第03話 ドラゴン・レース-3
ギャリギャリと音を立て、地面を削りながら走る車輪蛇の体当たりをクロは何とかかわす。予想通り舗装された道を行くほどの速度は無いようだったが、竜車を引いていない分その動きは軽快だ。
車輪蛇は速度を落とさないまま大きくUターンすると、再びアタカ達に向かって真っ直ぐに突っ込んでくる。
「クロ、炎で迎撃だ!」
すう、と大きく息を吸い込み、クロは炎の吐息を吐き出した。それは地面に生い茂る草に燃え移り、まるで壁の様に立ち上る。
しかし車輪蛇は全く勢いを落とすことなく、炎の壁を突き破りクロに体当たりした。凄まじい衝撃にクロはギャンと鳴き声をあげながら吹き飛ばされる。
「クロッ……!」
その背にしがみつきながら、アタカは内心舌打ちした。直線的で読みやすい動きではあるが、その速度以上に回転しているという点が厄介だと今更ながらに気付いたのだ。
滑らかな鱗に覆われた背中は、高速で回転する事により炎を弾いてしまう。まずはあの動きを何とかしないとまともにダメージが与えられそうに無いとアタカは分析した。
ダメージの残る四肢を震わせながら、何とか身体を持ち上げようとするクロに車輪蛇が真っ直ぐ突っ込む。咄嗟に、アタカは両腕を突き出して魔術を練った。
「氷の矢っ!」
狙いは車輪蛇ではなく、その手前。氷の矢が地面に突き刺さり、ジャンプ台の様になったその上を車輪蛇は走り、その勢いのまま高く宙に飛び上がった。そのままクロとアタカを飛び越え、反対側に着地する。
これでとりあえず時間は稼げる。そう安堵するアタカの前で、車輪蛇は身体を傾けた。その傾きにしたがって車輪蛇の身体はアタカ達の周りをぐるぐると回り始めた。バキバキと音を立てて氷で作ったジャンプ台を踏み壊し、アタカ達を逃がさぬとでもいいたげに周囲を回りながら車輪蛇はじわりじわりと距離を詰める。
「クロ、大丈夫?」
アタカの問いに、クロはヴォウと吼えて答え立ち上がった。ダメージは小さいものではないが、戦闘に支障はなさそうだ。
とにかく動きを止めなければ、とアタカは考えた。高速で回転、移動する車輪蛇には殆ど攻撃が当たらず、当たってもダメージは薄い。アタカはぐるぐると周りを回る車輪蛇を警戒しながら、地面へ向けて手を伸ばし呪文を唱える。
「Gonaslnadava,Dogolma Sleizy Tagardo! 土道!」
海岸でも使った魔術で、アタカは地面に穴を作り出した。と言っても、その穴の空く速度は緩やかで普通の竜であれば落ちる前に飛びのける程度のものだ。しかし、相手は回転によって移動する車輪蛇。急には停止も曲がる事もできず段差にも弱い。
しかし、そんなアタカの目論見は容易く打ち砕かれた。車輪蛇は一瞬楕円の形に身体をたわませると、そのままバネに弾かれたかのように跳躍した。
「なっ……跳んだ!?」
驚きに目を見開くアタカの服の袖口をクロが咥え、後方に飛びのく。引っ張られて地面を転がるアタカの体を、落下してきた車輪蛇が砕き弾き飛ばした石飛礫がしたたかに打ち据える。
「ぐっ……ありがとう、クロ、助かった」
アタカの全身を焼くような痛みが走るが、それですんだのはクロのお陰だ。車輪蛇の落下攻撃をまともに受けていたら、彼はぺちゃんこに潰れていた事だろう。
車輪蛇は身体を起こすとすぐさま回転を再開する。アタカ達の周りをぐるぐる回りながら隙を伺い、隙あらばまた突進するか、跳躍して落下攻撃を放つつもりらしい。
「Nimninva,Pinala Zasto! 水弾!」
アタカは次々に水の弾丸を放つが、高速で動き回る車輪蛇には当たらず地面を叩くばかりだ。そもそも、当たったところでその威力はタツノオトシゴのものにすら劣る威力しかない。人間相手なら怯ませるくらいは出来るだろうが、竜相手には牽制にすらならなかった。
その様子を見てアタカにはもう打つ手なしと踏んだのか、車輪蛇は軌道を変えてアタカ達へと突進した。車輪蛇はさほど強い竜ではない。しかしそれでも、パピーにとってその高速の体当たりは脅威以外の何物でもなかった。一撃は辛うじて耐えたものの、二撃喰らえばそれ以上戦うことは出来ないだろう。最悪死んでしまうかもしれない。
クロはその突進を身をかわすことも出来ず睨みつけ、威嚇するように一声鳴いた。かわすことが出来なかった理由は、アタカがクロに乗っておらず彼を見捨てられなかったから。
そしてもう一つの理由は、冷気の矢の魔術を練り上げていたからだ。
凄まじい衝突音と共に、車輪蛇が地面を転がる。
アタカの放った水弾。その狙いは攻撃でも牽制でもなく、地面を濡らす事だった。濡れた地面をクロの魔力で凍らせれば、草原は瞬く間に凍った湖の様にツルツルの氷面へと姿を変える。そこに車輪蛇が突っ込めば、滑って転倒するのは避けられないことだった。
「クロ、噛み付け!」
咥えていた尾もはずれ、普通の蛇の様に地面に転がりながらどうにか動こうと身をよじる車輪蛇にクロは圧し掛かる。その太く鋭い真っ黒な爪は、しっかり氷面に食い込んでその身体を支えた。そして口を大きくひらき、クロは車輪蛇の首筋にがぶりと噛みつく。
車輪蛇の尾はしばらくじたばたと動きクロの身体に巻きつこうとしたが、クロの脚がそれを抑え許さない。やがてその動きも緩慢になり、その身体は光り輝く粒子となって消えた。
「やった……! やったぞ、クロ!
