第12話 みちのその先-3
「これが、この大陸のおおよその地図だ。
……あまり正確ではないがね」
言いつつ、ナガチはばさりとテーブルに地図を広げた。意外にも、ナガチの参入に関してムベもイズレもさほど反対せず、比較的すんなりと彼はパーティの一員として受け入れられた。勿論、その内心はけして信用されてはいないのは、互いに承知の上ではあるが。
「初めて見ました」
「それはそうだろう。これはワタシのような行商を商う商人にとっては秘中の秘。
おいそれと外部に出せるものではないのだからね」
大陸は、広げた竜の翼の様な形をしていた。その最南端、街を示す白い四角形がアタカ達の故郷にして、竜使いの街フィルシーダ。街道を表しているのであろう、赤い線を辿って北へと向かえばケセド平野が広がっており、そこを通ってサハルラータへ。そして、更に東へと指を滑らせ、ナガチはシルアジファルアをとんと突いた。
「まず、世界樹までの道のりを説明しよう。我々が今いるのがここ……
シルアジファルアだ」
地図の上では、もっとも南東に位置する街だ。
「ルートは大きく分けて二つ。このまま北上し、ネツァク砂漠を渡り、
ティフェレト山脈を越えて行く東側ルート。
そしてもう一つは、サハルラータに戻り、マルクト湾を船で超え、ビナー雪原を
踏破する西側ルートだ」
「なんだ、案外近いじゃん」
とん、とん、と街を指で辿り、数を数えて、カクテは言った。街から街までの間は三日で踏破すると考えれば、半月も経たずに世界樹に辿り付く計算ではある。
「単純な距離で言うなら、そうであろうな。しかし、北へ行けばいくほど環境は
過酷になり、野生の竜も強くなる。そう簡単な話ではないと思うがね」
ナガチは、大陸の中央を二つに割るかのように、くの字に横たわる茶色の太い線をなぞる。
「ことに……ティフェレト山脈の険しさは想像を絶するものだという話は、よく聞くね」
ティフェレト山脈。文字通り、世界樹を目指す竜使いの前に立ちふさがる壁。その名は竜使いをしていれば、自然と耳に入ってくるものだった。
山そのものが恐ろしく険しく、竜を使っても尚、道のりは過酷を極める。そしてただでさえ困難なその道を、強大な神竜種の竜達が塞ぐのだ。一流と呼ばれる竜使いたちでさえ、通るのは躊躇い、行く時には万全の準備を持って向かう、もっとも過酷な場所。
「んじゃ、こっちは? 山通らなくていいし、楽そうじゃない?」
カクテが、地図の左側を指差した。先程、ナガチが西側ルートとして示した道だ。
「確かに、それは一つの手ではある。そちらはそちらで過酷なのだが、
山脈を越えるよりはよほどマシではあるらしいな。
……だが、あまり意味はない」
「意味がない、と言うのはどういう意味ですか?」
ルルの問いに、ナガチは肩をすくめる。
「楽をして、世界樹に辿り付いても意味がないのだよ。
……その世界樹自体がもっとも過酷で、もっとも強力な竜が現われる場所なのだから」
世界樹に近づくほど竜が強くなっていくのは、竜使いにとってはある種好都合なことである。徐々に強くなっていくなら、その強さを己の竜に取り込んでこちらも少しずつ強くなることが出来る。最終目標が世界樹であり、そこがもっとも過酷である以上、道中で楽をしてもさしたる意味はないのだ。
「ここまで大陸の形がわかっていながら、未だにドラゴン・ロードの実在すらが
不明なのは何故だかわかるかね?
