第03話 ドラゴン・レース-2
カンカンカン、と音が鳴り響く。
アタカがこれを聞くのは三回目。開門を知らせる鐘の音だ。
「おはよう、お二人さん」
準備を万事整えたアタカ達の前に、身体に蛇を巻きつけたナガチが訪れた。
「随分男前になったもんだな」
ニヤニヤと笑みを浮かべながらムベが言うと、ナガチは顔を引きつらせる。彼の顔は一晩経って赤く腫れ上がっていた。
「早速だが、ルールを説明させていただこう」
咳払いし、ナガチはムベを無視して始める。
「サハルラータまでに休憩地が二つあるのは知っているだろう」
壁に阻まれた大きな街は、大陸にさほど多くない。人々は数少ないその街に寄り集まって生きているが、街と街の間は竜に乗って移動しても数日の距離があった。その移動を助けるのが、休憩地と呼ばれる中間地点だ。
街や村があるわけではないのだが、ある程度野営を行える設備と身を守る為の簡単な結界が張られている。もちろんそれだけで竜の襲撃を防げるわけではないのだが、複数の竜使いが集まって休めばそうそう竜は襲い掛かってこない。
「その休憩地、そして目的地のサハルラータ。それぞれどちらが早く到着できるか
という勝負にしよう。つまり、朝は同じ地点からスタートし、ゴールも同じ
三本勝負と言うわけだ」
「……お前にしちゃあマトモな勝負だな」
不信を露わにし、ムベは唸る。彼はナガチが純粋なレース勝負を仕掛けてくるとは思っていない。
「もちろん、外の世界での勝負だ。多少の『事故』はあるかも知れないが……
まてまてまて。今回は竜を連れているぞ!」
表情を変えぬままぐっ、と腕を振りかぶるアタカに、ナガチの身体に巻きついた蛇が威嚇するように口を大きく開けた。
「……まあいい。そっちが実力行使でどうこうして来るってんなら、こっちも
それに答えるまでだ」
2対1ならなんとでもなる、とムベは踏んだ。ムベほどではないが、ナガチの適合率もさほど高いものではないし、竜扱いも上手くない。同期の癖にこんな街で燻っているのが何よりの証拠だ。
「全く、恐ろしい連中だ。……じゃあ勝負といくか」
竜車に乗り込もうとするナガチの背に、ムベはふと気になった言葉を投げかける。
「おい。……お前はその竜で勝負するのか?」
ナガチの身体に巻きつくのは、どう見てもただの蛇にしか見えない。大蛇の範疇に入る巨大な蛇だが、お世辞にも竜車を引くのに向いているようには見えなかった。
「ああ、そうさ」
ナガチが腕を伸ばすと、蛇は滑らかな動きでするりとその腕を伝うと、竜車と竜を繋ぐシャフトに巻きついた。
「門が開ききったら、レース開始だ」
そういい残し、ナガチは竜車の中に姿を隠す。ムベも御車台に乗り、手綱を取った。ゆっくりと門が開いていき……そして、開ききって止まった。
歩を進める竜使いたちの中、二台の竜車が猛スピードで走り出す。唖然とする観衆が聞いたのは、龍馬の蹄が石畳を叩く音と、何かが高速で回転する音だった。
「あれは……車輪蛇!」
「車輪蛇だと!?」
窓から隣の竜車を見やり、アタカは叫んだ。ナガチの竜は己の尾を咥え、文字通り車輪の様に丸くなって高速回転して竜車を引いていた。まるで竜車の五つ目の車輪のようだ。その速度は恐ろしく早く、龍馬に悠々とついてきていた。
「それではお二人さん、お先に失礼」
ナガチは竜車から身を乗り出してその長い身体を二つに折ると、あっという間にアタカ達の竜車を抜き去っていった。
「くそっ……エリー、頑張れ! 頑張ってくれ……!」
手綱を握り締めムベは叫ぶが、龍馬は苦しげに首を振った。龍馬も懸命に走ってはいるが、これが最高速。これ以上の速度は出す事ができない。
「ムベさん。……諦めましょう、あれには追いつけません」
竜車の中から身を乗り出し、アタカは声をかけた。
「ふざけんな! 俺は最後まで諦めねえぞ!」
「僕だって負けっぱなしでいるつもりは無いです。
