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第09話 5万シリカ-8

「あのさぁ」


 カクテはため息をつき、どうしたものかと考える。


「馬鹿じゃないの。ほんっと、ばっかじゃないのっ!」


 とりあえず、思いつくままに、彼女は目の前で正座するソルラクを罵倒した。


 ほんの数分前。激闘の末シーサーペントを切り倒したソルラクの目に映ったのは、マカラに飲み込まれるウミとカクテの姿であった。考える猶予などない。ソルラクは気付けば、海面に向かって落下を始めるマカラの口内へと突っ込んでいた。


「何であんたまで来てんのよ……!」


 今いる場所は、まさにそのマカラの口の中。ともすれば胃の中かもしれないが、辺りは殆ど真っ暗な上、竜魚の内臓知識などあるはずもないのでどこかはわからない。そんな中、空気膜を張るウミの背中の上で、ソルラクは正座していた。自発的に。


「助けるならアタカ達の方助けなさいよ!

 っていうかこっち来たってどうしようもないでしょうが!

 何考えてんの!?」


 何も考えてませんでした、とは言えないソルラクである。


「っていうか何にも考えてないでしょ!」


 そしたらそれは、あっさりと看破された。


「最初会ったときから、何と無く思ってたんだ……」


 カクテは、あまり物事を深く考えない性質である。今までの人生でそれほど深刻に思い悩んだり考え込んだりした事はなく、常に直感で生きてきた。そして、その直感が、彼女に告げている。


「あんた、あたしと同じで細かい事考えない奴でしょ!」


 ビシッと指をさせば、表情は変わらないものの何と無くソルラクは嫌そうな雰囲気を醸し出した。心外だとでも言いたそうな感じだ。


「アタカやルルは慎重だし頭良いから、あんたが何か企んでるんじゃないかとかそんなこと心配してたけど、そんな小難しいこと考えられる頭してないんでしょ。何考えてるかわかんないんじゃなくて、何も考えてないんだ」


 そんな事を言われ、ソルラクは何とも複雑な心境になった。言われている事は大体当たってるし、誤解されないのはありがたい事だが、断じて素直に認めたくない何かがあった。


「……でも、ま」


 そこでカクテは語調を和らげると、まるで手の平を返すかのようににこりと笑った。


「ありがと。全然役には立たないけど、それでも、来てくれて助かった。

 あたし一人だったら、心細くて泣いちゃったと思う」


 口は悪いが、素直に礼を述べる彼女に、ソルラクは瞠目した。ソルラクから見ると、怒られてばかりの印象を持つ彼女がそんな風に笑顔を見せるのは違和感があった。


「にしてもこの状況……どうしようぅぅ~……」


 かと思えば、膝を抱え込んで涙目になる。目まぐるしく変わる感情と表情に唖然としながらも、ソルラクは何と無く、彼女の性格を掴んだ。ある意味、これ以上なく素直なのだ。


 カクテがソルラクに対して怒鳴ったのは、照れ隠しやポーズではない。単純に、無駄についてきた彼に対して腹が立ったから怒鳴ったのである。しかし、そうしてくれた事に対する安堵と感謝も同様にあり、我に返れば現状に泣きそうになる。


 どれも生のままの感情に従った結果であり、相反するそれらはカクテの中では何一つ矛盾しない。心の底から、怒り、喜び、悲しんでいるのである。自分とは正反対の生き物だ、とソルラクは思った。


 彼は何一つ、そう言った感情を表現できない。傭兵として、か弱い人が竜に対抗する為に一番不要なものは揺らぐ心……即ち感情だからだ。そう言った物を押し殺す癖が身体の髄まで染みこんだ彼にとって、カクテはある種身近で、ある種最も理解不能な存在だった。


 ミシリ、と音を立て、ウミを包む空気膜が少し狭まる。


「……水圧が強くなってきた……マカラが潜ってるんだ」


 このまま行けばやがて、ウミの張った空気の結界も潰されてしまう。ウミはそれを張るのに手一杯で、体内からマカラを攻撃するような余裕は無い。ソルラクもジンから遠く離れた上に、竜の身体と海水で遮られ、その身の強化は解けてただの人並みの力しかない。試しに斧槍を振るっては見たが、柔らかい内臓壁にさえ突き立ちもしない。


 アタカ達が外からマカラを倒してくれるのだけが唯一の望みだが、水圧からして随分深く潜っているようだ。海面に出ればともかく、海底に沈むマカラを倒す余地は殆ど無いだろう。


「あーもう、ホント馬鹿」


 絶体絶命の危機に立たされ、カクテはもう一度ソルラクを罵倒した。


「何もアンタまで死ななくったっていいのに」


 それはやはり、心からの言葉だった。


「……強く、いろ」


 ソルラクは斧槍を握り締め、そう呟いた。


「なにそれ」


「親父の、言葉だ」


 端的に答えるソルラクに、カクテは首を傾げた。強くなれとかならわかる。が、強くいろ、はいまいち良くわからない。精神的な意味合いだろうか?


