第08話 世界の外側-6
「くそ、なんて化け物だ!」
メキメキと音を立てて木を踏み折る巨竜を見て、イズレは珍しく声を荒げた。吹き飛ばされたビー・ジェイの痛みが心を通じて伝わってくる。痛みはないが、竜を愛する者にとってそれはかえって何ものにも勝る苦痛であった。
「俺とエリーに任せろ!」
一声叫び、エリザベスが空から炎を吹きかけた。牙や爪、毒針による肉弾戦と、炎のブレスや魔術による遠距離攻撃。オールレンジで戦いをこなせるのがムシュフシュの強みだ。対して、巨竜は巨大な身体ゆえに射程距離そのものは長いものの、攻撃自体は物理的な肉弾戦しかない。
炎による攻撃は殆ど効いている様子はないが、それでも無傷と言うわけには行かない。このまま距離を保ち、じわじわとダメージを与えていけばいつか倒せるかもしれない。
そんな淡い期待をムベが抱いたその時、ぶんと長い尻尾が振り回され、射程ギリギリを飛んでいたエリザベスの身体を掠めた。
「こんなところまで届きやがるか……!」
直撃どころか掠りさえしていないというのに、その尾が巻き起こす風でエリザベスは危うく吹き飛ばされるところだった。何とか体勢を立て直す彼女の目の前に、巨大な岩が突如として姿を現す。巨竜が、その太い足に生えた蹴爪で地面を抉り、器用に空中に放ったのだ。
体勢を崩したところに不意を打たれたエリザベスはそれをかわしきれず、弾かれて地面へと落下していく。
「ムベ!」
イズレは悲痛な声を引き絞り、急いで落ちた彼に駆け寄ろうとした。
「大丈夫だ! お前はしっかり前衛張ってろ!」
しかし意外にもしっかりした声でムベは怒鳴り返すと、手綱を握って何とか空中で姿勢を立て直し地面に軟着陸した。
「……お前……」
「呆けてる場合か!」
うっとりと呟くイズレに、ブラストが怒鳴る。
「大丈夫ですか?」
「ああ……だが翼をやられた。これじゃ飛べねえ」
尋ねるアタカに、醜く歪んだ翼を見つめてムベは表情をゆがめた。骨が飛び出しひしゃげた様はいかにも痛々しいが、ダメージ自体はさほどでもない。
「なら、私が!」
エリザベスより更に距離をとり、ディーナは雨とばかりに氷の矢を降り注がせる。吐き出せば大気に拡散してしまう炎のブレスと違い、高い密度を持って飛ぶ魔術であればその射程は長い。威力はその分多少劣るものの、これならば反撃されることはない。
が、その途端、巨竜はディーナの方を振り向くと、口を大きく開いた。届かない。届くわけがない。数十メートルも離れているのだ。魔法じゃあるまいし、牙での攻撃が届くわけがないとわかっていても、ルルの身体は恐怖に硬直した。その心の様を読み取り、ディーナもまた怯え身体を強張らせる。
その瞬間を狙ったかのように、轟音が鳴り響いた。
「ゴ、オ、オ、オ、オ、オ、オ、オ!」
低く、低く、吼え猛る声が大気を揺るがす。それはただの音の範疇に留まらず、物理的な圧力を持ってディーナを打ち据えた。彼女の小さな身体は瞬く間に吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
「ディーナッ!」
「なんて無茶苦茶な野郎だ……」
その声に、一切の魔力は感じられない。純粋なる音の圧力で、ディーナを吹き飛ばしたのだ。
「これは無理だな……青二才。どうにかして逃げる算段をつけるぞ」
舌打ちし、ブラストは装備を纏めると馬に跨った。あの竜を倒すよりも、どうにかこの場所から出る方法を探し出した方がよほど簡単そうだ。しかし、そう簡単に逃げることも出来そうもない。最悪、何人か犠牲にしなければならんかも知れぬ。そう、彼は胸中でひっそりと呟く。
「……二つ、聞いていいですか」
そんな彼に、アタカは問うた。
「3番目と4番目は、左手がないと無理ですか?」
唐突な問いに一瞬何の事かブラストは考える。
「ああ、そうだ」
