閑話01 竜使いたちの一日・アタカの場合
アタカの朝は早い。日が昇る少し前に目を覚まし、簡単に身支度を整えると、彼はクロを寝かせる為に借りている馬小屋へと向かう。
「おはよー、クロ」
「ウォフ!」
ぼさぼさの頭のまま眠い目を擦りつつ馬小屋に現れたアタカに、クロは元気良く鳴いて答えた。その声に驚き、馬が鼻を鳴らして身動ぎするのを宥めながら、アタカはクロの前で膝を突いた。
「今ブラッシングしてあげるからなー」
千切れんばかりに尾を振りながらじゃれつくクロの頭を撫でてやりつつ、アタカは馬小屋の掃除を始める。といっても、馬の世話に比べれば随分と楽なものだ。大地の力の塊である竜は、ただ呼吸をするだけで生きていく事ができる。だから食事や水は要らないし、寝藁を排泄物で汚してしまうこともない。
アタカはクロの寝ていた藁を纏めて台車に乗せると、外の物干し場の横手にある広場に藁を置き、良く空気が混ざるようにしてかき混ぜた。こうして干すと、夕方くらいにはふわふわに乾いてまた使えるようになるのだ。
それが終わると、馬小屋に戻って掃除した後、昨日そうして乾かした藁を持ってクロの寝ていた馬房に敷き詰めてやる。くんくんと嬉しそうに鼻を鳴らすクロを撫でながら、アタカはその体調をチェックしていく。筋肉で張っている場所はないか。熱はないか。爪や牙は欠けていないか。竜だって体調を崩すときはあるのだ。
それが一通り終われば、食事の時間だ。竜使い用の宿には大抵食堂が付いていて、そこで食事を取ることが出来る。アタカはいったん部屋へと戻り、竜使い用の服を着替えると、食堂へと向かった。
「おう、アタカ。おはようさん」
「おはよう、アタカ」
すると、二種類の瞳が彼を出迎えた。頼むから一緒にいてくれと懇願するムベの瞳と、邪魔をしないでくれと言いたげなイズレの瞳である。
「おはようございます、ムベさん、イズレさん」
「今から朝飯か? どうだ、一緒に」
「……ええと……お邪魔じゃないですか?」
躊躇いがちに、アタカは問う。
「いや、問題ないよ」
意外にも、イズレはあっさりとそう答えた。
「そうですか? じゃあ」
「妻は夫を立てるものだからね」
さらりとそういうイズレに、ムベは飲んでいた茶を喉に詰まらせごほごほと咳き込んだ。
「大丈夫か? ムベ。ほら、顔を拭いてやろう、こっちを向いてくれ」
「そのくらい自分で出来るから! 大丈夫だから……顔が近ぇんだよ!」
和気藹々とやりあう二人をそっと見守りながらも、アタカは朝食を注文した。
朝食が終われば、訓練の時間である。アタカはクロにまたがり、最寄の訓練場へと向かう。
「アタカ、おはよう」
「おはよう、ルル。……カクテは?」
別段待ち合わせをしているわけではないのだが、大抵訓練場の入り口前でアタカはルルとばったり出会う。幼い頃から行動を共にしているから、生活リズムが似ているのかも知れない、とアタカは思った。
「カクテはちょっと疲れちゃったみたい。まだ寝てる」
「無理はないよ。一週間ずっと、あんな訳のわからない所で野宿してたんだし」
むしろ、同じ体験をしたはずなのにぴんぴんしているルルの方がどうかしているんじゃないだろうか、という言葉を、アタカは飲み込む。
「なんか失礼な事考えたでしょ」
しかしそれはお見通しだったようで、ルルはむにりとアタカの頬を引っ張った。
「いや、ルルはすごいよな、って思って」
そう思っていること自体は本当のことだ。二人が『門』の向こうで体力をそこまで損なう事無くアタカの事を待っていられたのも、彼女が油断なくしっかりと食料を準備していたおかげだ。
「嘘でしょ? まあいいけど」
二人は並んで訓練場へと入り、入り口を少し過ぎたところで別れる。
「じゃ、また後でね」
