第05話 適合率-4
「ちょっと、どういうつもり!?」
最初に、カクテが噛み付いた。
「その竜はあたし達の獲物よ、わかってんでしょ?」
他人と戦っている竜を倒してはならないという法は無い。が、本人達が窮地に陥っていない限りは手を出さないというのが、竜使い達の暗黙のルールだった。アタカ達は確かに苦戦はしていたが、残すところはラプシヌプルクル一匹。横槍を入れられるような状況ではなかったはずだ。
興味が無いのか、それとも別の事を思っているのか。ソルラクはカクテの言葉に答えず、じっとアタカ達を睨みつけた。
「結果的にはあなたが手に入れたものでしょうけど、私たちにはそれが必要なの。……多少の対価は払ってもいいから、ラプシヌプルクルの魔力結晶をくれない?」
「そこまで譲歩すること無いって!」
ルルの言葉にカクテは怒声をあげるが、物が相手の手の中にあり、ルールが暗黙のもので明文化されていない以上、無理やり奪い取る訳にもいかない。ルルも内心は憤っていた。
「……これが欲しいのか」
ぼそりと呟き、ソルラクは魔力結晶を掲げて見せた。
「そうだよ! っていうか、本来はあたし達のものなんだからね!」
カクテの抗議を無視し、ソルラクはちらりとアタカに視線を移す。反射的に、アタカは彼を睨み返した。
「……いいだろう」
それに反応したのか、それともそうでもないのか。表情をピクリとも変えぬまま、ソルラクは斧槍を構えた。
「力づくで奪って見せろ」
斧槍とはその名の通り、槍の様に長い柄と鋭い穂先、そして斧の様な半円形の刃を備えた複合武器だ。竜に対する為の武器ではない。人がまだ人と争っていた時代……竜が世界を満たす前に使われていた武器。
即ち、骨董品に限りなく近い代物だ。
対人に限ってみれば、槍の突きと斧の斬撃を繰り出すことが出来るリーチにも威力にも優れた武器ではあるが、その分重く扱いも難しい。それを、ソルラクは左手に魔力結晶を持ったまま、片手で構えて見せた。
とは言え、如何に優れた膂力を持っていようと人は人だ。竜の力とは比べ物にならない。馬鹿にされたと感じ、カクテは相棒に命じた。
「望み通りにしたげるわ! ウミ!」
ウミのしなる尾が、ソルラクを襲う。本気で攻撃するつもりはない。手加減した威力で打ち、傍らの竜が庇ったところをアタカかルルが追撃し、魔力結晶を奪えばいい。
そんな意図で放った攻撃を、ソルラクは無造作に斧槍を振るい、逸らした。傍らのリザードマンはぴくりとも動いていない。
「嘘でしょ……」
「……本気で来い」
驚きに目を見開き呟くカクテに、ソルラクは言った。
「三人纏めてな」
ぷちん、と何かが聞こえる音がした。
「……あんたが言ったんだからね」
低く唸る獰猛な獣の様に言う主人の命に従い、ウミはその巨体をソルラクへと向ける。
「悪いけど、手加減はしないから」
ルルも無数の氷の矢を浮かべ、そう宣言した。
「ちょっと、二人とも……」
流石に竜を人に向けるのは抵抗がある。アタカは少女達を諌めようとした。
その、次の瞬間。
氷の吐息を吐き出そうとしていたウミの顎が、リザードマンの剣によって跳ね飛ばされた。曲刀の峰を使った打撃の為切れてはいないが、人と同程度の大きさの生き物が出したとは思えない衝撃にウミはぐらりと膝を突く。
同時に放たれた無数の氷の矢を、ソルラクは最低限の動きでかわし、避けられないものだけ斧槍で迎撃した。
「狙いが甘い」
その言葉と共に一瞬にして間合いを詰め、ソルラクは斧槍を横に振る。その一撃はルルの手の上にいるディーナの小さな身体を精確に打ち据えた。
しかし、その一撃はディーナには届いていない。咄嗟に張った氷の壁がソルラクの攻撃を防いでいた。
