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第09話 5万シリカ-9

「だから、そんなに怒らなくったっていいじゃない」


「怒ってない、ただ……なんだか、気が抜けただけ」


 疲れきった身体を引き摺るようにして、宿へと帰る道すがら。


 ちゃぷんと音を立てて、まるで金魚の様にバケツの中で跳ねるウミを見て、ルルはもう一度溜め息をついた。手の平に乗るサイズにまで小さくなってはいるが、その象の様な長い鼻と蛇の様にくねる尾はしっかりとマカラのそれだ。


 散々心配をかけた挙句のあの騒ぎ。それに加え、マカラである。


「お金、足りるかなあ……」


「まー、何とかなるって!」


 はあ、と溜め息をつくルルに、カクテは明るくそう言った。厳密には当事者は彼女だけだというのに、何故外野がこんなに心をいためなければならないのか、とルルは内心でもう一つため息をついた。


 ナガチ曰く、北ゲブラーで取れる竜の魔力結晶は、一体あたりおよそ一万五千で売れるという。結晶屋に売るならおよそ一万前後なので、ナガチはマージンを抜いても1.5倍程度で売り捌いてくれるらしい。


 とは言えこれは、吉弔は除いた価格だ。南ゲブラーでは場違いな強さを誇る吉弔ではあるが、北においては『ハズレ』扱いである。シーサーペントとクラーケンで三万シリカにしかならない。そこからソルラクの取り分を引いて22,500シリカ。アタカとルルの全財産を足しても五万には届かない。


 言っても仕方ない事とは思いつつ、マカラさえ使っていなければ、と思わずにはいられなかった。マカラは北ゲブラーでも特に強大な竜で、一体で三万ほどになるらしい。


 シーサーペントの魔力では、水圧に耐え切れずカクテ達が潰れてしまっていた可能性もあるので、マカラの結晶を使ったのは判断としては間違いではない。間違いではない、が。


 マカラと言う竜は、あまりにも潰しが効かなすぎるのである。何せ巨大とは言え、魚だ。触手で這いずることが出来るクラーケンや、陸上でもさほど変わりなく動けるシーサーペントに比べて地上ではびちびちと跳ねることくらいしかできない。三万シリカを犠牲にして得たものとしては限りなく微妙である。


 それ以上水中戦に特化して、この子は一体どこに向かうつもりなんだろう。ルルは、そう心中で呟かざるを得なかった。


「……要らん」


 不意に呟くソルラクに、一行の視線が集中する。途端、彼は続きを声に出す事無く、口をつぐんだ。ジンが隣に浮かぶディーナに何事か囁き、ディーナはそれを念話で送り、ルルが受け取る。


「……分け前、要らないって」


「何の伝言ゲームよ!?」


 カクテは思わず怒鳴り、その後言われた意味を理解して目をパチパチと瞬かせた。


「分け前要らないって……いいの?」


 視線をソルラクに向ければ、言葉も無く彼は頷く。


「なんだ、あんたって意外といいヤツ?」


 ばん、とソルラクの背中を叩き、カクテは朗らかに笑みを浮かべる。


「まあそれでも足りないのは変わらないんだけどね。

 後、背中叩くな、痛い、だって」


 竜の力で強化されているとは言え、ソルラクは真正面からシーサーペントと殴りあったのだ。その身体が無事ですむわけは無く、体中傷だらけで、骨もいくつか折れていた。その辺りの事情はクラーケンとやりあっていたジンやディーナ、ウミも似たようなものだが。お陰で足りない分を稼ぎにいく事も出来ない。


「……そういえば、ソルラク」


 ふとある事を思い出し、アタカが彼の名を呼ぶと、ソルラクは視線をカクテからアタカへと移した。真っ直ぐに投げかけられる視線からは、やはり感情も意図も読み取れない。


「マカラの口に入る寸前、僕の事をそうやって見たでしょ?

 あれはどういうつもりだったの?」


 再び伝言ゲームを開始しようとするジンを見て、カクテは少し加減しつつももう一度ソルラクの背を叩いた。


「自分で言いなさいよ」


 彼女には、何と無くだがどういう意図だったのかがわかったからだ。


「あぁ……し、し……」


「し?」


「足手纏いがくたばってないか確認しただけだ」


 ソルラクがそう言った瞬間、三度カクテが手を振り上げた。アタカが慌ててその腕を掴む。


「カクテ、怪我人だから!」


「素直に心配だったって言いなさいよ! 何?