……未だ誰一人、この樹を登りきったものがいないからだよ」
過酷、難所と言われるティフェレト山脈ですら、一流と呼ばれる竜使い達がしっかりと準備をしていけば超える事は不可能ではない。しかし、そんな彼らが、前線となる集落を作るほど集まっても尚、世界樹を登りきることは出来ないのである。
「さて、どちらにせよ今優先すべきなのはこちらだろう」
その遠さと難しさに思いを馳せ、思わず頭を抱えるアタカ達の気分を切り替えるかのように、ナガチは声をあげた。
「『門』……そう呼ばれている、或いはそれらしきもの。
ワタシが現在掴んでいるだけで、それは五箇所存在する」
ナガチは硬貨を取り出すと、パチリと音を立てて地図の上に一枚置いた。
「一つは、諸君も知っているであろう。
ケセド平野、その境界に位置する『神隠しの門』」
「あのでっかいトカゲがいた、変な所ね」
「……良く調べている事だ」
イズレは呆れ半分、関心半分で溜息をついた。ルルとカクテを助けに行ったことは、言うなれば新米の中の内輪の問題のようなものだ。それまでしっかりと把握している。
「二つ目はここから近い。コクマの森の、その東側。
木で出来た、門としか思えぬものがあるのだそうだ」
二枚目の硬貨を、今いる街のすぐ傍、森の東側にパチリと置く。
「三つ目、はここ……ビレンラーヴァの北東、ホド遺跡に。
四つ目はイェルガルアの西、イェソドの迷宮の奥深くに。
そして五つ目は、ティフェレト山脈の頂上にあるらしい」
そして、残り三枚の硬貨を地図の上に並べた。
「遺跡に迷宮って?」
聞き覚えのない名前に、カクテはパチパチと目を瞬かせた。
「古代人が作った建造物が残っているのだそうだ。
もっとも、今すんでいるのは野生の竜だけだが」
「こだいじん……」
イズレの説明に、カクテはますます首をひねる。
「いや……竜使いの試験にも出たよね?」
「忘れた!」
呆れ半分のルルにカクテはきっぱりとそう答え、残り半分も呆れで埋めた。
「古代人と言うのは、この大陸が出来る前に生まれた人達……
文字通り、竜の地の民よりも先にこの世界にいたといわれる人々の事だよ」
「この大陸が出来る前に生まれたのに、なんでこの大陸に遺跡があるの?」
素朴なカクテの問いに、アタカは虚を突かれた。言われてみれば、その通りだ。
「そりゃ、この大陸が出来た後に渡ってきたからだろ」
と、納得しかけたところでムベが呆れた声でそう言った。
「じゃあ、外人の人の祖先って事?」
しかし、続くカクテの台詞に、全員返す言葉を失う。
「そういうわけじゃ、無いんじゃないかな……
古代人は絶滅したというのが定説だし」
しかし、どこかで繋がってはいるのかもしれない、とアタカは考える。
「ともかくだね」
一つ咳払いし、ナガチは話を続けた。
「これで、キミ達がケテル湖で遭遇したものを含め、六ヶ所。
残り二箇所も、ワタシの伝手で探しておこう」
「じゃ、次は森だね!」
元気良く声をあげ、腕を振り上げるカクテに、周りは押し黙った。
「あ、あれ? ……平野の方が良かった?
あたしだって、いきなり山脈が無理って事くらいはわかってるよ?」
「いや、それ以前の問題だろ……」
戸惑うように仲間を見回すカクテに、ムベが溜息をつく。
「おお……新発見だ。おっちゃんに呆れられるとルルの三倍くらい凹むね」
「どういう意味だ、そりゃあ」
「実際に門へ向かう前に、しないといけない事が幾つかありますね」
ムベの手を避けるべく、素早く頭を左右に揺らすカクテを視界から外し、アタカは考えを纏めながらそう言った。
「多分、ユルルングルやエインガナに勝てたのは、運が良かっただけだと思うんです。勿論、全部が全部偶然とは言わないけど、他の門でも同じように勝てるとは思えない」
「そうだな……もっと強くならねぇと」
「ギブギブギブギブ! いたい、いたいってば!」
ギリギリとカクテのこめかみを締め上げながら、ムベはアタカに同意する。
「私がエインガナを使えるようになれば、大分楽かな?」
苦しむ親友を意識的に無視しつつ、ルルは小首をかしげる。
「それもある。けど、それ以外にも……情報が圧倒的に足りないと思うんです」
「門の場所がわかって、それ以上何が足りないって言うのよう」
ムベの手から逃れて目に涙を浮かべ、こめかみを両手で押さえながらカクテが問う。
「例えば、僕はエインガナって言う竜を知らなかった。ユルルングルも。
勿論、誰もが知らない、初めて人間が会う竜なのかもしれないけど……」
「……ううん。それは、ないと思う」
慎重に、ルルは首を横に振った。
