第09話 5万シリカ-4
「やっほー!」
荒れ狂う波のうねりの上を飛び跳ねるように竜を操りながら、カクテは機嫌よく叫んだ。周りに広がるのは、どこまでも続く海。彼女の行く手を遮る物など何一つ無い、無限の大海原だ。
「ねぇっ、このまま新しい大陸を探しにいってもいいかな!?」
「いいわけないでしょっ!」
ウミの尾に結わえたロープで引かれながら、水面を跳ねる小船にしがみつくようにしてルルは何とかそれだけ怒鳴った。流石に冗談だと思いたいところだが、彼女の場合本気でこのまま新大陸捜索の旅に出かけかねない。
ウミの首の上でご機嫌な彼女とは裏腹に、小船の上は実に剣呑な雰囲気に包まれていた。
全力で戦っても疑われ、かといって手を抜けば汚名を濯ぐ事が出来ない。一体どうしたらいいのかと悩みに頭を抱えるソルラク。
一体どういう意図なのか、何を企んでいるのか。警戒しつつも、アタカだけは何があっても守ろうと決意を心に秘めるルル。
そして、その二人の顔を交互に見ながらも、判断出来ずに迷うアタカ。
その三人が、互いに手を伸ばせば届くほどの距離で船に乗っているのだ。元々小さなその船の上は、更にクロとジンが乗り込んだために非常に狭い。更にカクテの乱暴な運転で揺れに揺れ、雰囲気は最悪であった。
「カクテ、もうちょっと何とかならないの!?」
悲鳴のように、ルルが声を上げる。
「待って、後ちょっと……!」
手綱を操るカクテの目の前に、一際高い波がせりあがった。見上げるほどに高くそびえるそれはまさに壁。逃げ場はどこにもなく、下手をすればアタカ達の乗る小船程度ならバラバラにされてしまいそうな速度で迫ってくるそれを前に、カクテは覚悟を決めた。
「突っ切るよ!」
「嘘、ちょっと待っ――」
船の上の三人が覚悟を決める暇もなく、カクテは波に真正面から突き進んだ。
大量の海水が頭から降りかかり、視界が水で埋め尽くされる。波に持って行かれそうになる身体を、アタカ達は必死に船にしがみ付いて堪えた。
「あははははは!」
永遠に近い長さで感じる一瞬の後。ウミと船は波の中を抜け、青い空の下に飛び出した。カクテは長い三つ編みの先から水を滴らせながら、これ以上ないほど愉快げに笑う。
「もう! カクテ!」
同じように全身ずぶぬれになり、ルルはぎゅっと髪を絞りながら怒鳴った。
「ごめんごめん、でも、ほら!」
カクテが示す先に広がるのは、今までとは打って変わって穏やかな光景だった。水平線まで続く、青い海。その境からは、抜けるような青空。水面は日の光を反射してきらきらと光り、見渡す限りに広がる蒼は何よりも雄大で、美しかった。
その光景に文句も忘れ、ルルは思わず見入る。
「ね。いいでしょ?」
その様子を見て、カクテはにかっと太陽の様な笑みを浮かべた。
「……うー。潮水は洗うの大変なんだからね」
不満げにそういいつつも、彼女の語調は勢いをすっかりなくしていた。
「……なんで波はあんなに高かったんだろう?」
四人揃ってその光景に見入る中、ぽつりとアタカはそう呟いた。
「え?」
「だって、ほら……全然波が無い」
辺りは見渡す限り凪いだ海。先程まであれほど荒れ狂っていた場所とは、とても思えなかった。
「沖合いに出たから感じないだけじゃないの?」
無論、波が全く無いわけはなく、船は今もゆっくりと上下している。しかし、ついさっきまで船自体が波を上から被るほど荒れ狂っていた海が、突然凪ぐのは不自然なように思えた。嵐を抜けたのならまだわかるが、空はずっと晴れ渡った雲ひとつ無い良い天気のままだ。
「一体なんで……」