 思った事を素直に喋ったら死ぬ呪いにでも掛かってるの!?」


 全く、と憤るカクテを宥めながら、心配か、とアタカは内心で呟いた。一体どのような意図があるのかと悩んだ自分が馬鹿らしくもあり、心配する素振りも見せないでそう言うソルラクがおかしくもあり。


 どちらにせよ、最初の印象からは随分見方を変えなければいけないようだと、アタカは思った。





 翌日。カクテはナガチから売り捌いた結晶の代金として三万シリカを受け取ると、アタカとルル、そして何故かソルラクを伴ってブラストの元を訪れた。


「五万シリカ、確かに用意してきたよ!」


「……ほう? まだ四日しか経ってないが」


 カクテが無言で一万シリカ札を五枚取り出してみると、ブラストは感心したように眉を上げた。


「では、確かに」


「でも、これは渡さない」


 紙幣に伸ばされるブラストの手を避けるように、カクテはそれをぴっと取り上げた。


「どういうつもりだ。誓約書も、この通り作っただろう」


 じっとカクテをねめあげ、ブラストは誓約書を取り出すと、低く唸るように声をあげた。


「でも、それは何の効力も持たないんでしょ?」


「ほう……何故そう思う」


 勝ち誇るようにカクテがそう言うと、ブラストは愉快気に口の端を持ち上げ、問う。


「だってあんたの名前が、書いてないじゃない!」


 誓約書は互いの名を持ってはじめて効果が確約されるものだ。名前さえ本人によって書かれていれば、それは公的な文書となり、法によって保護される。


 そして、『ブラスト』は、彼の名前ではない。ただの通称だ。彼の本当の名は左腕の魔によって喰われ、失われた。つまり彼は元々口約束以上の誓約は出来ないのだ。


「なるほどな……確かに、お前の言う通りだ」


 ブラストは喉の奥で笑いながら、タバコを灰皿に押し付ける。


「しかし青二才、それはかえって高くつくかも知れんぞ。

 小僧、言ってみろ。誰の入れ知恵だ?」


「……ナガチさんと言う、知り合いの竜使いの方です」


 隠しても仕方ない。そう思い、アタカはそう答えた。五万シリカを用意した上で、相手の不備を指摘してやれば金を払う必要もなく、面目も保てる。それがナガチの言い分であった。


 ルルとしては、たとえ口約束でも約束は守るべきだと思う。しかし現実として金額は足りないのだから仕方がない。実際に誓約を交わした当事者でもないこともあって、ルルは不満に思いつつも口出しできなかった。


「……よりにもよってあのナガチか……

 となれば、五万全部用意したわけではあるまい。幾ら借りた?」


「二万、ですが……」


 苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべるブラストに動揺しつつ、アタカはそう答えた。


「三万自前で用意したか。ならまだマシだが……

 さっさと返して来い、今すぐにだ」


「え、でも」


「良いか、奴の貸す金は日に一割、しかも借りた瞬間に一割つく。

 額面二万借りたのなら、実際に貸された金額は1割り増しの22000、

 返すときには更にもう一割ついて24200シリカだ。

 しかもアイツは間違いなく情報料だの手数料だのを要求してくるぞ」


「なっ……」


 カクテが、絶句する。


「あの男は私の様に甘くはないぞ。

 金はキッチリ取り立てるし、逃げ場など用意せん」


「……アタカ、クロ貸して」


 呟くや否や、酒場を飛び出そうと踵を返すカクテの前に、すらりと長い身体が立ち塞がった。


「全く、人の事をよくもまあ好き勝手に言ってくれるものだね」


 小柄なカクテが視線を上げてみれば、細く長いその身体の先についていたのは見覚えのある胡散臭い顔つきに細い瞳。


「ナガチ!」


「ま、言っている事は概ね合っているのだがね」


 たった今話題になっていたばかりの男が、そこに立っていた。


「ナガチ! 今すぐ、お金返す!」


 カクテは一万シリカ札を2枚突き出し、ナガチに見せ付ける。


「おや、そうかね? そんなに急ぐことはないが……まあ宜しい。

 しかしお嬢さん、それでは額が足りないな」


「……二万四千って言うんでしょ」


 唸るように言うカクテに対し、ナガチはにこやかに首を横に振った。


「いいや、お嬢さん。ワタシがキミに貸したのは五万シリカだ。

 しっかりと記録も残っている」


 ナガチは小さな石を取り出すと、魔力を篭めてスイッチを押した。封音珠……音を録音、再生できる呪具の一種だ、とアタカはすぐに気がついた。


『どうせ見せ付けるなら、一万シリカ札が良いだろう?

