悪魔、健康診断に付き添う
土曜日の朝。
今日はちょっと面倒な予定があった。
年に一度の健康診断の日だ。これはこれで面倒なんだよな。
と、愚痴っぽく考えてても仕方ないので、会社用に使っているリュックから、紙コップと試験管を取り出す。
すると。
「なんだそれは?」
ファウストが胡乱な目つきで取り出したモノを見る。
「検尿セットだよ」
「……何? そんな物をどうする?」
「今日、会社が指定した病院で健康診断を受けなきゃ、なんだよ」
俺のその一言で。
ファウストの表情が変わった。
「うわっ……何? どうしたんだよ」
目を見開いて、検尿カップへ向けて手をかざす。
「行くな……。そんな場所に赴いて奸計に嵌められたらどうするつもりだ? そんな物は我が消滅してくれるわ」
「無いわ! やめろ! 魔界と一緒にすんな」
慌てて検尿カップと試験管を抱いて守る。
なんとなくコレ、抱きたくないんだけど!
そんな俺の行動に、ファウストはようやく手をさげる。
「………分かった」
「うん、そりゃよかった」
「ただし……我も行く」
「………………は?」
いや、なんで?
コイツが来ればもう、ややこしいに決まっている。
診断前に体調崩すわ。
―――――――――――――――――
「本当に来たな」
「当然だ」
病院の受付前。病院の検査着に着替えた俺の横で、さも当然と、ファウストが立っている。
黒いマントは今日は着ておらず、俺のパーカーとダウンジャケットを着ている。翼と角はしまってある。
ただそんな姿でも、威圧感だけはだだ漏れだ。
もしラスボスがこんな風に、ダウンジャケットとパーカーを着て勇者達を待ってたら、なんて思うだろう。
「ワシらこんな奴倒すために必死でここまで来たのか……?」と、パーティ全員がその旅の苦労を呪うかもしれない。
ただ、不思議な事が一つ。
そんな存在感の塊なファウストがいるのに、周囲の患者も看護師も、誰一人としてファウストを不審に思っていない。
「なぁ、ファウスト」
「ん?」
「ここの人達になんかした?」
「違和感調整は済ませた」
小声で言う。
いや、便利すぎるだろ魔法。
「なぁ、ただの健康診断だぞ? そこまでして付き添わなくてもさ……」
「貴様の身体は契約資産だ」
「契約してねぇよ」
「未契約保留対象だ」
なんだそりゃ?
意味がわからない。
―――――――――――――――――――
「身長178.2センチですねー」
おぉ、これは……。
「伸びてる!」
俺が歓喜すると、看護師さんはクスリと微笑んで。
「去年より2ミリ伸びてますね」
と、診断書に身長を書き込む。
「単なる誤差だ」
横でファウストが真顔で言う。
「2ミリは重要だ」
「……そうか、ならば貴様はまだ成長途中の可能性がある」
「……悪かった。残念だけどそれはないわ」
次は隣に設置されている体重計に乗る。
数値が出ると、ファウストがじっと見て。
「……増えている」
「冬だからだよ! っていうか、何で俺の体重知ってるんだよ」
「測らせてもらった」
「……いつ?」
「心太が寝ている時だ」
「寝てる時どうやって……。俺に何かした?」
「いいや。ベッドの沈み方と床の軋み、その圧で体重を割り出した」
「お願いだからやめてくれ」
「脂肪率の増加は魔力効率を下げる」
「乳牛飼ってるみたいな言い方だな」
そう言って疲れた顔で俺が笑うと。
「まぁ、だいたいは合っている」
と、ファウストがニヤリと笑う。
この悪魔め。
⸻
そして視力検査。
椅子に座ると、スコープのような機器に顔を付けて覗く。
「右目からいきますねー」
Cの輪に俺は答える。
「上!」
「ハイ。次」
「下!」
「ハイ」
するとファウストが突然横から。
「左斜め下」
「参加するな。ってか斜めなんてない」
俺が言うと看護師さんが困惑した顔で。
「ごめんなさい。合ってます。左斜め下です」
「…………え?」
「うむ、やはりか」
ファウストが自信に満ちた声で言う。
もしかして……。
コイツ、検査のCを動かした?
