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第09話 5万シリカ-3

 名前を呼ばれ、しかしソルラクは答えず、何を言うでもなくじろりとアタカを睨んだ。それに応える様にアタカは彼の瞳を見つめ返す。緊迫した空気が流れ、


「あー、確かにコイツ強かったもんね」


 それを、カクテの能天気な声が思いっきり破壊した。


「カクテ……」


「え、何?」


 彼女は気が短く怒りっぽいが、同時にその怒りを持続させると言う事が出来ない。それはある意味得難い長所であり、ルルも気に入っているが、こういった時にはどうかと思うのも事実であった。


「その通り。キミ達と彼が組めば、北ゲブラーの竜と言えども怖れる事は無い。

 そして魔力結晶を持ってきてくれれば、私の伝手でそれを売り捌く。

 無論、先ほどアタカ君が言った通りマージンはいただく。

 それでも、市井の結晶屋に売るよりは君達の取り分は多くなると約束しよう。

 どうかね?」


 アタカはもう一度、ソルラクを見た。相変わらず、その表情からは何を考えているのかは全く窺い知れない。しかし彼が、アタカ達より遥かに強いのは疑いようのない事実だ。あれから一ヶ月あまり。アタカも強くなったとは思うが、あの時のソルラクにすら追いついたとは思えない。そして、ソルラクもまた成長しているはずだ。


「……わかりました。その仕事、請けます」


「結構」


 にんまりと笑みを浮かべ、ナガチはうなずいた。






「……どう思う?」


 ケセド平野をのしのしと歩く吉弔の背の上。並んで座りながら、ルルはアタカにそう問うた。


「大丈夫だとは、思うけど」


 100%とは言いがたい。煮え切らない様子で、アタカはそう答えた。レースの裏で抜け目無く賭け事をしていたナガチのことである。何か隠していてもおかしくはないが、今回の仕事はどう転んでもナガチの損にはなりえない。


「悪いけど、私はちょっと信じられない」


 小声で、ルルはそうアタカに囁いた。カクテはウミの首に取り付けた鞍で手綱を取っており、ソルラクとその竜はウミの横を歩いて付いてきている。この程度の声量なら聞こえないはずだ。


 ルルとて、人を疑いたくなど無い。しかし彼女にとって、ソルラクは横から魔力結晶を奪い取っていった相手である。竜使いの中での評判も非常に悪く、彼が誰かと組んだと言う話はついぞ聞かない。


 そんなソルラクがあのナガチと繋がり、わざわざパーティを組んでくるとなれば疑うのも致し方ないことだ。アタカ達を囮にして強敵を倒し、魔力結晶を横から強奪、利益を独占する。ルルはそんな想像をした。


「……うん」


 アタカはと言えば、その心は信と不信の間とで揺れていた。ルルの言いたいこともわかる。以前ブラストの言っていた通り、アタカの能力は今後どんどん頭打ちになり、伸び悩むだろう。それは即ち、ナガチの言い方で言えば『金にならない』人間になると言う意味だ。


 ここで彼がアタカを見限り、使い捨てにする可能性は大いにありうる、とは思う。彼の事を言われているほど悪人だとは思わないが、だからといって善人では決して無い。流石にアタカを殺して金を奪うまでの非道は働かないだろうが、魔力結晶だけ奪っていくくらいの事はやりかねない。


 だが、なぜかアタカはその可能性をあまり真剣に考える気にはなれなかった。それは、ナガチというよりむしろ、ソルラクへの印象だ。


 ソルラクは、強者である。それは間違いない。アタカの身の回りの竜使い達を冷静に見比べれば、親しい仲でもっとも強いのはイズレだ。その次にルル、カクテと続き、最後にムベ。一対一での戦いと言う条件であれば、アタカは更にその下だ。


 しかし、そのイズレでさえもソルラクと戦って勝つ方法は思い浮かばない。ソルラクはそれほど強いのだ。


 そして、その彼の強さと、魔力結晶を横取りしていくと言う行為が、アタカの中ではどうしても噛み合わなかった。そんな事をせずとも、彼は単独で簡単に魔力結晶を集められるはずだ。


 しかし、彼がアタカ達を叩きのめし、悠々と結晶を奪っていったのは事実である。単純に、強さとは無関係にそういった行為を楽しむ、捩れた性格をしているのかもしれない。そう考えても、何故か彼の心には言葉にし難い違和感が残るのだった。






 一方、その隣を変わらぬ無表情で歩きながらも、ソルラクは内心頭を抱えて蹲りたい衝動に駆られていた。


(やはり……警戒されているな、主よ)


 念話でそう語りかけてくる愛竜、ジンに彼は無言でうなずく。


『私はちょっと信じられない』


 小声で囁かれたルルのその言葉は、竜の鋭い聴覚によって彼らには思い切り聞かれていた。


(いや……このタイミングでは、やめたほうがいいと思うぞ、主よ)


 今からでもラプシヌプルクルの魔力結晶を返すべきだろうか。そう思い悩むソルラクに、ジンはそう意見した。幾らなんでもこのタイミングで返すのは白々しすぎる。何より、彼が上手い言葉で謝罪できるはずが無い。


(と言うか、まだ持ってたのだな、それ)


