悪魔、そして悪魔。さらに来訪者
「しかしベルク。来るのが予定より早いのではないか?」
ファウストは対面に座ったベルクを睨む。
どこかベルクの事をまだ信用が置けないらしい。
その当人、ベルクは。
「あの方の指示です。迅速にと」
カツカレーの匂いを一瞬だけ吸い込み、
「素晴らしい。香辛料の配合は良好ですね」
と言った。
褒められたらしいけど、評価された部分は企業努力。俺とファウストの力は関係ねぇ……。
「スパイスにより高い抗酸化能力。メイラード反応により香気も十分……」
「いいからさっさと食え」
うん。
ファウスト、ナイス。
―――――――――――――――――――――――
「本当によろしいのですか?」
ベルクがテーブルを挟んでいるファウストに、身を乗り出して確認を取る。
「心太ならば余計な事は言わん。なぁ?」
「え? うん、まぁ話す人も友達も特にいないし……」
「……想像していたよりも孤独な回答だな」
「う、うっせぇやい!」
カレーを食べ終ながらベルクが「では報告を」と、また空気中に真っ暗な穴を空けて書類を取り出した。
えぇ……食べ終わってからにしようよ……。カレー冷めちゃうよ? と、俺が思っていると。
「かまわん。このまま話せばよい」なんて事をファウストが言ったもんだから、その言葉にベルクが念を押したのだった。
「では申し上げます………。まず、期限内はこのまま観察継続。魔界、他の悪魔の介入は禁止する」
本当にカレー食いながら話し始めちゃったよ。
「……決定を下したのは上位か?」
「はい。あの方と上層の判断です」
「資産状況は」
ファウストがスプーン片手に低く問う。
「変動なし。ただし、感情値に上昇傾向」
ぴくり、とファウストの眉が動く。
「誤差だ」
「分かりました。誤差として記録します」
ベルクは封筒を差し出す。
「それとこちら……居候代です。心太様、お納め下さい。ファウスト様の生活費を一か月分相当ご用意いたしました」
ファウストがチラッと俺の方を見る。
その様子にベルクが。
「生活圧迫は観察精度を下げますので」
と、また小首を傾げて微笑む。
な、なんか手厚いな……魔界。
受け取ると封筒はまさしく現金の重み。
一ヶ月分にしてはやたらと分厚いんだが……。もしかして、全部千円札だったりして。
俺は封筒を手に固まった。
たぶん、今までに持った事の無い金額が入ってる。
ファウストは一瞬だけ、ためらうような素振りを見せて。
「……施しではないな」
と低く訊く。
「えぇ、もちろん。ただの諸経費です」
ベルクは即答。
一体、幾ら入ってるのか今すぐ見た………。
ザッ!!
え?どうした?
いきなり二人してベランダの方を睨んだ。
なんだか二人ともここに来て、一番シリアスな空気出してるんだけど。
俺が訝しくしていると。
ふと。
俺の目の前を何が横切る。
それは本当に一瞬の出来事だった。
何かが俺の頭上を横切った。
影? いや違う。
平たい刃のようなもの。
なぜ見えなかったのか。
恐ろしく素早かった。という理由が一つ。
そして、もう一つ。
ファウストがいつの間にか俺の前に出て、後ろ手で俺の頭を押さえつけていたからだ。
俺の額を床に叩きつける勢いで。
「心太!! 頭を伏せよ!!」
ファウストが叫んだ。
三人、その場で身を伏せる。
空気が圧縮されて濃密になるのを感じた。
俺の部屋ではまず、ありえない事だ。
そんな濃密な空気を押し返すがごとく。
二人の悪魔が立ち上がっていた。
スプーンが皿に当たる音がした。
……やけに響く。
そしてベルクが。
「……正体を……確認した」
ベランダの引き戸を蹴り飛ばした。
豪快にガラスが割れる音と共に、そこにいた何かが姿を現した。
ファウストの目が鋭くなる。
それが姿を現すと、部屋の温度が氷点下まで落ちるのを感じた。
「あれ何者……? って、なんか……急に寒い?」
俺の問いかけに誰も答えなかった。
ただ、その返事の代わりに。
ヒールの音が一つ。
コツ。
ベランダに、恐ろしく整った顔の女の人が立っていた。
黒い服。白い指。
そして手には―――――――鎌!?
草を刈るようなモノじゃなくて……もっと立派な……あれって、もしかすると……。
「デ……デスサイズ……!?」
俺の心臓が、強く打つ。
ドクン。
なんだろう。
俺……この女の人……知ってる……気がする。
「久しいわね」
柔らかな声。でも冷たい。
俺の頭をまだ鷲掴みしているファウストの指が、わずかだけど震えていた。
今度はベルクが前に出た。
「魔界保護観察中です。干渉は規定違反」
「あら言えた義理かしら? 貴方達から先に喧嘩を売ったのよ?」
女は微笑む。その目は全く笑っていない。
「二体目……」
クスリ、とその女の人は愉悦に浸る、取って貼り付けたような笑顔があった。
なんだこの人……。いきなり何をしてるんだ?
