第12話 みちのその先-4
カン、カン、カン、と鳴り響く鐘の音。開門を知らせるその音を聞きながら、アタカは旅装に身を包んだルル達を見送りに来ていた。
「じゃあ、気をつけてね」
「うん。行ってきます」
手を振り、門を出て行くルル達を眺めながら、アタカはふと数ヶ月前の光景を思い出した。初めてクロに出会った数日後。フィルシーダで、ルルを見送った時の記憶。あの頃の自分は己の無力に打ちひしがれ、絶望していた。
その時に比べれば、今はなんと恵まれているのだろうか。仲間がいて、目標が出来、やるべき事がある。
「……クロのおかげだな」
傍らの相棒を撫でてやれば、クロは不思議そうにアタカの顔を見返しつつも、彼の手をぺろりと舐めた。
「そういえば、久々に二人っきりだなあ」
あえてクロの背には乗らず、道をぶらぶらと歩きながらアタカは今日の予定を考えた。いつもの訓練を少し早めに切り上げ、カクテに教えてもらった図書館で文献を調べようと思っていたのだが、引き篭もって本の虫になるには少し勿体無いほどのいい天気だった。
特に手綱を引いたりせずとも、賢いクロはちゃかちゃかと爪を鳴らしながらアタカの隣を機嫌良さそうに歩く。大きくなったな、と、ふとアタカは思った。
フィルシーダを出た頃はアタカの腰より少し高いくらいの位置にあったクロの頭は、今は肩くらいの高さにあった。少し屈まなければ撫でられなかったのが、いつの間にか真っ直ぐ腕を伸ばせば触れられる位置にある。
このままどこまで大きくなるんだろう、と、不意にアタカは思った。大人のドラゴン・パピー、と言う物を見た事がないのである。そもそもパピーと言うのが幼体を現しているのだから、矛盾しているといえば矛盾しているが、ではパピーではない、いわゆる『ドラゴン』と言う存在がいるかと言うと、アタカは聞いたことがなかった。
強いて言えば、ドレイクがもっとも『ドラゴンらしいドラゴン』ではあるが、全身を鱗に覆われ、蝙蝠の翼を生やしたその姿は全くパピーには似ていない。クロがこのまま成長していったとして、あのような姿になるとは考えにくい。
もしかして、この姿のまま、やがては見上げるほどに大きくなるのだろうか。山の様な巨体でジャレついてくるクロを想像して、アタカは眉を寄せた。
と、その時。ふと、彼の視界に、金の光が舞った。黄金を丁寧に滑らかな糸にして束ねたかの様な、さらさらとした美しい髪。抜けるほどに白い肌には、零れそうなほど大きな青い瞳が輝いていた。
その美しい少女に、思わずアタカは見入る。ルルを見慣れた彼でさえ、そうせざるを得ない清らかな魅力を彼女は放っていた。ただそこに立っているだけで、寂れた港街が一気に華やかな都会の一角になったかのような錯覚を覚えるほどだ。
一瞬の後、アタカは自分が思わず彼女に見惚れていたことに気付くと、慌てて視線を逸らす。幾ら綺麗だからと言って、あまりじろじろ見るのは失礼だと思ったからである。しかし、平均的に美形揃いの『外人』の中でも、彼女ほどの美貌を持った相手は初めてだ、とアタカは内心呟いた。
ふと横を見ると、クロもじっと少女を見つめている。彼女の美しさは種族を越えるほどなのだろうか、とちらりと視線を向けると、同時にこちらを向いた少女とばちりと目が合った。
そこかしこからはじけるように花が咲き乱れ、花びらが舞い散る。そんな光景を、アタカは幻視した。少女が、微笑んだのだ。そして、あろう事かアタカの方に駆け寄ってくるのを見て、アタカは思わず目を見開いた。
見ていた事がバレて、文句を付けられるのだろうか……そんな馬鹿な考えが、一瞬頭を過ぎる。冷静に考えてみれば、言われる訳がない。別に邪な目で見ていたわけではないし、何より、彼女がそんな事をするわけがない。
「お久しぶりです」
アタカが慌てながらもそんな事を考えている間に、少女は彼の目の前まで駆け寄ると、恭しくぺこりと頭を下げた。
「あの――」
人違いです、とアタカは言おうとして、一瞬口をつぐんだ。彼女の声に、聞き覚えがあったからだ。それに、その纏う雰囲気にも覚えがある。アタカは思わず、彼女の顔をまじまじと見つめた。
「……もしかして……桜花さん、ですか?」
「はい。シンバが騎竜、桜花です。いつぞやは主人がお世話になりました」
落ち着いた、淑やかな態度で桜花はもう一度頭を深々と下げた。
「ありがとうございます、本当に助かりました」
門を出たところで、桜花は再度、深く腰を折る。
「いえ、別に大した事はしてませんし……
と言うか、桜花さん一人でも通れたとは思いますけど」