アタカは首を捻りながらも船の縁に立ち、海を覗き込む。すると、その顔からすぐさま血の気が引いた。
船全体を覆って余りあるほどの巨大な口をぱっくりと開け、恐ろしく大きな竜魚が水面へと泳いできていたのだ。
「カクテ、全力前進!」
「へ?」
「ウミ!」
呆けた様に振り向くカクテに埒が明かないと感じ、直接その竜の名を呼ぶとすぐさま船は水面を滑り出す。が、その直後に左右から黒い壁の様なものが立ちのぼった。左右二対の壁はアタカ達を挟み込むように現れると、あっという間にせりあがり、天を衝くかのように聳え立つ。
壁のふちには鋭い剣のようなものが幾つも並び、互いに重なり合ってアタカ達を取り囲む。竜魚の口だ、とアタカが認識する頃には、ソルラクとジンが船を蹴り左右に跳躍していた。
閉じようとしている上下の顎にその得物を強烈に叩きつければ、城壁の如きその顎が大きく弾かれ、開かれる。その隙に、ウミは竜魚の口の中から急いで脱出した。
「ソルラク!」
しかし、ソルラクは竜魚と共に水中に没する。彼なら死にはしないだろうが、それでも水中で竜魚と格闘して勝てるとは思えない。
「ルル、ソルラクを助けて!」
彼女の雨龍なら、海水を操りソルラクを助け出すことも不可能ではないはずだ。
「駄目……!」
しかし彼女は、アタカとはまるで別の方角を見つめていた。その視線の先、海面から首を出すのは先ほどの竜魚とは別の竜。蛇の様な顔と魚の様なエラを持つ竜が、その鎌首をもたげてこちらへ大きく口を広げていた。
「クロ、防壁!」
「ディーナ、守って!」
蛇に似たその竜が口から、凄まじい勢いで水を噴出した。棒状に放たれた高圧の水流はまるで槍の様。それが船に届く寸前、クロとディーナの張った防御結界が何とか間に合い、攻撃を防ぐ。
「シーサーペントだ!
名前の通り海に生息する大蛇で、体長は少なくとも全長6メートル以上!
亜種に、湖に生息するレイクサーペントや沼に生息するスワンプサーペントなんかが」
「今そんな話はどうでもいいでしょ!?」
問われて思わず知っている知識を披露するアタカに、カクテは手綱を操りながら怒鳴った。
「6メートル……なんて大きさじゃなさそう」
再び海中へと潜っていくシーサーペントの長さは、どう見てもその5倍はある。
「アタカ、あっちも!」
カクテが悲鳴を上げる。その視線の先を見れば、さらに別の竜が波間から顔を出していた。シーサーペントに似て細長い身体を持つが、それよりは小さく細い。しかし、その数は十匹以上。
「なんて数……」
焦燥を滲ませた声を上げるルルに、アタカは首を横に振る。
「違う、あれは一匹だ」
何本も突き出たそれは、細長い竜ではなく触手。その根元は全て繋がっており、本体は海中深くにいるはずだ。
「クラーケン……!」
イカやタコのように、何本もの触手を持つ竜。その触手の一本一本が、大型の竜に見まごう程に太く長い。ましてやその本体の巨大さなど、考えたくもなかった。
姿を現した二頭の竜に呼応するかのようにして、アタカ達の背後で竜魚が海面を大きく跳躍した。今度は頭だけに留まらず、凄まじい勢いで胸、腹、そして尾が現れ、竜魚はその身を完全にアタカ達の目の前に晒す。
「マカラ……」
まるで象の様に長く伸びた鼻に、蛇の様にとぐろを巻く尾はあまり魚らしくない。口には牙がサメの様にずらりと並び、全身は鱗で覆われている。そして何より、その巨大さ。目算で軽く50メートルはある。先日戦った翼の無い巨竜すら比較にならないほどの、恐ろしい体躯である。
「どうすんのよ、これ!」
三頭の竜に囲まれ、手綱を握り締めながら、カクテは絶望的な声を上げた。