だから、今は諦めて手綱を緩めてください、と言ってるんです」
竜車の中を振り返ったムベを、アタカは真っ直ぐに見つめた。その瞳は微塵も諦観に彩られてなどいない。強い意思を持った瞳だった。
「……どういうことだ」
ムベは手綱を緩め、龍馬の速度を落とす。
「今日は勝てません。……でも、レースは三回勝負だという話です。
明日と明後日勝てばいい。なら、今すべき事は明日以降のレースに備えること。
竜を出来る限り休めて体力を温存する事です」
淡々と説明するアタカに、ムベも血の上った頭を冷やした。
「……なるほどな。だが、明日以降はどうするんだ。
脚を休ませたって、龍馬じゃ車輪蛇には勝てねえ」
「そうですね。まさか車輪蛇が出てくるとは思いませんでした」
車輪蛇はここ、ケセド平野に生息する蛇竜の一種だ。見た目はただの蛇にしか見えないのだが、己の尻尾を咥え円形になることで車輪の様に転がり、高速で移動する。動きが速い為に敵に回すと厄介な相手なのだが、味方にしても騎乗に適さず動きの速い大きな蛇という以上の強さもないと言う事で、連れている竜使いは非常に少なく、市場に出回っている魔力結晶は更に少ない。
「道理で自信満々に勝負を仕掛けてくるわけだ」
偶然手に入れたのか、わざわざ狙って手に入れてきたのか。とにかくナガチは車輪蛇の魔力結晶を手に入れ、その上で確実に勝てるであろう落ち零れ二人……アタカ達に声をかけたのだ。
「何よりも金を優先し、誰よりも金に汚い、竜使いの面汚し。それが奴だ」
噂では、後ろ暗い依頼であろうと報酬さえ良ければ構わず受け、自分の報酬の為なら他の竜使いを妨害してでも依頼をこなそうとするという。『組みたくない』という意味では、アタカやムベにも劣る相手だった。
「すみません、僕が挑発に乗っちゃったから……」
「……気にすんな。お前が殴ってなきゃ、俺が殴ってた」
しかし困ったな、とムベは息を吐く。龍馬では車輪蛇の速度にはついていけない。このままでは負けが確定してしまう。
「あの、それなんですけど……一つ、考えがあります」
アタカは地図を取り出すと、説明を始めた。
二日目、レース二戦目の朝。
一日目とは違い竜使いたちが見守る中、二台の竜車は並んで開始を待っていた。アタカ達とナガチがレースをしていることは昨晩のうちに休憩地の竜使い達に知れ渡り、彼らは好奇の視線に晒されている。
「おう、頑張れよ!」
「ナガチになんか負けるんじゃねえぞ!」
ナガチは相当嫌われているらしく、アタカ達には比較的暖かい声援が送られた。
「ナガチ、あの二人に負けたら相当恥だぞ」
「車輪蛇とは、落ち零れ二人に容赦ねえなあ」
一方で、二人も一緒に揶揄するかのような言葉も飛び交った。良くも悪くも、三人とも有名人らしい。いずれにせよ、直接味方してくれるような者はいなかったし、いたとしても頼る気は無い。これは最初から最後まで、アタカとムベの二人と、ナガチの戦いだ。
「準備は良いか?」
合図役を買って出てくれた竜使いが、双方に尋ねた。休憩地には門も無いし、移動を始める時間も定まっていない。そこで、開始の合図を第三者にゆだねたのだ。
「スタート!」
御車台で頷くムベとナガチに、竜使いの男は手を振り下ろし、叫んだ。同時にその傍らに座っていた竜が、空に向かって炎を吹く。
「いけー!」
同時に猛然と走り出す二台の竜車。しかし、その速度は歴然としていた。アタカ達の乗った竜車はみるみるナガチの竜車に離されていく。
「あーぁ、やっぱり無理か……って!?」
落胆の声は、途中で驚愕に変わった。突然、アタカ達の馬車が道をはずれ、道なき道を進み始めたのだ。
「あいつら、ショートカットする気だ!」
並走する竜使いの何人かが、その後を追った。
「ムベさん、このまま真っ直ぐ進んでください!」
ガタガタと激しく振動する車体にしがみつきながらアタカは叫ぶ。
