第04話 商業都市サハルラータ-2
「ム、ムベさんー!?」
名を呼ぶアタカの制止を振り切り、ムベはあっという間に駆け去っていく。
「放っておきな」
それを追うか、しかし折角会ったルル達を置いていくのはどうかと悩むアタカに、店主の老婆はそう声をかけた。
「あれもいい年をした男なんだから折り合いは自分でつけるさ。
そもそも追いかけて何と声をかける気なんだい」
問われ、アタカは言葉に詰まる。
「……でも流石にさっきのは酷いんじゃ……」
「キモい奴にキモいって言って何が悪いの」
ルルの言葉に、カクテは納得いかない様子で唇を尖らせた。
「……本人も顔の事はかなり気にしてるんだ。だから」
「顔の事なんて言ってないよ。あの変な取り繕った口調がキモいって言ってんの。
最初に店に入ってきた時に言ってたみたいのが地でしょ?
それが猫撫で声で『お嬢さん』なんて言ったらキモいじゃない」
カクテの言葉に思わずアタカは確かに、と納得した。最初にアタカがムベに会った時もあんな感じの口調だったが、肩肘張った口調よりも多少粗野でも気のいい普段の口調の方が彼には似合っている。
「……でも本人は顔の事だと思ってると思うよ」
アタカがそういうと、カクテはむっと呻いた。
「ああ見えて結構ムベさんナイーブだし」
「見間違いでなければ、最後泣いてたよね……?」
口々に言うアタカとルルに、カクテはため息をついて降参するように両手をあげる。
「わかった、わかったよ。次会ったら謝る。それでいい?」
「多分」
ムベも物分りの悪い男ではない。顔の事じゃないといえば納得するだろう、と考えアタカは頷いた。
「ごめんね、この子いい子なんだけどちょっと口が悪くて考えが浅いの」
「あんたも結構なもんだと思うけどね!?」
カクテを抱き寄せるようにしながら言うルルに、カクテは抗議の声を挙げた。
「……盛り上がるのは構わないんだけどね、うちは喫茶店じゃないんだよ」
呆れた声で言う店主に、アタカ達は揃って頭を下げた。
三人は魔力結晶を扱う店を出た後、積もる話もあるし、という事で喫茶店へと向かった。ルルとカクテはサハルラータに来てそれなりに経っているらしく、迷うことなく路地裏を進み、大通りに出て馴染みの喫茶店にアタカを案内する。
「じゃあ、適合率0%のまま竜使いやってるんだ」
パフェを口に運びながら、カクテは感心したように言った。
「さっきのムベさんの力を借りながら何とか、って感じだけどね」
「それでもすごいよ。念話が使えなかったら、私まともにこの子を操れないと思う」
ルルの言葉に反応するように、彼女の上着のポケットからぴょこんと雨龍が顔を出した。
「そういえばその子、名前なんて言うんだっけ」
「ディーナよ。よろしくね」
手の平サイズまで縮んだルルの相棒は、空中でくるりと回ってアタカにお辞儀をした。
「んじゃうちの子も。ウミ、挨拶して」
カクテが鞄をひらいて言うと、小さな赤い竜がふわりと宙に浮かんでチーチーと声をあげた。その姿は、アタカも見たことのあるものだ。
「タツノオトシゴかぁ。定着させたタツノオトシゴは強いって聞いたけど」
魔力結晶を纏った竜の強さは、魔力結晶自体の強さは勿論、元々の強さも関係する。野生のタツノオトシゴは人でも倒せるくらいに弱い竜だが、竜使いが己の相棒に定着させ操ると野生とは全く違う強さを手に入れる、という話をアタカは聞いた事があった。
「そりゃ、パピーよりは強いよ」
悪気なく言ったその言葉に、アタカはぴくりと笑顔を引きつらせる。
「そうは言ってもタツノオトシゴでしょ? 人でも倒せるくらいの竜だし」
言い返すアタカの言葉に、カクテは露骨にむっと表情を強張らせる。
「……もしかして喧嘩売ってる?」
「そっちこそ」
「……」
「……」
二人は同時に、無言でがたりと椅子を立ち上がる。
どうしてこうなるの、とルルはため息をついた。
「じゃあ、ルールを説明しまーす」
投げやりな声で、ルルはそう始めた。あれから三人はアタカの宿まで行くと、クロを回収してそのまま郊外の訓練場へと向かった。竜を訓練する為の施設は街の中に何箇所もあるが、郊外のものは中心地のものに比べ広く、アタカの宿からも近かったので好都合だ。
「まず、消耗型の防御結界を張ります」
ルルの宣言と共に、クロとウミの身体が赤い光で包まれる。衝撃を半減させる魔力タイヤや竜鱗甲とは違い、ダメージを完全に防ぐタイプの結界だ。代わりに衝撃を受ける度にそれは薄れていき、ある程度のダメージを防ぐと消えてしまう。その性質上、模擬戦で好んで使われる。
「これが消えた時点で負け。ただし、直接結界を消す解呪系の魔術の使用は不可。
竜使いを故意に狙うのも反則です」
「故意かどうかってどうやって判定するの?」
ふと気になって尋ねるアタカに、ルルはきっぱりと答える。
「私がルールです」
「……了解」
相変わらずの幼馴染に苦笑しつつも、彼女なら公平に審判を務め上げるだろうとアタカは思った。彼女は不正や悪を酷く嫌う。15年の付き合いでも、彼女がアタカを贔屓する事は無いだろうという確信があった。
「オッケー、じゃあ始めようか」
