判断保留
団体戦の終了後、受験者たちは再び講堂から控室へと移された。緊張が解けた者、まだ結果を気にして落ち着かない者、それぞれの温度が混じり合いながらも、学院の内側は不思議なほど整然としている。
王立魔導学院は、感情よりも記録を優先する場所だ。
レインは壁際の長椅子に腰を下ろし、天井を見上げた。胸の奥の空白は、変わらずそこにある。広がってはいないが、完全に消えることもない。冷えとも痛みとも違うその感覚は、ただ“ある”という事実だけを主張していた。
今回は崩れなかった。
だが、崩れなかった理由が分からない。
それが、わずかに引っかかる。
静かだ、と彼は思う。
学院の内側はいつも静かだが、今日のそれは、音が抑え込まれているような静けさだった。遠くで話し声がしているのに、どこか膜を一枚挟んだように遠い。
見られている、という感覚がある。
振り返っても、特定の視線は見つからない。気のせいかもしれない。だが、気のせいで済ませきれない違和感が、胸の奥に残る。
⸻
一方、別棟の観測室では、団体戦の魔導記録が再生されていた。
水晶板に浮かぶのは、受験者ごとの魔力波形と行動軌跡。出力、反応速度、連携補正値――数値としては、特筆すべき異常は見当たらない。
「この部分ですが」
若い試験官が一点を指す。
「反応が一瞬、抜けています」
クラウゼは無言で視線を落とす。
確かに、レインの動きに対応する波形が、ほんのわずかに乱れている。消えているわけではない。だが、他の受験者と比べると、記録精度が安定していない。
「装置側の誤差の可能性は?」
「否定はできません」
試験官が答える。
団体戦は複数人の魔力が干渉する。波形が乱れること自体は珍しくない。
クラウゼはしばらく黙考し、水晶板を閉じた。
「現時点で異常と断定する材料はない」
「では合否は?」
「条件付き合格だ」
短く言う。
「経過観察を前提に、入学を認める」
排除する理由はない。
だが、無視するには少し引っかかる。
それだけだ。
⸻
中庭では、アリシアが石造りの手すりにもたれていた。
夕方の風が、制服の裾を揺らす。
肩口に触れてみるが、痛みは残っていない。模擬戦の仕様なのか、学院の結界の影響なのか、傷は痕跡すら残さない。
それでも、胸の奥が落ち着かない。
団体戦の途中、レインがわずかに遅れた瞬間、世界が一段遠くなったような感覚があった。自分が傷つく未来ではない。もっと別の、取り返しのつかない方向へ進む予感。
だが、何も起きなかった。
踏みとどまったのは自分か、それとも別の何かか。
「……考えすぎですね」
小さく息を吐く。
理由のない不安を、言葉にしないまま飲み込んだ。
⸻
控室へ戻る途中、レインはセラと並んだ。
「合格すると思う?」
セラが先に口を開く。
「落ちる理由は思いつかない」
「そう」
彼女はそれ以上追及しない。
少し間を置いてから、続ける。
「さっきのこと、気にしてる?」
「何を」
「私が言ったこと」
流痕視の話だろう。
「確信があるわけじゃないんだろ」
「うん」
あっさり認める。
「曖昧に見えただけ。私の集中が足りなかった可能性もある」
「なら問題ない」
レインはそれ以上踏み込まない。
自分の中にある空白と結びつけるには、まだ材料が足りない。
セラも、無理に深掘りしない。
観測はするが、断定はしない。
それが彼女のやり方だ。
⸻
夕刻、受験者たちは再び講堂に集められた。
「最終結果は明朝発表する」
クラウゼはそれだけ告げる。
ざわめきが広がるが、追加説明はない。
解散の合図とともに人の流れが生まれる中、レインは胸の奥の空白を意識する。
静かだ。
だが、完全ではない。
学院の内側は安全だと感じる一方で、何かが測られている気配がある。値踏みではなく、確認。確定ではなく、保留。
312回目。
まだ終わっていない。
何かが決まるのは、これからだ。
夜の回廊を歩きながら、レインは自分がどこに立っているのかを考えた。特別だと思ったことはない。異常だとも思わない。ただ、生き延びる形を選んできただけだ。
それでも。
学院の静けさの奥に、わずかな圧力を感じる。
誰かが何かを決めかねている、そんな空気。
答えはまだ出ていない。
だが、保留という言葉ほど、不安を長引かせるものはなかった。
胸の奥の空白は、何も語らない。
それが、かえって落ち着かなかった。




