第11話 七色の精霊-4
「……ムベさん、イズレさんは本人で間違いないみたい」
互いしか知らない筈の話を確認した結果、アタカはそう結論を出した。
「カクテも……話を聞く限りだと、多分、本人だとは、思う……」
アタカに対して、ルルは自信なさげに答える。
「少なくとも、私とカクテしか知らない事は、全部覚えてた……ん、だけど」
ルルはそこまで言って、頭を抑える。
「そもそもあの子がそんな細かい所まで覚えてるって言うのが、
ぜんぜんカクテらしくないの……!」
「ひ、酷いです」
瞳にうっすら涙を浮かべ、カクテはざっくりと傷ついた表情をした。その表情がまたどうにも彼女らしくなく、ルルは胸の内で苦悶の声を上げた。物腰が穏やかで淑やかなカクテなんてものは、見ていて非常に違和感があり……はっきり言ってしまえば、気持ちが悪い。
「ねえねえ、えりー、すごいよ! ボクしゃべってるんだよ!」
「そんな事さっきからわかってるわよこの駄竜!
今、皆で何で喋れるのか考えてるところでしょ!?」
「だりゅう? ねえ、でぃーな、だりゅうって、どういういみかなあ?」
「エリー、そんな事を言っちゃ駄目よ。クロは駄目なんかじゃないもの」
「そ、そんな事わかってんのよいちいち反応しないでよ!
ただの言葉のあやでしょ、別にあたしだってクロのこと駄目だなんて」
「お水、欲しいなあ……砂、泳げるかなあ……」
「やめておいた方がいいんじゃないかしら。
せっかくの綺麗な鱗が、砂まみれになってしまうしね」
和気藹々と楽しそうに話し合う愛竜たちを見やり、アタカは考え込む。彼らが、自分の竜である事は間違えようもない。彼らの姿は変わってはいないが、仮に変わっていたとしてもアタカがクロを見間違えるわけがない、という絶対の自信があった。ましてや、喋れるようになったくらいでは惑うことさえなく、クロはクロだと言い切ることが出来る。
が、何故喋れるかとなると、これは随分難問であった。クロが言葉を話せるというのは嬉しいが、それにどういう意味があるのかは全くわからない。
「……それで結局、ここでどうすりゃいいってんだ?」
「以前のように、何らかの竜が待ち受けていると思ったのだが、見当たらんな」
不可解といえば、竜達以上に不可解なのがムベとイズレだ。彼らは己に起こった変化を、上手く認識できないようであった。元々自分はそのような姿であった、と主張するのだ。
カクテもそれは同様で、相変わらず殆ど言葉を発さないのでわからないが、恐らくはソルラクもそうなのだろう。その尻尾と耳は何なのかと聞くと、彼は不思議そうに尻尾を揺らすのを止め、ぴくぴくと犬耳を動かして見せた。
「とにかく、敵を探そう。クロ、蝙蝠の声」
敵が隠れているとすれば、他に何もないのだから砂の中にいるに違いない。
「うん、わかった!」
嬉しげに返ってくる命令への返答に調子の狂う思いを感じながらも、アタカは湖で見せた索敵魔術を展開した。
クロの放った音波を視覚化し、砂の中で跳ね返ってくるそれを捉える。水中に比べればやや精度は劣るものの、地中に対しても十分有効である。
「な……!」
果たして、彼が見たものは、予想もし得ないものであった。反射的に『逃げろ!』と叫びそうになる喉を、アタカは必死に押しとどめる。逃げるといっても、どこに。
「皆竜に乗って! ……来る!」
砂漠の一部が隆起し、それが姿を現すのと、アタカ達が竜の背に飛び乗るのは殆ど同時だった。
小さい。全員の共通した感想は、それであった。砂の中から飛び出したものは非常に小さく、人が抱えてしまえるほどの体躯しか持っていなかった。巨大な竜、特に、強くなればなるほど大きくなる傾向のあるこの頃の相手に比べれば、拍子抜けしてしまう程度の大きさ。
「違う……!」
しかしアタカはその表情から焦りを消すことなく、大声で叫んだ。
「一匹や二匹じゃ、ないんだ!」
