第08話 世界の外側-7
「じゃあ、行こうか、クロ」
ルルを降ろして、アタカは相棒の背中を撫でた。
「ウォン!」
いつも通りの無邪気な瞳で、クロは一声吼えて応えた。彼はどこまで状況を理解してくれているのだろう、とアタカは思う。最近は随分、言葉が通じるようになってきたと思う。しかしその胸中は未だわからないままだ。
今だって、アタカは彼を死地に赴かせようとしている。それをどれだけ理解しているのか。全部理解した上で、アタカを乗せているのかもしれないし、ただ無邪気に主人の言うことを聞いているだけなのかもしれない。
唯一つはっきりしているのは、クロがアタカに全幅の信頼を置いてくれている、という事だけだ。かつてルビィに言われた、竜を扱う上でもっとも大切なこと。それを満たしているのだから、怖いものなど何もない。アタカは、そう自分に言い聞かせた。
その眼前に聳え立つのは、破壊の化身なのではないかと思うほどの暴力を備えた古代の巨竜。逃げ回るアタカ達に怒りを覚えているのか、だらだらとその牙から涎を垂らし、興奮した様子でこちらに向かってくる。
「……行くよ、クロッ!」
手綱を取り、アタカはクロの背の上で姿勢を低くした。風の抵抗をなくし、ほんのわずかでも彼を素早く走らせるためだ。
巨竜がまずその大きな口を開き、アタカに迫る。
「闇の槍!」
その鼻先に向けて、アタカは黒い塊で出来た槍を放った。輪郭のはっきりしない棒状のそれは、巨竜の鼻面に当たって爆発的に拡散すると、その目を覆い隠す。一瞬ひるんだ巨竜の牙をかわすアタカに、たたらを踏むかのように巨竜の足が振り下ろされた。
「クロ、右ッ!」
ぐっと体を横に倒しながら、アタカは手綱を引っ張る。ずんと地面を揺るがす足の一撃を、クロはかろうじてかわした。右、右、左、前、後ろ、後ろ、左、前。何度も何度も振り下ろされる足を、クロはまるでダンスを踊るかのようなステップでかわす。
それは一度でも避ける方向を間違えてしまえば命がない、死の踊りだ。クロはただ手綱の感触と足を動かすことに意識を集中させ、アタカは逆に巨竜の動きをみて予測し、手綱を振るう事だけに集中する。極限まで集中した意識がほんのひと時だけ成しえた、人竜一体の動きがそこにあった。
しかし、それは長続きするものではない。クロの体力とて無限ではなく、集中もいつかは切れる。回避に専念し相手に攻撃を加えられない以上、彼らの死の運命は時間の問題だった。
「行くぞ、アタカ!」
徐々に磨り減っていくアタカの集中が燃え尽きる、その寸前。張り上げるイズレの声とともに、槍のように削りだされた木が放たれた。ビー・ジェイが辺りに生える樹木をその爪で切り裂き作った即席の投げ槍だ。
即席とはいえ、人では抱えることさえ出来ないほどの大きさのそれを、ラミアの膂力で投げ放ったのだ。アタカを踏み潰そうと、完全に彼に集中していた巨竜はそれをかわせる訳も無く、投げ槍は巨竜の腹に突き刺さった。
だが、浅い。槍は巨竜の筋肉で止められ、致命傷にはとても至らない。その短い前足では樹を掴む事ができず、巨竜は振りほどこうと身体を揺らした。
「させないっ!」
そこへ、ディーナの放った氷の矢が、樹の投げ槍を凍りつかせた。水分を多量に含む成木で出来た投げ槍は瞬く間に白い氷に覆われ、巨竜の腹に根を張った。
「ついでだ、加減しろよ、エリザベス!」
そこへ、エリザベスが炎を吹く。氷を溶かしすぎないよう、精密に計算された熱量の炎だ。当然、それが巨竜にダメージを与える事など無い。
しかしそれこそが、アタカの狙いであった。巨竜が投げ槍を振りほどこうとしている間に、アタカとクロはその先端へと取り付いていた。
これは、槍ではない。剣……小剣の代わりだ。
「雷の矢!」
アタカが放つ魔術に倣い、クロが雷撃を凍りついた樹に向けて飛ばす。迸る稲妻は、巨竜の体内を流れてその動きをぴたりと止めた。
「……よくもまあ、やるものだ」
その光景を見て、ブラストは笑うしかなかった。
第一の攻撃、停。相手の体内に結界を埋め込み、ほんの一瞬動きを止める。それをアタカは自ら囮となることで再現した。
第二の攻撃、禁。剣を通して雷術を叩き込む事で、『魔術ではない純粋な電撃』を敵に浴びせて麻痺させる。起こりは魔術でも、他の物を伝わればそれは魔術ではなく、竜とはいえ筋肉で動いている以上、電流を流されればその身は動かなくなる。これを、アタカは樹で作った投げ槍を凍らせる事で小剣の代わりにし、ご丁寧に表面を少し溶かし伝導率を上げて電撃を叩き込んだ。
実に泥臭く、不確実で、危険極まりない。
しかしそれでも、ブラストがその半生をかけて作り上げた人が竜と戦うための技の半分を、アタカはやってのけたのだ。これを笑わずにいられようか。
「いいだろう……」
