第02話 旅の始まり-3
「囲まれないように気ぃつけろー。
ほれ、油断すると足を掬われるぞ。ちゃんと竜の影に隠れろ」
上空から投げかけられる声を背に、アタカは必死になってタツノオトシゴ達と激闘を繰り広げていた。最弱と呼ばれるドラゴン・パピーよりもなお弱い、竜と呼べるかどうかさえ怪しいような小さな相手。
しかしそんなタツノオトシゴにさえ、アタカは苦戦していた。
「相棒を信頼しろ。
信頼ってのは、頼りきることじゃねえ。妄信する事でもねえ。
出来る事、出来ない事をちゃんとわかってやって、互いに任せた仕事を
キッチリこなす事だ。いいか、人間なんてのは竜に比べたらゴミみてーなもんだ。
一撃で簡単に死ぬ。頭も悪い。人を顔で判断するし毛が生えてねーだけで差別する」
後半はただの私情じゃないか。
そんな事を思う余裕もなく、アタカは必死にタツノオトシゴが吐き出す水鉄砲をかわす。それは直撃しても転ぶ程度の威力しかないが、そんな力しか持っていない竜などむしろ例外だ。
あたれば一撃死。これからそういう戦いを生き抜かなければならないのだ。今アタカが行っているのは、そんな竜たちに対する予行演習のようなものだった。
「だがな、敵も味方も竜なんだ。戦いの明暗を分けるのは、そのゴミみてーな
人間サマなんだよ。司令塔を失えば、相棒はあっさり竜に食われる。
竜が倒れりゃ、人間は死ぬ。竜使いと竜は一心同体だ。
だから、盾にして可哀相なんて思うな。自分を可哀相だと思うようなもんだ。
俺は可哀相なんかじゃねえ!」
しばしば私情が混じって激昂するのが珠に瑕ではあるものの、ムベの言葉は的確で重みのあるものだった。
アタカはクロを盾にして敵の鉄砲水を防ぎ、お返しとばかりにブレスを命じた。クロがその口を大きく開け、ぽぽぽぽ、と音を立てながら火の粉を撒き散らす。タツノオトシゴ達は熱に苦しそうに身をよじりながら、波間にその姿を隠していく。
「頭を振り絞れ。知識を総動員しろ。一瞬も油断せず、常に最善手を模索しろ。
技を知識を肉体を、使えるものはすべて使え。すべてのことに疑問を持て」
ムベの言葉に、アタカははっとする。それは言い方こそ違えど、コヨイが言っていたのとまったく同じ言葉だったからだ。
あれだけ鍛えてもらったのに、とアタカは苦笑した。緊張のあまり、そんな事も忘れていたのだ。……しかし、忘れていた、と言う事は思いだせるという事でもある。たった一ヶ月、されど一ヶ月。二人の師に鍛えられた経験は、確かにアタカの血肉となって眠っていた。
「クロ!」
波間から放たれる水鉄砲をかわし、アタカは叫ぶ。ただでさえ波打ち際、相手は水を自在に操る竜だ。炎は効果が薄い。ならば、逆はどうなのか?
「Nawilarva,Fserpe Zasto……氷の矢っ!」
アタカは真語呪文を唱えると、冷気の矢を波間に向けて放った。攻撃魔術の初歩の初歩、『炎の矢』の逆呪文だ。物質から熱を奪うその呪文は、タツノオトシゴにダメージを与えるどころか、波飛沫を僅かに白く濁らせただけで消え去った。
魔力の気配にタツノオトシゴ達が顔をのぞかせ、いっせいにアタカを狙う。
しかし、それこそがアタカが望んだ展開だった。
アタカの『お手本』を見て、クロが冷気の矢を発生させる。幼体とは言え竜は竜。専門魔術師ですらないアタカとは比べ物にならないほどの魔力は、槍のように巨大な矢を何本も作り上げ、波間に向けて叩き込んだ。
押し寄せる波が、押し寄せる形そのままに彫像のように凝り固まる。当然、その中に潜んだタツノオトシゴたちもだ。
「おう、よくやったな」
数秒の後、別の波に押し流され消えていく氷を眺めながらムベは地面に降り立った。その背中にドラゴン・フライが張り付いて支えている。ドラゴン・フライは30cm少々の大きさだが、2m近い巨漢のムベを軽々と抱えて飛ぶことが出来た。
「ありがとうございます、ムベさんのおかげです!」
「ま、俺も落ち零れだからな……そこらのエリートよりゃよっぽどパピーでの
戦い方はわかってんだよ。パピーのまま半年くらい戦ってたし。
お前も、適合率が低くて最初の魔力結晶使えなかったってクチなんだろ?」
こくりとアタカは頷く。
「ま、それでも俺よりは高いと思うけどな。
聞いて驚け、俺の適合率、なんと14%だぜ!」
ムベはアタカを安心させてやろう、という意図でそう言った。多少適合率が低くとも、自分と違ってアタカはまだまだ若い。努力次第で幾らでも上を目指せる。そういいたかったのだ、が。
「あ、僕0%なんですよ」
あっけらかんと言うアタカに、ムベはぽかんと口を大きくあけた。アタカ自身も、これほど気負いなく言えた事に驚く。
「ゼ、ゼロ? ……マジで?」
「マジです。だから魔力結晶を手に入れても使えません」
