第11話 七色の精霊-2
「やっぱりディーナの魔術しか、ないと思う」
考えた末に、アタカはそう切り出した。
普通に考えれば、精霊種であるユルルングルに対し、魔術による攻撃は効果が薄い。大抵の精霊種がそうであるように、精霊種は魔力が高く、それゆえに魔術に対する耐性も他の竜より抜きん出て優れているからだ。
しかし、ユルルングルはソルラクやビー・ジェイの攻撃は鱗で受け止めたにも関わらず、ディーナの放った水の槍はわざわざ水で壁を作って防御した。つまりは、ユルルングルが脅威とみなしたのは彼女の魔術だけだという事だ。
それは、相性や耐性と言った問題によるものではない。むしろそう言った観点から見れば、もっとも不適当な選択肢だ。それでも尚、ユルルングルがディーナの魔術を警戒した理由はただ一つ。
単純に、威力が他の攻撃とは比較にならないほど高い、と言うごくシンプルな理由だ。
魔力の高さは、魔術に対する防御能力であると同時に、攻撃能力の指標でもある。その点で、メリュジーヌとユルルングルの間には格の違いはあれど、種としての差はない。そして、ディーナがそれ程の魔術を放てる理由は偏にルルの育成方針にあった。
ただでさえ、筋力や体力に劣る精霊種。普通の竜使いなら、多少なりと弱点を埋めるべく、そう言った部分を補強するよう訓練を施す。しかしルルは、その時間の大半を魔力を鍛え、魔術を教え込むことに費やした。
それが、彼女が雨龍で今まで戦って来れた理由であり、雨龍で今まで戦ってきた理由でもある。身体が小さく、攻撃目標になりにくい雨竜は彼女の腕に纏わり付かせれば体力のなさを考慮せずともよく、魔力に特化している為、そこだけに限れば他の種よりも優れる。
特にアタカが『指揮官』としてのスタイルをある程度確立してからは彼女は完全に訓練を魔力の強化のみに絞った。その結果出来上がった、魔力特化……最大火力だけなら他の追随を許さない、移動砲台の如き竜。それが、ディーナである。
雨龍よりもかなり格上で、魔力に優れるメリュジーヌになった今、その破壊力はユルルングルにも通用しうるとアタカは判断した。
「じゃあ、そんな感じで。作戦タイム終了ね?」
一通り打ち合わせると、カクテはディーナの作り上げた小さな砦からとことこと歩き出て、まるで友人に挨拶するかのようにユルルングルに向けて手を上げた。
「お待たせ。準備オッケー、再開ね」
鎌首をもたげるユルルングルにそう言い捨てると、カクテは踵を返し砦へと戻った。篭城か、と目を見張るユルルングルの目の前で、砦が内部から破裂するかのように粉々に砕け、中から巨大な竜魚が姿を現したかと思えば、そのままユルルングルの喉元に齧りついた。
湖に入りきらない、どころか水中ですらないそこで、いきなりの全力全開、最大サイズである。幾ら体長で遥かに勝るユルルングルであろうと、その形状は蛇。最大まで大きくなったマカラの姿であれば、喉笛に齧りつく程度の事は出来た。
「頑張って、ウミっ」
ユルルングルはその背に乗るカクテの姿を睨みつけた。腕のない蛇の姿では、喉に喰らい付くウミを振り解くのは難しい。だが、それを操る竜使いを倒してしまえば良い。
雷雲を呼び寄せ、稲妻をお見舞いしようとするユルルングルの目の前、文字通り瞳のすぐ前に、ウミの背を駆けてラミアとムシュフシュが姿を現した。鱗はおろか、鱗の無い腹の部分にさえ攻撃が通じるかどうかは怪しい。しかし、流石に瞳であれば効く筈。
蛇には人の様に目蓋はなく、代わりに透明な鱗に常時覆われている。ユルルングルもその事情は同様であった。鱗と言っても透明性を保つ為にごく薄く、それゆえ脆い。流石に爪を刺されてはごめんとばかりにユルルングルは大きく首を振り、ビー・ジェイとエリザベスを叩き落した。
そこに、クロが闇の槍を放つ。投げ槍の様に纏まった墨色の塊は、ユルルングルの鼻面にぶつかると瞬く間に拡散して闇色の霧になり、その顔に纏わりついた。
ユルルングルは降り注ぐ雨水を呼び寄せ、闇の霧を洗い流さんと渦巻かせる。その隙を突いて、ジンが走った。その持つ刃は魔術の炎に包まれていた。彼の背中には赤い髪をなびかせ、ディーナがぎゅっと捕まっている。
目前まで迫ったその攻撃を、ユルルングルは稲妻を発して迎え撃つ。しかし、その稲妻はソルラクが投げ放った斧槍に向かって落ち、ジンとディーナに触れることはなかった。
ジンの膂力とディーナの魔力と。二つ合わさった攻撃が、ユルルングルを襲う。しかし、雨水と、稲妻とのその他に、彼にはもう一つ武器があった。ユルルングルの身体をジンの刃が切り刻むその直前、凄まじい強風がジンを襲う。吹き荒れる大気の壁は膂力など関係無しに彼の身体を掬い上げると、思い切り地面に叩き付けた。
地面に転がる竜達を悠然と見下ろし、ユルルングルは息を付いた。やはり、こんな物か。見所はあるかもしれないが、やはりあまりにも早すぎた。しかし、これ以上手心を加えてやる謂れもない。そう考え、ユルルングルは彼らにとどめを刺すべく、まずは喉元に齧りついたままのウミを攻撃しようとした。
その時、ぺたりと小さな手の平が喉元に当たる感覚がして、ユルルングルは視線を下に向けた。いつの間にかウミの頭を伝って、カクテがユルルングルに触れている。にっこりと微笑む彼女と、ユルルングルの視線がばっちりと合った。
