第10話 湖畔の乙女-1
「いっけー、ウミ!」
ごとごとと竜車に揺られながら、カクテは楽しげに声を張り上げる。その視線の先、広大な草原にはこちらへと走り寄ってくる何頭もの竜達。そしてその空の上、小さくて見えないが、ウミをその足に掴んだディーナが飛んでいるはずだった。
「どっかーん!」
轟音と共に、視界が埋め尽くされる。唐突に目の前に現れたそれは、マカラとしての本来の大きさを取り戻したウミの身体であった。
攻撃も何も無い。ただその姿を現しただけではあるが、数十メートルに及ぶ巨体に潰されてマフートやドラゴン・フライといった低級の竜達はまとめて魔力結晶にその姿を変えた。
「いやー、爽快だね、これ」
するすると大きさを減じ、手乗りサイズにまで縮むウミの身体を再びディーナが回収する。地面に転がる結晶を素早くソルラクが拾い上げ、アタカへと投げ渡した。
「無茶苦茶だな、全く……」
僅かに声色に羨ましさを滲ませながらも、ムベはぼやいた。
アタカ達が北ゲブラーから帰還し、一ヶ月が経っていた。竜はともかく、人の傷はそう簡単には癒えないし、癒せない。竜の身ならば回復魔術で一瞬にして骨をつなぎとめ、失われた肉体さえ復活させる事はできるが、人の脆弱な肉体はそこまでの急激な回復にはついていけない。ソルラクの傷が治るのに、それだけの時間が必要だった。
そろそろ、次の街に向かってもいいんじゃないか……ムベがそんな提案をしたのは、彼の傷がおおよそ癒えた時の事であった。
サハルラータから向かえる街はフィルシーダを除いても二箇所あるが、『次の街』と言う表現をした場合、該当するのは以前ムベとイズレが足を伸ばしていた東方の街、シルアジファルアの方である。
特に誰が決めたという訳ではないが、街には向かう順番と言うものがあった。それはそのまま、周辺にいる竜の強さの順である。と同時に、街と街の間の距離の順でもあった。
北に行けば行くほど、竜は強く、街と街への間の距離は広くなる。しかし、街から街へ移動するのに想定されている時間は変わらず三日だ。つまりはより高速で移動できる、強力な竜を操る竜使いだけがより北へと向かえると言う仕組みである。と同時に、それが街を移動する目安でもあった。
竜は鍛えれば鍛えるほど強くなる生き物だ。無論、移動速度と戦闘能力が単純に比例するわけではないが、育てるほどに足は早くなる。この程度の距離を、この程度の速さで踏破出来るならば勝てるだろう。無論例外は幾らでもあるが、そう言った距離に休憩地が設けられていた。
「そんな戦い方出来るのは、草原の竜が弱いからなんだからね?」
「わかってるってば」
箱竜車に設えられた窓から首を出しながら、吹く風に気持ち良さそうに目を細めるカクテを、ルルは胡散臭げに見つめた。
結局、カクテの竜は吉弔に戻ることも、完全に定着させることもなくマカラのままだ。彼女はもっとマカラの石を取りに行きたがったが、誰が船を引くの? と尋ねると大人しくなった。流石に、マカラの巨体では小船を引くことなど出来ないし、無理に引こうとすれば自身が起こす波に転覆させてしまいかねない。
かといってこの前の様なギリギリの戦いをもう一度繰り返すのは御免だし、カクテ一人では勝てない。同じマカラとは言え、ウミよりも野生の方が強いくらいだ。
そんなわけで、完全に定着させるわけにも行かず、かといって消してしまうのも勿体無い。そんなマカラの姿をどうにか有効活用できないか、とカクテが考え出したのが先の戦法であった。戦法と言うより、質量によるゴリ押しだ。
技どころかロクに身じろぎすら出来ず、ウミは地面の上をビチビチ跳ねているだけなのだが、それだけで草原の竜程度なら倒せてしまう。ルルもカクテの手放したくないと言う気持ちもわからないではないので、あまり強くは言えなかった。
「何にせよ、安全に移動できるのはありがたいね」
クロの背に乗り、アタカはのんびりとそう言った。
龍馬のエリザベスが引く竜車にイズレとカクテ、ルルが乗り、御車台にはムベ。アタカはクロに跨りその横を走っている。ジンとソルラクは徒歩……と言うか、それなりの速度が出ているのに走ってついてきていた。
「一緒にパーティを組まない?」
一ヶ月前、ナガチを殴り飛ばして酒場を出て行ったソルラクに、アタカは何と無くそう言った。彼の人間性と言うものが、何と無くわかってきたからだ。
意外にも、と言うか、予想通り、と言うか。ソルラクはその提案に素直に頷き、現在に至る。
「アイツも竜車に乗りゃいいのになあ」
地平の彼方を飛び跳ねるソルラクの姿を見やり、ムベは呟く。竜車は御車台を含まず4人くらいまでなら乗ることが出来る。
「……まあ、悪い奴ではないみたいなので、慣れるまで待ってください」
パシパシと、断続的に飛んでくる魔力結晶を受け止めながら、アタカはそう言った。ムベがソルラクに慣れるのが早いか、ソルラクがムベに慣れるのが早いか。恐らく前者だろうなあ、と思いながらも弾丸の様に投げ飛ばされてくる結晶を事も無げに受け止めるアタカを、ムベは何か言いたげな表情で見やり、しかし口をつぐんだ。
「ソルラク、アタカじゃなくて、あたしに渡しなさいよ!」
魔力結晶を回収し終え、アタカの隣へと戻ってきたソルラクにカクテは文句を言い放つ。不満と言うよりも、いちゃもんをつけてソルラクをからかおう、と言うような口ぶりだ。その証拠にその口元は笑みに歪んでいた。
しかしソルラクは少し竜車から離れると、アタカの方へと視線を送る。この一ヶ月触れ合うことで、アタカはソルラクの視線の意図が少しだけわかるようになっていた。特に、最も多く彼が見せ、最も正確にその意図を把握できるのがこれ。
カクテに絡まれて困っている、助けてくれ……と言う合図であった。
ソルラクはアタカが知る限り、最強の人間である。個として最強なら桜花と言う上がいるが、人として最も強いのは、彼だ。そこには羨望と、それ以上の憧憬があった。男として、強さには純粋に憧れるのである。だが、こういった時の彼はまるで捨てられた子犬の様に頼りない。
「カクテに投げたって、受け止められないでしょ?」
そのギャップに息を吐きながら、アタカはカクテにそう言った。
「だったら、ここまで来て手渡してくれればいいじゃない」
実に朗らかな笑顔で、カクテはソルラクを手招きした。
「ほらほら、おいでー」
ソルラクはそれを見て、更に後退る。どうやら彼女に対して強い苦手意識を持っているようだった。カクテはそれをわかって、殊更に構いたがる。その様を見るにつけ、アタカは鼠の様な小動物と、それを死なない程度にいたぶる猫の姿を幻視するのであった。