そこら中の砂が盛り上がり、無数の獣達が砂の中から姿を現す。初めに姿を現した小さな姿は、兎であった。鹿、狼、トカゲに蛇、山猫、海鶴に飛魚。角を持つもの、鱗を持つもの、毛を持つもの、翼を持つもの、尾を持つもの……ありとあらゆる獣達が、砂の合間から飛び出して、まるで波のようにアタカ達に押し寄せた。
「なんだこりゃ……エリー、蹴散らせ!」
「た、頼ってもらえて嬉しいなんて思ってないんだから、勘違いしないでよね!」
そんな事を言いながら、獅子の身体と鷲の足、蠍の尾を持つ姿のエリザベスは口から炎を吐き出した。いくら数が多いといえど、尋常な獣が竜の力にかなうわけがない。獣達はあっという間に焼き尽くされ、炭へと姿を変えて砂の中に消えた。
しかし、砂の中から湧き出す獣達は後から後から沸いて出る。更に、獣以外の存在までが湧き出してきた。最初に現われたのは、まるで槍の様に先の尖った針葉樹の林。樹はみるみる育ち、あっという間に森を形作った。
かと思えば岩が突き出し、山が出来、河が流れ、砂漠は見る間に新たな世界へと作りかえられていく。
「一体、どうなってるんだ、これは……!」
その世界は、明らかに敵意を持っていた。こちらを突き刺さんとするかのように伸びていく木々をビー・ジェイに切り払わせながら、イズレは愛らしい顔を歪めて舌打ちした。
砂から生まれるもの達の変化は、それに留まらない。大地を覆い尽くすかのように出現した生き物は、アタカ達にとってもっとも見慣れた姿をしていた。
「に……人間さんですぅ!」
表情を恐怖に引きつらせ、叫ぶカクテにアタカ達は別の意味で顔を引きつらせた。
『誰だ、あれ』
『知らない、私あんな子知らない』
幼馴染二人は視線だけでそんな会話を交わす。そんなアタカを、ピン、と耳と尻尾を伸ばし、ソルラクはじっと見つめた。
「……砂から出てきた人だし、やっちゃっても良いんじゃないかな」
アタカがそういうと、ソルラクはこくりと頷き、ぶんぶんと機嫌良さそうに尻尾を振って人の群れに突っ込む。その振るう斧槍には一切の躊躇も手加減もなく、ソルラクはジンと共にばっさばっさと人間達を切り捨てた。
初めは殆ど素っ裸に近い格好で、腰蓑だけを巻き、粗末な槍を手にしていた人間達は、徐々にその文明を発展させていく。生まれる人々は少しずつ装備を整え、木の槍の代わりに剣を持ち、盾を構え、鎧を着込み始めた。
しかしそれでも、人と竜との間には途方もない差がある。陣形を組み、明らかに軍隊を組織する人々を、ソルラクとジンは一人と一体で圧倒した。風の如く駆けるソルラクに矢は当たらず、ぶんと斧槍を振るえば剣も槍もまるで小枝のようにぽきぽきと折れ、鉄の鎧を着込んだ騎士が三人纏めて紙くずの様にひしゃげ転がった。
獅子奮迅の働きを見せる彼に流石に兵も尽きたのか、やがて砂から現われる生き物達の嵐が止んだ。全身、返り血ならぬ返り砂に塗れ、ソルラクはアタカの元へと戻る。その表情はどこか誇らしげで、若干引きながらも『お疲れ様』とアタカが声をかければ、表情は全く変わらぬまま、尻尾が千切れんばかりに振られた。
「あたか! つぎ! つぎのはボクがやる!」
なにやら悔しかったらしく、クロはキリっとした表情で背中のアタカを振り返り、そう宣言する。
「いや、対抗意識を燃やさなくても……」
なでなでとクロの頭を撫でてやると、なにやらソルラクの犬耳がぴこぴこと動き始めたが、アタカは全力で見なかったことにした。
と、その時、突然大地が鳴動し、ざばりと巨大な影が全身に砂を纏い、滝の様に滴らせながら姿を現した。誰もが、直感的にその影こそがこの空間の主であると感じた。
ユルルングルより更に巨大なその身体は細く長く、七色に輝くその様はまさに虹のよう。広大な砂漠をぐるりと囲み、アタカ達を見下ろすその瞳には、深い知性の輝きが見て取れた。
「……『アレをやれるのならやってみろ』……と、主は申している」
ごほんと咳払いを一つ。ジンは己の主の意見をクロに伝えた。
「何でソルラクまで対抗意識を燃やしてるの!?」
心なしか胸を張り、クロを挑発するかのように誇らしげな表情を浮かべている気がするソルラクに、アタカは叫んだ。




