第五章 第14話:闘技の裏で糸を引く者たち
──あらすじ──
ついに幕を開けたエルディナ王国の闘技大会本戦。
歓声と熱気に包まれる中、特等席と舞台裏では、
それぞれが思惑を胸に動き出していた――。
遂に迎えた、闘技大会本戦当日。
エルディナ王国の闘技場周辺は、これまでの比ではない熱気に包まれていた。
近隣の村々からも人々が押し寄せ、街全体が祭りのような賑わいを見せている。
外周には色とりどりの屋台がずらりと並び、
出店数は予選の三倍に膨れ上がっていた。
最近入荷されたばかりのライシュの実――つまりお米を使った料理は特に人気で、香ばしい匂いを漂わせるソースせんべいやガーリックライスステーキ、
さらに棒状にして炙ったきりたんぽ風の一品など、
多彩な品々が人々の食欲をそそっている。
さらに、なぜか闘技場入口付近にはグッズ販売所まで設置されていた。
並ぶのはルミナスやアレクシア、
そして何故かルーナまでを模した皿や服、帽子などの品々。
中でも一番人気は、ルミナスが翼を広げた姿をモチーフにしたマグカップで、手に取った客が笑顔で列を作っていた。
会場内では警備兵が観客を誘導し、騒ぎが起きないよう鋭い目を光らせて巡回している。
観客席には、王族や要人が座る特等席を目指して視線を送る者も多く、
その視線の先には国王ヴェルクスと、その隣に座るルミナス、そして控えるセシリアの姿があった。
ヴェルクス王は横に座るルミナスに穏やかな笑みを向け、低く響く声で問いかける。
「それでは、ルミナス様。よろしいですかな?」
「………」
返事はない。ルミナスは小さく震え、視線を泳がせている。
緊張の色が隠しきれていない。
「ルミナス様?」
「ひゃいっ!!」
ビクリと肩を跳ねさせたルミナスに、ヴェルクス王は豪快に笑い声を上げた。
「はっはっは! 流石のルミナス様でも、この人数を前にしては緊張されますかな?」
「はは……ははは……」
乾いた笑みを浮かべるルミナス。
その様子を、隣のセシリアはじっと、どこか睨むような目で見つめていた。
やがてヴェルクス王が玉座から立ち上がると、
会場にファンファーレが鳴り響く。
その瞬間、観客席からは熱狂の声が爆発した。
──わああああああああっ!!! ヒューヒューヒューッ!!!
ヴェルクス王は右から左へと、会場全体を包み込むように手を振る。
そして朗々とした声で開会の言葉を高らかに告げた。
「待たせたな、皆の衆! これより、エルディナ王国の繁栄を願い――闘技大会本戦の開催を、ここに宣言するっ!!」
──わああああああああっ!!!
──エルディナ王国バンザイ!! エルディナ王国バンザイ!!
再びファンファーレが轟き、興奮と歓喜の渦が会場を揺らす。
ヴェルクス王はゆっくりと玉座へ腰を下ろし、隣のルミナスに声を掛けた。
「さ、ルミナス様。出番ですぞ」
ヴェルクス王の合図に、ルミナスは、ぎこちなくロボットのように体を動かし、前へと歩み出る。
──きゃああああああっ!!! ルミナス様ぁぁぁ!!!
──俺たちの女神様だぁぁぁ!!!
──わあああああああああっ!!!
「ひぃぃぃぃっ……!!」
四方から飛び交う歓声と視線が一斉に突き刺さり、顔は引きつり、今にも泣きそうな声が漏れる。
「ふえぇぇぇ……な、なんで……こんなことに……」
泣きべそ寸前のルミナスの視界に、
闘技場の両側から選手たちが入場してくる光景が飛び込んでくる。
そこには、アレクシア、フェリス、レオナール、そしてルーナの姿もあった。
ルーナは、特等席で立つ“ルミナス”へと視線を送り、
小さく手を振って柔らかく微笑む。
(うぅぅぅ……! ルミナスぅぅぅ……!! あとで絶対、文句言ってやるんだからぁぁぁ……!!)