そこまで行き着いたのか、とブラストは内心感心する。しかし、無意味だ。
「2番目まで終わらせれば、やれますか? ……アレにも」
「無意味な問いだ」
端的にブラストはそう答える。こんな問答をしている間があったら、さっさと逃げるべきだ。
「弾がない。出力も足りない。3,4どころか、1すら無理だ。
そんな事よりさっさと」
「出来るんですね? ……二つ目まで終わらせれば」
かぶせるように紡がれる問いに、ブラストは鼻を鳴らし、答える。
「私を誰だと思っている、青二才。
傭兵暦50年、名をすら捨て、竜を倒す事だけを生業としてきた男だぞ」
「わかりました。用意して置いて下さい!」
その言葉を聞くや否や、アタカはぱっと表情を輝かせて手綱を振るうと、クロを駆けさせた。
「……なんて顔をするんだかな、あいつは」
盛大に舌打ちをし、しかし、ブラストは怯える馬に『待て』と命じた。
「そんな作戦、本当に上手くいくってのか!?」
「いきます!」
全力で竜を走らせながら、その背の上でムベとアタカは怒鳴りあう。その後ろには、どすどすと音を響かせながら巨竜が迫ってきていた。
「避けて!」
アタカの腰にしっかりと腕を回し、横乗りでクロの背に乗るルルの警告の声と共に、クロとエリザベスは手綱に引かれて左右に分かれた。それとほぼ同時、巨竜の脚が彼らのいた場所を踏み抜いていく。
巨竜はその巨体に似合わず非常に俊敏だが、その分走り始めると急に止まるのは不得意で、旋回速度もそれほど素早くない。回避に専念すれば、攻撃を避けるのはそれほど難しくはなかった。
「つっても、一発食らったら終わりだな、あんなのは……」
くるりと回り、再びアタカと合流しつつもムベはぼそりとそう呟いた。
「で、上手くいくって、その根拠はなんなんだよ!」
「僕がムベさんと組んで、今まで上手くいかなかったことなんてないじゃないですか!」
アタカの言葉に、ムベはガシガシと後頭部の寂しくなりつつある頭髪を掻き毟った。
「おめえ、いつからそんなに人使いが上手くなりやがった」
ちっと舌打ちしつつも、彼はニヤリと笑みを浮かべた。
「ねえアタカ、私にもそういうの言ってよ」
「ん、なんだって?」
ぽつりと呟くように言うルルに、アタカは聞き返す。ルルは頬をむっと膨らませ、彼の脇腹の辺りをぎゅっと握った。
「聞こえたでしょ!」
轟音を立てつつ隣を走るムベの声さえ聞こえているのだ。ほぼ密着しているルルの声が聞こえない道理がない。
「頼りにしてないわけないだろ。この作戦は、ルルとディーナが中核なんだから。
それに……」
「それに?」
それに続く言葉をわかっていながら、ぐいぐい、とルルはアタカの服を引っ張る。
「……別に言わなくてもわかるだろ?」
無論、アタカが何を言いたいのかはわかっているし、それをルルがわかっている事をアタカが理解しているのもわかっている。それでも無言でぐいぐいぐいぐい、とルルはアタカの服を引っ張った。
「一番付き合いが長いんだから、ルルが期待に応えてくれる事はわかってる」
「もう一声」
渋々というアタカに、ルルは容赦なく追い討ちをかけた。
「信頼してるよ」
「んっふふ。よろしい」
ようやく聞けた望み通りの言葉に満面の笑みを浮かべ、ルルはアタカの背中に頭をぐりぐりとこすり付けた。
「猫被るのやめたの?」
やっている事は猫そのものだけど、と思いつつ、アタカは問うた。
「アタカの前だからいーの。ムベさんには離れてて聞こえないよ」
「……ま、そっちの方がルルらしいけどね」
他人の前では大人しく分別のいい優等生を演じている彼女が、実は非常に我侭で子供っぽい事をアタカは良く知っていた。
「死んじゃうかも知れないから、ね」
「死なないよ」
ポツリとつぶやくルルに、アタカははっきりとそう言い返す。
「誰も死なせない」
巨竜を真っ直ぐに見つめ、決意を込めて言う彼に、ルルは「ずるいなぁ」と胸中でつぶやいた。




