相愛傘―アイアイガサ
GWだし!だーっと!書いてしまいました!←
滴る雨粒に、前髪が濡れていた。無理もないかもしれない。朝、急いで登校してきたものだから、適当な傘を抜いてきてしまった結果がこれだ。おかげで、所々破けているせいで、傘としての機能を果たしていない。
「あー最悪」
誰も耳に入れているはずのない僕の声が、降り出したばかりの雨音に消えた。僕の前を行き交う人だかりに、僕はしばし足を止めていた。スニーカーの中までぐっしょりだから、さっさと家に帰りたいんですけど、と内心愚痴を漏らしつつ。
このままずぶ濡れになるのも嫌なので、僕は喫茶店前の小さな屋根が付いた、狭い空間に身を縮めた。ボロボロの傘を閉じて、そのまま雨足が去るのを待つ。
十分くらい経っても、雨足は一向に去ろうとはしない。仕方ないな、とスニーカーを踏み出して、水たまりを蹴ろうとしたとき。
「はぁ」
ため息をつくような声で、足を進めてきた彼女に、石化したかのように足が止まる。
嚥脂色のリボンが特徴的な、ブレザーだった。
両肩を雨にしっかりと濡らし、眉を潜めて喫茶店の陰に走ってきたのは、ひとりの女の子だった。高校生に成り立て、って感じで、制服姿が妙に初々しい。
彼女は額を桜色のハンカチで拭った。ふぅ、と彼女が一息ついた所で、彼女は僕の存在に気付いたみたいだ。
「あ、すみません……」
彼女が心底申し訳なさそうな声で言うものだから、僕としても思わず敬語口調が出てしまう。
「いえ」
「狭い……ですか?」
上目遣いの飴玉みたいな瞳が、切りそろえられた前髪に隠れた。
「いや、大丈夫です」
「すみません……」
彼女は頭を下げてきた。僕はその場に居づらくなって、雨音とかも気にせずにただ濡れたアスファルトを蹴りだした。
不覚にも。
可愛い子だな、とは思ってしまった。
図書室の雰囲気がいつもより重々しいのは、言うまでもない。六月にはいると、雨の日が多くなる。帰りめんどくせ―、とか、また靴濡れるじゃん、とか。そういった、空気に希釈されてしまいそうな周囲の声が、僕の耳を伝う。
僕は横目で周囲の人間を少しだけ睨むと、赤本に視線の位置をシフトした。シャーペンを動かしてからもう一時間は動かし続けたろうか。不思議と、手は止まらなかった。
ページを捲った所で、右耳から聞こえる音に取り憑かれ、ようやく僕はシャーペンを止める。
ブラインドの隙間から垣間見える、淡い紫色の紫陽花に、雨が滴っていた。しとしとと降る雨を見ると、いつもなら嘆息するけど、今日はそんな気も起こさない。
……多分。
数日前、喫茶店の前で見た女の子と、また会えるかも、と思ったからだろう。そう思うと、なかなか滑稽だ。男って、こんな単純な奴だったっけ。
「拓、何ニヤニヤしてんだ」
ギョッとして、僕は向かい合っていた真人の顔を見た。イヤホンを外した真人は、怪訝な顔からいたずらな顔に表情を変えて、追い討ちをかけた。
「エロいことでも、妄想してたのか?」
小声で言う真人に、僕は火照る。
「欲求不満とかはねぇっての」
「へえ、意外とお前ってそんな奴だったんだ」
ニヤニヤしてるのはお前じゃねえか、と言ったところで、周囲から痛い視線を向き返された。図書室の事務員の、メガネ越しの鋭い視線が突き刺さり、口元で方程式の等式を嘯き、その場をごまかした。
不幸なのか幸運なのか、分からなくなる。
帰り道、愚かにも僕は先日同様、傘としての機能を成していない傘を引っこ抜いてきてしまった。これでは、駅に向かう過程でまた濡れてしまう。
真人の家は、僕が向かう方向とは逆の方角にあるから、わざわざそっちに迂回するのも面倒だ。