「どういう意味?」


 カクテは早々に思考を放り投げて問うた。ソルラクは斧槍を振るい、マカラの胃壁を突く。しかしやはり、人の力では傷一つつかない。


「知らん」


 気にせず、ソルラクは何度も何度も斧槍を振るいながら答えた。


「知らんって……聞きなさいよ! あんたは親にまで……」


「聞けん。死んだ」


 カクテの怒鳴り声は、淡々と答えるソルラクの言葉に急速に勢いを失い、すぐに消えた。


「……まあ、そうよね。竜使いなんてやる人間は、大体そんなもんだし」


 両親が健在、という竜使いはそれほど多くない。安全な街を捨て、命を賭して外の世界に出る人間には、それなりの理由があるのだ。


「謝らないからね。あたしだっていないし」


 アタカやルルだって、同様だ。親がなくとも竜使いを目指す子供には、市から保護を受けられる。二人は元々望んで竜使いになった例だが、それしか道がなかったものも多い。


 ソルラクは答えず、ただ斧槍を振るう。しかしそれは、何よりも雄弁な答えであった。無駄だと知りつつ現実から逃避しているのではない。最後まで諦めぬ不屈の意思を持っているわけでもない。


 彼はただ、言われた通りにしているだけだ。強く。強く。ただ、強くあろう、と。その意思だけを研ぎ澄ませ、生きてきた。そして、強者たる彼が、目の前の敵を倒そうと戦っている。ただ、それだけの事なのだ。


「あたしはさ」


 サボテンにでも話しかける面持ちで、カクテは斧槍を振るうソルラクを見やりつつ、顎を両手で支えながら言った。


「海の向こうが、見たいんだ」


 海はどこまでも雄大で、果てしない。物心ついた頃からずっと海ばかりを見てきた彼女の知るのは、そう言った海だ。


 遠洋に乗り出そうとすれば、大きな船なり海竜なりがいる。しかしそうすれば、野生の竜の格好の的だ。どれだけ強い竜を従えようが、編隊を組もうが、昼夜を問わず海中から襲い来る竜魚達を相手に戦い続ける事はできない。そんな理由で、この大陸から他の大陸へと行き来する事はできない。


 しかし、あるはずなのだ。『外人』がいるからには、かつては行き来できたはずの、他の大陸が。カクテは海を見ながら、ずっとその先へと思いを馳せていた。


「だからあたしは、ドラゴン・ロードを倒したかった。

 倒して、新しい大陸を探す旅に出たかった」


 ……何を語ってるんだろうな、と、カクテは自嘲する。いずれにせよ、彼女の旅はここで終わりだ。新しい大陸どころか、この大陸さえ全て見る事無く終わる。


「邪魔だ、どけ」


「聞けよ! 人が最後に夢語ってんだから!」


 追い払うように斧槍の柄を振るソルラクに、カクテは怒鳴る。


「後で聞く」


 ソルラクはやはり表情一つ変えずそう答えると、ポケットをごそごそと漁った。


「リターンディスクなら無駄よ。こういう竜のお腹の中とかは、

 一種の結界みたいになっててそれ効かないの」


 この前の『門』の先で学んだ経験だ。念の為先程割っては見たが、やはり無駄だった。


 しかし、ソルラクが取り出したのは、リターンディスクの白い宝珠ではなく、黒い輝きを持つ魔力結晶だ。


「ん? なんの結晶だっけ、それ。どっかで見たような……」


 ソルラクは竜の胃壁に斧槍でつけたほんの小さな穴にそれを埋め込み、その名を呼ぶ。


「『ラプシヌプルクル』リリース」


 それは、彼がアタカ達に返そうとずっと持っていた魔力結晶。その全身に毒を纏う、翅持つ神の結晶だった。






「アタカ! カクテが……」


「うん……それに、ソルラクも、入っていった」


 小船が波にさらわれる一瞬前。竜魚の口に飛び込んでいく黒い影を、アタカははっきりと見ていた。


「ソルラクも……?」


 アタカはクロと協力して小船をひっくり返し、海面に浮かせながら頷いた。幸いにも船は見た目より頑丈に出来ているのか、大きな破損もなくまだ使えそうだ。アタカはクロの背に乗り船に上がってルルを引き上げ、クロを魔術で持ち上げた。


 竜魚の口に飛び込む寸前、ソルラクの目はアタカの方へと向けられていた。死地へと飛び込む瞬間だというのに彼の表情にはやはり一切の感情がなく、いつも通りの鉄面皮。だが、その瞳には、確かに意思の輝きがあった。