 ほら、持って行きなさい。何、すぐに返してくれればいいさ。

 ……はい、三万お預かりして、こちらが、五万だ』


 そんなカクテとナガチのやり取りが、封音珠から流れる。カクテはわなわなと、己の手の中の紙幣を見つめた。


「キミに貸した金は一割の利子を入れて五万五千。

 返すのなら更に利子を入れて六万とんで五百シリカ。

 ついでに、預かり賃として預かった三万シリカの一割と、

 ブラストの誓約書に関する情報量を、まあ額面の二割でいいか。つまりは一万。

 ソルラクの仲介量に一万シリカを入れて…83500シリカ頂こうか」


「赤字じゃないの! そんな話が通るわけないでしょ!?」


「通るさ」


 低く鋭く、ナガチは言った。その懐から取り出されるのは、カクテの名前の書かれた何枚もの誓約書。


「嘘……あたし、そんなの書いてない!」


「書いたかどうかは重要ではないのだよ、お嬢さん。

 大事なのは、ここにキミの筆跡のサインが書かれた誓約書が……」


 途中まで並べ立てたところで、ナガチは地面に昏倒した。まるで雷光の様な速さで、ソルラクがナガチを打ち倒したのだ。


「これで、無くなった」


 誓約書をビリビリと破り捨て、ソルラクは短くそういい捨てる。酒場にいた誰もが、彼のその行動とその余りの速さ、強さに唖然とした。


「え、ちょっと……いいの?」


「いい」


 どうせ真っ当な方法で作ったものではない。ならば、真っ当でない方法で無効にしたとて問題ない。そう言わんばかりに、ソルラクは頷き、酒場を出る。アタカ達は慌てて、その後を追った。


「……いつから慈善事業なんて始めたんだ?」


 その場に残され、したたかに打ち付けた顔を擦りながら起き上がるナガチに、ブラストはそう声をかけた。


「まさか。ワタシが追い求めるのは常にカネ。それだけですよ」


 服についた埃を払い、ナガチはブラストの対面に腰掛ける。


「ああするのが最終的に一番儲かると、私の勘が告げているのですよ」


 タダ同然の捨て値で大量に魔力結晶を売り捌く竜使いの噂は、すぐにナガチの元へと届いた。そんなことをされれば商売が上がったりどころか、市場そのものが崩壊しかねない。


 一体どこの馬鹿がそんな真似を、とコンタクトを取ってみれば、ソルラクは多少幾つかの難点はあるものの、実に純朴で、そして何より凄まじいまでの強さを持つ少年であった。


 ナガチは最底辺の竜使いである。適合率は低く、竜扱いも下手。何より己の竜すら道具の一つとしか見ていない。おまけに性格も悪ければ評判も悪い。


 しかし、その商人としての才覚、特にものを見る目には驚嘆すべき物を持っていた。


 彼は、ソルラクを見誤らなかった。その値打ち、利点と欠点を正確に見抜き、最初に思い浮かべたのがアタカであった。ひたむきで勇気に溢れ、人を惹き付ける何かを持っている彼が、唯一もたないもの。それは、強さ。心ではなく身体の、己の意を通す為の力だ。


 持たぬものに、求める物を提供するのが、商人の生業である。何故ならそこには必ず価値が生まれ、価値は常にカネに換算できるからだ。それが証拠に、彼らはいとも容易く北ゲブラーの竜を倒してきた。一流と称される竜使い達ですら避ける竜をだ。


 万一死んだとしても、それはそれでそこまでの話よ、と思っていた彼にとって、あの程度の傷は『容易く』の範疇である。誰一人欠けず、回復不可能な傷さえ負わず帰って来た。実に笑いの止まらぬ話である。


「彼らの結びつきが、いかなる利益をもたらすのか……

 考えるだけで、実に楽しみですよ」


 ただ一つ後悔があるとすれば、それは……


 あの男に、手加減と言う物をもう少し学ばせておけば良かった。


 笑おうとして痛みの走る頬を一撫でし、ナガチはそう思うのだった。

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