ブラストは左腕の包帯を解きながら、悠々と巨竜へと歩を進めた。彼には、巨竜を止めることなど不可能だ。単純に、電撃の出力が足りなさ過ぎる。しかし、パピーとはいえ竜の魔力でそれをなせば、あれだけ巨大な竜であっても動きを止められる。
か弱い人の子が、竜を倒す為に作り上げた術法なのだから。
「見せてやる、『小僧』。
お前達が使う竜術とは違う、『本当の魔術』という奴をな」
しかし、第三、第四の攻撃はアタカ達にはけして出来ない。それは、人が竜を倒す為の工夫などではないからだ。
禍々しい呪言の彫られたブラストの左腕が、ざわりと蠢く。
「そら……餌だ。それも滅多に食えん極上のな」
かと思えば、急激にそれは膨れ上がり、異形の姿をとった。同時に、まるで少年のように若々しかったブラストの顔が老い衰え、見る見るうちに年齢相応の、皺にまみれた老爺へと変化した。
ブラストの体躯の二倍ほどに膨れ上がった異形の腕は、まるで獣のようであった。手の平の部分が狼の口のように裂け、いくつもの目がぎょろりと開く。
「絶」
苦しげに、ブラストはそう呪言を唱える。それはアタカ達の使う真語魔術とはまったく異なる法則で操られる魔術だ。彼の腕に寄生した『何か』は、凍りついた投げ槍に噛り付くと、まるでそれがストローであるとでも言わんばかりに巨竜の身体から魔力を吸い上げた。
「滅」
そして、ブラストがそうつぶやくと同時。
彼の呼び名を言い表すかのように、巨竜の身体は爆裂四散した。
「凄い……」
あれほどの耐久力を持った巨竜が、いとも容易く吹き飛ぶ。しかも、それを竜ではなく、ただの人が成し遂げたという事実に、アタカは目を大きく見開いた。
喰らった魔力に満足したのか、彼の左腕は徐々にしぼみ、元の大きさに戻った所でブラストは包帯を巻き直していく。
「一体何なんだ? その腕は……」
ムベは薄気味悪そうに、彼の左腕を見やった。
「言っただろう。本当の魔術だ、と」
端的に、ブラストはそう答えた。
「吸い上げた魔力を相手の体内で爆発させてやれば、
理論上はいかなる相手も倒すことが出来る。
奪った魔力の分、抵抗力は落ち、威力は上がるからな」
「すごい、それなら……!」
期待を込めた瞳で彼を見、アタカは口を開く。
「やめておけ」
その機先を制し、ブラストはそう彼に釘を刺した。
「魔術というのは、その名の通り魔を使う術。
お前達の使う竜術と違い、リスクを伴う術だ。私はコレに名を食われた。
おかげで私の本名は、もう誰も覚えておらんし、私自身も思いだせん。
寝ている間は宿主に力を預けるから見てくれこそ『こんな』だが、これは間違っても
不老不死だの、そんな有難がるような代物じゃない」
故に、ブラスト。力を得る為に名を捨て、己の存在自体を切り売りするその苛烈な生き方を持って彼はそう呼ばれている。
「一時的に力を手に入れられたとしても、魔の、その果てにあるのは常に破滅だ」
包帯を巻き終える頃には、ブラストの顔つきは元の若々しいものに戻っていた。しかしそれこそは、彼が呪われ、魔に侵されている証拠だ。
「お前には合わん」
「……珍しいな」
きっぱりと言い放つブラストに、イズレは笑みを見せた。
「まるでアタカを気遣ってるみたいじゃないか」
ニヤつくイズレにブラストは鼻を鳴らして答えると、巨竜の魔力結晶を拾い上げてアタカに投げ渡した。
「そら……異界が崩れるぞ」
その言葉に周りを見渡せば、徐々に景色が薄れ消えてゆく。
やがて世界は白い光に包まれ、気づけばアタカ達は元いたケセド平野に立っていた。
「……終わったの……?」
何が起こったかわからず、あたりをきょろきょろと見回すカクテを見てアタカはほっと胸を撫で下ろす。離れていたから少し心配だったが、彼女も無事帰還できたようだ。
「用が済んだならさっさと帰るぞ」
「あ、はい。リターンディスク使いますね。ルル、これ」
アタカはルルとカクテにリターンディスクの宝玉を渡す。二人を連れ帰るために、余分にディスクを一つ使って外に出てきたのだ。
「イズレさん、どうした?」
帰りの準備を進める中、イズレが一人ぼんやりと虚空を見ているのに気づき、ムベは声をかける。
「今の……聞こえなかったのか?」
「今のって?」
首を傾げるムベに、イズレは「なんでもない」と首を振った。
「帰りますよー」
白い宝玉を掲げ、アタカは声をかける。緊急時は仕方ないにしろ、転移の時には気をつけないと着地に失敗して足を挫いたりする事もあるからだ。
「ああ、大丈夫だ」
アタカとルルが地面に宝玉を叩きつける。すると、彼らの足元に光り輝く魔方陣が現れ、アタカ達を包み込んで消えた。
『今はまだ、その時ではない』
男とも、女とも付かぬ声が、誰もいなくなった草原に響き。
風に溶けるように、消えた。