「私の夢の中で、アタカが言ってた。エインガナは、最も古く偉大な精霊だって。精霊は、一番人に密接にかかわってきた存在だもの。きっと、どこかに伝わっているはず」
「でもそれは、夢ん中の事だろ?」
「夢でも、ただの夢じゃない。あれはもう一つの世界なんです。
そこで語られる事の中には、必ず真実が含まれている」
そもそも、エインガナの名はルル自身知らなかった情報だ。彼女が作り出した妄想ではなく、アタカが持っていた知識でもない。それが精霊の世界から転がりだした知識である事を、ルルは確信していた。
「それだけじゃなく、門が見つかったとしても、その開け方だってわかりません。門自体は見つかっているのに、その奥の情報がないって事は、未だに開け方が発見されてないか、或いは……」
「たまたま見つけた奴も。ユルルングルが言うところの、『門兵』に食われちまったか、ってトコだな」
一瞬言いよどむアタカの言葉を、ムベが引き継ぐ。
「だから、僕達はそういう意味ではすごく運が良かった。
二度も、生き残れたんですから。でも……」
「三度、幸運は続かない。そういうことだな?」
イズレに、アタカは頷く。
「つまりは、課題は三つというわけか。宝玉や門……
そしてそれを守っている竜について、より詳しく調べるという事。
門の場所自体を調べる、という事。
そして何より、我々自身が、より強くなる……という事」
「はー……なるほどねえ」
感心した様子で、カクテは言った。正直、門の場所がわかっているならとりあえずそこに行って見ればいい、くらいの考えしかなかったのだ。しかし、場所がわかっているのに他に宝玉を手に入れた人がいないのなら、確かにちょっと考えるべきなのかもしれない、と流石の彼女も思い至る。
「……アタカ。ティラノサウルスの魔力結晶を、一旦私に貸してもらえないだろうか?」
イズレは考え込んだ様子で、不意にアタカにそう尋ねた。
「勿論、それは構いませんが……」
「実はあの時、私には何者かの声が聞こえた。
ルルがメリュジーヌの姿を見たのと同様に私にだけ聞こえたのであれば……
あれは半蛇の竜の声だったのでは、と思うのだ。それを、もう一度調べてきたい」
「……でも」
「勿論、門に入るような愚は冒さない。その辺りは気をつけるさ」
イズレなら問題ないだろう。アタカはそう判断し、ティラノサウルスの結晶を渡す。
「ムベさんも一緒に行きますか?」
アタカが尋ねると、イズレは無言でただムベを見つめた。
「……素直に付いてきてほしいならそう言えよ」
「む。……では、率直に言うと、私個人の興味の部分が大きいため、
付いてきてくれとはとても言えないがついてきてほしい、と思う」
率直なのか逆に遠回りなのか、いまいち判別しがたい物言いをするイズレに、ムベは苦笑しながら「わかったわかった」と答えた。
「別行動をするなら、私はメリュジーヌの魔力結晶を集めたいかな……」
ルルの言葉に、手の平ほどの大きさまで縮んでまるで人形の様に彼女の膝の上に座っていたディーナが、ルルを見上げて目を輝かせた。
「あ、ケテル湖行くなら、あたしも付いてくよ。
海竜種も出るし、流石にいつまでもウミをこのままにしていくわけにもいかないし」
それに便乗する形で、カクテが手を挙げる。
「……僕は、文献を当たってみようと思う」
どうしようか少し考え、アタカはそう言った。
「竜について、もう一度しっかり調べなおしてみたいんだ。
ソルラク、ルルとカクテをお願いできるかな?」
カクテの得意とする湖で、メリュジーヌになったディーナならば苦戦する事はないだろうが、ソルラクがいれば万一の心配もなくなる。力強く頷くソルラクに、アタカは安心した。
「では、ワタシはこれで……」
「待て。お前は私達と一緒に来い」
自分の仕事は終わったとばかりに立ち去ろうとするナガチの襟首を、イズレががっしりと掴む。
「横暴じゃないかね?」
「アタカ程、私は甘くはないぞ。お前の様な奴を一人にしておけるものか。
しっかりと付いてきてもらおう」
じわりと額に汗を浮かべるナガチに、イズレは薄く笑みを浮かべた。
「……アタカ君。何とか言ってやってくれたまえ。
先程も言ったとおり、ワタシは戦闘は不得手だ。付いて行っても仕方ないだろう」
「大丈夫ですよ」
にっこり笑い、アタカは真っ直ぐにナガチを信じる瞳で言った。
「僕より適合率高いんだから、何とでもなりますって」
「もしかして、意外とさっきワタシが言った事を根に持っていたりするのかね?」
「そんなまさか。でも、パーティの一員になった以上は、しっかり働いてもらいます。『使えるものは何でも使え』と言うのが、僕の師匠の教えですから」
これ以上ないほど朗らかに、アタカは笑った。




