど木が生い茂り、根で地面すら露出していないこんな場所で他の植物が生きていけるのだろうか、とアタカは根源的な感想を抱いた。


「もっと奥に行ってみましょう」


 しかし、桜花は迷う事無く、すたすたと奥へと歩を進めた。仕方なく、アタカはその後を付いて行く。


「ここに来るのは初めてなんですよね?」


 あまりに迷いの無い行動に、アタカは再度尋ねた。


「はい、初めてですよ」


 重ねて確認するアタカに、桜花は小首を傾げた。


「いえ、その……桜花さ……」


 じっと見つめる桜花の視線に、アタカは咳払いを一つ。


「桜花なら、もっと先の場所まで……

 例えば、ティフェレト山脈なんかにも行った事があると思ってたから」


「ティフェレト山脈でしたら、何度か行った事はありますよ」


「え?」


 あっさりそう答える彼女に、アタカは思わず間の抜けた声を上げた。


「ケセド平野にネツァク砂漠……後は、ティフェレト山脈……ですね。

 竜使い様達が狩場と呼ばれてらっしゃる場所で、行った事があるのは」


 指折り並べる地名は、見事にフィルシーダから世界樹までへの最短コースである。


「じゃあ、世界樹も?」


「登った事はありませんが、傍まで見に行った事はあります。

 この樹よりも、ずっとずっと大きな樹でした」


 傍らに生える樹を撫で、桜花は上を見上げた。


「触れるほどに近付くとまるで壁のようで、上はもとより、

 横幅すら果てが見えないほどに太く巨大な樹でした」


 やはり、目の前にいる女性は、自分達とは及びもつかないほど強大な竜なのだ。改めて、アタカはそれを思い知った。


「……どうかなさいましたか?」


 尊敬と羨望の入り混じった目で見るアタカを、桜花は不思議そうに見つめ返す。


「え、と……シンバさんは、昔からああだったんですか?」


 見惚れていたとはいえず、アタカは咄嗟にそう尋ねた。途端、桜花の瞳は生き生きと光を帯び、頬は薔薇色に染まり、口元は緩んだ。


「はい。主人……シンバは、昔からずっとああですよ。

 もう少ししっかりしてくれたら、私も苦労はしないのですが」


 文句を言う彼女はしかし明らかに嬉しそうで、シンバを慕っている事はありありと伝わってきた。何だかんだいいつつも、やはりいい主人であり、偉大な竜使いなのだろう。アタカはむしろ、そう言う育て方もあるのだと知って嬉しくなった。


「何年くらいの付き合いなんですか?」


 ふと問うてから、殆ど年齢を聞いているようなものだと気付きアタカは内心、慌てふためいた。竜とは言え、女性だ。軽々しく年齢を聞いていいものなのだろうか。


「もう15年ほどになります」


 しかし、あっさりと答えたその態度以上に、その短さにアタカは驚く。


「15年? でも、それじゃあ……」


「はい。アタカ様と、それ程年齢は変わらないんですよ、私」


 牧場で育てられていた期間があるので、2、3年ほど私の方がお姉さんですね、と桜花は笑った。


 しかし、シンバはどう見ても60を越えている。と言う事は、竜使いになったのは40を過ぎてからという事になる。


「桜花さん、それって……」


「あ、敵です」


 唐突にぴたりと足を止め、桜花は呟く。


「え?」


 アタカとクロも無論、魔力による索敵は常時行っているが、感知できる範囲に敵の影は無い。クロに視線を向ければ、彼はアタカを振り向き、クゥンと鼻にかかった声で鳴きながら首を横に振って見せた。


「どこに……」


 いるんですか、と言い掛けたその時、アタカはそれに気付いた。暗がりからじっとこちらを見つめているのは、青い巨大な人の顔だ。顔自体が、アタカの身の丈よりも倍は大きい。やつれた、老人の様な顔であった。


 髪はボロボロにほつれ、半開きにした口に生える歯は所々抜け、端からは涎がぽたぽたと垂れ落ちる。瞳はどこまでも濁り光なく、まるで闇の穴の様なうつろな目でアタカを見つめていた。


 そんな顔が、一つではなく、いくつも闇の中に浮かぶ。全部で九つの巨大な顔が、アタカ達を見つめていた。ぼたり、ぼたりと垂れ流される涎は木の根の上に落ちると、何ともいい難い悪臭と共に煙を上げ、腐らせた。


「相柳……!」


 記憶からその竜の名を探り当て、アタカは息を飲む。敵は九匹ではなく、ただ一匹。首はそれぞれ一本の胴体に繋がっていた。首以外は、全身真っ青な巨大な蛇である。蛇の身体から、九本の首が伸び、それぞれの先に人のような顔がついているのだった。


「気をつけて!」


 アタカは鋭く警告を発する。


「あいつは全身から毒液を出すはずだ。血液も毒だから、攻撃するなら遠くから離れて!

 それに九本の首は獰猛で、何もかもを喰らい……尽くす……」


 その声はだんだんと尻すぼみになり、途中で消えた。それは、ほんの一瞬の出来事で、戦闘と言うほどのものですらなかった。一斉に九本の首を伸ばして襲い掛かる相柳の身体をすり抜けるようにして桜花は宙を舞うと、立て続けに雷撃を放つ。


 光の速さで走る稲妻は相柳の全ての頭を打ちつけ、焼き焦がす。九条に分かれた稲妻の槍は数度明滅を繰り返して瞬いた。いや、瞬いたわけではない。雷撃を、何度も何度も瞬くような速さで繰り出しているのだ。


 アタカが警告の言葉を消す頃には、相柳は全身から煙を噴き上げながら崩れ落ち、魔力結晶へと姿を変えていた。


「お待たせしました」


 金の髪をさらりとかきあげ、まるでちょっとした用事を済ませたかのような態度でそういう桜花に、アタカはレベルの違いをまざまざと見せ付けられたのだった。

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