第08話 世界の外側-3
「神隠し……か」
難しい顔で、イズレは呟く。
「知ってるんですか!?」
「落ち着け。噂で聞いた事がある、程度の話だ」
まるで齧り付かんばかりに詰め寄るアタカを宥めながら、落ち着き払った態度でイズレはそう言った。
「竜使いが突然戻ってこなくなるのは、良くある話だ。
そもそも世界は危険に満ちている。
ちょっとした油断や不運で、人は呆気なくその命を散らす。
南ゲブラーの吉弔なんかは最たる例だが、
それ以外にも場所ごとに慣れた竜使いでも命を落としかねない様な
強力な竜が稀に現れることはある」
と、アタカは無言で、イズレの言葉に耳を傾ける。どのような心持でその話を聞いているのか、その表情からは読み取れない。
「が、ケセド平野にはそういった竜はさほど見かけない。
元々さほど気性の激しい竜は住み着いていないからな。
精々が……東西に出没するラプシヌプルクルや、
北方に棲息するチャク・ムムル・アイン程度のものだ。
チャク・ムムル・アインが北以外に出現したと言う話は
ついぞ聞かないし、ラプシヌプルクルは倒せるのだろう?」
こくりと、アタカは頷く。今、ムベが行方不明になったとしたら自分もこんな表情をするだろうか、とイズレは思った。
「だが、そんな風に戦いなれた竜使いが、ケセド平野でふと姿を
消すことがある。……それが、神隠しだ。
とは言え、この辺りで戦う竜使いは、フィルシーダから
出てきて少し慣れた辺りのものが殆どだ。
慣れたが故の油断が命取りになった、と言う風に言われるのが大半で、
実際そういった者も少なくはないだろうな」
連絡を絶って一週間。街の外で過ごすには、それはあまりに長い時間だ。その日に帰って来るつもりであったのなら尚更。食料は多くとも2日分程度しか持っていっていないだろう。『神隠し』であろうとなかろうと、その生存は絶望的であるように思えた。
「わかりました、ありがとうございます」
だと言うのに。
なんて目をするんだろう、とイズレは思った。頭を上げたアタカの顔には、一切の迷いが霧消していた。その目には諦観も絶望も……そして、希望さえもない。やるべき事を見据え、成し遂げようとする確固たる意思の輝きだけが、その瞳を彩っていた。
「まて」
立ち上がり、宿を飛び出そうとするアタカを、思わずイズレは呼び止めた。何かを言おうとしたわけではない。そもそも、出来れば関わりたくなどなかった。イズレが関われば、ムベも間違いなく関わることになる。ただ油断して死んだだけならともかく、万一神隠しの件が本当であれば、危険に自ら飛び込んでいくことになる。
冷たいようではあるが、アタカ自身ならまだしも、言葉すらロクに交わしていないその知り合いの為にムベや自分の命を危険に晒すわけにはいかない。ここで見送れば、アタカは戻ってきて頭を冷やすだろう。パピーしか持たない彼は、もはや閉じた門を潜る事は出来ず外に出ることが出来るのは3日後だ。10日も立てば、流石に彼だって諦める……ハズだ。
「……闇雲に探すよりは、多少はマシな手がある」
知らぬフリをして彼を見送る。それが最善手だと言い張る理性を振り切って、イズレはそう口にしていた。
「確かに、いつでも声をかけろ、とは言ったがな」
既にとっぷりと日は暮れ、月明かりだけを頼りに草原を進みながら、まるで怨嗟の呪文の様にブラストは唸り声を上げた。
「まさかその日のうちに呼び戻されるとは思わなかったぞ。
毎度ご贔屓にありがとうございます、とでも言えばいいのか?」
皮肉を隠しもせずにそう言い放つ彼に、「本当にすみません」とアタカは実直に頭を下げた。久々の高額収入に気分良く酒を飲んでいた所を呼び出されたのだ、この位言っても文句はあるまいとブラストは鼻を鳴らす。それでも断らずについてきている辺り、彼も意外と人が好いのかもしれない。
「まあそう言うな。お前以上にケセド平野を知っている者はいない。
そうだろう、ブラスト」
イズレの言葉を否定せず、ブラストはもう一度鼻を鳴らした。
「……こんな外人のガキが頼りになるのか?」
その様子を見て、胡散臭げにムベは眉を顰めた。
「誰がガキだ、言葉に気をつけろ青二才」
「なっ……」
ぎろりと睨むブラストの背丈はアタカとさほど変わりなく、つまりはムベの胸までくらいしかない。しかし、その身体が放つ威圧感は思わずムベを怯ませるほどのものがあった。
「そういえば、ブラストさんはお幾つなんですか?」
ムベまで青二才と呼ばれると、どっちを呼んでるかわからないなと思いながらアタカは素朴な疑問を口にする。
「……数えで72だ」
「ああ!? てめぇ、出鱈目言ってんじゃねぇぞ」
「随分、お若く見えるんですね」
驚き、口を衝いて出るムベとアタカの言葉は対極に分かれていた。
「72が本当かどうかは知らないが……私が子供の頃から傭兵をしていて、
ずっとこの外見なのは確かだな」
「……長い付き合いなのか?」
「付き合い、という程のものでもないがな。実家のお得意様だ。
……気になるか?」
ムベの問いに、イズレは嬉しそうに笑いながら問い返した。
「そんな戯言は後にしろ……大体、この辺りだ」
馬の足を止め、何もない空間を指してブラストはそう言った。
