第11話 七色の精霊-7
「ルル!」
アタカはルルの身体を支え、その軽さにぞっとした。急ぎ、その身体を治そうとイメージを練り上げる。人間の身体は急激な回復には耐えられないし、そもそも人の魔力ではこれほどの大怪我を治すような魔術を使うことは出来ない。
しかし、この世界でなら話は別だ。イメージは力となって光り輝き、ルルの身体を暖かく包み込む。
「何で……」
アタカは、絶望的な声色で呻いた。光が消え去った後も、ルルの傷は全く癒えていない。
「アタ、カ……」
「喋っちゃ駄目だ! くそ、どうして……! ルル、自分は死なないって信じるんだ!
傷が治るとイメージを……!」
何度も何度もルルの傷を治そうとしながら、叫ぶアタカにルルはゆっくり首を横に振った。
「どう、して……」
奥歯を噛み締め、表情を歪ませるアタカ。しかし、頭のどこか冷静な場所が、ルルがもう助からない事を理解していた。この世界ではイメージを力にし、思うが侭に世界を操れる。それは、彼ら自身が世界の上位にいるからだ。そしてそれゆえに、自分の身体そのものには干渉できない。同じ仲間であるルルに対しても同様だ。
エインガナの身体を直接消滅させたり出来ないように、ルルの身体を治してやることも出来ない。
「アタカ、これ、を……」
ルルは血に塗れた手で、幾つかの魔力結晶をアタカに差し出した。ミズチと、イピリア。……そして、ディーナと同化した己自身の結晶だ。本来死んでしまわなければ取り出せないその結晶も、この世界であれば取り出すことが出来た。
「倒して」
エインガナはまだ倒れていない。ソルラク達が必死で抑えているが、それももはや限界に近付いているようだった。
「……わかった」
アタカは涙を拭い、魔力結晶を受け取る。
「『ミズチ』『イピリア』……『ディーナ』、オン」
煌めく三条の光の帯が、クロの身体を取り巻く。同時に複数の魔力結晶を使用する事など本来は不可能だ。しかし、ルルの想いが……それを受け取ったアタカの心が、それを可能にした。
それを見ながら微笑むルルの姿を見て、アタカは己の愚かさを呪った。何故、今まで気付かなかったのだろうか。
彼女は、ずっと傍にいてくれた。それこそ、物心つく前から。
共に育ち、共に生き、共に道を歩んできた。
アタカの両親が永遠に帰ってこなくなった時も、彼女はただ、黙って傍にいてくれた。だからこそ、アタカはそれを乗り越えられた。
ずっと、支えてくれていたのだ。それを、アタカは彼女を失う段になって初めて思い知った。締め付けるような愛おしさと、それを喪う痛みが、アタカの胸の中で荒れ狂う。彼女のことが好きだったのだと、ようやく、彼は気付く。
「ごめん、ルル……」
そっとその頬に手を沿え、アタカは囁く。そして、彼女の唇に軽く口付けると、エインガナへと向き直った。
途切れそうな意識の中、アタカの背中を見つめながら、ルルの胸は充足感で満たされていた。アタカは、エインガナを倒すだろう。この世界でもっとも偉大な竜を。その世界にルル自身がいなかったとしても、そこに悔いは残らない。
そんな事よりも、最後のほんの一瞬だけでも、彼が自分を愛してくれたという喜びの方が勝った。嬉しくて、嬉しくてたまらない。胸に穴があいてなければ、飛び跳ね転げまわって喜んでいたに違いない。
だから、だからこそ、彼女は全てを理解した。
これは、夢だ。他の誰でもない、ルルが見ている夢だったのだ。
もしそれが現実であったなら、とルルは思う。
もし現実であったなら、彼女は誰よりも安らかに、満ち足りた気持ちで死んでいっただろう。そうして、彼女の想いを継いだアタカがエインガナを倒し、事件は解決。ハッピーエンドとは言わないが、満足の行く終わり方。そういうストーリーだ。
しかし、そんな事がありえない事を、ルルは誰よりも……おそらくは、アタカ自身よりも、良く知っていた。ならば、寝てなどいられない。やるべき事に、ルルは散り散りになりそうな意識をかき集め考えた。
アタカは誰よりも頼りになる存在だ。例えそれが、ルルのイメージが作り上げた虚像であっても。しっかりと、必要な情報を残していってくれた。だから彼女は、今から自分がすべきことをもきちんと理解できていた。
『ディーナ』
『うん、ご主人様』
頭の中で語りかければ、ディーナはするりとルルの中から抜け出した。そういえば、彼女は『どちら』なのかとふと思ったが、あまり関係のない話だとルルは頭の中から追い出した。胸に大穴が空いているのだ、時間はもうさほどない。痛みはとっくに感じなくなっていた。
信じる心が、力になる。アタカはそう言った。ルルは、自分に自信などない。根拠もなく、そんな物を持つことが出来ない。しかしアタカの事であれば、この世の何よりも信じていた。それが力になるのなら、ルルは無敵だ。彼の言葉を信じ、そして、それを力にする。
「『エインガナ』、オン」
魔力結晶も持たず、定着などしているわけもなく。しかしそれでも、ディーナは光を纏い、巨大な虹色の蛇へと姿を変えた。
「さあ、ディーナ。さっさと終わらせて」
ルルは、吐き捨てるように言った。
「この幸せな悪夢を」
その言葉と共に、彼女の意識は闇の中へと沈む。それが、死によるものなのか、それとも夢の世界が滅んだ事による物なのかは、その時の彼女には判断が付かなかった。
「ん……」
気づけば、ルルは湖のほとりに倒れていた。辺りには、アタカやカクテ、その他の面々も同じように地面に倒れ、寝息を立てている。
胸を探れば、当然そこには穴などあいていない。ついでに、サイズも変わってはいないようだった。ほっと息をつき、アタカ達を起こす。
「皆、起きて! ほら、ディーナも!」
大声で怒鳴ると、仲間達はゆっくりと身体をもたげた。皆一様に、困惑した瞳で辺りを見回し、首を捻る。
「一体、どうなってるってんだ? 俺は、死んだんじゃねぇのか?」
「いや、ムベは死んでいない。死んだのは、私の筈なのだが……」
「一体、何がどうなって……?
