ニンカツその三「相克――希望の白、絶望の紅」
「やるよ」「やらねえ」
応諾と拒否、相反する答え。
赤毛の相棒の拒絶に驚き、白髪の座敷童は聞き返した。
「本気か、灯夜?」「おうよ紬、マジだぜ」
鎖帷子に精悍な肌を覗かせて、紅い忍装束の少年は、白い和ロリの相棒へ、ぶっきらぼうに言い放つ。
「変わんねーじゃん。やりたくねえ事を、ずっと命懸けでやらさせてバッドエンド。もうウンザリなんだよ」
「じゃあこのまま死ぬのか? 生き返るチャンスを捨てて?」
「潮時だろ? 怪忍なんて聞こえがいいが、要は使い捨ての怪物だ。生きてても、いい事ねえって」
そう他人事の様に言い放つ灯夜の顔は、苦い記憶を反芻し、怒りと悔しさに歪む。
「オレもお前も、さんざ酷い目に遭ってきたじゃねーか。首尾よく生き返っても、また繰り返すんだぞ、あのクソッタレな人生を」
声吐き捨てた灯夜が、両手を固く握り締めていた。
彼の身にどれ程の苦痛が、恥辱が刻まれて来たのか、紬はまだ知らない。
文字通り一心同体の相棒なのに、いや、だからこそ今まで踏み込めなかった、相棒の過去。
「甲賀忍軍に拾われた孤児、強くも賢くもねえ下忍で、唯一の取り柄が、よりにもよって」
おぞましい記憶が刻まれた肌を剥ぐかのように、手のひらに爪を食い込ませ、鮮血を滴らせて。
「男も女も妖怪も誑かす、誘蛾のフェロモンだ。忍務は囮か色仕掛けの捨て駒。殺される代わりに、さんざ弄ばれてよ」
溢れる血を撒き散らし、紬の顔を指差す灯夜。
「お前だってそうだろ? 屋敷の奥に囚われて、半妖だからってずっと虐げられていた座敷童だよな!」
灯夜の告げた事実が、紬の胸を抉る。
逃げ出さぬよう、背かぬよう、幸をもたらす繁栄の呪いを絞られ尽くした、拘束と掠奪の苦痛が蘇る。
「そうだ。でもオレたちは、もう違う。出来損ないじゃない。二人で無敵の怪忍になったんだ」
「負けたじゃねぇか! 完敗だろ! 死体すら残らなかった!」
ドンと突き飛ばされ、噎せた紬の白い胸元にべたりと塗りつけられた、灯夜の赤い手形。
「何一つ歯が立たず跳ね飛ばされて、廃棄物処理タンクの溶解液にドボン。無限の再生力も追いつかず、溶けてゲームオーバーだ。どこが無敵だって!?」
灯夜の言うとおりだ。
改造実験が成功し、二人は合体する怪忍になった。
その力は絶大で、怪力無双、変形自在、無限の再生力を備えた肉体は、全能感に満ちていて。
ビルを駆け上り、渓谷を飛び越え、車を片手で投げ飛ばす。
獰猛な牙は鉄板を噛み千切り、鋭利な爪で鉄塊を寸断した。
妖力で生成する絹糸は強靭無比、最小単位で紡いだ高分子の糸は、戦車すら真っ二つにして。
「ようやく、強くなった。俺は無敵だ。そう思ったのによお」
苦渋に満ちた日々が終わる。
その期待を、無残に打ち砕かれた絶望と敗北感は。
紬が思う以上に、灯夜の心を侵していて。
「もう足掻くのは止めようぜ。今まで何もしてくれなかった、神様なんか信じねえ。まして今更、ノコノコ出てきやがってもなあ!」
何もかも諦め、捨て鉢になった灯夜の頬を、紬は殴りつけた。
「バカ野郎! 俺を巻き込むな!」
「なにィ!?」
口の端を切った灯夜の胸に、突き刺さる紬の苦々しげな悪罵。
女神が静観する前で、二人の諍いはエスカレートしていく。
