第09話 5万シリカ-1
「5万、ですか……!?」
提示された数字に、アタカは目をむき思わずオウム返しに聞いてしまった。5万シリカと言えば、二年は遊んで暮らせる金額である。
「使った弾の代金に、危険手当、それから『魔術』の使用料……
ついでに、講義代だな。奥の手まで晒したんだ。妥当な金額だと思うが?」
「そんなわけ無いでしょ!」
指折り数えるブラストに、カクテはバンとテーブルを叩いた。
「幾らなんでもぼったくりすぎ!
大体、あのイズレって人から1万シリカ貰ったんでしょ!?」
「では聞くが、お前は5万シリカ貰えばあの化け物と立ち向かうか?」
紫煙を吐き、紙巻きタバコを向けてブラストがそういえば、カクテはうっと言葉に詰まる。
「まあ確かに、こういった金銭契約は事前にするものであって、終わった後で
幾らだと言い出すのはフェアじゃあない。だからお前は、別に払う必要はない」
「……意外にいい人?」
「そんなわけないでしょう」
先程までの剣幕をあっさりと引っ込め後ろを向くカクテに、ルルは呆れたように息を吐いた。
「つまり、あの働きに幾ら払うか……
私とカクテの命に、幾らの値をつけるか決めろ。そういう話ですよね?」
「察しがいいな」
冷たい声でルルが問えば、面の皮厚く傭兵はニヤリと口の端を歪めて見せた。
「支払わないなら、お前達の命なんてのは所詮そこまでだっていう事だ。
……むしろ、格安だろう? その掛け替えの無い命に比べれば」
つまる所、彼が売ろうとしているのはアタカ達の竜使いとしての誇りである。上限を5万として、自らの命に値をつけろ、と言っているのだ。
「……いいじゃない」
低く、唸るように。カクテはブラストを睨みつけて、そう啖呵を切った。
「用意してやろうじゃないの、5万シリカ!」
「ちょっと、カクテ」
「ルルは黙ってて!」
「いつまでにだ?
こう見えても老い先短い身だ。数十年後に用意されても生きてはいまい」
「5万くらい、一週間もあれば十分よ!」
「良いだろう」
ブラストはタバコを灰皿に押し付け、一枚の書類を取り出すと、素早くそれに名前と金額、そして期限をしたためた。
「そら、ここに名前を書け」
くるりとペンを回して尻を向けると、カクテはそれを傲然と受け取り、ブラストの名の下に『カクテ』と書き記した。
「契約は成立だ……楽しみにしているぞ」
「……いこう、アタカ、ルル!」
どすどすと足音を立て、肩を怒らせて去っていくカクテを、ブラストは可笑しげに見送った。
「あまり若者を苛めてやらないでくれないか?」
呆れたようにかけられる声は、かつてこの店では聞きなれたもの。久しくこの店で聞く声に、ブラストは酒の入った杯を呷りながら振り向き……そして、豪快にむせた。
「何をやってるんだ、汚いな」
「な、何の冗談だ、その格好は……!」
「見てわからないか? ウェイトレスだ」
フリルのついたブラウスに膝上のミニスカートと言うコケティッシュな制服を見せびらかすようにしながら、イズレはそう答えた。化粧までしてそんな格好をすれば流石に女にしか見えないが、その実際の性別を知っているブラストからして見れば違和感しかない。
この酒場は、イズレの生家である。竜使いでありながら、イズレが傭兵達と面識を持っているのはそのためだ。竜使いになる前はこうして店で働いている事もあったが、その時はウェイターの服装をしており、男なのか男装の麗人なのかわからない、と言うのが常であった。
「……そっちで生きていく事にしたのか」
「ええ」
酒を飲み直しながら、頷くイズレを見てブラストは内心驚いた。はにかむ様にそうする彼女は、服装を除いてももはや女にしか見えなかった。
「あの小僧か?」
「いや、その連れの、大柄な方だ」
返ってきた意外な答えに、ブラストは先程以上に驚いて目を見開いた。
「……そういえば、いたな。そんなのも」
「いい男だぞ」
我が事を誇るが如く胸を張り、イズレは笑顔を浮かべる。
「……まあ、人の好みはそれぞれか」
呟きながらも、ブラストは思っていたより自分が感慨深い心境に至っている事に気づいた。生まれた子が両性具有だと、酒場の主から相談を受けたのが20年以上も前の事だ。命には別状は無いし、成長にも問題はない。そうは諭してやりながらも、人並みの幸せなど掴めぬだろうと思った。世は移り変わり、人も入れ替わり、いまや傭兵の中でイズレの秘密を知るものはブラストのみだ。