そう。今、特等席にいるのは本物のルミナスではない。
そこに立っているのは、ルミナスの髪と瞳を外見憑依させたレシェナだった。
──時は遡り、本戦前日。
「む、むむむむ……!! 無理っ!! 無理無理無理ぃぃぃ!!!!」
「そこをなんとかっ!! 私が戻ってくるまででいいからさっ……!」
本戦に出場が決まっていたルミナス(ルーナ)は、
レシェナに頭を下げ、必死のお願いをしていた。
「本当は私がやるつもりだったんだけど……選手は控室にいないとダメらしくて……」
「じゃ、じゃあ……私がルーナになれば……」
逃げ道を探そうとするレシェナに、
ルミナスは当日装備予定のブロードソードを手渡す。
「……お、重っ!!!」
「ね? これを腰に下げて歩き回るの、私は平気だけど……レシェナじゃキツいでしょ?」
渋い顔をしたレシェナは、大きくため息をつき、肩を落とした。
「はぁ……。ここまで協力しちゃったんだから……渡りかけた橋、よね……」
「それじゃあっ……!!」
キラキラと期待を込めたルミナスの瞳に押され、レシェナは観念する。
「わかった……やるわ……! でも、ルミナスの印象が悪くなっても知らないからね……?」
──そして、現在。
変装の仕上げとして、レシェナの髪と瞳はルミナスと瓜二つに整えられ、
鼻から下はフェイスベールで隠している。
そのベールにはリコルナイト製の小さな装飾が仕込まれており、
光を受けてわずかに輝いていた。
しかし、人の波と視線の圧に晒されたレシェナは、
胃がひっくり返りそうなほどの緊張に襲われ、
目をぐるぐると回しながら言葉を探している。
「あぅ……。えぇ……っと……うぅ……」
その様子を見かねたセシリアが、後ろから静かに近づき、一枚の紙を差し出した。
「こちらの言葉を叫べば良いかと……」
「──!!」
レシェナは震える手で紙を開き、その内容を確認すると、ぱっと表情を明るくした。
「あ、ありがとう……!! セシリア〜……!!」
必死にルミナスの声色を真似しながら、心の中で何度も感謝を叫ぶ。
(あ、ありがとうぅぅ……セシリアぁぁぁ……!! よぉーし……)
ぐっと息を吸い込み、腹の底から声を張り上げた。
「健闘を祈るっ!!!!」
その一言を響かせると、レシェナは早足で後ろに下がる。
短い言葉だったが、観客席は一気に沸き立ち、熱い声援が波のように広がっていった。
しかし、その様子を見ていたフェリスは、細めた目でぽつりと呟く。
「健闘を祈るって……、ルミナスのやつさては大会に出られなくて拗ねてるわね……」
――全くバレていなかった。
一方その頃、本物のルミナス(ルーナ)は会場からレシェナを見つめて、心の中で謝っていた。
(ごめんねぇ〜……!! レシェナ……!! あとで屋台の食べ物、たっぷり持っていってあげるから……)
こうして開会式は無事に終わる。
ルーナは急いでレシェナと合流しようと、会場の入口へ向かう――が、
その前に足を止めさせたのは、一人の男だった。
「ルーナ殿!」
(やばっ……! レオナールさんだ……)
現れたのは、王国民間討伐組合の組合長・レオナール。
彼は深々と頭を下げ、礼儀正しく挨拶をする。
「初めまして。私はこの国の王国民間討伐組合の組合長、レオナールと申します。
あなたの噂はかねがね耳にしております。Aブロック同士、勝ち越せばいずれ相まみえ──」
──ドガッ!!
長い自己紹介の途中、横から勢いよくタックルしてきた影があった。
フェリスだ。
彼女はレオナールを押しのけるようにしてルーナの目の前に立ち、
瞳を輝かせる。
「ルーナ様っ!! またお会いできて嬉しいですっ!!」
その熱のこもった視線に、ルーナは思わず引き気味になりながらも、小さく手を振って応えた。
「や……やぁ。元気そうで良かったよ」
「先日、模擬戦をしていただいたのにもかかわらず、気を失った私を運んでくださって……」
フェリスは頬をわずかに染め、恥ずかしそうに視線を伏せる。
「あ、あぁ……いいんだよ。気にしないでっ!」
(な、なんだこの乙女全開のフェリスは……!? いつもの彼女と別人じゃない……!)
フェリスは拳を胸の前でぎゅっと握り、真っ直ぐにルーナを見据えた。
「ルーナ様っ! 決勝でまたお会いしましょうねっ!!」
ルーナも笑みを返し、力強く頷く。
「うん、私も絶対負けないから。君も負けないでね。決勝、楽しみにしてるから」
「はいっ!!」
喜びに満ちた返事。その横で、アレクシアが不満げに頬を膨らませていた。
「フェリス? わたくしに勝ったつもりでいらっしゃるけど……Bブロックを進んだ先に、このわたくしがいることをお忘れなくて?」
フェリスはハッと顔を上げると、慌ててアレクシアの前に跪いた。
「申し訳ございません!! アレクシア様、もちろん忘れてなどおりません……!!」
ルーナの隣に立つレオナールが、柔らかく笑って口を開いた。
「ははっ……。今日のフェリスさんはいろんな顔が見られて、実に楽しいですね」
そんな中、アレクシアがルーナへと真っ直ぐ歩み寄ってくる。
彼女はルーナの前でスカートの端をつまみ、優雅に一礼した。
「初めまして、ルーナ様。わたくし、エルディナ王国国王、ヴェルクス=エルディナの娘――アレクシア=エルディナと申しますわ」
顔を合わせるのは初めてではないが、
形式に則り、ルーナも胸に手を添えて丁寧にお辞儀を返す。
「これはこれは……ルーナと申します。アレクシア王女殿下」
(まあ……この場にいる全員、知ってるんだけどね……)
アレクシアはふっと笑い、軽やかに言い直す。
「アレクシアで構いませんわ。それに……あなたのことはガレオスから聞いておりますの」
その名前に、ルーナはわずかに眉を動かした。
(ガレオス団長の……? まさか……余計なことまで話してないよね……?)
