第10話 湖畔の乙女-2
「さってと。今日はここで野営だな」
日が暮れ始めた頃、休憩地が見え始めた。竜車を引いていたアタカ達は遅い方だったようで、すでに何組かの竜使い達が野営の準備を始めているところだった。野営地から少し離れたところには大きな河がながれている。ケテル河だ。コクマの森と同じ事情で竜が出ない為、ここが休憩地に選ばれたのだろう。
「思ったより少ないんですね」
休憩地というと、アタカが今までに経験したのは、ドラゴンレースの時のフィルシーダとサハルラータの間のものだけだ。ちょっとした村くらいの規模があったその時に比べると、随分人が少ないように思えた。
「この道は人気がないからな。
そもそも、竜使いの大半はフィルシーダかサハルラータに滞在してる。
生活をするだけならその近辺で十分だからな。それより先に行くのは……
多かれ少なかれ、アレを目指してる連中くらいなもんだ」
ムベはちらりと北へ視線を向けた。その先に連なる雄大なティフェレト山脈。そしてその奥に聳え立つ、巨大な樹……世界樹だ。
「ドラゴン・ロードの魔力結晶、手に入れたら何でも願いが叶うんでしょ?」
世界樹を眺めていると、不意にカクテがそんな事を言い出した。
「そうなの?」
アタカにとっては初耳である。世界の王になれる、と言う話は聞いた事があるが、何でも願いが叶うという言葉とは多少隔たりがある気がした。
「……確かにそういう噂はあるな」
イズレが馬車から降りながら、アタカに視線を向けた。
「本当だと思うか?」
「……思いません」
少し考え、アタカは首を横に振る。
「こうして世界に竜が満ち、人を襲うのは、ドラゴン・ロードのせいなんですよね?
いまだにそれが収まらないと言うことは、ドラゴン・ロードはまだ倒されていないと
言うことだと思います。
誰もやった事がないなら、真実ではないかと」
「論理的だな」
イズレは頷き笑う。
「なんだ、嘘なのかあ」
詰まらなさそうに、カクテは唇を尖らせた。
「本当だったら、何を願うつもりなんだ?」
「うーん…大きい船でも貰うかなあ」
首をひねり、カクテはそう答えた。不満げな態度とは裏腹に、別段要望があるわけではないのだ。
「船? んなもん何に使うんだ」
「決まってるでしょ。新大陸を見つけにいくの!」
途端、カクテは目を輝かせてそう言う。
「願いで新大陸の場所を教えてもらえばいいんじゃないの?」
「え、何言ってるの。そんなの駄目に決まってるじゃない!」
アタカの言葉に、カクテは驚きさえしてそういった。彼女はそんな方法など、考えても見なかったのだ。
「でも、何でも願いがかなえられて、新世界を見つけたいなら、
そうするんじゃないかなあ……大抵の人は」
わざわざカクテのように自力で見つけたい、などという人間は非常に少ないのではないだろうか、とアタカは思った。
「じゃあ駄目。願いを叶えられるってのはなしで!」
無茶苦茶なその物言いに、思わずアタカは噴出し、それに釣られてルルやムベも笑った。
「何で笑うのさ」
「いいじゃない。カクテのそういう所は好きだよ、私」
クスクスと笑いつつ、ルル。「は」というのが少し気になったが、深く突っ込まない程度の分別はカクテにもあった。
「さて、じゃあ野営の準備するか。俺は薪を集めてくる」
エリザベスをムシュフシュの姿に変えてまたがり、ムベはそう宣言した。
「私も行こう」
すかさず、イズレがその後ろに乗ってムベの腰に腕を回した。
「お、おい……」
「そら、早く行かないと日が完全に落ちるぞ」
からかう様な笑みを浮かべるイズレに、アタカは先ほどソルラクをからかっていたカクテと似たようなものを感じた。とはいっても、それは猫ではなく獲物を見定め狙う虎か豹のそれである。
「じゃあ私は水汲んで来るね。アタカ、いこ」
