第07話 ムベの恋-1
「おおい、アタカー!」
開門を終えて門を潜ったところで聞きなれた声に顔を上げて見れば、翼竜が翼をはためかせ、アタカの目の前に降り立った。その背に乗っていた大柄な体躯を持つ男の姿は見間違えようもない。
「ムベさん!」
「おう。宿で聞いたら今日はこっちの門に来てるって聞いてな」
会うのは二週間ぶりだろうか。随分長い事会っていなかったような気がする。
「悪かったな、ちょっとシルアジファルアまで行ってたんだ」
シルアジファルア。ここサハルラータの東にある街だ。他の街に行っていたのなら、すぐに戻ってこれないのも道理だとアタカは納得した。
「……あー、あの、前は……悪かった、です」
気まずそうな表情で、カクテはムベにそう言った。次会ったら謝る、という言葉をちゃんと覚えている辺り、彼女もなかなかに律儀である。
「ああ、この前の二人と一緒だったのか。なあに、気にすんな」
鷹揚に応えるムベに、カクテは胸を撫で下ろす。
「お前さんみたいなチビっ子に言われた事なんて、
これっぽっちも気にしちゃいねえからよ!
今だって小さすぎて目に入らなかったくらいだからな!」
しかしそれも、ムベが豪快に笑いながらそう言うまでのことだった。
「なんだとこのハむごーっ!」
「カクテ、それは駄目だ」
『指揮官』としての洞察力からカクテが何を言おうとしたか察し、アタカは素早く彼女の口を手で塞いだ。さすがにまた凹まれては困る。
「ところでムベさん、そちらの方は?」
アタカはカクテを羽交い絞めにしつつ、先程から気になっていた人物に視線を移した。ムベの愛竜、エリザベスに乗っていたのは彼一人ではなかったのだ。
「お初にお目にかかる。私の名はイズレ。君達と同じ竜使いだ。
アタカ、君の話はムベからずっと聞いていたよ。相棒を半月もお借りして申し訳ないね」
眉目秀麗。そんな言葉がピッタリと来る人物だった。切れ長の瞳にすっと通った鼻筋、形の良い唇。背はすらりと伸び、手足が長く顔は小さい。アタカは、何て綺麗な
「凄い、綺麗な女の人……」
男性なんだろう、と思った。その思考と重なるように漏らされたルルの呟きに、アタカは思わずイズレをまじまじと見てしまった。
確かに、女性に見えないことも無い。と言うより、いまいち性別が判別できない。身長は女性にしては高いが珍しいと言うほどでもないし、男性としては高くは無い。胸をまじまじと見れば判別は付くのかもしれないが、さすがにそれは憚られた。少なくとも、一見して判別出来るほどの膨らみは無い。
「それでな、アタカ。コクマの森に行こうと思ってんだが、
あそこは俺とイズレさんじゃちょいとばかり手がたりねぇんだ。
良かったらお前も行かないか?」
「え、と、僕は構わないですけど……」
アタカは背後のルルとカクテを振り返る。彼女達も入れてしまうと5人。リターンディスクで同時に転移できる人数の関係上、竜使いは4人でパーティを組むのが基本だ。勿論、リターンディスクを二枚使ってもいいのだが、タイミングによっては一人で敵の真っ只中に取り残されてしまう場合がある。
「私達はもう少しラプシヌプルクルを集めるから、アタカは行ってきていいよ」
「でも……」
ルルの言葉にも、アタカは逡巡を見せる。
「おじいちゃんも言ってたでしょ。
『色んな竜使いと一緒に戦ってみなさい。
それが少年の幅を広げてくれるじゃろう』って」
そんな彼にカクテはシンバの声真似をしながらそう言った。
麒麟に乗ってあっという間に空の彼方に消えた彼は、数秒後あっという間に空の彼方から帰ってくると、忘れておった、と笑いながらそんな事を言ってまた去っていった。最後まで、わけのわからない老人である。
しかし、その助言そのものは的確なものだ。ルルとカクテが、今後も全く同じ竜を使い続けるのなら彼女達との連携を極めればいいが、そう言うわけには行かない。今後も彼女達はより強い竜を扱い、その戦い方も状況によって変化するだろう。
その度に連携をとる練習をしていたのでは効率が悪すぎるし、何よりそんな練習を毎回するならアタカはいらない。どんな状況、どんな竜であれ同じように統率し、縦横に操る。それがアタカの目指す、彼だけのスタイルの理想像。そしてその練習には、様々な竜使いと組んでみるのが一番手っ取り早い。
「……そうだね。わかった。じゃあ、お世話になります!」
アタカはムベとイズレに深々と頭を下げると、そう言った。
相談がある。その日、アタカはそういわれてムベの部屋を訪れた。サハルラータに来た時からそのままずっと取っていた宿は街の南側。ルルとカクテは西の門付近に宿を取り、イズレは逆に東の門付近に宿を取っているらしい。
一口に同じ街、といってもその面積は広大である。端から端まで竜車でも数時間の距離があり、特に飛竜の類を使役できないアタカにとっては南門から西門への移動も中々大変だった。それでもずっと南の宿を取り続けたのは、はぐれたムベと連絡を取るためだ。
思えば伝言でも残しておけばよかっただけなのだが、アタカがそれに気付いたのは今日の事だった。