竜使い自身には殆ど戦闘能力がないことを、ユルルングルは十分承知している。斧槍を持っている人間は多少戦えるようであったが、それでも竜の力には遠く及ばない。ましてや見るからに脆弱そうなこんな娘がいかほどの事を出来るものか。
そう考えた次の瞬間、ユルルングルは己の過ちに気付いた。
こいつは、竜だ。
巨大なマカラの魔力に紛れて気付かなかったが、帽子を被り、髪を三つ編みに編んだ少女は明らかに竜の魔力を纏っていた。パチン、パチンと音を立てて彼女の髪を結んだ紐が解け、ばらりと髪が広がり赤く染まる。それにあわせるように彼女の手の平に巨大な炎が迸った。
「いっけぇ!」
砦の残骸に隠れていた本物のカクテが腕を振り上げ叫ぶ。巨大な爆炎が、花を咲かせた。
「やった!」
「まだだ! ソルラクっ!」
歓声をあげるカクテとは裏腹に、アタカは油断せずクロを突っ込ませる。手綱を取り、鞍にまたがるアタカの前に、ソルラクが斧槍を構え直立したまま乗っていた。その身はジンの魔力とは別に、クロがアタカを強化する分を回して二重に強化されている。
それに更にクロの駆ける速度を足して、ソルラクは石弓から放たれた矢のように一直線にユルルングルの脳天へと飛ぶ。爆煙の切れ目から顔を覗かせたユルルングルは、強烈な一撃に額を打たれ、流石に巨体をぐらつかせた。
『ま……待て!』
「待てと、言われてぇ……」
カクテは小さくなって落ちてくるウミを地上でキャッチすると、その魔力で己の腕力を強化してもらいながら手に掲げもち、足を振り上げて思いっきりユルルングルの頭の上へと投げ放つ。
「戦闘中に、待つ奴がいるかーーーっ!!」
ユルルングルの頭の上でウミは再び巨大化し、その頭を丸ごと飲み込むように齧り付いた。
「言ってることめちゃくちゃだなアイツ……」
「しかも恐らく己の言葉に何の疑問も持っていないのだろうな」
ムベは呆れたように、イズレはおかしげに呟く。首ほどまでをすっぽりとウミに咥え込まれ、ここぞとばかりに攻撃を仕掛けるジンやソルラク、ディーナの攻撃に耐えかねて、ユルルングルが降参するまでにはそう長い時間はかからなかった。
『……良いだろう』
首筋にうっすら歯形を残しつつ、おもむろにユルルングルはそう言い放つ。
『ある程度の力はある事を、認める』
「ふふん。そうでしょそうでしょ」
甚だ不本意そうに言うユルルングルに、カクテは気にした様子も無く胸を張る。
「……で、認めてくれてこちらの問いに答えてくれるというわけか?」
『それに関しては、我は語る術を持たぬ』
イズレの言葉にそう答えると、ユルルングルは身体をもたげ、湖の上に頭を垂れた。その舌先が湖面に触れ、ゆっくりと波紋が広がる。波紋は均等な距離で幾重にも輪を描くと、まるで湖面に虹が溢れ出したかのように、七色に輝きだした。
『我が為すはただ一つ。汝らをかの地へ送る事のみ』
「送る?」
『然り。我が役目は門兵なれば』
「……役目と言うことは、誰かに与えられた、という事ですか?」
アタカの問いにユルルングルは答えず、ただ泉を指し示した。行けばわかる、ということらしい。
「喋れるくせに、途端にだんまりになりやがったな。
しかしアタカよ、これぁ要するに、また『門』なんじゃねえか」
七色に光る泉を気味悪げに見つめ、ムベが呟く。
「あ、ディーナ、服返してー。この服、ちょっと胸の所キツくてさー」
「カクテ、うるさい」
その後ろでそんなやり取りをしながら、ディーナの作った壁に隠れて少女達は服を交換した。ディーナがカクテの服を着て彼女の姿に化け、ルルがディーナのドレスを着て髪を赤く魔術で染めてディーナのふりをし、カクテは余ったルルの服を着て隠れていたのだ。
「どうする、アタカ」
以前ケセド平野で開いた門と同じく、中に入れば容易には出られないことは明白。その上、中にはユルルングルよりも強い竜がいる可能性が高い。
「じゃ、いこっか」
逡巡するアタカの肩を、着替えを終えたカクテがあっさりとそういいながら叩いた。
「まあ、このまま帰ったのでは酷く気にかかるのは確かだからな」
イズレもその言に乗り、
「ま、毒を食らわば皿まで、って言うしな」
半ば自暴自棄の笑みを浮かべ、ムベもそれに同意を見せる。
「……私は出来ればきちんと準備をしていきたいけど……
そういうわけにも、いかないんですよね?」
『然り。我が認めるのは今回のみ』
「なら、仕方ないか……」
はああ、とルルは深く溜息をつく。
「誰も見たこと無いところにいけるんだよ? 何を悩む必要があるの」
「あなたはもうちょっと悩んで頂戴」
本気で首を傾げるカクテに、ルルは溜息をもう一つ。
アタカがソルラクをみれば、彼は頷きもせず声も出さず、ただ斧槍を掲げて応えた。
「……じゃあ、行こう」
アタカは覚悟を決め、宣言する。一行は頷き、泉に足を踏み入れる。途端、その姿は水に溶けるかのように掻き消えた。
『……かの者らは、帰ってこられると思うか』
ユルルングルはぽつりと問う。湖の上に立つは、赤い髪に古めかしい衣装を纏った乙女。彼女はユルルングルに答えず、ただそっと澄んだ笑みを浮かべた。




