囁き
警察署の取調室。
窓のない無機質な部屋で、パイプ椅子に座らされた俺は、長机を挟んで初老のベテラン刑事と対峙していた。
「で? この口座に毎日のように振り込まれている数百万の出処は、全く身に覚えがないと?」
「ええ。何かのシステムエラーか、見知らぬ誰かの善意なんじゃないですかね」
苛立ちを隠せない刑事に対し、俺は困ったような作り笑いを浮かべて肩をすくめた。
取調べが始まってから、すでに数時間が経過している。彼らは俺の偽装口座の金の流れを怪しんでいるが、魔法とハッキングを織り交ぜた俺の送金ルートから、決定的な証拠を見つけ出すことなど現代の警察の技術では不可能だ。
刑事は机を強く叩き、身を乗り出した。
「とぼけるな。お前の裏に誰がいるのかは分かっているんだぞ。お前が口を割らなくても――」
「……刑事さん」
俺はふっと笑みを消し、声を一段階低くして刑事に顔を近づけた。
そして、彼にしか聞こえない音量で、静かに耳打ちする。
「裏に誰がいるか探りたいなら、俺みたいな一般人じゃなくて、身内を洗った方がいいんじゃないですか? 例えば……組織犯罪対策課の、安藤刑事とか」
「……なっ、お前、何を――」
「大東神社会に家宅捜索のガサ入れの日程や捜査資料を横流しして、見返りに現金を受け取ってるそうですよ。受け渡し場所は、毎月第2金曜の夜、歓楽街の裏にあるサウナだ」
以前カジノのヤクザたちを眠らせた際、彼らの脳内から読み取っておいた『癒着している警察の犬』の情報だ。
初老の刑事の顔から、さぁっと血の気が引いていくのが分かった。
「なぜ、お前がそんなことを……」
「さあ? 街の噂ですよ。俺の口座の端数なんかより、よっぽど警察の威信に関わる大事件じゃないですか?」
俺がにっこりと微笑んでみせると、刑事は言葉を失い、額にじっとりと冷や汗を浮かべた。
結局、その日のうちに俺は解放された。
口座の件は証拠不十分。それ以上に、俺が落とした『爆弾』の対応で、警察内部がそれどころではなくなったからだ。
数日後。
俺のスマホに、非通知で着信があった。あの時の取調べ担当の刑事からだ。
『……お前の言った通りだった』
電話越しの声は、ひどく疲労していた。
『あれから極秘に裏で調べを進めたところ、安藤の行動や資料の閲覧履歴に不自然な点がいくつも出てきた。これから監察官も交えて、本格的に内偵を進めることになった』
「それはお疲れ様です。お役に立てて光栄ですよ」
『お前は……一体何者なんだ? 口座の件も、まだ完全に潔白だと証明されたわけじゃないからな』
忠告とも威嚇ともとれる言葉を聞き流し、俺は通話を切った。
「やれやれ。警察の目を逸らすことには成功したが……少し目立ちすぎたか」
俺はタワーマンションの自室を見渡した。
警察に目をつけられ、居場所が割れている状態は、今後の暗躍において非常に動きにくい。面倒な束縛は、俺の性に合わないのだ。
俺は指を鳴らし、【次元収納 ─ ディメンション・ルーム】を発動させた。
高級家具、最新の自作PC、衣服、ワインセラーに至るまで、部屋の中にあったあらゆる家財道具が、ブラックホールのような漆黒の空間へと次々に吸い込まれていく。
ものの数秒で、数千万円をかけた豪邸は、新築の時のような『何もない空っぽの部屋』へと戻った。
さらに俺は【肉体改変 ─ メタモルフォーゼ】を起動する。
骨格が軋み、筋肉と皮膚の形状が瞬時に書き換えられ、「石田拳也(偽名)」から、全く別の顔を持つ青年の姿へと生まれ変わった。指紋も、DNAすらも完全に別物だ。
「さて、次はどんな名前で、どこの街に住もうかな」
跡形もなくなった部屋に背を向け、俺は軽やかな足取りで玄関を出た。
警察が次にこの部屋を訪れた時、そこには俺が「最初から存在しなかった」かのような、静寂だけが残されているはずだ。
新たな顔と、無尽蔵の資金、そして次元の彼方に隠された魔法の数々。
俺の『第二の人生』は、まだまだ始まったばかりである。