そういうカクテの声は純粋に楽しげだ。衝動的な怒りは1時間の移動中にすっかり抜け、今はアタカと自分の腕を試すこと自体に楽しみを見出していた。
「行こうか、クロ」
ウォウ、と吼えるクロの横で、アタカは戦いに備え構える。対してカクテはウミを前に出して自身は後方に控える。言うまでもなく、カクテの方が一般的な竜使いのスタイルだ。
「じゃあ、いざ尋常に……はじめっ」
何故かやたら古めかしい言葉遣いでルルは手を振り下ろした。同時にウミとクロが動く。
「ウミ、水鉄砲ッ!」
「クロ、姿勢を低くして突進だ!」
ウミは銃弾の様に口から水の塊を矢継ぎ早に何発も吐き出した。その威力は野生のタツノオトシゴの比ではない。岩を穿ち、肉を切り裂く銃弾そのものだ。水平に放たれたそれを、クロは地を這うように身を低くしてかわした。背中を何発かかすめるが、ダメージはごく小さなものだ。
そのままクロは思いっきりウミに体当たりした。ダメージを吸収する結界を纏ってはいても、片や手の平に乗るほどの大きさ、片や子牛ほどの巨体。その体重差は如何ともし難い。ウミは吹き飛ばされ、くるくると宙を舞った。
「ウミ!」
空中で回転しながら、カクテの意思を読み取りウミはその尻尾を鞭の様にしならせクロをしたたかに打った。ゴムの様に伸びる硬質な尻尾は目にも止まらない速さで振るわれ、鋼の剣よりも鋭い切れ味でクロを切り裂いた。
「クロ、火炎の息!」
ダメージ自体は結界によって防がれている。アタカはウミの攻撃に構わず命じた。カチンと牙を鳴らして火花を散らし、クロは大きく口を開けて空中のウミに向かって炎を噴出す。
「水で防いで!」
広く放射状に吐き出された炎の吐息は逃げ場が無い。カクテは一瞬でそれを見極め、水鉄砲で防御させた。炎と水とが交差し、じゅっと音がして水は一気に蒸発した。立ち込める蒸気の中、カクテはクロとアタカの姿を見失う。
しかし彼女は慌てず、濃霧の様に立ち込める蒸気の中に目を凝らした。相手の位置を補足出来ないのはアタカも同じだ。ならば、かくれんぼは身体の小さなウミの方が有利。このまま蒸気が消えるまで動かなければそれでよし、動くなら相手の影が見えればそれに攻撃すればいい。
ゆらりと蒸気の壁が揺らめき、大きな影がウミに飛び掛る。瞬間、ウミの尾がしなって伸び、その影をバラバラに切り裂いた。
「えっ!?」
カクテは驚きに目を見開く。尾の攻撃にそこまでの威力は無いし、あったとしても防御結界が効いている。それと同時に、「これは違う」という戸惑いの声がウミから伝わってきた。
「……ウミ、後ろ!」
気付いた時には、もう遅かった。先ほど切り裂いた影とは反対の方角から蒸気を掻き分けてクロがその姿を現し、アギトを大きく開く。そしてそのまま、ぱくりとウミの身体を咥えた。
「勝負あり!」
やや慌てた声で、ルルが宣言した。防御結界があるからと言って、丸呑みにされてはただではすまない。流石にアタカもそんな事を指示はしないだろうが、飲み込まずに咥え続けるクロの体内に向けて攻撃すれば、今度はクロの方がただではすまない。結界の類の例に漏れず、消耗型も内部への直接攻撃は防げないのだ。
「アタカの勝ち、って事でいいよね?」
「ん、悔しいけど文句は無いよ」
その辺りはカクテの方も心得ており、ルルの言葉に素直に頷く。蒸気が晴れると、氷の塊が転がっていた。さっきウミが切り裂いたのはこれだ。
「一つ聞いていい?」
氷の塊の向こうにいたアタカに、カクテは問い掛けた。
「こっちの場所、どうやって特定したの?」
「単に熱源感知を使っただけだよ」
「そんなドマイナーな魔術覚えてる竜使い、アタカくらいだと思うよ」
あっさりと答えるアタカに、ルルは苦笑した。
熱源感知は赤外線を見る事で、生き物の様に周りより温度の高い物を見通すことが出来る。暗闇でも生き物を見つけられるが、温度が周りと変わらないもの……地形や障害物は見ることが出来ないので、灯りや暗視を使うのが普通だ。
今回の様に濃霧のような場合には効果を発揮するが、そんな状況に一生のうちに何度遭遇するというのか。
「氷の像を作ったのも君だよね。いつもこんな戦い方してんの?」
「まあ……そうかな」
こんな戦い方、がどれを指しているかはわからなかったが、吉弔も車輪蛇も似たような方法で倒していたので、アタカは頷いた。基本的には不意打ち、奇襲奇策だ。そんな彼に、カクテは声をあげて笑った。
「そっか、そっか。……パピーのこと、馬鹿にしてごめんね」
「いや……僕こそ、タツノオトシゴを馬鹿にするようなこと言ってごめん」
素直に謝るカクテの笑顔に一瞬どきりとしながらも、アタカは頭を下げた。
「喧嘩して仲良くなれるんだから、男の子っていいよね……」
呆れ半分、羨み半分でルルは呟く。
「待ってルル、あたし女の子」
「あんまりそんな感じしないけどな」
先ほど感じた妙な気持ちを打ち消すように、アタカはそう軽口を叩いた。
「そっちこそ、女みたいな顔してるくせに」
少しむっとして、カクテは答える。
「……もっかいやるか?」
「今度こそ勝つ!」
戦闘体勢をとる主人達に答え、クロとウミも一声鳴いて準備をする。
若い竜使い達はその日、日が暮れるまで模擬戦を楽しんだのだった。