第07話 ムベの恋-3
「ウォウ、ウォウ、ウォウ!」
クロが三度鳴き声を上げ、ぐっと伸びをするかのように右足を前に差し出す。それは『敵が近付いている』という合図だった。アタカが敵を感知できるのはおよそ100メートル程だが、クロの魔力であれば数キロは見る事が出来る。
「前方に敵、3匹です」
「……なるほど、よく躾けてあるものだ」
感心した様に言うイズレとその愛竜を、アタカはじっと観察する。ラミアは人間とさして変わらない大きさの竜だ。力は人とは比べ物にならないほど強いものの、騎乗には向かない。シンバの分類で言うと『射手』か『従者』の様な戦い方をするだろう。ラミア自身は完全に近接専門だ。
一方、ムベはエリザベスの背に跨って明らかにカクテと同じ『騎竜手』だ。とは言え、カクテの竜、ウミと違いムシュフシュはさほど大きくは無い。鞍もつけていないから、あまり急激な動きにはついていけないかもしれない。ムシュフシュはどちらかと言うと、近距離から中距離での戦いを得意とする竜である。
「きます!」
思考を巡らせるアタカの感知域に、敵が入り込んだ。クロが警告した通り三匹。相手もこちらに気付いているらしく、真っ直ぐに進んでくる。
「イズレさん、三歩右に、ムベさんはその位置で……上からきます!」
「上ぇ!?」
慌てて視線を上げるムベの目の前で、がさりと音を立てて木の枝から三つの影が落ちてきた。長く細い蛇の様なものが二体、太く丸く短い、ずんぐりしたものが一体。どれも手足はなく、木の幹に溶け込むような茶色をしていた。
アタカはその姿を見て、すぐさま記憶の中からその名を引っ張り出す。
「長い方がワーム、短い方がノヅチです!
ワームには強い再生能力が、ノヅチには毒があるから気をつけてください!」
三匹の竜はアタカの狙い通り、ムベに一匹、イズレに二匹向かう形になる。パピーで真正面から殴りあうには少々辛い相手なので、アタカ自身は奥に控え遊撃の構えだ。
「ノヅチからやります、ムベさん、しばらく凌いでください!」
「おうよ!」
ムベの頼もしい声を背に受けながら、アタカはノヅチの側面を取るように動いた。
ノヅチは獣竜種に分類される、全身を毛に覆われた奇妙な竜だ。手足は無いが蛇にはあまり似ておらず、その名の通り木槌の頭の様な端から端まで均一の太さを持つ円柱形をしている。頭や尻尾どころか目すらなく、片端にぱっくりと開いた大きな口で何とかどちらが前面なのかわかるといった具合だ。
「クロ、火の粉!」
クロが拳大の炎を放つと、ノヅチはそのいかにも鈍重そうな体付きには似つかわしくない俊敏な動きで飛び跳ねかわした。そのまま、落石の様に身体を弾ませながら木の幹を転がりラミアに向かっていく。
回転しながら高速で転がってくるノヅチを、ラミアは剣の様に長く伸びた爪を交差させて受け止めた。金属同士が激突するようなけたたましい音が鳴り響き、ノヅチは跳ね飛ばされるように宙を舞い、ラミアはぐらりと身体をよろめかせる。
そこに、ワームがでこぼこした木の根の上だと言う事を全く感じさせない滑らかな動きでするりと這い寄ると、ラミアの肩口にがぶりと食いついた。
「キーッ!!」
高い声でラミアは叫び、ワームを引き剥がそうとするも、突き立てられる爪も意に介さずにワームはぐいぐいと顎に力を入れる。
ワームはノヅチに比べればかなり蛇に近いフォルムをしているものの、鱗ではなくぬるりとした硬質な皮膚と、瞳孔の無い無機質な瞳から受ける印象はむしろ虫に近い。ラミアの肩口にかぶりつきながらも傷口から紫色の体液を飛ばすその様は、まるで痛みを感じていないかのようだった。
