忍び寄る毒
怖いお兄さんが出てきます。
深夜の歓楽街の端にひっそりと佇む、古びた雑居ビル。
表向きは寂れた空店舗が並ぶだけのそのビルを見上げ、俺は口角を上げた。
網の目のように展開した魔法【紙幣素材感知】が、4階の一角に大量の紙幣が密集していることをハッキリと捉えている。
「さて、本日のATMはここにするか」
俺は路地裏の暗がりで【肉体改変】を発動させた。
骨格が軋み、筋肉の付き方が変わり、あっという間に「少し小太りで冴えない、いかにもカモになりそうな中年男」の姿へと変貌する。
4階の看板のないカフェ風の扉を開けると、奥の隠し扉の前にガラの悪い男が立っていた。
「あぁ? お前、誰だ。ここは一見さんお断りだぞ」
鋭い視線で睨みつけてくる男に対し、俺はへこへこと愛想笑いを浮かべる。
「いや、あの~、ちょっとあぶく銭を掴んでしまいまして。タツさんの紹介で遊びに来たんですけど……」
言葉を発すると同時に、極めて微弱な【記憶干渉】の魔法を男の脳に滑り込ませた。男は一瞬だけ目を白黒させた後、納得したように頷く。
「あぁ……タツの紹介か。しょうがねえな、入れ」
チョロいものだ。重厚な扉の奥には、紫煙と熱気に包まれた裏カジノが広がっていた。「泥棒宿会」と呼ばれるヤクザの末端組織が資金調達のために開いている賭場だ。
俺は適当なカードゲームの卓に座ると、計画通りに立ち回った。
最初の数ゲームはわざとらしく派手に負ける。焦ったようにチップを失っていく俺を見て、同卓していたガタイの良いヤクザがニヤリと笑った。
「あんちゃん、今日はツイてないねぇ。もうやめといた方が身のためだぜ?」
「いやいや! これで最後ですよ、次は絶対勝ちますから!」
俺は涙目になりながら懐から追加の札束を出し、周囲の警戒心を完全に解いた。
こいつはただの養分だ、と全員が確信したところで――反撃開始だ。
そこから俺は勝ち続けた。ただ勝つだけではない。イカサマを疑われないよう、絶妙なタイミングで手痛い負けを数回挟む。
そして、先ほど俺をからかったヤクザが大きく勝ったタイミングで、わざとらしく天を仰いだ。
「いやーっ! お兄さん強いっすねぇ! 完全に読まれてたなぁ。完敗です、一杯奢らせてくださいよ!」
「おう? 気前がいいじゃねえか。まあ、運が悪かったな!」
上機嫌になったヤクザに高い酒を奢り、グラスを合わせる。完全に俺に心を許したその瞬間に、魔法【精神透過】を発動させた。彼の表面思考が、俺の脳内に文字となって流れ込んでくる。
「しかし、このお店も羽振りがいいですねぇ。泥棒宿会さんでしたっけ? バックがしっかりしてないと、こんな立派なハコ回せませんよね?」
カマをかけるように尋ねると、男の思考がわずかに揺れた。
(……なんでこのおっさん、ウチが『大東神社会』の傘下だってことまで勘付いてんだ?)
ビンゴだ。俺は読んだ思考を元に、さらに言葉を繋ぐ。
「いやね、大東神社会さんの名前は、俺らみたいな下っ端の耳にも届いてますよ。そこの直系なら、そりゃあ強いわけだ」
「なんだいあんちゃん、ずいぶん裏の事情に詳しいね……」
驚いたように身を乗り出す男。そこからは早かった。
【精神透過】で相手の知っている情報を読み取りつつ、会話の中で裏を取るように相槌を打つ。
男は気分を良くして、自分の名前が「剛田」であること、泥棒宿会がどの派閥と癒着し、どのようなシノギをしているかまで、聞かれてもいないことまでペラペラと喋り始めた。
「いやぁ、俺たちの組長もヤバい人だけどよ、結局は上がデカいから何とでもなるんだわ……おっと、ちょっと口が滑ったな」
十分に情報を引き出したところで、仕上げだ。
俺は酒に酔った剛田たちに、気付かれないよう【催眠分析】を上乗せした。強烈な睡魔が彼らを襲い、一人、また一人と卓に突っ伏して深いいびきをかき始める。
騒がしかった賭場の一部が、不自然なほどの静寂に包まれた。
「さて、楽しいゲームの時間は終わりだ」
俺は立ち上がると、卓の上のチップ、現金、そして奥の部屋にある金庫の中身まで、魔法による空間収納で【全回収】した。
一銭も残っていない空っぽの裏カジノを見渡し、俺は悠然と踵を返す。
偽装した姿で、偽名を使っての犯行。当然、俺に繋がる証拠は一切残っていない。
裏社会の闇に一歩踏み込み、その蜜だけを啜り上げる。
夜の冷たい風を浴びながら、俺は次の獲物に思いを馳せていた。
ウラ社会に一歩踏み込んだ話でした。




