第五章 第13話:黒い月と青い稲妻
──あらすじ──
闘技大会を前に、街は謎の黒髪剣士の噂で持ちきりだった。
フェリスはその剣士に強い関心を抱き、訓練場でついに対面を果たす。
そして彼女は、憧れの相手に模擬戦を申し込み──訓練場の空気は一気に張り詰めていく。
闘技大会予選が終わってから一日が過ぎ。
騎士団団長ガレオス・グランフォードを打ち破った
黒髪の少女──ルーナ(ルミナス)の名は、瞬く間に王都中へ広まっていた。
『──号外号外! あの騎士団団長ガレオス・グランフォード、謎の黒髪少女に敗北!!』
「な、なんですって……!?」
街のあちこちで、驚きと興奮が入り混じった声が飛び交う。
人々の関心は、謎多き少女ルーナの話題一色に染まっていた。
──ルミナス邸。
この日はフルギア店が定休日のため、レシェナはルミナスの屋敷でのんびりとティータイムを楽しんでいた。
「はぁ〜……セシリアの淹れてくれるお茶って、本当に心が落ち着くわぁ……」
「お口に合って良かったです」
微笑みを交わしながら、セシリアも一緒にカップを傾ける。
上品な香りの紅茶と甘いお茶菓子に舌鼓を打ち、穏やかな午後を過ごしていた──その時。
──バァンッ!!
「──!?」
勢いよく開かれた扉に、レシェナは思わず肩を跳ねさせる。
現れたのはフェリス。その手には、先ほど街で配られたばかりの新聞が握られていた。
「大変よっ!! 団長が負けたわっ……!!」
険しい表情のまま椅子に腰を下ろし、フェリスは新聞を広げる。
その様子を見たセシリアが、ふと思い出したように口を開いた。
「あぁ……あの、ルミナス様に大盾の使い方を学んでいた赤い鎧の方ですね?」
「そう!! 闘技大会の優勝候補って言われてた団長が、まさか予選で負けるなんて!?」
興奮気味に語るフェリスの横で、
レシェナはそっと身を乗り出し、カップを片手に記事を覗き込む。
「で、ここ。 相手の特徴が書いてある記事、読んでみて!」
促され、セシリアはフェリスの指さす箇所を読み上げた。
「……『騎士団団長を打ち破ったのは、深く帽子をかぶり、黒髪をお団子にまとめた少女。瞳は金色にも見える。名はルーナ』……とありますね」
次の瞬間、セシリアとフェリスの視線が、ゆっくりとレシェナに向けられた。
「ひ、ひぇっ!? な、なにっ!?」
「黒髪に……」
「金色のような瞳……」
二人は互いに特徴を確認し合いながら、じっとレシェナの髪と瞳を見つめる。
「い、いやいやいや!! あたしなわけないじゃんっ! それに……ほ、ほら、名前だって違うし! そもそも剣なんて持ったことないし!」
両手をブンブン振って必死に否定するレシェナ。
しかし、フェリスの目は細まり、疑念を隠さない。
「なんか怪しいわね……。まさかシェレーヌやミーナ以外にも血縁がいる、なんて話じゃないでしょうね……?」
ずいっと迫ってくるフェリスの顔に、レシェナは思わずのけぞる。
「ひえぇぇっ……!!」
その時──。
扉が再び開き、大きなあくびをしながらルミナスが入ってきた。
「ふぁ〜……。朝の水やり、終わり〜。セシリア〜、私にもお茶淹れて〜」
いつものように畑仕事を終え、ゆったりとした足取りで戻ってきたところだ。
「おかえりなさいませ、ルミナス様。ただいまお淹れいたします」
セシリアは軽く会釈をして席を立ち、キッチンへ向かう。
「ねぇ、ルミナス……」
フェリスが新聞を手に持ち、真剣な表情で呼び止めた。
──バサッ。
「これ見てよ! 昨日、団長が負けたらしいのよ!」
「──!!」
ルミナスの眠たげな目が、一瞬で見開かれる。
「ほへ〜……ふ〜ん……そ、そうなんだぁ〜……!」
視線は、無意識にレシェナのほうへ。
レシェナは必死に小刻みで首を横に振っていた。
「で、あんた、このルーナって人、知らない?」
「えっ!? 私が!?」
フェリスは記事に目を戻し、力を込めて言う。
「この記事が本当なら、ルーナって人は相当な手練れよ。
団長の盾を防いで反撃、それどころか盾を手で受け止めて制圧したって……。
しかも、誰にも知られていないってことは、きっと一人で鍛え上げて団長に匹敵する実力を身につけた、本物の実力者。尊敬に値するわ……!」
その言葉に、ルミナスの耳がほんのり赤く染まる。
「えへへ〜……」
「……? なんであんたが照れてんのよ」
「あ、いや別にぃ!?」
二人は互いに視線を交わし、「まだバレてない」と心の中で安堵する。
そこへ、セシリアが湯気の立つティーセットを手に戻ってきた。
「お待たせいたしました」
──コトッ。
「ありがと、セシリア!」
ルミナスがお茶を一口すすった、その瞬間。
「こうしちゃいられないわ!」