そういって、アタカは波間から光り輝く宝石のようなものを拾い上げると、ムベに差し出した。
「なので、どうぞ」
それはタツノオトシゴの魔力結晶だ。竜を倒すと、その場に小さな宝石のような欠片が残る。それは世界に還らなかった竜の力の塊といわれている。事実、それを纏わせる事で竜使いは己の竜の姿を変えることが出来るし、魔力を開放して人間には不可能なレベルの魔術を使う事も出来た。
この魔力結晶を手に入れるのが竜使いの目的であり、同時に主な収入源でもある。
「……いや、それはお前が持っとけ。使えねえんなら、うりゃいいんだしよ」
ムベはなにやら考え込んだ後、軽く手を振ってそう言った。
「でも」
「いーから持っとけ。どうせ大した値にもなりゃしねえよ」
魔力結晶は当然、強い竜の物ほど高い。タツノオトシゴの結晶は文字通り最低クラスだ。
「さて、そろそろ帰り支度すんぞ。いそがねえと、門が閉まっちまう」
「はいっ」
アタカは魔力結晶をカバンに仕舞い込むと、背を向けるムベの後を追う。その時、ドラゴン・フライがヂイヂイと警戒音を上げた。
「アタカッ、後ろに跳べ!」
鋭く放たれる言葉に、疑問に思う間もなくアタカは後ろに跳躍する。しかし、足りない。速さが、距離が。一瞬でそれを察したムベの心を読み取り、ヴンと音を立ててドラゴン・フライが羽を羽ばたかせた。
烈風が渦巻き、アタカの身体が宙高く吹き飛ばされる。彼が一瞬前まで存在していた空間を、高圧の水が槍の様に穴を穿った。タツノオトシゴとは比べ物にならないほどの威力。人が喰らえば、一瞬でチーズのように穴だらけになること間違いなしだ。
「……アタカ。そのまま逃げろ。振り向くな」
ムベはクロによって受け止められたアタカを背にし、低い声で言った。その視線の先、地面から這い出してきたのは巨大な亀のような竜だった。
「吉弔に遭うたぁな……ツイてねぇ」
この辺りに住んでいる竜はそのほとんどがおとなしく、またさほど強くもない竜ばかりだ。だが、ごく稀に……三日連続で食べたものに当たるくらいの確率で、吉弔という竜に遭遇することがある。
その姿は、亀に似ている。ただしその大きさは大人が数十人背に乗れる程に大きい。頭は蛇のように長く、同様に尾も非常に長い。群れることはないが頭はよく、水や氷の魔術も難なく使いこなす。
そして何よりも厄介なのが、その甲羅だ。竜の鱗が何層にも重なって形成されたその甲羅は恐ろしく堅固で、物理攻撃も魔法もほとんど無効化してしまう。ある程度手馴れた竜使いでさえ相手取るのを避ける厄介な相手だった。
幸い、見た目通り動きはさほど早くない。逃げに徹すれば、逃げ切れない相手ではない。
適合率0%のルーキーなんていう、お荷物を抱えていなければ、だ。
畜生。畜生畜生畜生。何だって、俺がこんな目にあわなきゃいけないんだ。俺が何したって言うんだ。女と手つないだ事もないってのに。ムベは、心の中で思いつく限りの罵声を信じてもいない神だかなんだかに浴びせた。
でも。
こいつ、いい奴なんだよな。
死なせるわけにゃ、いかねえよな。
あれ、俺今最高に格好良いんじゃねえ?
「行け。短い間だったけどよ……楽しかっ」
「嫌です!」
そんな事を思いながら歯を食いしばり、泣きそうになりながら言おうとした言葉は、あっさり拒否された。しかも食い気味にだ。
「ざっけんな糞餓鬼! 人がカッコつけてんだからとっとと」
「使えるものはすべて使え!」
アタカは、叫んだ。彼とて、目の前の脅威を理解していないわけではない。はじめてみる『脅威』としての竜の恐ろしさは、段違いだった。さっき、ドラゴン・フライの風が一瞬でも遅れれば、アタカの腹には大きな穴が開いていただろう。
ゆっくりともたげる首には牙がずらりと並び、一噛みでアタカの身体など簡単に引きちぎられるだろう。大きな身体を支える腕は太く、尾は長く鞭のようにしなりながら地面を打ち据える。どちらも喰らえば一撃なのは間違いない。
足は震え、今すぐ逃げ出したくなるような衝動がアタカの全身を包み込む。しかし、それでも逃げる訳にはいかなかった。ここで逃げれば、もう二度と外には出られない。アタカには、その確信があった。
「僕の、最高に格好いい師匠の言葉です。生き残る為には、あらゆる物を利用しろ。
最後まで絶対に、諦めるな! って」
「ウォウ!」
アタカに同意するかの様に、クロが一声吼える。
「……言ってくれるじゃねぇか、小僧」
ヂヂヂヂ。唸るように言うムベに、ドラゴン・フライが同意を込めて鳴いた。彼女はムベの心をいつも察してくれる、最高の相棒だ。
「戦るぜ……アタカ! ヘマすんじゃねぇぞ!」
「はいっ!」
二人と二匹は、覚悟を決めて巨竜に立ち向かった。