「お前、あのダンプ女となんかあったんだろ。で、カッとなって暴走した。俺を無視してな」
あの時、敵の鬼女と出くわした灯夜は、紬の制止を聞かず襲いかかった。
研究所防衛の忍務などお構い無し、設備を粉砕し、建物を炎上させて、鬼女と激闘を繰り広げて。
その結果、強力な溶解液の中に落ちた。
守るべき研究所で戦わなければ、起こり得ない事故。
「お前の勝手な一人相撲で、合体してたオレは巻き添えで死んだ。だから――」
「うるせぇ!」
図星を指された灯夜が逆上し、痛烈に殴り返す。
「がはっ!」
華奢な肢体が、地面に叩きつけられる。
紬が呻きながら身を起こす前に、灯夜は馬乗りになって、頬を腫らした顔を拳で打ちのめした。
「がっ! あぐっ! ぐぁっ! ふぐっ!」
紬の顔を、左右に殴打する灯夜。
弱いと言うが自ら鍛え続け、改造もされた今の彼は、合体前でも並みの忍者を超える戦闘力を持つ。
秀麗な頬が砕け、歯がへし折れても、殴るのをやめず、膨れ上がった怒りを相棒に叩きつけて。
「俺より弱いくせに! 口だけの羽虫が! どうした、やり返してみろよ!」
「ぐ……ぐべっ、ごぼぼっ、ぶぶぅ……」
無惨に赤黒く腫れ上がり、血泡を吹いて悶絶する紬のか細い首に、灯夜は手を掛け指を食い込ませる。
「げぇ……っ!?」
「できねえなら紬ぃっ、黙って死ねやあ!」
目を据わらせた灯夜が、気道を握り潰していく。
紬は着物の裾を乱し、両脚をバタつかせるが、あまりに非力で灯夜を振りほどけない。
「死ねよ! 死ね、俺と一緒に、死ねぇえええっ紬ぃいいいっ!」
「げひゅっ! ぇっぇっぇっ、ひゅひゅぅ……っ」
絶息した紬の頚椎が、灯夜にへし折られる刹那。
「……それでも生き返りたいのかよ、何でだよぉ」
一瞬、思い留まり、しかし顔を絶望に歪めてトドメを刺そうとする、灯夜の顎を。
紬が横に振った拳が、すっと掠めた。
――コッ。
「ぁごっ?」
ぐるんと大きく揺れ、天地が逆転する灯夜の視界。
瞳が泳ぎ、上体がぐらりとかしいで、体勢を保てず前のめりに倒れる。
地面に激突した額が割れ、鮮血がほとばしるのを感じて。
(脳震盪か? や、やべぇ、なんにもできねえ)
「げへっ!! へひゅっ、はひゅうっ、はひゅうっ、げぇ……こ、このばっかやろうが」
窒息しかけた胸に酸素をむさぼり、ようやく一息ついた紬のしわがれた声が、灯夜の耳朶を打つ。
それは罵声でも、決別の言葉でもなく。
「俺の言い方が悪かった」
謝罪だった。
「ちゃんと聞いてくれ、灯夜」
まだ視界が揺れる灯夜が、驚きながら顔を倒して紬を見ると。
「お前だけで戦うから、負けたんだ。今度は俺と力を合わせろ。そしたら無敵なんだからさ」
「今度って……いいのかよ? 今、オレ、お前を殺そうとしたんだぜ?」
何本か歯の欠けた、無残に晴れ上がった紬の笑顔が、何故か滲んで映る灯夜の瞳。
「このケンカ、俺の勝ちだよな。だから、いいや。ははっ、めっちゃ痛いけど、気分はサイコー!」
相棒に悔恨を抱かせない。
わざと道化めいた振る舞いで、紬は笑う。
何故なら彼は、灯夜を助けたかったのだから。
「くっそ、わぁったよ! 負けた負けた! オレの負けだぁ!」
額を抑えて血止めしながら、ぷいと反対へ向く灯夜の背中に、紬は信頼を込めて呼びかける。
「じゃ、一緒に生き返ろうぜ。まずはあの痴女神さまの試験に、合格してさ」