ひらひらと手を振りルルが行く先は、『瞑想室』と書いてある。対して、アタカとクロが向かうのは『重り引き場』である。
「今日は4時間後くらいにはそっちに行くよ」
「え、本当? やったっ」
声を弾ませ喜ぶルルに手を振り、アタカは目的の場所へとやってきた。まだ時間が早いおかげか、竜使いの姿はちらほらとしか見られない。
「じゃあクロ、はじめるよ」
竜使いの活動といえば、開門の際の竜を狩りにいく姿が一般にはもっとも良く知られている。しかし、実際には竜使い達がもっとも時間を割くのは、竜の訓練である。確かに戦いをこなせば、その分勝負強さや度胸などといった要素は付いていく。
しかし、竜と竜の戦いでもっとも重要なのは、その竜そのものの地力。筋力や魔力、瞬発力などだ。竜は人と違い、鍛えれば鍛えた分だけ強くなっていく。特に、魔力結晶での強化という方法が使えないアタカにとっては、訓練は大事な要素だ。
しかしただ闇雲に鍛えればいいというわけでもない。時間は有限であり、竜の体力もまた有限である。竜だって当然、無理をさせれば倒れてしまったり、最悪身体を壊す事だってある。そのぎりぎりを見極め、最大限鍛えるのも竜使いの資質のうちなのである。
アタカの場合は、それに更に己の能力の強化も入る。クロに強化してもらった肉体で、竜用の訓練メニューをこなしていく様は周りから奇異に見られる事も多い。だからアタカは、肉体を使う訓練はなるべく午前中の人の少ない時間帯に済ますようにしていた。
休憩を挟んで2時間ほど重り引きを続けた後は、技の練習。これはアタカ以外の竜使いはやらない、彼だけの訓練だ。トラックの片隅で、まずは今までに覚えさせた技や魔術の復習を丹念にこなし、次に新しい技や魔術を教え込む。一日に覚えさせる事が出来るのは精々が一種類、習得できないこともざらにある。
しかし、アタカはめげる事無く、クロに何度も何度も繰り返し教え込み、余った時間で自分自身も新しい魔術を習得する為に勉強を重ねた。そうする事で、彼は少しずつ手札を増やしていくのだ。
そういった訓練を更に2時間ほどこなした後、アタカは約束通り瞑想室へと向かった。多種多様な竜が重りを引きずり賑やかだった先ほどまでとは打って変わって、物音一つない静かな部屋だ。
アタカはそこでルルの姿を見つけると、彼女の隣に腰を下ろし、目を閉じた。クロもそれに倣って隣に座り込んで目を閉じる。
魔力。アタカ達がそう呼んでいるのは、つまるところ、この世界そのものである。そして同時に竜そのものであり、万物に宿る神秘的な力でもある。魔術の行使は、瞑想によって己のうちに流れる魔力を認識するところから始まる。
血脈の様に流れる魔力を認識すると、次にその流れを動かす。魔力の流れが変われば、それは身体にも影響が出てくる。例えば体温が上がったり、逆に下がったり、傷の治りが早くなったりといったように。
それを、身体の外にまで影響を及ぼすようにするのが、すなわち魔術である。真語と呼ばれる呪文を持って、己の体内で形成した世界の改変を、外にまで持ち出す。故に、ただ呪文を唱えただけではまったく意味がない。自分の中の魔力の流れを制御できて初めて意味があるのだ。
瞑想とは、この魔力の流れをより精密に操作する訓練であり、同時に己のうちを流れる魔力の量自体を増やす作業でもある。
そうして、どれほどの時間が経っただろうか。瞑想で寝てしまうような事は流石にないが、忘我の域に入っていると時間の経過がわからなくなるのが難しいところである。アタカが目を開くと、すぐ目の前にルルの顔があった。
驚きに目を見開きつつも、彼は何とか声を出さずに堪える事に成功する。瞑想の間で声を出すことは、他人の集中を乱す最大の禁忌である。下手をすれば部屋の中から追い出されても文句をいえない。
