第08話 世界の外側-2
「いいか、戦う上で三つ守れ、青二才」
門を出て、クロに跨り道を行くアタカに馬で並走しながら、ブラストはそう始めた。
「一つ。私のやり方に従ってもらう。
二つ。射線には絶対に立つな。
三つ。真語魔術は使うな、竜にも使わせるな」
「わかりました!」
高圧的なものの言い方だが、アタカはそれを素直に受け入れた。彼から戦い方を学ぼうとしている以上、ブラストは師である。師には逆らわず素直に言う事を聞け、と言う事はコヨイからこれ以上ないほどに叩き込まれていた。
ブラストは眉を軽く上げてそれを見やると、ふむと鼻を鳴らす。彼らが向かうのは、サハルラータとコクマの森の間に横たわるケセド平野の東側だ。以前ルルやカクテと共に向かった西部に比べるとランクの高い狩場であるが、出てくる竜はコクマの森の竜が一部出るだけでそれほど変わりない。
つまりは初見の敵がいないと言うことで、戦い方を見せてもらうにはちょうど良いだろうとアタカはここを選んだのだった。
「……いた」
「えっ?」
唐突に馬の足を止め、そう呟くブラストにアタカは思わず声を上げた。魔術は使わない約束なので、魔力感知での索敵はしていない。しかし、竜であるクロの感覚は人よりも鋭敏なはずだ。それよりも早く、ブラストは敵の存在に気付いたというのか。
「……どこに、ですか?」
キョロキョロと周りを見回すアタカを尻目に、ブラストは無造作に馬を下りてザクザクと草原を進んでいく。傭兵にとって、馬は生命線である。竜の動きは速く、人の身でそうそう避けられるようなものではない。竜がいれば、竜は基本的にそちらを優先して攻撃するし、竜の魔力で身を守ることも出来る。
しかしそのどれもが傭兵には不可能だ。であれば距離をとりながら戦うしかない。それには馬が必要不可欠なはずであった。
ブラストはなにやら懐から小さい紙きれのようなものを取り出すとそれを地面に2、3設置し、そこから少し離れたところで狙撃銃を構え、弾を込めた。その段になっても、アタカには竜が一体どこにいるのかさえわからない。パン、と意外に軽い音を立てて狙撃銃が火を噴き、ブラストはボルトを引いて薬莢を排出すると
「来るぞ」
と短く警告した。
「えっ」
「竜と伏せてろ」
狙撃銃を背に回し、ブラストが地面に用意するのは一際大振りな銃……対竜ライフルだ。竜は魔力の塊である。人の放つ魔術は無効化されて影響を与えることが出来ない。よって人の身で打撃を与えたければ自然武器に頼る他はなく、その中でもっとも手軽にダメージを与えられるのが銃火器の類である。
とは言っても、竜の堅い鱗を貫き内部にまでダメージを与える銃となると携行可能なものは殆どない。対竜ライフルは辛うじてそれが可能なものの、取り回しは最悪で馬上ではおろか立って扱うことさえ出来ない。
ブラストはライフルについた二脚を地面に立てて寝そべると、じっと敵を待つ。程なくして、ワームがその身をうねらせこちらへと突き進んでくるのを、アタカはようやく発見した。同時に、最悪だとアタカは思った。
ただの竜であれば、あのライフルで数発弾丸を叩き込めば、運がよければ勝てるかもしれない。しかし、ワームは無理だ。与えるダメージに比べて再生能力が高すぎる。何発叩き込んだって、威力が再生能力に追いつかない。
最初にブラストが設置した罠を踏み、ワームが黒い霧に包まれる。アタカが使う真語魔術とは違う、彼独自の魔術だ。符、と呼ばれる小さな紙に封じられたそれは、魔力を持ったものが触れると発動する。魔力の塊である竜に対しては、簡単に設置できる罠として機能するのだ。
勿論、直接害を及ぼすような効果は竜には効かない。しかし、辺りに満ちる光を見て周囲を認識している、という点においては竜も人も何の差もない。周囲丸ごと視界を遮られる事に対しては、竜の高い魔法抵抗力は何の効果もなかった。
竜が闇に包まれたところで、ブラストは対竜ライフルの引き金を引いた。狙撃銃とは比較にならない轟音が辺りに鳴り響き、竜の悲鳴が鳴る。ドン、ドン、ドン、と数撃、正確に銃弾を叩き込んでブラストは茂みから立ち上がって小剣を抜き放った。