跳ね飛ばされたノヅチが、まるでボールの様に木の根の上を弾んで転がると、再びその身体をバネ仕掛けの様に跳躍させて転がり始める。転がる動きと言っても、車輪蛇の様に精密な動きではなく、落石の様な転がり方だ。車輪蛇と同じ防ぎ方は出来ない。かといって、この状態で体当たりの直撃を食らえばラミアも無事ではすまない。
ムベはワーム一体を相手に飛び回っており、とてもではないがイズレの助けには入れそうもない。ラミアの身体に噛み付いているワームを攻撃するか。ノヅチを何とか防ぐか。一瞬の逡巡の後、アタカが選んだのは『両方』だった。
「クロ、強化を! 後、あれを防いで!」
指示し、クロの魔力を身に纏うとアタカはラミアに向かって駆けた。
「ビー・ジェイ! 爪を!」
両手に嵌めた篭手を構えながら、アタカはラミアの目を見つめて命じる。彼女は苦しげに表情を歪めながらも、彼に合わせて爪を振り上げた。
竜の魔力で強化された筋力で、アタカは思い切り全体重を乗せた拳を放つ。と同時に、ラミアはアタカの拳と挟み込むようにしてワームに爪をつきたてた。
「ギュィッ!」
上下から同時に放たれた攻撃に流石にたまりかねたか、ワームは声をあげてラミアから距離を取る。
「ギャンッ!」
しかし、悲鳴を上げたのはワームだけではなかった。
「クロ!」
やはり、パピーにはノヅチを抑えるのは荷が勝ちすぎる仕事だったらしい。転がるノヅチに跳ね飛ばされ、クロはよろりとよろめいた。その全身を覆っている光が淡く明滅する。クロ自身を強化している魔術が切れかけているのだ。それは即ち、クロの意識自体が途切れかかっている事を示していた。
「クロ!」
慌てて愛竜に駆け寄るアタカは、その異変にすぐに気づいた。クロの呼吸音がおかしい。妙に浅く、ヒュウヒュウと空虚な音のする呼吸を矢継ぎ早に繰り返す。
毒だ、と瞬間的にアタカの背筋を寒気が走った。よく見てみれば、クロの首筋には噛み付かれた跡の様な傷が残っていた。ノヅチに噛まれたのだ。
「アタカ!」
ムベの声に振り向くと、目の前にノヅチが迫っているところだった。ぶつかる寸前でノヅチは身体をピンと伸ばし、アタカに喰らいつこうと口を大きく開く。何本も突き出た乱杭歯と、その奥の喉までがやけにゆっくりした速度で見えた。
その牙が彼に届く直前、太く長い尻尾がノヅチをビタンと打ち付け、弾き飛ばした。
「さっきの借りはこれで返したぞ」
言うイズレに答える暇もなく、アタカは己の身体を引き裂く思いで
「クロ、氷の矢!」
クロにそう命じた。
「ウォ……フ」
クロは苦しそうに顔を歪めながらも、萎えそうになる脚に力を込めて地面を転がるノヅチを睨みつけ、魔術を操る。氷の矢がノヅチに突き刺さるが、それでもトドメを刺すには至らない。しかし、数秒ノヅチの動きを止めるには十分な攻撃だ。ノヅチが氷によって樹に縫い止められるのを見て、アタカは腰のポーチをまさぐった。
「あった……クロ、解毒剤だ、飲んで!」
何十種類もの薬草を調合して作られたその丸薬は、竜の毒にも対抗できる効能を持っている。それを舌で掬い取るようにごくりと飲み込むと、クロの呼吸が徐々に収まっていく。それにほっと胸を撫で下ろしつつも、素早くアタカは戦況を確認した。
二匹のワームはそれぞれ、ムベとイズレが相手している。ノヅチが氷を引き剥がした後襲い掛かるのはアタカとクロだろう。つまりは一対一が三つになる形で、それは非常にまずい。
互いの位置関係を頭の中で思い描き、アタカはノヅチに背を向けると、ムベに向かってクロを走らせた。
「ムベさん、こっちに!」
そう叫べば、ムベは何事かと尋ねさえせずにエリザベスに指示すると、ばさりと翼を翻し、ワームの牙を避けながらアタカの方向へと向かう。
「3で、右に!」
短くアタカはそう叫ぶと、大きく数字を数え始めた。
「1!」
それだけで、ムベはアタカの狙いを察し応える。
「2の!」
互いに近付くように真っ直ぐ進むクロとエリザベス。その身体が交差した瞬間、アタカはクロの手綱を右に思いっきり引いた。