休憩地と休憩地を繋ぐ街道は、草原を大きく迂回するように伸びていた。車輪蛇はその走り方の都合上、舗装されていない場所を走るのは苦手とする。竜車の様な大きな物を運ぶとなれば尚更だ。
対して、龍馬ならば多少の悪路でも関係ない。そもそも竜車は龍馬が舗装もされていない場所を引く事を前提として作られているのだ。迂回せずにショートカットすれば、街道を行くルートに比べその距離は半分以下になる。
しかし、それには一つだけ問題があった。
「おい、あいつら!」
「正気か!? 竜の巣に突っ込みやがった!」
アタカ達の後を追っていた竜使い達が、竜の咆哮に恐れ戦いて踵を返す。そもそも、何故街道が大きく迂回しているかと言えば実に単純な理由だった。
そこに、竜の巣があるからだ。
普通、竜を狩るにしても巣からは離れた場所で、逸れ出てきた竜を狩る。竜使いは自分と竜を操らなければならず、複数人で連携をとることは難しい。
それに対し、竜は同種なら十数体から数十体で群れる。人の指示がある分有利であるとは言え、数の暴力に対し個の力は無力だ。
しかしアタカ達はあえてその巣に突っ込んだ。
ヴン、と盛大に警戒音を上げて殺到するのはドラゴン・フライの群れ。そのほかにも、巣のあちらこちらで竜の雄叫びが上がり、辺りに炎や稲妻、氷が飛び交った。
そんな中を、茶色い塊が馬車から転げ落ちる。クロと、その背に跨ったアタカだ。
「行って下さい、ムベさん!」
牽制の炎を放つクロの姿に竜が引き付けられているその隙に、ムベの竜車は瞬く間に走り去っていった。
大量の竜が、アタカに殺到する。アタカは冷静にそれをひきつけたところで、懐から一つの魔力結晶を取り出した。
それはムベから譲り受けたものだ。ムベは既にドラゴン・フライの魔力結晶もエリザベスに完全定着させている。ならば高確率で余りの結晶を持ってもいるだろう、とアタカは予測し、その予測は見事に当たっていた。
魔力結晶を開放する事で使える技は、一竜種につき一種類。それは『固有技』と呼ばれる、その竜独自の技や魔法だ。そしてドラゴン・フライの固有技は、殆ど使い道が無い事で有名だった。
「『ドラゴンフライ』リリース……!」
ドラゴン・フライの幻影が現れ、ヴンと羽音を立てる。
「コーリング!」
それは、羽音で救助信号を出し、同種の竜を呼び集める技だ。と言っても虚空の彼方から仲間を召喚するようなものではない。単純に、音を出すだけ。『同種の竜』が周りにいなければ役に立たない。
つまり、今アタカが立つ、この場所以外では全く役に立たない技だ。しかし、今このとき、この場所に限っては絶大な効果を発揮した。
アタカを『仲間』と認識した竜蝿達はまるで雲霞の如く彼を取り囲み、襲い掛かってくる他の竜に向けて一斉に炎を吹き出した。一匹一匹の火力量は大したことは無い。
結界さえ破れば吉兆を一撃で倒すほどの火力も、ムベが育て上げた結果のものであって野生のドラゴン・フライはそこまで強い竜ではないのだ。
しかしそれも、一匹ならばの話だ。寄り集まったドラゴン・フライが一斉に放つ炎の吐息は、大型竜のブレスにも匹敵する高熱となる。草原の草が焼き払われ、野生の竜が逃げ惑っている中に紛れてアタカもクロと共にその場を逃げ出す。ドラゴン・フライがどのくらいの間、彼らを仲間と認識するかまではわかっていないからだ。
巣の中心地を離れ、ムベは逃げ切れただろうか、とアタカは地平線の彼方を見つめた。しかしすぐに自分がやるべきことを思い出し、草に身を隠しながらクロと共に草原を進む。太陽の位置から大体の方角を割り出し、竜の巣の中をひっそりと探索する。
「……いた!」
幸いにも目的はすぐに見つかった。
「いくぞ、クロ……!」
アタカはクロに跨り、草陰から奇襲をかける。初撃の爪の一撃は意外にも機敏な動きでかわされ、相手は己の尾を咥えると回転を始めた。
その姿は多少小さいものの、ナガチが連れていた竜と全く同じもの。3日目のレースを勝つために必要な目標……野生の車輪蛇だった。