「……いらん事するな」
「これぐらいなら造作もなく操作できる」
「今は人間ルールでやれ」
「非効率だ」
いや、効率が良すぎたら検査にならんだろ。
また悪魔が微笑む。
⸻
次は聴力検査だ。
防音室……という程でもないんだろうけど、一畳半ぐらいのスペースの小部屋に押し込まれる。
そしてヘッドホン装着。
「はい。音が聞こえたら押して下さいね」
機器を挟んだ看護師さんからボタンを寄越される。
ピ――
ボタンを押す。
ピ…………
押す。
ピ…………ピピ………
また押す。
アァ……! ヒタヒタ………
……なんか変な音だけどまた押す。
「あれ、何か聞こえましたか?」
看護師さんが機器の横から顔を出す。
「はい? えぇ……聞こえ……」
俺はハッとする。そしてジト〜んと部屋の外を見ると。
仁王立ちしている悪魔が、俺の視線にニヤリと笑う。
「安心したぞ、よく聞こえているではないか……」
やっぱりお前の魔法かい。
「極めて微弱だがよく確認できたな」
「……お前は何ヘルツまで出せるんだ」
「今の音は死の足音程度、だ」
「……そんなモン、聴かせるな」
⸻
お次は心電図。
もう余計な事はするなよ、と釘を刺しベッドに横になる。
胸に吸盤みたいな電極。
「リラックスしてくださいねー」
俺も心臓に意識を集中させる。
規則正しいリズム………のはずだ。たぶん。
そしてまた横から覗き込む悪魔。
「……」
「なんだよ」
「不思議だ」
「何が」
「鼓動がある」
「当たり前だろ」
「常に動いている」
「止まったら終わりだ」
ファウストが機器の方へ回る。
そして勝手にモニターを見つめる。
トクトク。
そのリズムに合わせて、わずかに目が細くなる。
「うるさいな。心太の物は」
「は?」
「この音は、うるさい」
なんでコントロールの効かない臓器のダメ出しをされにゃならんのだ。
「止まらぬからな。だからうるさいぐらいが心地よい」
そう言ったファウストの表情は、どこか嬉しそうに見えた。
⸻
レントゲン撮影。
着衣のままでいいらしく、そのまま緑色した機器に抱きつく。
「大きく息を吸ってー、止めてください」
ファウストが俺の真後ろで待機している。
「お前、映るぞ」
「調整済みだ」
「万能かよ」
看護師さんもファウストの事を気にも留めず撮影終了。
「異常なしか……」
ファウストがポツリと呟いた。
「骨格は標準」
「まさかお前……。X線まで見えるのか?」
訊くとファウストが胸を張る。
「あぁ。微弱ではあるが、これほど有害な物質を体にぶち当ていたらな。人体の悪影響がそれは目に付くというものだ」
「有害…………」
チラリと看護師さんの方を見る。
「そんな有害な量なんて放出してません!」
キッパリと看護師さんが否定する。
うん、ですよね。ごめんなさい。
「………貴様の肺に炎症痕はない。よかったな」
ファウストがポツリと言う。一瞬、俺は止まった。
「……炎症?」
「いや、なんでもない」
即答。それ以上、ファウストは何も言わなかった。
⸻
「……待て」
ファウストが低い声静止させる。いやその威圧感よ……。
「その尖った器具を今すぐに下げよ」
「ファウスト」
ほぉら言わんこっちゃない。
検査も最後で血液検査。
看護師さんが袖を捲った俺の腕を持ち「は? え?」と、注射器を構えて静止している。
「危険だ。止めよ」
「いや、医療だから危険はない。すみません……続けて下さい」
俺が腕をさらに差し出す。
「あ、はい」
看護師さんが採血を再開する。
スッと俺の腕に針が近づく。
「はっ……ぐっ………」
横で注射されている俺よりも、痛々しい声を荒げる悪魔。
ついに、ファウストは目を逸らした。
おいおい、翼が一瞬、実体化しかけただろ。気をぬくな。
「貴様、痛むのか」
こちらに目を向けずにファウストが訊いてきた。
「少しな」
「ではやめろ」
「やめない。検査だ」
「……しかし……う……やめろ……」
小さく、でも本気で呻いている。
看護師さんが俺、ファウストと不思議そうな目を交互に向ける。
「付き添いの方、大丈夫ですか?」
「…………心配ない、我は悪魔だ。こんな検査ごとき……」
「サラッと厨二に聞こえるからやめろ」
刺さった注射針が、血液を吸い上げる。
俺は平然としている。
ファウストは顔を真っ青にして壁に手をついていた。
これでやっと全ての検査は終了。
あとは内診だけだ。
背もたれのない、長いソファーでぽかん、と待つ。
「まったく、ファウストは大げさだな」
「……あれは武器だ」
「医療器具だよ」
「しかし尖っていた………」
「洗井さん」
「はい。検査はないからファウストはここで待って」
「むぅ……」
なぜ、不満そうな声を漏らす……。
そんな悪魔を残して内診室へと入った。
――――――――――――――――――――――――
会計を済ませて病院を出ると、正午を過ぎていた。
「なぁ」
歩きながら聞く。
「なんでそこまで付き添うんだよ」
少し黙って、ファウストは。
「足りないからだ」
ポツリと言う。
「は?」
「貴様は、どこか……足りない、と感じぬか?」
胸が、少しだけ引っかかる。
「でも……」
ファウストは続ける。
「今は問題ない」
「なんだそれ」
「私が確認した」
そう言って、前を歩く背中はいつも通り。
「ファウスト。今日は逃げなかったな」
「ふん。当然だ」
ぶっきらぼうにファウストはそう言った。けども耳がちょっと赤いよ?
きっと少しだけ。
ファウストいわく、速く、尖ったものから、この悪魔は逃げなかった、と思う。
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立ち寄ったスーパーで弁当を買って、また俺達の六畳一間。
俺はのり弁とおにぎりを2つ。
ファウストはカツ丼と天丼。我が家のエンゲル係数がちょっと心配だ。
さらにカップの味噌汁。俺は長ネギ。ファウストはシジミをチョイスした。
「ファウストも健診受けるか?」
「悪魔に健康診断はない」
「やれよ。身長とか」
「私の身長は任意だ」
「ズルいな、それ」
カップの味噌汁に湯を注ぎながら二人して笑う。
「今日も味噌汁は薄いか……?」
ファウストが訊く。
「大丈夫。薄くない」
ほんの少しだけ。
昨日より、濃く感じた。
ファウストは何も言わない。
ただ、静かに立ち上がる湯気を見ている。
鼓動は、今日も規則正しい。
六畳の体温も、ちゃんと、あった。