手にしていた鎌が、揺れた。
刹那だった。
蛍光灯が、消える。
次の瞬間。
風が裂ける音。
ベルクが動いた。
右足で蹴り上げる。
微かに見える恐ろしく早い蹴りだ。
しかし。
女の人がベルクの動きを凌駕する。
大鎌が横薙ぎに走る。
一閃。
―――――――ザシュ。
ベルクのジャケットが裂けた。
遅れて。
その下の空間が歪む。
すると、ベルクの胸元に、細い裂傷が出来ていた。
血は出ない。
だが、そこだけ色が抜けたように歪む。
「しまった……これは油断です……」
ファウストの目が凍る。
そして。
「……下がれ」
と一言、ファウストは言った。低い声。
でも怒りではない。
恐怖でもない。
もっと複雑な何か。
女の人は首を傾げる。
「あら……広がった? あなたのソレ……」
再びその女の人が鎌を振ろうとした瞬間。
ベルクの手が空間を掴む。
ビキビキビキビキ………。
見えない力が走る。
なんだこれ……恐ろしい重圧。
空気が圧縮される。
その女の人の足元が歪む。
「観察対象外の排除は許可済み………。行動に移します」
声は静かだ。だが、冷酷だった。
次の瞬間、女の人の姿が霧のように薄れた。
そして最後に残した。イヤな微笑を……。
「またね」
楽し気に言うとその人は、ふと消えた。
そして、静寂。
蛍光灯が戻る。
カレーの匂いも戻る。
俺だけが座らされている。
「……今の、何だよ」
ファウストが振り返る。
「ただの酔っぱらいだ」
「嘘つけぇっ!!」
ベルクが胸元を押さえている。
裂け目が、じわりと黒く滲んでいた。
――――――――――――――――――――――――
「大丈夫ですよ。問題ない」
ベルクはそう言うが、声がわずかに浅い。
ファウストが一歩近づく。その手が、ベルクの傷に伸びる。
が、止めた。
出したその手を、ファウストはグッと握る。
そんなファウストの事は触れず、ベルクは少し視線を落として。
「……接触により、私も観察対象へ移行となります」
そう事務的に言った。
「は?」
我ながらマヌケな声で俺は聞き返した。
「魔界規定第六条。外的干渉を受けた調査役員は一時滞在……」
そんな事をさらりと言う。
「よって私は……このまま滞在延長となります」
「えと、どこに? もしかして、ここに……? 流石に三人は無理だぉ?」
「いえ、この建物の空室を確保いたします」
ベルク即答。
ファウストが舌打ちする。
「……冗談だろ」
「規定です。それと、この建物はすでに企画管理指導課が押さえています」
ベルクは淡々と言う。
えと、ちょっと待って。
このワンルームマンション、魔界のモノなの?
「それは本当か」
「はい、一昨日です。手続きが無事、完了いたしました。なので私が先ほど壊しました、そちらのガラス引き戸もすぐに修繕させますのでどうかご安心を」
まるで、「携帯を買い替えました」ぐらいのトーンで言うベルク。
マジか……この人。
「なぁ、ファウスト」
「ん?」
「じゃあ、俺達さ。生活音をそんなに気にしなくても……」
「それとこれとは別だ」
キッパリと突っ返された。
「……それより、どんな様子だ。ベルクよ」
「どんな様子……とは? どういう意味でしょうか」
「……とぼけるな」
ファウストが気にしてるのは、やはり裂けた布の下……ベルクの傷だ。
「まだ……よく分かりません」
そう傷口を押さえるベルク。
ファウストも視線をそこへやるが、すぐに目を逸らした。
俺はわからずに訊いた。
「……ここに住むって、魔界で療養しなくていいの?」
そう訊くと、ベルクは一瞬だけ考える素振りを見せて。
「心太様。残念ながら、この傷は治るモノではありません」
そう苦笑した。
「へぇ……そうな……んだ」
なんて言っていいのか分かんないや。
あの鎌で斬られたからか。
じゃあ、やっぱりそうか。
あれほどの立派な大鎌といい。
あの女の人。
アレしか考えられないよなぁ……。
「なぁ、さっきのあの人って、死神?」
「だから酔っぱらいだと言って―――」
「―――はい、そうです」
ファウストの戯言をベルクがキッパリと遮って。
「おい! ベルク!」
初代厄介悪魔の憤りを軽く買う。
「仕方ありません。流石に誤魔化しきれないでしょう」
夏の海!ってぐらい爽やかに、ベルクが微笑む。
しかし。
やっぱりそうなのか……。
俺、どこかで会った気がするんだよなぁ……。
「ですが、心太様」
「ん?」
「今はこれ以上、お話できません。どうかお許し下さい」
慇懃、お行儀よくベルクが首をたれる。
「うん。いいよ。分かった」
俺はあっけらかん、と返した。そして。
「あのさ、ベルク」
「はい?」
「よかったら……その……」
「?」
「もう一杯、カレーどう? ガラス片とか入ってるかも、だし」
俺が訊くと。
「はい! いただきます」
ベルクは頷く代わりに、小首を傾げてニッコリと微笑んだ。




