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陸軍モノ

山中の砲声

作者: 仲村千夏

 ルソン島中部、標高九百メートルの尾根筋。密林を切り開いた小さな斜面に、日本陸軍の一式四七粍砲が二門、身を潜めていた。


「……連絡通路の迷彩が薄い。あと一度、擬装を強めておけ」


 軍曹・横山が指差すと、砲兵たちは黙ってうなずき、葉を編んだ偽装網をかけ直した。


 この陣地は、第四十三歩兵連隊付属の対戦車砲小隊が構築した、数少ない拠点のひとつだった。歩兵二小隊と協同し、退却中の主力部隊が尾根を越えて移動する間、米軍戦車部隊の突破を阻止する任務を負っている。


 指揮官は、少尉・藤木直哉。士官学校出ではなく、戦時中に任官した叩き上げの現地士官だ。


「予定では、あと二十四時間。後続部隊が通過すれば我々も撤退する」


 小隊会議でそう説明した藤木は、無線機を一瞥した。野戦通信はすでに不安定で、本部からの指示も届かなくなりつつある。


 横山軍曹が口を開く。


「少尉、米軍の斥候が一キロ南で確認されました。シャーマン数輛、歩兵大隊規模と推定されます」


「来たか……。第二砲小隊は北西斜面へ回り込ませろ。連携のタイミングは第一弾に合わせる」


 藤木は地図に視線を落とす。尾根は二方向からの進入が可能だが、戦車が通れる道は一つしかない。その一本道に砲を集中させ、先頭車両を叩く。


 後ろに退くわけにはいかない。ここを抜けられれば、味方の工兵や衛生隊がひとたまりもない。


 砲兵たちは銃身を調整し、試射線を確認していく。歩兵たちも持ち場に付き、擲弾筒や軽機関銃を構えた。


 午後二時。密林の静寂を破るように、米軍の戦車が林道に現れた。


「……来たぞ、距離五百、シャーマン先頭」


 観測兵の報告と同時に、藤木は叫ぶ。


「第一砲、撃て!」


 ズドン、と地面を震わす発砲音。一式四七粍砲の鋭い砲声が、山中に響き渡る。


 次の瞬間、シャーマンの左履帯が吹き飛び、戦車は傾いて停止した。中から火が噴き出す。


「命中だ!」


 砲手たちが声を上げたのも束の間、すぐに米軍の応射が始まる。榴弾が陣地近くの林を爆発させ、破片が飛び交った。


「第二砲、続け!」


 もう一門の砲が火を吹き、後続のM4戦車の砲塔をかすめたが、致命傷には至らない。シャーマンは車体を回転させ、砲撃を開始した。


「砲撃集中、ここを狙ってくるぞ!」


 藤木が叫び、砲兵たちは弾薬を抱えて走る。だが、その途中で一発の榴弾が砲座を直撃した。


 地面が爆発し、第二砲の砲手三名が吹き飛ばされた。砲身は曲がり、使用不能に陥る。


「第二砲、喪失!」


「負傷者は?」


「三名即死、一名重傷です!」


 叫ぶ衛生兵の声に、藤木は唇を噛んだ。まだ半日も経っていない。


「第一砲を死守する。歩兵隊、右斜面に回って敵歩兵を遅らせろ!」


 米軍はシャーマンを前に出しつつ、後続に機関銃隊と擲弾兵を展開しはじめていた。一門では対応しきれない。


 だが、ここで崩れればすべてが無に帰す。


「肉薄攻撃の準備だ!」


 藤木の号令に、志願兵たちが爆雷と竹槍を手に、影のように動き出す。彼らの任務は、接近して戦車に爆薬を取り付け、自爆覚悟で撃破することだ。


 若い歩兵がひとり、藤木に向かって叫んだ。


「俺が行きます! 家族を守るために、今ここで戦います!」


「無理はするな。戻れる者は戻れ」


「戻っても、どうせ戦うことになります。なら、今ここで!」


 藤木は頷き、胸の中で名も知らぬ若者の無事を祈った。


 午後四時、再び砲声が鳴る。第一砲は今度、シャーマンの車体中央を貫いた。黒煙が立ち上がり、乗員が脱出して逃げていく。


 だが、残りの戦車が猛反撃を開始。機銃掃射と砲撃が混ざり、陣地が崩れていく。


 その中で、爆雷を抱えた歩兵が一人、駆け抜けた。砲声の中、敵戦車の下へ滑り込む。


 爆発。


 金属がねじれる音と共に、シャーマンが停止した。


「……やった……やったぞ!」


 叫んだ砲手の声も空しく、次の榴弾が彼の背中を吹き飛ばした。


 戦場は、もう修羅だった。砲座の周囲には死体と血が転がり、弾薬は残りわずか。


 そのとき、無線が小さく鳴った。


《こちら連隊本部。撤退完了。貴小隊の任務、全うされた。各自、可能ならば脱出せよ》


 藤木は沈黙したまま、手で砲兵たちを呼び寄せた。


「……任務は完了だ。これ以上、ここにいる必要はない。生きろ。ジャングルを抜けて、山を越えて、生きて帰れ」


「……少尉は?」


 横山軍曹が問うと、藤木は小さく笑った。


「俺は、まだ一発撃てる砲を持ってる。せっかくだから、もう少し付き合ってやるさ」


「俺も残ります」


「俺もです」


 砲兵たちの声が次々と続く。


 藤木は手を振って制した。


「気持ちは嬉しいが、全員残ったら意味がない。お前たちが生きて、今日のことを伝えろ」


 沈黙の中、砲兵たちは頷き、最後に敬礼してジャングルの闇へと消えていった。


 残ったのは、藤木と横山、そしてもう一人の砲手。


「……さて」


 最後の砲弾を装填し、砲身をわずかに調整する。


 密林の向こうから、再びシャーマンのエンジン音が聞こえた。


「撃て」


 一式四七粍砲、最後の砲声が山に響いた。

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