 ようやく、アタカは思い出す。ソルラクのその目に感じる既視感の正体を。


 アタカはクロの毛並みに手を伸ばし、水を梳き落とすかのように撫でた。クロは振り向き、アタカの顔を見る。アタカに振り向き、『なぁに?』とでも言いたげに向けられるその瞳こそ、既視感の正体。言葉を使えぬ竜が見せる、精一杯の意思表現だ。


 ようやく答えに辿り着き、同時にアタカは頭を抱えた。ソルラクは無口だが、聾唖ではない。その声、言葉は今まで何度も聞いた事がある。伝えたいことがあれば声に出せば良いのだ。何故そうしないのか、アタカには全く理解が出来なかった。


 それを置いておいたとしても、アタカがクロと意思を疎通できるのは四六時中共に生活し、互いに信頼を築いたが故のことである。あってまだ日も浅く、ロクにやりとりもかわしていないソルラクの意図を目から読み取れといわれても実に困る。


 ましてやほんの一瞬交わされただけの視線で何かを読み取るなど完全に不可能だ。


 一体彼は何を伝えたかったのか……悩むアタカの目の前に、マカラが再びその姿を現した。


「アタカ……!」


「大丈夫……大人しくしていれば、気付かないはずだ」


 ぎゅっと服の裾を掴むルルの頭を押して、アタカは船の縁に身を隠した。竜達が反応するのは、己の縄張りに竜が侵入するからだ。無論、人間が襲われないわけではないが、あれだけの巨体。騒ぎ立てなければ、小さな人間のアタカや、強い力を持たないクロなら見つからない可能性の方が高い。パピーの数少ない利点である。


 しかし、マカラはアタカの予想を超える動きをした。


 マカラは一直線にクラーケンと交戦を続けるディーナ達へと突き進むと、彼女らを無視してクラーケンの本体に思い切り体当たりを加えたのだ。


「同士討ち……!?」


「……ううん」


 ソルラクからジンへ。そしてジンからディーナへと伝えられた情報に、ルルは首を横に振った。


「あれ、ウミだって……」


 伝えられたそれに、アタカは何とも言えない表情を浮かべたのだった。






「いけー!」


 いまやマカラとなったウミの背びれにしがみ付きながら、カクテは腕を振り上げ上機嫌で叫んだ。猛毒をその全身から発するラプシヌプルクルの結晶を解放すれば、苦しんで吐き出すくらいはするのではないかと期待したが、そのまま絶命したのは誤算であった。


 予想以上にクロの放った雷撃のダメージが蓄積していたことと、全方位に放たれる毒素を体内から余すところなく吸収させられた事が主な原因だ。


 しかし、それはソルラク達にとって歓迎すべき出来事ではなかった。マカラの体内にいた為に多少は分散されていた水圧が一気にかかり、ウミの力では支えきれなくなったのだ。カクテは瞬間的にマカラの魔力結晶を使い、その難を逃れた。彼女の技量でギリギリ扱えきれたのは僥倖と言っていいだろう。


 そして、マカラの魔力を使って自分とソルラクを保護すると、彼女は苦戦しているというジンとディーナの加勢に打って出た。


 そして、現在に至る。


 クラーケンはその触手を全て伸ばし、ウミの巨体に絡み付いて締め上げる。ウミはその長い鼻でクラーケンを殴打しつつ、喉元に齧りついていた。クラーケンの全容は、奇妙な姿をしている。その顔はトカゲか蛇に近い印象で、首の下には胴があり、腕や足の変わりに何本ものタコやイカの様な触手が生え揃っていた。


 その触手を、ディーナが飛び回り、ジンが切り裂く。締め付けが緩めばウミはその分クラーケンの頭を鼻で引き寄せより深く喉笛に齧りついた。巨大な二頭の竜の争う様はそのまま大災害の様なものだ。アタカとルルは激しい波に翻弄される小船に、必死の思いでしがみ付く。


「ソルラク」


 膠着状態に陥った二頭の竜の背の上で、カクテは隣の男の名を呼ぶ。ソルラクは答えず、しかしカクテに視線を向けた。


「やって」


 カクテが指を指し示し言うや否や、ソルラクは風のようにウミの身体の上を駆けた。海上に出て、ジンとの繋がりを取り戻した彼の動きは竜にも等しい。それにあわせ、ぐいとクラーケンの頭を引き上げるウミの力を借りて、ソルラクは全力でクラーケンの眉間に斧槍を叩き込んだ。


 途端、弾ける様にクラーケンの全身が魔力の粒子となって辺り一面に散る。宙を舞う魔力結晶をジンが素早く受け止めた。


「やったぁ!」


 ウミの上で、カクテは諸手を振り上げて快哉を叫ぶ。


「やった、じゃ、ないわよ、馬鹿ぁー!」


 余波を食らって再び船が引っくり返り、海に放り出されたルルが、叫んだ。

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