 当然だ、とばかりにソルラクは頷いた。意図せずとは言え、他人から奪ってしまった物を勝手に売れるはずがない。いつか返す日が来るかもしれない、と背嚢の奥底に大事に保管してある。


 今更返されても要らないのではないだろうか、と言う言葉を、ジンは飲み込んだ。そんな事を言っても主人を更に戸惑わせるだけで、何も変わらないであろう事が安易に予測できたからだ。生真面目で融通の利かないこの主人は、何を言おうが、どんな状態になろうがその結晶を売ることは無いだろうし、返す機会を窺い続けることだろう。


 そういう意味では、今回は絶好の機会ともいえる。何とか誤解を解き、信頼を得なければ、とジンは意気込んだ。パピーだった頃の記憶はおぼろげだが、この三人には記憶がある。ラプシヌプルクルの件より前の話だ。心当たりはないかと尋ねれば、ソルラクからは『同期だ』との答えが返ってきた。


 同期。しかもうち二人は同年齢。実にすばらしいことである。もし彼らに混じることが出来たなら、ソルラクも色眼鏡で見られる事が無く……いや、高望みはすまい。多少は減るのではなかろうか。と、ジンは思った。実に主人の事を理解している竜である。


(こうなれば、働きを持って認められるしかあるまい)


 ジンの言葉に、ソルラクは目から鱗が落ちたと言わんばかりに表情を輝かせた。と言っても、他人から見ればほんの僅か目を見開いた程度の変化で、ソルラクの顔を見慣れたジンで無ければ変化自体に気づけない程度のごくささやかなものだ。


(……主よ、あまり張り切り過ぎないようにな?)


 何だか嫌な予感がする。俄然やる気を出した様子のソルラクにジンはそう伝えたが、熱意に満ち満ちた彼には聞こえていないようであった。






「海だーっ!」


 竜の背に揺られること一時間。ようやく海岸へと辿りつき、カクテは嬉しそうにそう叫んだ。歩いて、とはいっても巨体を持つ吉弔の姿である。その速度はゆったりとした動きに反してかなり速い。時速40キロ程度は出ているだろう。それに徒歩で付いてきながら、汗一つかいていないソルラクを見てアタカは内心瞠目した。


「それにしても、凄い波……」


 風になびく長い髪を抑えながら、まるで壁の様に打ち付ける激しい波を見て、ルルはそう呟く。


「この船で大丈夫かな?」


 視線を移すその先には、ウミの甲羅に縛り付けられた小さな船。海上での戦いの為、とナガチが貸してくれたものだった。しかし海岸に打ち付ける波は高く激しく、とてもではないがこの小船で何とかなりそうには見えない。


「ま、沖に出れば何とかなるでしょ。それまではウミで……」


 カクテがそう言いかけると同時、波間から大きな影が姿を現した。長い首、太い脚、そしてその背を覆う竜の鱗。……吉弔だ。しかも、南ゲブラーで見たものより二周りほど大きい。


 初っ端からの大歓迎に、アタカは身構えすぐさま対処方を巡らせた。流石に初めての戦いのときの様な博打を打つわけには行かない。ウミを盾にしつつ、効果的にダメージを与えなければ。


 一瞬でそこまで考えを纏める彼の横を、黒い影が走った。ソルラクだ。


「待って、ソルラク……!」


 足並みを揃えなければ倒せるものも倒せない。そういいかけるアタカの前で、ソルラクの斧槍が吉弔の首をかちあげ、同時に振り下ろされたリザードマンの曲刀が竜鱗甲の結界で防御されているその首をいとも容易く切り落とした。


 空中でそのまま魔力結晶をその手に収め、ソルラクは何事もなかったかのように戻る。しかしその内心は、上出来だ、と自画自賛していた。こうして率先して力を示し、更に魔力結晶を渡せば疑いも晴れるはずだ。


 そう思い結晶を渡そうとして、彼はルルが鋭い視線を向けている事に気付いた。


 それがまごうことなき疑いの視線であることに気付き、ソルラクはうろたえる。どういう事だ、とジンを振り向けば、そちらも良くわからないようで戸惑う感情が伝わってきた。


「……アタカ、やっぱりおかしい気がする」


 小声で伝える彼女の声を、ソルラクは全身を耳にするかのような心持で全力で捉える。


「あんなに強いのに、何で私達の協力が必要なんだろう……」


 その言葉に、ソルラクは愕然とした。


(やりすぎたか……)


 抱いていた漠然とした不安が的中した事を知り、思わずジンは空を仰ぎ見る。どうしてこうなってしまったのか。ソルラクは魔力結晶を渡すタイミングを完全に逃し、吉弔の結晶を握り締めたまま呆然と立ちすくんだ。


「さーて、じゃあ船を出すよ!

 ほら、あんたもさっさと乗って」


 そんな彼らの胸中を露とも知らず、カクテはうきうきとしながらそういった。愛竜にその名を付けるだけあって、彼女は海が大好きなのだ。彼女の目の前に広がるのは、荒れ狂う海。どこまでも続くその海原に、カクテは知らず笑みを浮かべる。


「それじゃ……出発進行~!」


 疑惑と絶望の気配が渦巻く中、彼女の声は場違いなほど陽気に響いた。

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