僕達だけで、竜に勝ったんだ!」
後に残る魔力結晶を拾い上げ、アタカはクロに抱きついて喜びの声をあげた。
その翌日。
ムベは高く上っていく太陽を睨むように眉を潜めながら、御車台の上でアタカをじっと待っていた。
「……そろそろ、時間だな」
それに声をかけるナガチの表情は不自然に硬い。まるでアタカを心配しているようにも見えた。
「アタカ君は本当に来るのかね。よもやと思うが、囮として捨ててきてはいまいね?」
「来るさ」
地平の彼方を見つめ、ムベはそう答えた。休憩地から休憩地までは、竜に乗って半日程度の距離だ。もし怪我を負っていれば一日でたどり着くのは難しいかもしれない。ましてやアタカが連れているのはパピーだ。あまり騎乗に適している竜とはいえない。
しかしそれでも、ムベはアタカがくることを信じていた。少なくとも、最後まで諦めはしない。まだ数日の短い付き合いだが、アタカにはそう思わせるだけの何かがある。なら、自分も最後まで諦めず彼を待つ事が、己に課せられた事なのだとムベは思った。
「そうかね……ならば、開始を少し遅らせよう」
「どういう風の吹き回しだ?」
ナガチに人としての情なんてものがあるとは思えない。その裏に隠された真意を見通そうとでもするかのように、ムベはナガチをじろりとにらみつけた。
「ワタシはキミたち二人に勝負を挑んだのだ。ならば、二人が揃うのに多少の
便宜を図るのは当然だろう?」
そんな玉か、とムベは内心吐き捨てる。彼の知るナガチという男ならむしろ、アタカがいないことを盾にして不戦勝を宣言する方が余程しっくり来る。
「……待つ代わりにハンデをつけるとかって話じゃねえだろうな」
「勿論だとも」
鷹揚に頷くナガチを胡散臭げに見やり、ムベは息をついた。どんな魂胆があろうと、アタカの到着を待ってくれるのはありがたい。どの道三戦目は、アタカが来なければ勝ち目は無いのだ。
「……きたか?」
それから、待つこと十数分。不意に地平線に上る砂埃に、ナガチは声をあげた。
「いや、ありゃあ……車輪蛇か!?」
草原を疾走する蛇の姿を認め、周りの竜使いたちは戦闘体勢を取る。アタカが竜を変化させられない事は全員把握済みだ。パピーでない以上、アタカであるわけが無い。
「いや待て、中にパピーが入ってるぞ!」
攻撃を始めようとする竜使いたちの中から、誰かが叫んだ。高速回転する車輪蛇の身体の中央に、パピーがその身体を丸め収まっていた。よくよく見ると車輪蛇の身体も薄く透き通っており、半透明だ。
「すみません、ムベさん! 遅くなりました!」
それは竜に纏わせたのではなく、魔力結晶を解放した結果だった。しばらくの間高速移動を可能にする、車輪蛇の魔力結晶の能力だ。
「いや、それはいいけどよ……お前、結晶使っちまったのか?」
魔力結晶は基本的に使い捨てだ。能力を解放するにせよ、竜に纏わせるにせよ、一度使えば消えてなくなってしまう。クロが纏っていた車輪蛇の幻影は、目的地に到着した事によって消え去っていた。アタカが到着しても、魔力結晶を使ってしまっては何の意味も無い。
「あ、いえ」
アタカはごそごそと懐を弄り、緑色の宝石を取り出す。
「クロの速度じゃ間に合わないと思って、余分に狩ったんです。
倒すコツも掴めましたし」
アタカが取り出した魔力結晶は1つではなかった。三つ差し出された結晶を見て、ムベだけでなくナガチや他の竜使いたちもぽかんと口を開けた。
車輪蛇は、確かにけして強い竜ではない。が、けして弱い竜でもないのだ。特に高速移動からの体当たりは厄介で、適合率の低い竜使いだと迎撃が間に合わずに逃げの一手を打つしかなくなる事も多い。
それをアタカは、言葉も通じぬパピーとたった一組で、少なくとも4体も撃破して見せたという事なのだ。それは、適合率を絶対視している竜使いたちにとって驚くべき戦果だった。
「はっは! 流石俺の見込んだ男だ!」
ムベは乱暴にアタカの頭をぐしゃぐしゃと撫で、魔力結晶を受け取る。
「一晩頑張って、疲れたろ。竜車の中で休んでな」
そして獣じみた笑みを見せ、言った。
「後は俺とエリーに任せとけ」