「……で、酒場で自棄酒飲んでたらあのイズレさんと意気投合してな。
ちょうどシルアジファルアへの運送依頼があったんで、
ついでにそれをこなしてきた訳よ」
別れていた間の状況を互いに報告しあう。イズレはシルアジファルア近辺で取れる竜の魔力結晶が欲しいが、一人で行くには少し大変な場所だという事で連れ合いを探していたらしい。そこにたまたまムベが現れ、酒の勢いもあって伝言を残し街を飛び出したのだそうだった。
「悪かったな、お前の都合も聞かずによ」
「いえ、そもそもちゃんとパーティを組むとかいう話をしていた訳でもありませんし」
何と無くなし崩しに一緒にはいたものの、別にお互い何らかの約束をしていたわけでもない。アタカがそう言うと、水臭ぇ事いうなよ、とムベは並びの悪い歯を見せて笑った。
「ま、何にせよその間一緒に出てくれる奴がいて良かった。
しかしアタカよ、あんな可愛い女の子を二人も侍らしてるなんて、
お前も隅に置けねえな。まあ、片方は性格はあんまり可愛くないみてぇだが……」
「いや、そういうのじゃないですよっ」
慌てて手を振るアタカに、ムベは「冗談だよ」と喉の奥でくくっと笑う。聞くならこのときしかない、とアタカははっと気付いて尋ねた。
「そういえば、イズレさんって……その、女性なんですか?」
アタカがそう尋ねた途端、ムベは笑みを引っ込めて額に手を当てると
「そうか、アタカでもわかんねえのか……」
沈鬱な表情でそう呟いた。
「……実は、相談ってのはそれの事なんだ」
言い難い話なのだろう。躊躇いがちに、ムベはそう切り出した。
「アタカ、おめぇイズレさんの事どう思う」
真剣な表情で問うムベに、アタカは答えに窮する。どう思うも何も、初対面でロクに会話も交わしていないのだから当然だ。
……いや。
アタカはすぐに、その思いを打ち消した。初めて会う竜に対して、ロクに戦ってないから相手の出方がわからない、などという言い訳が戦闘中に出来るわけがない。観察力、分析力、そして思考能力。適合率という大きなハンディを背負うアタカは、己のそれを最大限利用しなければならないのだ。いわばムベの問いは、アタカの今後の進退を占う試金石のようなもの。
アタカはイズレの姿を、声色を、口調を、仔細に思い出して考える。
――そして、結論を出した。
「……綺麗な人ですね」
「だよなー!」
どんなに考えてもそれ以上の結論など出るわけが無い。イズレが喋ったのなんて自己紹介の一言二言だけで、後はずっとムベがベラベラ喋っていたのだ。外見で言えばそれこそ綺麗という他にない。
「でもな、イズレさんの凄い所は綺麗ってなだけじゃねえ。
あんなに綺麗なのにそれを全く鼻にかけず、俺みたいな奴にも
普通に接してくれる所なんだ」
「……なるほど」
その時点で、アタカは大体ムベの相談の方向性がわかってきた。
「つまり、イズレさんが男性なのか女性なのかを確認して、
もし女性であれば親密になる手伝いをしたらいいんですね?」
「な……なんでわかった!?」
わからないわけがあろうか。
「でも、正直僕もどっちなのか全然区別がつきません」
「一緒に竜に乗ってるとよ……こう、髪とかからほわぁっと良い匂いがするんだよな。
あれで男だったら詐欺だとは思うんだが……」
うーん、と二人は腕を組んで考え込む。
「その、下世話な話になりますけど、着替えとか入浴とかは?」
二週間も一緒に旅していたなら、そう言った場面に遭遇するはずだ。
「それが、気付くと着替えてるんだよな……風呂なんかも、一緒に行った事はねえが
これはどっちかっつうと俺のせいだな」
流石に旅の途中で入浴する機会は無いが、街の中には公衆浴場が幾つもあり、ちょっと気の利いた宿であれば個室に浴室がついてくる程度には風呂は普及している。中には小型化さえしてあれば竜と一緒に入ることの出来る浴場さえあり、砂埃に塗れて旅する竜使い達にとっては浴場は憩いの場である。パーティを組んでいる者同士であれば、誘って共に行くと言うのもさほどおかしな事ではない。流石に混浴という事はないが、男女に別れれば性別は分かる。
「例え男だったとしても、あんだけの美人だろ?
緊張しすぎて誘えやしねえ……」
「それは何と無くわかります」
ルビィやルルの様な美少女を見慣れているアタカでさえ、はっと息を飲むほどの美しさなのだ。妖艶と言うか耽美と言うか、先の二人には無い妙な色気の様なものがあって、風呂に誘うのはムベならずとも気後れしてしまいそうだ。
「……じゃあ、何かさりげなく、男女どちらにしても問題ないけど、
性別によって答えが分かれるような質問をするしかないですね」
「なるほど、流石はアタカだな! ……で、そりゃどんな質問なんだ?」
そう問われれば答えにつまる。アタカがううん、と唸ってるとムベが思いついたように口を開く。
「ブラのサイズを聞くとかか」
「それ相手が男性でも女性でも物凄く失礼になりますよ」
そんな益体も無い会話を交わしながら、彼らの夜は更けていったのだった。