「油断するな」
攻勢に転じようとするルルに、ソルラクはぼそりと呟く。同時にリザードマンの曲刀が振り下ろされ、氷の壁を破ってディーナをしたたかに打ち据えた。
「弱い」
手を前に突き出したまま、軽い音を立てて地面に転がるディーナをルルは呆然と見つめた。彼女に興味をなくしたかのようにソルラクは背を向け、残る一人……アタカを睨みつける。
「お前は来ないのか」
ソルラクの動きはあまりに早く、アタカは全く反応できなかった。その攻撃を防ぐ事も、攻撃の照準を定めることすら出来ず、アタカはただそれを見ていることしか出来なかった。
……しかし。だからこそ、アタカは全力で『見て』いた。漫然とではなく、ソルラクの一挙一動を余すところなく、観察した。
「強化魔術……」
呟くアタカに、ソルラクは初めて僅かに眉を上げた。
彼の動きも、膂力も、人の領域からかけ離れている。まるで小型の竜の様な強さだ。
「竜の魔力で、自分を強化してる。それが今の動きの正体だ」
人間の魔力で強化しても、魔術を極めて精々倍程度。竜との戦いには焼け石に水と言っていい程度の効果しかない。しかし、もしその竜の魔力を用いて己自身を強化できるとしたら、それは竜に対抗できる程の強さを得る事も不可能ではないかもしれない。
アタカの言葉に、ソルラクは答えずただ斧槍を彼に向けた。その沈黙を肯定と受け止めたアタカは、頭の中で急ぎ対応策を練り上げた。ソルラクと同じ方法で自分を強化する事は出来ない。クロにはそんな訓練はしていないからだ。
クロに出来るのは、何度も何度も繰り返した練習に裏づけされた、特定の技だけ。それ以外を急場で行う事は不可能だ。
「クロ、火の粉!」
だから、アタカはやれる限りの手を尽くす事に決めた。ぽぽぽぽ、と音を立てながら、小さな火弾をクロは無数に吐き出す。炎が草原を埋め尽くし、炸裂音とともに閃光が辺りを照らす。
その光を切り裂くかのように、黒煙を纏いながらソルラクはアタカに向かって突進した。それに対しアタカは既に唱え終わっていた魔術を解放する。
「捕縛!」
白い光の輪がソルラクの身体を包み込み、バチンと音を立てて締め上げる。動きを縛る魔力の枷だ。これは肉体的な力ではけしてはずすことが出来ない。ソルラクが竜の魔力で自己強化を行っていたとしても、それはあくまで筋力に限ったもののはず。魔術的な防御能力はソルラク自身のもので、抜けるにはある程度時間がかかるはずだ。
「クロ、爪!」
同時にアタカはクロに指示を飛ばす。アタカの視線が指し示す先に、クロは鋭い爪を振り下ろした。金属音が鳴り響き、その爪をリザードマンの曲刀が受け止める。ソルラクの陰に隠れ、リザードマンもまたすぐ傍まで迫っていたのだ。
流石は適合率98%、ソルラクとリザードマンの連携はもはや腕が4本の怪物を相手にしているかのような錯覚を覚えるほど滑らかなものだった。しかしだからこそ、その動きは予測しやすい。ソルラクの一撃の後には、必ずリザードマンの攻撃の追撃が来る。アタカは、ルルやカクテとの戦いだけでそれを見抜いていた。
そのままアタカはソルラクに向かい、拳を構え突進する。動きを封じたとは言え竜の魔術で強化されたソルラクに、人の攻撃など効く筈も無い。だが、今のアタカは別だ。彼もまた、その筋力は竜の魔力で増大され、人外の範囲に足を踏み入れていた。と言っても勿論、強化しているのはクロではない。
「アタカ……やっちゃえぇっ!」
ルルが叫ぶ。彼女の手の上には、怪我を負いつつも力を振り絞り、アタカを強化するディーナの姿があった。
アタカとソルラクの姿が交錯し、衝撃音が走る。
……そして。