門を通り抜けたいのだが、竜使いを伴わない者の通行は禁止されている為困っている……と言うのが、桜花の話であった。どうしたものかと悩んでいるとき、たまたま知った顔であるアタカを見つけ、一緒に門を通ってはくれないか、と彼女は頼んだのだった。
「いえ、決まりを破るわけには参りません」
ぴしっとした態度で、きっぱりと桜花は言った。その姿は完全に、どこからどう見ても人間そのもので、『外人』の少女の様にしか見えない。外人は門の外への通行を禁止されていないのだから、出ようと思えばそのまま出られる筈だが、彼女は頑なにそれを拒んだ。
そもそも、宙を駆ける事の出来る彼女にとって、門など無意味だ。開門の時期でなくても、空を飛んでいってしまえば良い。それは特に禁止された行為ではない。事実、飛竜を操る竜使いの中には、そうして開門など関係なく活動する者も多い。
だが、門をくぐる際には必ず竜使いを帯同すべし、と言う法を飽くまで遵守しなければ気がすまないというのだ。
「そもそも、竜だけで門を通る場合の法律なんてないはずなんだけどなあ」
竜使いから離れて一人で活動する竜、などと言うものをアタカは初めて聞いた。無論、竜は賢いのだから、竜使いがいなくても十分自分で考え、判断できるものも多い。しかし、竜は飽くまで竜である。人とは価値観が異なり、考え方も異なる。そして何より、単独で災害となるほどの力を秘めた存在なのだ。人の手を離れ、独自に行動させるのは双方にとって危険な事だ。
「ないからと言って、法の隙を突くような真似は出来ません」
しかし、にこやかにそう言う桜花の姿を見ていれば、彼女に限り、そんな心配をしなくても良い事はよく伝わってきた。人間の姿に化け、言葉を話せるという点では同じものの、やはりディーナに比べても格段に大人びている。
「それで、桜花さんはどうして、一人で外に?」
「アタカ様。私は騎竜です。どうぞ、ただ、桜花……と、そうお呼びください」
「いや、流石にそれは……と言うか、出来れば様付けもやめてもらいたいんですが」
竜とは言え、流石に桜花相手だと目上と言う意識が拭い去れない。しかし桜花はアタカの言葉に答えず、微笑みながらじっと彼を見つめた。
自分を目下に置くがゆえに、相手の言う言葉を真っ向から否定する事はできない。しかし、従うつもりもない。そのような意思表示である。
「……わかりま……わかったよ、桜花」
「恐れ入ります」
敬語まで完璧に、桜花は恭しく答えた。
「それで、桜花さ……桜花は、どうして一人で外に?」
「実は……主人が、病気で寝込んでおりまして」
問いに悲しげに表情を曇らせる桜花に、アタカはえっと声を上げた。何せ竜使いとしては異例なほどの老齢である。
「あ、病気と申しましても、ただの風邪ですので、ご心配なさらないで下さい」
慌てて表情を繕い、桜花はそう言った。
「先日、雨が降っているときにわざわざ雨戸を開けて、
ずっと外を見ていたのがいけなかったのだと思います。
全く、うちのご主人様ときたら……
クロさんは、こんな立派なご主人を持てて、とても幸せですね」
桜花の言葉に、クロは無邪気にウォンと一声鳴く。しかし、言葉とは裏腹に桜花の口調は至極穏やかで、笑みを浮かべながら言うその様は、とても楽しそうだった。
「ええと、シンバさんが病気なのはわかったんですが、それで何故外へ?」
「あ、失礼いたしました。
症状は大分回復してきたのですが、外に出られないのが不満そうでしたので、
その……せめて、お花でも摘んでこよう、と思いまして」
「花? 花なら、街の中に幾らでも……」
アタカがそう言うと、桜花は頷き、
「ですが、それはどなたかが育てたお花ですから」
そう答えた。
確かに、その通りだ。壁に囲まれた街中は、その全てを人が管理している場所であり、一見、ただの野原や林に見えるような場所であっても、そこは誰かの土地であり、財産なのだ。売り物ならまだしも、野に咲く花の一輪や二輪摘んだ所で目くじらを立てるような狭量な人間もそうはいまいが、桜花のその捉え方はアタカにとって少々衝撃的であった。
「わかりました、じゃあ、僕もお手伝いしますよ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
ぶわっ、と花を舞い散らせ、輝くような笑顔に、アタカは思わず視線を逸らす。
「所で、どこに花を?」
「はい、あちらに森があるでしょう? そこになら、咲いていると思うのです」
桜花はすっと、西を指差す。ここからでは見えないが、そちらの方向には確かに森があるはずだった。巨木が列を成し、要塞の様に聳え立つ、コクマの森が。
そこ竜の巣ですよ、と言う言葉は、桜花の笑顔のまぶしさに、ついに口に出来なかった。