校門まで真人の傘に入れてもらい、それからは脇目も降らずに閑静なロータリーを駆けていった。数分もすると、スニーカーを跳ねた水が濡らして、駅前の商店街に着く頃には、足先は濡れ猫みたいにぐっしょりだった。
雨足が強まっていくにつれ、僕は足を速めたのだけど、大粒の雨が僕の頬や肩を直撃して、走る気も萎えていった。
やがて、やっぱり僕はあの日と同じ、喫茶店前に逃げ込んだ。学ランの水滴を払い、ハンカチで髪を拭く。少ししたらまた行こう、と思ったけど、雨は既に水たまりを作るくらい降り続けていたために、断念せざるを得なくなった。
だからと言って、何か注目するわけでもないのに、喫茶店に入って冷やかすのも気が引ける。
「仕様がねえか」
そう呟き、駅に向かおうとしたとき。
「……はあ」
あのときと、同じ。
「あ」
「あ」
不意に、声が重なった。視線を下げた先にいたのは、神様がいたずらを仕掛けたみたいに、いたいけな目を向けていた、あのときの女の子だった。
変わったといえば、前は着ていたブレザーを着ずに、ワイシャツ姿でいるくらいだ。
「お、お久しぶり、です」
彼女の声は、途切れ途切れだった。
「あ、ああ」
伝染されたせいか、僕の声まで途切れ途切れになってしまう。
「えと、傘は……」
彼女は僕の傘を見て、怪訝な声で言った。
「ああ、これ」
僕は視線を傘の先に向ける。
「これさ、破け放題でさ」
僕は傘を開き、ビニールの燦々たる有り様を公開した。彼女は骨組みから所々剥がれている箇所や、錆びた骨組みを見て、目を丸めた。
「だから帰れなくて」
僕はそう苦笑してみせるけど、彼女は妙に僕の方へ眉を潜めた。
「大丈夫、何でしょうか?」
「いやいや、全然。問題ないから」
「でも……」
そう言ったところで、彼女はスクールバッグから水色の筒みたいなものを取り出した。僕にはそれが、一瞬で折りたたみ傘だと把握できた。
「なんだ、傘あるじゃん」
「そ、そうではなくてっ」
彼女は僕を睨むような目つきで見た。でも、そんな視線も、すぐに弱々しくなった。
「一緒に、相合い傘していただけませんか?」
「……は?」
僕は彼女が何を言っているのか分からなくなって、再度訊き直してしまう。
「わ、わたしっ、女子校なんですけど」
くぐもった声に、彼女は顔を赤らめて、俯いた。
「その」
僕は彼女の顔を覗き込んだ。
「……何?」
「ど、度胸試しで」
「度胸試し?」
「それにっ」
彼女は急に声のトーンを上げた。
「ちょっと、あなたなら、いいかな、って。思い、ました、し……」
「え、ええと」
やばい。彼女が言う方が、ずっと恥ずかしいはずなのに、僕も顔がどんどん熱を帯びていく。
僕は心臓の鼓動を抑えるように、胸元に手を当てて、息をついた。
「えっと」
「お、お願い、できますか?」
上目遣いで見るものだから、僕の心が跳ね上がってしまった。
僕は、彼女が差し出す傘の柄に手を向け、傘を静かに開いた。青いマーブルカラーの絵柄が、どことなく女の子らしかった。
「……ほら」
彼女は無言で頷き、僕の右隣に身を移す。僕が一歩、喫茶店から足を踏み出したとき、彼女の髪が少しだけ、揺れた。
「ねえ」
「は、はい」
何か、ぎこちないお見合いみたいだ。
「名前、教えてよ」
彼女が戦慄く唇から、その言葉を出したとき。再度、とくん、と心臓が揺れた気がした。
雨音は止まない。でも、こんな雨の日なら、降り続けてほしいな、と思いながら。
彼女と目があって、視線を反らし合ってしまった。
いかがでしたでしょうか!
もしかしたら衝動的にここまで一つの作品として書き上げたのは初めてかもしれません!←
こんなこと普通ねえよ!っていう内容でしたが、淡い感情の駆け引きが伝えられたのか……、正直、不安ですが笑
何より、楽しんでいただければ。これに変わる喜びはありません。