「3ッ!」
同時に、エリザベスもまたクロから離れるように右へと急旋回する。残されたのは、口を大きくあけて飛びついたワームと、斜面を転がるノヅチ。
どちらも急停止など出来るわけもなく、空中で盛大に激突する。
「クロ、エリー、ファイアブレス!」
かち合い転がる二頭の竜を、左右から炎の吐息が攻め立てた。度重なるダメージに耐え切れず、ついにノヅチが魔力結晶を残してその身を地に還す。
「エリー、ブレスそのまま、空に!」
ごうと炎を吹きながら宙を舞うエリザベス。彼女の攻撃から逃れるように、ワームはクロに向かって跳んだ。しかし、それは完全に予想済みの行動だ。
ワームの恐ろしいのは、その再生能力と隙を突いてくる狡猾さである。2対1でなければ、ワームは樹をするりとのぼって葉の影から奇襲してきたことだろう。しかし、空にエリザベス、地上にクロと挟まれていてはそれも叶わない。苦し紛れに襲い掛かってくるのを迎撃するのは容易いことだった。
「クロ、噛みつけ!」
アタカがクロの背に乗ったままワームを殴り飛ばし、体勢の崩れたワームの首筋にクロがガブリと牙を立てる。
「火の粉!」
そしてそのまま、ワームの体内に炎の塊を打ち込んだ。強引に身体をくねらせ、牙から逃れようとするワームの腹に、エリザベスが同じように牙を打ち立て炎をお見舞いする。
全身を内側から焼かれるその攻撃には流石の再生力も敵わず、ワームは断末魔の声すら残さずに大地へと還る。
「悪いがそれ、こっちにもお願いできないか?」
イズレの声に目をやると、そちらではラミアが鋭い爪ですっぱりとワームの胴体を両断しているところだった。紫色の体液を飛び散らせながらも、断ち切られたワームの胴は互いに近付くように蠢き、くっ付き合うとまるで何事もなかったかのように一つに元通りになる。
ワームの再生力は、切断と言う攻撃に対しては特に強いのだ。攻撃の殆どを爪での斬撃に頼るラミアでは、1対1ならば遅れを取る事はないが勝つのもまた難しそうだった。
「今すぐいきます!」
とは言え、3対1ならもはや消化試合の様なものだ。アタカとムベが駆けつけると、あっという間に勝負はついた。
「ふう……一時はどうなる事かと思ったが、何とかなったようだな」
竜の気配を避けて移動し、安全な場所で一通りの回復を施したところで、イズレは息をついてそう言った。
「言ったとおり、頼れる奴だろ?」
「いえ、たまたま上手くいったから良かったけど、危なかったです。
ムベさんがあわせてくれたお陰で、何とかなりましたが」
エリザベスがムベを乗せたまま自由に空を飛べる事に気付いていれば、もっとやりようがあった。遠距離攻撃を殆ど持たない相手なのだから、ムベに二匹任せてアタカとイズレでノヅチを倒し、応援に向かうのが最善手だったと、終わった後になってアタカは思った。
「無事勝てたのだからいいさ。
そもそも、そういった戦い方はまだ始めたばかりだと言うのは
事前に聞いていたことだからな。反省点があるのなら次回に生かせばいい」
それよりも、とイズレは両腕を広げ、己の身体を見下ろして見せた。その衣服や肌、髪はワームの紫色の体液がべっとりと付着し、汚れていた。ワームを切り裂くラミアの傍にいたからだ。勿論、ラミアはイズレ以上に全身ずぶ濡れである。
「これを何とかしたいな」
「そうですね、そのままだと竜を寄せ付けちゃいますし」
死体と一緒に体液が消えていかないのは、それが一種の武器であるからだ。竜を倒しても毒の影響が消え去らないように、竜が与えた影響は消えない。
「この先に、小さな川があるはずだ。そこで水を浴びてくる。
……見張りを頼めるかな?」
降って湧いたようなイズレの提案に、アタカとムベは思わず顔を見合わせた。