ゆっくりと、アタカは地面に倒れこみ、膝を突いた。ソルラクが寸前で捕縛の魔術から脱し、魔力結晶を握り締めたまま左拳を彼の腹に叩き込んだのだ。
主人が攻撃され、激昂して襲い掛かるクロの後頭部をリザードマンが曲刀の峰で打ち据え、戦闘は終了した。
「……弱い」
3対1での戦いに傷一つ付かず勝利した男は、ぼそりとそう呟く。
「弱すぎる。死にたくなければ街に篭ってろ」
そういい捨てると、ソルラクは彼らから興味を失ったかのように踵を返し、立ち去っていった。
「く……うぅ……」
アタカは腹の痛みと共に、溢れ出る涙を必死で堪えた。腹の底から激情が溢れ、慟哭となって口から知らず漏れ出る。それは怒りでも、悲しみでも、憤りでもない。ただひたすらに自分を鍛え、上を目指した彼が、初めて感じる強い感情――敗北の、悔しさだった。
強くなりたい。力が、欲しい。
アタカは初めて、心の底からそう願った。
「……主ヨ」
アタカ達から十分離れた、草原の果て。リザードマンは、たどたどしい口調でそう主人に話しかけた。リザードマンは、話すことができた。
「ソウ落チ込ムナ」
ソルラクはその言葉に答えない。しかし、高い適合率を持つ彼のその心中は、我が事の様にリザードマンには知る事が出来た。
「確カニ、たいみんぐハ悪カッタナ。
助ケルナラ モウ少シ前カ、後ダッタラ良カッタカモシレナイ」
饒舌に、リザードマンは主の心中を代弁する。
「ソウダナ、我ラモ初メテ らぷしぬぷるくる ト 戦ッタ時ハ 酷イ目ニアッタナ」
ラプシヌプルクルの毒は、近付くだけで皮膚を爛れさせ、蝕む。その上飛んでいる為物理攻撃は当てにくいが、精霊種なので魔術に対する抵抗力も高い。ルルの魔術では接近されるまでに倒しきれないのは、ソルラクの目には明らかだった。あのままであれば、負ける事はなくともアタカ達の肌は酷いことになっていたはずだ。
「ダガ、ソノ後ノ対応ハ……ソレハ、確カニ アノ空気デ
『魔力結晶ハ渡ス』ト言ッテモ 聞キ入レラレナカッタ カモ 知レナイガ。
……ソウダナ。1対3デ アソコマデ圧倒シテ シマッタノハ私モ計算違イダ。
仮ニモ 1位ト3位ガ 揃ッテタノニナ」
リザードマンはため息をつく。爬虫類そのものの顔を持っているものの、その表情はソルラクよりもよほど人間くさかった。
「ダガ、最後ハ勝タセテ ヤッテモ……本気デ戦ウ相手ニ 手ヲ抜イタラ無礼?
……相変ワラズ、主ハ妙ナ所デ 頭ガ固イナ」
ソルラクは人と……特に同年代の相手と、どう接していいかわからない、と言う。凄まじいまでの口下手で、表情も殆ど変わらない。その上あまり視力が良くない為にいつも目を細めてみる癖のある彼は、どう見ても常に険しい顔をして人を睨んでいるようにしか見えない。
『弱すぎる。死にたくなければ街に篭ってろ』
そう言ったときの彼の心境を文章に起こすとするなら、
「この辺りの竜は強敵が多い。
もう少し街で訓練してから来た方がいいと思う。
それと自分に、最低限の防御魔術は竜にかけてもらわないと危険すぎるよ。
命は一つしかないんだから大切にしてね」
と言ったところだろうか。口下手にも程があるだろう、とリザードマンは呆れつつも、自分自身も相当な凶相で、そのしわがれた金属を擦り合わせるような声が他人に恐怖感を抱かせる事は十分認識していたので、あえてフォローはしなかった。
しかし、どこまでも不器用で実直なこの主人を、リザードマンは誰よりも大切に思っていた。
「ドチラニセヨ、主ヨ。モウ少シ、こみゅにけーしょん能力トヤラハ、
身ニツケタ方ガ イイト思ウゾ」
しみじみと言うリザードマンに、ソルラクはこくりと頷いた。