「『ルーナ様に勝ちたいなら、最初から本気で行け』――そう助言されましたわ」
どうやら心配は杞憂だったらしい。ルーナは安堵の息を漏らし、胸をなで下ろす。
その時、係員たちが足早に駆け寄ってきた。
「これよりAブロックの第1試合が始まります! 出場選手の皆様は控室へ!」
促されるまま、ルーナたちはAブロックとBブロックの控室へと向かい始める。
(さて……私は第3試合目からだし、その間にレシェナと交代してあげよう……)
そう決めたルーナは、控室ではなく特等席の入口へと足を向けた。
その入口上部――天井の梁には、スピナが張った巣があった。
ルーナは小さく手を振って合図を送る。
『ききぃっ!!』
応えるように、スピナは細く丈夫な糸を垂らし、ルーナの手元まで下ろす。
ルーナはその糸を耳元に近づけ、声を潜めた。
「レシェナ、お待たせ。私、第3試合目からだから、その間に交代しよう」
「──!!」
特等席にいたレシェナは、小さく肩を震わせると、
ヴェルクス王とセシリアへ向き直った。
「あのぉ〜……」
「おぉ、ルミナス様。どうかなされましたか?」
「……お花を摘みに」
すると、セシリアがすかさず声を掛ける。
「場所は分かりますか? もしよろしければ、私が案内いたしましょうか?」
レシェナは慌てて首を横に振り、両手まで添えて断った。
「ううん!! 大丈夫っ!! 大丈夫だから、セシリア!! 一人で行けるからねっ!!」
「………」
特等席を後にする“ルミナス”の背中を、セシリアは黙ったまま見送っていた。
レシェナが特等席の扉を開け、右側の通路に目をやると――そこには壁にもたれ、こちらを待っているルーナの姿があった。
「うわぁぁんっ……!! ルミナスぅぅぅ!!!」
たまらず駆け寄ったレシェナは、そのままルーナに抱きつく。
「ごめんね!! レシェナ……!!」
ルーナの胸に顔を押し付けながら、レシェナは涙交じりに訴えた。
「もう……本当に緊張したんだからねっ!?」
二人は周囲を素早く確認し、人影がないことを確かめると、足早に化粧室へ向かう。
そこで、ルーナはルミナスへ――ルミナスはレシェナへと姿を入れ替えた。
ルミナスは、クイックアーマーの下にレシェナと同じ服をあらかじめ着込んでいた。
一方、レシェナは変装用の衣服を隠すようにローブを羽織り、そのまま観客席に向かう準備を整える。
ルミナスはフェイスベールを顔に付け、再び“ルミナス”として特等席へ。
「それじゃあ、第3試合目まではゆっくりしててねっ!」
「うぅ……。早く勝って戻ってきてね……?」
レシェナの不安げな声に、ルミナスはにこりと微笑み、しっかりと頷いた。
そうして二人は別れ、ルミナスは特等席に戻って腰を下ろす。
「ただいま! セシリア!!」
「──!! ……随分と長かったですね、ルミナス様!」
「ん? そう?」
とぼけるように返すルミナス。その直後、ヴェルクス王が声を掛けてきた。
「ルミナス様! そろそろ第1試合が始まりますぞ……!」
こうして、ついに闘技大会本戦の火蓋が切って落とされた。
──闘技場地下。
そこは、食料庫や資材置き場が並び、
一般人が立ち入ることのない薄暗い空間。
──ザクッ……
「うぐっ……!?」
鋭い刃が閃き、警備兵の首筋を裂く。
──ずりずりずり……
倒れた警備兵の体が、暗がりの奥へと無造作に引きずられていく。
「よし……これで警備兵は全員だな……」
「はい……ここは制圧完了です……」
黒装束の男たちが、レンガ造りの壁にオレンジ色のランプが揺らめく通路を静かに進む。
足音は低く、しかし目的地に向かって迷いはない。
「もう少し先だ……闘技場の真下に行くぞ」
「はい……」
その手の中には、大きな赤い魔石が握られている。
妖しい光が、その表面に鈍く反射する。
「狙いは決勝で当たる相手……合図を待て」
「了解……」
地上では熱狂と歓声が渦巻くその時、
地下では静かに、しかし確実に不穏な計画が進行していた。