「そんなわけで、直接彼らに義理があるわけではないのだけどね。
多少、手心を加えてくれると助かる」
「手心も何も、相手が言い出したことなんだがな」
杯の中身を飲み干し、少女の切った啖呵を思い出してブラストは笑う。若さゆえの無鉄砲か、それとも5万シリカを一週間で掻き集める算段でもあるのか。どちらにしても、面白い。
「どぉしよぉ……」
「やっぱり……」
涙目で情けない声を上げるカクテに、ルルは前髪を掻き揚げる様にして額に手を当て、はあと息をついた。
「ねえカクテ? そうやっていつも暴走するのはいいんだけど、
私達まで巻き込むのはやめてくれないかしら?」
「ほ、ほめんなひゃい」
にっこりと笑みながらカクテの両頬を引っ張るルルの瞳は、しかし笑みの欠片もなかった。
「僕は3000シリカくらいしかないんだけど……ルルは?」
「10121シリカくらい」
二人合わせて約13000シリカ。37000ほど足りない。二人は、頬をむにむにと引き伸ばされているカクテへと目を向けた。
「……よ……宵越しの、銭はもたねぇ」
視線を外し、少し力の緩められた頬でカクテはそう言った。
「あれほど無駄遣いしちゃダメっていったでしょー!」
「ご、ごめんなひゃい!」
途端、限界までカクテの頬はルルによって引き伸ばされる。
「何だかお母さんみたいだね、ルル」
思わずアタカがそう呟くと、ルルははっとしたようにカクテから手を離した。
「……命拾いしたね」
ちなみに、年齢ではルルがアタカの2ヶ月下で最年少である。カクテはアタカやルルの2つ上で17歳だ。
「うう……ありがとう、アタカ」
「よくわかんないけど、どういたしまして」
頬を擦りながら礼を言うカクテに、アタカは首を傾げる。
「とにかく、後一週間で37000シリカ。
一日辺り、3人で6000シリカくらいは稼がないといけない計算ね」
ごほん、と咳払いし、ルルは素早く計算する。
「ん、っと……5000ちょっとくらいでよくない?」
37000を7で割ると、5300弱。素朴にそう考えてカクテはそう発言した。
「その間、あなたは何を食べて、何を飲んで、どこに泊まるつもりかな?」
「ああっ、そっか、生活費もいるんだっ」
手をわきわきとさせながら迫るルルと、それから逃げるカクテに周りをくるくると回られながらアタカは考える。フィルシーダまでへの交易だと、3日で1000。とてもじゃないが足りないし、そもそも竜車がなければ交易はできない。
マフートを倒せば魔力結晶が一頭で500ほどで売れるが、その方法で稼ぐには単純計算で一日辺り12頭ほど狩らなければならず、これも現実的な数ではない。一日で12頭、というだけなら頑張ればいける数ではあるが、それを一週間連続では確実に竜が潰れてしまう。
「ごめん、もういいよ、アタカ」
腕を組んで悩む彼に、カクテはさっぱりとした笑顔でそう言った。
「あの契約書にはあたしの名前しか書かなかったしさ。アタカ達は、関係ないよ。
何とか頑張って一人で五万、貯めてみる」
何の考えもなくそうしてしまったのは本当だから、何か妙案でもあれば頼りたいのは本音だ。が、元々、自分の不始末に二人を巻き込むつもりは更々無かった。
「……カクテ……」
そんな彼女を、驚いたように見つめて名前を呼び。
「……あなたって、本当に馬鹿なの?」
からかうような口調でなく、真剣に心配する声色で、ルルはそう問うた。
「酷い!?」
「だってそうじゃない。ねえアタカ、何かいい方法思いついた?」
「ええ……あたしの決意はスルー? ねえ、スルーなの?」
「うーん、一つ方法が無い事は無いんだけど」
背中に張り付くように腕を回すカクテを鬱陶しげに引っぺがしながら問えば、アタカは気乗りしないと言った様子でそう答えた。何も思いつかなかったのではなく、たった一つ思いついた……と言うより、思い出してしまった方法が頭からこびり付いて離れないのだ。しかしそれは、酷く気乗りのしない物だった。
「さっすがアタカ!
方法を選んでる場合じゃないし、よほどの事じゃなきゃ大丈夫よ」
「……じゃあまずはとにかく、行ってみようか。
運よくいるとも限らないし」
この場合は、運悪く、だろうか。とアタカは考える。
『金が必要になったらいつでも呼んでくれたまえ』
そんな台詞と共に思い出されたのは、蛇の様なあの瞳。金儲けを何よりも尊ぶ竜使い、ナガチの顔であった。