かすかに感じられるのは、潮の匂いと波の音。そこは大陸の最西部。ぐるりと大陸を囲むゲブラー海と、ケセド平野のちょうど境に位置する場所だった。
「海と草原の境界には門が開く。
……誰が言い出したかわからないが、いつの頃からか
サハルラータに伝わっている話だ。
可能性があるとすればここが最も高い。
とは言っても眉唾程度の話だがな」
「いいえ、ありがとうございました」
アタカはブラスト達に向き直るとぺこりと頭を下げた。
「ここまで連れて来てくれてありがとうございます。後は……」
「何言ってやがる」
後は、一人で行きます。そういいかけたアタカの頭を、ムベは乱暴にわしわしと掴む。
「お前一人でどうする気だ? 俺もついてくに決まってんだろ!」
「……君ならそういうと思っていたよ、ムベ。全く……
まあ、そんな君だからこそ、私は君の事を好きなのかもしれないが」
ため息をつきつつもどこか嬉しそうにイズレが言うと、ムベは顔を歪に引きつらせる。
「い、いや、イズレさんは別に帰ってもいいんだぜ?」
「酷な事を言ってくれるな……
私が、どうして君を置いてのうのうと帰ることが出来ると思うんだ?」
「では私は帰る……ぐ、ぅっ」
べたべたする二人を置いて背を向けると、首を締め付けられてブラストは呻いた。
「……何を、する」
ブラストはイズレを睨みつけ、問うた。イズレのその手にはブラストの外套の端が握られている。
「言っておくが、私にはタダ働きをするような趣味はないし、
お前達に付き合う義理も義務もない。
貰った金額分の仕事はした。私は……」
「1万シリカ」
若干の後ろめたさからか、やや早口で紡がれるブラストの言葉を遮ってイズレはそう宣言した。
「成功報酬、1万シリカ。妥当な所だろう?」
ぐっと奥歯を噛み締め、苦虫を噛み潰すかのような表情を浮かべるブラストに、イズレはにんまりと笑みを浮かべた。
「それにしても……」
クロの背の上でぐるりと辺りを見回し、アタカは呟くように言う。
「見事に、何もないですね」
門どころか、見渡す限り何もない。草原でも散見される木々さえ海岸にほど近いこの辺りでは姿を消し、見えるのは地面とアタカの膝くらいまでの高さの草、そしてそれらを照らす月の明かりだけだった。
「眉唾な話だと言っただろう。見つからずとも責任は取らんぞ」
「あ、いえ、それはいいんですが」
良くはない。が、責められるような事でもない。藁にも縋る思いで、アタカは辺りを見回した。ルルなら、生きている。その確信があった。そして、生きているにも拘らず帰ってこられない状況であれば、アタカがやってくるのを待っているはずだ。
「そういえば、ブラストさんはどうやって竜を見つけるんですか?」
暗い草原を見渡しながら、アタカはふと日中の事を思い出して彼に尋ねた。
「私に言わせれば、何故わからん、といった所だがな」
すると、ブラストは呆れた様に息を吐いた。
「竜なんてのは膨大な魔力の塊だぞ?
いればたちどころにその匂いが漏れる。
流石に隣で魔術など使われれば紛れてしまう程度のものだが、
仮にも魔術師を名乗るような者であれば気付かぬわけがない」
容易く言うが、それはアタカが魔術でようやく成し遂げている魔力感知を生身でやっているようなものだ。やはり外人と言うのはどこか人並み外れているものだ、とアタカはまざまざと思い知った。
「……逆に言うと、魔術を使うと相当魔力を感じられるって事ですよね?」
「勿論だ。大気中に魔力がバラまかれるのだからな。
竜はその匂いを嗅ぎ付けて寄ってくる。
だから、索敵の魔術など私に言わせれば寄せ餌のようなものだし
魔術を用いて戦ったならばそこはすぐに立ち去るべきだ」
不意にアタカは黙り込み、思考を巡らせた。魔力。感知。門。思考はどこかで上滑りし、届きそうで届かない。もし、『門』という物の先にルル達が連れ去られたと言うのなら、恐らく彼女達の魔力は感知できないだろう。
ルルなら、アタカに見つけて貰うために何らかの手段を講じているかもしれない。しかし、それは、無駄だ。
……本当にそうだろうか?
アタカは目を閉じ、考える。さわりと風が凪ぎ、感じられるのは潮の匂い。この瞬間も、ルルとカクテは助けを求めているかもしれない。連絡をとることはできない。
遠声。無理だ。遠声機など持っているわけもない。
竜の魔力を辿る。それも無理だ。隔絶されているなら、魔力は通らない。
ディーナ。竜だけなら、抜け出して来れるだろうか? しかしそれなら、とっくにアタカの元についている気がする。
……ラプシヌプルクル。
「草だ」
アタカは目を見開き、視線を下に落とした。
「草を探して下さい」
「……草ぁ?」
怪訝な表情で、ムベは地面を見下ろした。そこは延々と続く草原。探すまでもなく、草などそこら中に生えている。
「枯れた、草をです」
言葉が足りなかったことに気付いて、アタカはそういいなおした。それは、雲を掴むような話だ。探さないよりはマシ、気休め程度の、儚い希望。
「連れ去られる直前に、竜をラプシヌプルクルに変化させて目印をつけた……かも、知れない」
しかし、彼の知る幼馴染ならそのくらいの芸当はしているはずだと、アタカは信じた。