アタカが無言でくいと出口を指差すと、ルルはこくりと頷きそちらへ向かう。アタカもクロを一撫ですると、ルルを追って外に出た。
「あーびっくりした」
開口一番、ルルはそう言い放った。
「それはこっちの台詞だよ」
あははと笑うルルに、アタカは呆れて息を吐く。ルルはたまに、こういうわけのわからない悪戯をするのだ。
「お詫びにご飯奢って!」
「うん、おかしいよね、論理的に考えて」
身体を横に傾ぐ様にしてアタカの事を見上げるルルは、卑怯なまでに可愛らしい。しかし残念なことに、物心付く頃から彼女と付き合いのあるアタカにはとっくに耐性が出来ていた。
「でも、次はアタカの番でしょ?」
「ああ、そうだっけ……結構久しぶりだね」
いつの頃からか、アタカとルルの間では順番に食事を奢るのが習慣になっていた。フィルシーダで暮らしていた頃の話なので、前に食べたのは随分前の話だ。
二人は適当に帰り道の途中にあった食堂に入り、夕食を摂る。
「そういえば、最近ルビィさんには連絡取ってるの?」
サラダを突付きながら、不意にルルはそう尋ねた。彼女はアタカから見ると、信じられないほど小食だ。必然的に支払う割合は彼女が損をするのだが、それを諦めさせる努力は随分と前に放棄していた。
「うん、前怒られて……週に一回くらいは連絡してるよ」
そんな他愛もない話をして、アタカはルルと別れ帰路へと付く。
宿に帰り着けば、クロの手入れとチェックだ。訓練でどこか怪我をしていないか、疲労は溜まり過ぎていないかなどをチェックしながら、ブラシで長い毛を梳き、丹念にマッサージを施してやる。
そして最後に軽く馬小屋を掃除すれば、一日の仕事は終わりである。
「おうアタカ。お前も今終わりか」
「ムベさん。お疲れ様です」
声をかけられ入り口を向けば、ムベがどこか疲れた様子で立っていた。
「……大丈夫ですか?」
「ああ、問題ねえ。……何の、問題もねえ」
そうつぶやく彼はあまり大丈夫そうではなかったが、アタカはあえて口を挟まない事にした。
「それより、風呂いかねえか? 一日の疲れを取るには、風呂に限るってな」
「はい、行きましょう」
ムベと連れ立って公衆浴場へと向かい、アタカは垢と共に一日の疲れを落とす。
「……こういう広い風呂に入れないってのも、可哀想なもんだよなあ……」
肩までゆったりと湯につかりながら、ムベはぽつりとそう漏らした。
「そうですね。一人ではいるのも味気ないでしょうし」
誰の事か問うことも無く、アタカはそう相槌を打った。
竜の地の民にとって、入浴は憩いと共に団欒の場でもある。アタカ達竜使いは旅をする根無し草のようなものなのでさほどでもないが、公衆浴場ではコミュニティが出来、談笑している者達も多い。生まれてからずっと一人でしか入浴出来ないというのは、どうにも寂しい事のように思えた。
「……いや、だが、流石にまだそれは早すぎるだろ……」
ぶつぶつと呟くムベに、彼が何に悩んでいるかをうっすらと悟り、アタカは口をつぐんだ。こればかりは、余人が軽々しく口を挟んでいいことではない。しかし、二人にとって最も良い結果が訪れれば良い、と願うばかりだ。
入浴を終えれば、後は寝るばかり……なのだが。
「すいません、遠声を使わせてください」
すでに常連となっている宿の主人にそう伝えれば、もはや言葉すらなく廊下の奥の遠声機を顎で示される。市役所はとっくに業務を終了している時間だが、個人の番号を貰っているので問題はなかった。
「……ルビィさんですか? アタカです。こんばんは」
遠い空の向こうにいる想い人に、アタカは弾んだ声を極力意識して抑えながら、いつものようにそう始めた。
そうして、彼の一日は、過ぎていく。