小剣。それは刺突剣とも呼ばれる、まるで針の様に細く尖った剣だ。ソルラクが使っていた斧槍に比べれば新しい武器ではあるが、それは武器としての性能の高さを示さない。人同士で争うことが無意味になった時代に、主に決闘用に作られたものであるからだ。
鎧すら着ない人間相手を目的として作られた武器で竜に相対するなど、無謀にも程がある。
「クロ……」
「伏せてろと言っただろう、青二才」
ワーム一匹なら、何とかなるかもしれない。相棒をけしかけようとするアタカに、ブラストは落ち着き払った声でそう命じた。
すぐに、闇の中からワームが飛び出す。弾丸を打ち込まれ、怒り狂った蛇竜はしゅうしゅうと音を立てながらブラストに向かって飛び掛った。その音は呼吸や鳴き声ではない。その身体に空いた傷が塞がっていく音だ。
「停」
ワームの牙が、ブラストの身体を捉えるその寸前。短く呟くその言葉に、まるで手品の様にワームの身体の動きが空中で止まった。その瞬間、ブラストは右手に構えた小剣を、銃弾があけた傷跡に寸分違わず差し込む。
「禁」
ワームが動きを封じられたのはほんの一瞬。しかし、そのほんの一瞬の間に体内に注ぎ込まれたほんの微細な魔力によって、ワームは動きを封じられる。
「絶」
次いで、ブラストは符を取り出して剣の柄に叩き付けた。小剣を光が取り巻き、アタカはそこに人が出せるはずのない量の魔力が集まっていくのを感じた。ブラストは右腕でワームを突き刺したまま左腕の包帯に歯を突きたてると、一息に包帯を取り去る。その下から出てきたのは、一面に不気味な文様が彫られ、どくどくと鼓動するかのように蠢く異形の腕。
「滅」
その腕で剣を掴んでそう呟くと、パンと音を立ててワームの身体が内部から弾けた。まるで、爆風が体内で荒れ狂ったかの如き有様を、アタカは魔法を見るかのような気分で見つめた。魔術ではなく、魔法。理に則り魔を扱う術ではなく、法則を無視し己の為したい事を成し得る奇跡の御業。
「……ブラストさんは、魔法使いだったんですか?」
「そんなわけあるか」
呆然と呟くアタカの言葉を、包帯を巻き直しながら呆れた様子でブラストは切って捨てた。
「一々解説はせんぞ、青二才。さっさと移動だ」
ブラストは銃を回収して馬に跨ると、再び移動を始めた。かと思えばまた足を止め、狙撃銃で一匹竜を釣り上げると同様の手段で倒す。釣る竜はワーム、マフート、アムピスバイナにノヅチなど様々だったが、空を飛ぶ竜はけして相手にしない事にアタカは気付いた。
強敵といえるラプシヌプルクルやリンドブルムはともかくとして、単独で行動しているドラゴン・フライにさえ目をやらず、遭遇しそうになれば身を隠し逃げる。今までアタカは愚直に敵を見つければ襲われるのを撃退していたが、先に相手を見つけられるなら一匹ずつ引くという手もあったのだ。
ブラストの動きには全くよどみがなく、まるで彼は簡単な作業をこなすかのように淡々と竜を屠っていく。その様子を見ながら、アタカはある男を思い出した。
「……ソルラク」
戦い方こそ全く違うが、無駄のないその動き方はかつて拳を交えた彼のものとどこか似た雰囲気を持っている気がした。
「ソルラクを知っているのか?」
思わずぽつりと漏れた言葉に、ブラストは足を止めて尋ねる。
「はい……同期です、一応。殆ど話した事はありませんが」
「同期だと? ……そうか、奴も竜使いになったのか」
複雑な表情で言う彼に、アタカは目をぱちぱちと瞬かせた。ソルラクは、フィルシーダ……少なくとも、アタカの周りでは有名人であった。同世代の人間と関わり合おうとしない、異分子として。しかし傭兵であるブラストにまで名が知れるような評判ではない。
「あれは、傭兵だ。私は直接組んだ事はないがな」
「傭兵?」
アタカは驚きに目を見開いた。そんな話は初耳だ。
「竜の地の民の傭兵、しかも子供となれば相当珍しいからな。
あれは傭兵の間でも有名だ……だった、と言うべきか。
数年前に育ての親を亡くして引退するまでの話だ」