かと思えば、ルルがぐいと腕を引いてアタカは半ば引き摺られるように歩かされる。
「あたし達は何してればいい?」
達、という言葉に反応し、ソルラクはアタカを見、カクテを見、もう一度アタカの顔を見た。
「天幕でも張ってて」
「りょうかーい。あんたはこっち! 力いるんだから」
ルルに明るく返事をしながら、カクテはアタカ達についていこうとするソルラクの襟首を掴んだ。その顔にはいつも通り表情はないが、何故か捨てられた子犬のような印象を、アタカは抱いたのだった。
「……いいの?」
「うーん。わかんないけど、いいんじゃないかな」
主語の抜かれた簡素な会話は、先ほどのソルラク達とのやり取りに関するものだ。
「多分カクテくらい強引な方がソルラクも話しやすいと思うし」
「話してないけどね」
一方的にカクテが話しかけているだけだ。
「……ねぇ、アタカ」
河へと向かう道すがら、不意にルルはアタカに尋ねた。
「もし、一つ願いを叶えてもらえるって言うのが本当だったら、
アタカなら何を願う?」
その声はいつも通りの彼女の声色。他愛ない雑談。
そう見せかけた、真剣な問いであるとアタカはすぐに気付いた。本人は気付いていないようだが、ルルには何かを隠したいとき、アタカから視線を逸らす癖がある。
「特に、ないかなあ」
しかし、真剣に考えても、答えはそうなった。適合率のことは一瞬頭を掠めたが、ドラゴン・ロードを倒すのが前提であれば、どんな手段であれ最強の竜を倒せている時点であまり関係ない気もする。
「……ご両親は?」
おずおずと尋ねられた問いに横を見れば、ルルと目が合う。ああ、それが聞きたかったのか、とアタカは理解した。
「死んだ人が生き返るのは……たとえそれが可能だったとしても、なんか違う気がする」
「……そっか」
「それに、ルルもいるしね」
そう笑いかけるアタカに、ルルは思わずえっと声を漏らした。その声に重なるようにして、アタカの下でクロがウォウと一声鳴き声をあげる。
「うんうん、クロもね。大事な家族が二人もいるんだから、寂しくなんかないよ」
まったく、心臓に悪い。クロの頭を優しげに撫でるアタカを憎らしく見ながら、内心でルルはそう呟く。アタカにとって自分が、妹か姉か……とにかく、ごく近しい存在であると言う事は理解している。感覚としては双子の兄妹が一番近いだろうか。
異性ではあるが、恋愛対象ではない。竜使いになって以来、生まれて初めて長い間離れていたから多少は変わっているかとも思ったが、彼とルルの距離感は良くも悪くも同じままだった。
本人にその自覚は全くないのだろうが、こうしてたまに思わせぶりなことを言っては彼女の心を振り回すのも昔からだ。気付かれないようため息をつきつつも河へと向かう彼女の目に、ふと白い影が映った。
「アタカ、あれ……あの人、なんだろう」
「……あの人って?」
ルルの視線を追って河を見ながら、アタカは首を傾げる。無作法ではあったが、ルルは指をさした。河の上で祈るように手を組みながら、じっとこちらを見ている。河にはかなりの深さがあるはずだ。魔術で水の上に立っているにしても、流されもせず同じ場所に立っているのはおかしい。
「あそこ。赤い髪の、綺麗な女の人」
ゆっくりと河に近づきながら、ルルはじっと女性を観察した。こちらに敵意があるようには見えない。彼女はただこちらを、じっと何かいいたげに見ている。
「ルル。僕にはそんな人、見えない。河しかないよ。
何のことを言ってるの?」
「うそ、あんなにはっきり……」
ルルはアタカの表情を見たが、嘘をついたりからかっているような顔つきではない。本当に、彼には見えていないのだ。そして河に視線を戻し、彼女は言葉を失う。
「……きえ、ちゃった」
河の上に立っていた女性は、忽然とその姿をけしていた。