僕達は門の向こうの世界へ行ったん……です、よね?」
口々に呟く彼らに、ルルは自分の予想が完全に当たっていた事を悟った。予想と言っても、それは推理でもなんでもない。ただの直感の様なものだったが。
「皆、夢を見ていたんだよ。それも多分、皆別々の」
言いながら、ルルは未だに目を覚まさないカクテの襟首をぐいと掴むと、思いっきり彼女の頬を叩きまわした。
「カクテー、おきてー。朝よー」
「なにすんのよっ!」
流石のカクテも目を覚まし、ひりひりする頬を抑えながら怒鳴った。そんな彼女を、ルルはぎゅうと抱きしめる。
「うん、やっぱりカクテはそっちの方がいい」
「は? 何が?」
毒気を抜かれ、カクテは目をぱちぱちと瞬かせた。
ルルの見ていた世界は、ある意味で、彼女の理想であった。ムベは性格は悪くないんだから、もっと自信が持てるような見た目であれば良いと思っていたし、その彼にアプローチをかけるイズレはもっと女らしい姿に生まれていれば良いと、どこか無意識で思っていた。
カクテに関しては言わずもがなで、ソルラクももっと感情表現が豊かならいいのに、と思いつつも、殆ど見た目も性格も変わっていなかったのは彼女の想像力の限界だろうか。竜達が全員話しだしたのも、ディーナの影響か、或いはディーナ自身の望みだろう。
そして、何でも出来る世界で訪れるのは『満足する死』だ。己の理想の世界の中で、己の人生に満足し、悔いなく死を選ぶ。それは恐ろしい攻撃だ。誰も抗うことは出来ない。
ルルがそれに抗えたのは、ごく単純な理由。心の底から望み、しかし、それがありえない事をはっきりと自覚しているからだった。
夢でも嬉しかったが、夢だとわかっているのにそんな偽りの幸せと心中するわけにはいかない。何より、本物のアタカをその心中に巻き込むなんてもっての他だ。
『帰って来たか……』
降り注ぐ声に顔を上げれば、ユルルングルがこちらを見下ろしていた。
「その、何が一体どうなったのか、いまいちわかっていないんですが……」
『そこな娘達に聞くが良い。勝ったのは、その娘のみだ』
アタカの問いに、ユルルングルはルルの目の前に顔を下ろし、小さな宝珠を差し出した。
「これは……」
虹色に輝くそれを手に取った瞬間、ルルはそれが何かを悟る。それは、魔力結晶と同質のもの。しかし、篭められた力は結晶などと言うレベルではない。それはエインガナの持つ力の全てであった。当然、現実世界のルルの力ではまだ到底扱えず、解放する事も出来ない。
『全てを知りたくば、残り7つを求めよ。道は、その先にある』
「結局はっきりと説明する気はねぇんだな」
呆れたように文句をつけるムベに、ユルルングルは答えずただ彼らを見つめた。
「同じようなものが、後7つある……と、そういう事か?」
『然り』
イズレの問いに、ユルルングルはゆっくりと頷く。
「その先に、お前を門兵に任じたものがいるのか」
『否』
当然こちらも肯定が帰って来るものと思っていたイズレは、重々しく否定するユルルングルに虚を突かれて言葉に詰まる。
『言うべき事は全て言い、為すべき事は全て為した』
「おい、待て! もっと詳しく説明を……」
叫ぶイズレを一瞥すらせずに、ユルルングルは湖底へと沈んでいく。
そして、現れたときと同様に、まるで湖の水に同化するかのようにその姿を消し去った。
「ねぇ、アタカ」
皆がそれに視線をやっている時、こっそりとルルは彼の名を呼んだ。
「な……」
振り返る彼の顔に、ルルは指を弾いて叩き付けた。いわゆるデコピンという奴であるが、狙いは額でなく唇である。
「……に、急に」
いきなりの攻撃に流石に目を白黒させつつ、理不尽な攻撃にアタカは不満げに表情を歪めた。
「うーん……八つ当たり?」
可愛らしく小首を傾げ、ルルは少し考えてそう答える。ある意味仕返しではあるが、アタカは本人ではない。そしてそもそも相手がアタカ本人であれば、むしろ望むところであり仕返しなどする必要はない。
「……うん。八つ当たりね」
自分で納得し、ルルはこくこくと頷いた。
「まあ、八つ当たりなら良いけど」
自分が怒らせたわけではなく、八つ当たりで気が晴れるなら、幾らでもぶつけて良いという意味合いだ。その優しくも、全く理解をもたない言葉に、ルルは頬を膨らませる。
「……やっぱり、正当な仕返しだった」
「え、何で!?」
「さー?」
惚けたようにそう返しながら、ルルはくすりと笑ってアタカに背を向ける。そして中指を自分の唇に押し付けると、上書き完了、と胸中で呟いた。