数年と言う歳月は、入れ替わりの激しい傭兵達にとっては非常に長い時間だ。十何年も傭兵を続けられるような者は非常に少ない。その前に死ぬか辞めるかするものが殆どだ。そして、そうした者達はすぐに忘れ去られていくのが定めだ。
昨日食卓を共にしたものが、今日になっていなくなる事など日常茶飯事。それを一々気にしていたら傭兵家業など出来るわけがない。
「弾が尽きた。帰るぞ」
十頭ほど竜を狩った所で、ブラストはそういってアタカに魔力結晶の詰まった袋を押し付けた。
「あの、僕は今回何もしてませんし、受け取るわけにはいきません」
「勘違いするな」
それを押し返そうとすると、ブラストはアタカを睨め上げるようにして視線をやった。
「その魔力結晶分の報酬は別に頂く。現金でだ。全部で二千シリカと言ったところだな。
だからそれは使うなり、売るなり、お前が好きにすればいい」
「わかりました」
傭兵が魔力結晶を売ろうとすると、酷く買い叩かれる。竜使いと違って、売る以外に活用する方法がないからだ。無論、解放する形でなら竜使いでない傭兵にも使うことは出来るが、無意味だ。なぜなら、一匹分の魔力結晶で、一匹の竜を倒す事は出来ないからだ。それは即ち、赤字と言うことである。
傭兵が竜を倒そうとすれば、どうしたって金がかかる。銃弾だってタダじゃないし、武具のメンテナンスや維持にも費用はかかる。大気を吸い、ただこの世に在るだけでその存在を保っていられる竜と違って馬は飯を食い金もかかり、老いたり怪我をしたり死んだりもする。だから、傭兵は依頼を受け金を貰わなければ戦う事も出来ない。
そうして金を得ても、装備を整え馬に餌をやり、酒場で酒の一杯も飲めば幾らも残らない。数週間もすればすぐに金は尽きる。傭兵とはそんな職業だ。
「さあ、さっさと帰るぞ、青二才」
そう考えれば今回の仕事は実に楽だった。倒す敵の種類も、方法も問われずいざとなれば竜使いと言う後詰めもある。更に世間知らずの青二才に魔力結晶を高く吹っかけることも出来た。
「私の手が必要であれば、またいつでも声をかけろ」
だから、笑みを浮かべてそういうと、ブラストはアタカと別れたのだった。
門から宿へと帰る道すがら、アタカはずっと今日の戦いを思い返していた。
威力はないものの射程距離に優れる狙撃銃で敵を一匹だけおびき寄せ、抵抗不可能な闇の煙幕で視界を奪うと共に竜を混乱させ、回避を困難にしたところで対竜ライフルを打ち込む。そこまでは、アタカも理解できるし、真似もできる。しかしその後の4種の攻撃が全く理解不能だ。
「おう……アタカ、お前も今帰ったか」
「ムベさん……だ、大丈夫ですか?」
宿に辿り付いた所でかけられた疲れた声に目をやれば、そこにはなにやら憔悴しきった様子のムベの姿があった。げっそりとした彼とは対照的に、実に機嫌の良さそうなイズレが彼の腕に纏わりつく様にくっついている。
「ああ……」
ムベはどこか上の空で頷き、ふらふらと自室へと戻っていく。「またな」と手を振り、イズレがその後をついて同じ部屋に入っていくのを見て、アタカは深く考えるのをやめることにした。
それよりもアタカは彼らを見て、ルル達に連絡しなければならないと言う事を思い出した。ラプシヌプルクルの魔力結晶は集まりきっただろうか、と思いながら宿の店主に遠声を借りる旨を告げ、1シリカ硬貨を入れて彼女達が泊まっているであろう宿に連絡する。
「アタカです。そちらに泊まっている、ルルかカクテはいますか?」
そして、帰ってきた答えに、アタカは危うく受話器を取り落としかける。
「それは……本当ですか?」
何度も確認し、繰り返される同じ答えにアタカは呆然と受話器を置く。
「おう、アタカ! 晩飯まだだろ? 食いにいこうぜ」
「ムベさん」
イズレを振り切ってきたのか、少し元気の出た様子で声をかけるムベに振り向き、アタカは己の言葉が信じられない様子で、呟く。
「ルルと、カクテが……開門が終わったのに、もう一週間も帰ってこないって……」
その声はあまりにもか細く、アタカは己の声色に怯えた。