フェリスは勢いよく立ち上がった。
「本戦までまだ時間がある……! 訓練場で追い込むわよ!」
言うが早いか、フェリスはダイニングの扉を乱暴に開き、駆け足で去っていく。
その背中を見送りながら、ルミナスの瞳が何かをひらめいたように光った。
湯呑みのお茶をぐいっと飲み干す。
「セシリア、ちょっと出かけてくるから、レシェナとゆっくりお茶してて!」
「……? はい、わかりました」
レシェナは首を傾げつつも、扉へ向かうルミナスを見送る。
そしてルミナスは、クイックアーマーとキャスケット帽を手に取り、
フェリスより先に訓練場へと足を向けた。
──王宮・野外訓練場
フェリスは、いつものように重い扉を押し開けた。
しかし、その光景はいつもとまるで違っていた。
ざわめく人だかり。その中央で、黒髪の少女が静かに剣を構えている。
──ざわざわ……ざわざわ……
「お、おい……見ろよ。あれ……団長に勝ったルーナって子じゃないか?」
「ほ、本当だ……! なんでこんな所に?」
「おい、お前、ちょっと話しかけてこいよ!」
「お、俺!? 無理無理っ……!」
訓練場のあちこちでそんな声が飛び交う中、フェリスの瞳が見開かれた。
「あれは……!」
フェリスは小走りで黒髪の少女に近づくと、笑みを浮かべて声をかけた。
「ねぇ! あなた、ルーナでしょ!?」
ルーナはぴくりと肩を揺らし、ゆっくりと振り返る。
「……ええ。そうだけど?」
「やっぱり! 今朝、あなたの記事を読んだの!」
フェリスは嬉しさを隠しきれずに言葉を弾ませる。
「あ、ごめんなさい! 自己紹介がまだだったわね。
私はフェリス。ヴァルグレイス家の次女で、家は剣士、騎士の家系なの」
「そうなのね。……知ってると思うけど、一応自己紹介しておくわ。
私はルーナ。遠い島国からやって来た流浪の旅人よ」
(とりあえず、“流浪の旅人”ってことにしとけばなんとかなるでしょ……!)
フェリスの目がさらに輝きを増す。
「か、かっこいい……! 私、記事を読んで感動したの。
だって、団長の大技を避けずに受け止めたって書いてあったんだもの! 本当に尊敬するわ!」
ルーナは頬が緩みそうになるのを必死にこらえ、
黒髪を指先で払って涼しげに言い放つ。
「あの攻撃を避けるなんてもったいないわ。正々堂々と受けてこそ、本当の強者よ」
(き、きまったぁ〜……!)
フェリスはその言葉に胸を打たれ、思わず一歩よろめく。
「……! ルーナ……いえ、ルーナ様!」
(へぁっ!? ルーナ様っ!?)
「お願いがあります! ここで私と、模擬戦をしていただけませんか!」
深々と頭を下げるフェリスの真剣な眼差しに、
ルーナは小さく息を呑む。
本当は、フェリスより先に訓練場に来て、
ルミナスとの接点を無くそうとしただけだった。
だが、この熱意を前にしては……断る理由が消えてしまった。
「……いいでしょう。ただし、予選と同じく模擬刀での一戦ということで」
「ありがとうございますっ!」
──訓練場の空気が、一瞬で張り詰めた。
ルーナとフェリスを中心に、
騎士団員や組合員たちが円を描くように立ち並ぶ。
審判役は、その場に居合わせた騎士団員が務めていた。
「それでは──これより、ルーナ対フェリスの模擬戦を始める!」
ルーナは模擬刀を軽く回し、その切っ先をフェリスへと向ける。
「私を倒すつもりで……今の全力で来なさい」
「はいっ……!!」
フェリスは木剣を両手で握りしめ、全神経を研ぎ澄ませた。
その構えを、ルーナも真っ直ぐに受け止めるように視線で捉える。
──その瞬間、フェリスの脳裏に浮かんだのはルミナスの姿だった。
構え自体は全く異なる。
しかし、足腰の軸がまるで動かない安定感。
片手に持った木剣は、力で押すのではなく、
相手の攻撃を受け流すためのもの。
そして──空いているもう片方の腕こそが最大の脅威。
踏み込みを誤れば、剣を封じられ、格闘に持ち込まれる可能性が高い。
(ガレオス団長が長期戦に持ち込まなかったのも……この技量差を悟ったから……)
漂う気迫と構えだけで、圧倒的な実力差を理解させられる。
それはまるでルミナスを彷彿とさせるように。
フェリスの頬を、汗が一筋伝い落ちた。
──ポタッ
「──始めっ!!」
審判の号令と同時に、フェリスは地を蹴った。
──ギュンッ!!!
──ダッダッダッダッダッ!!!
「は、はやい……!」
観客から驚きの声が漏れる。
闘気を脚にまとわせ、矢のような速度でルーナの周囲を駆けるその姿は、
視線で追うのも困難だった。
──ダンッ!!
フェリスは一気に間合いを詰める。
ルーナは正面を向いたまま動かない。
今なら一撃、入れられる──そう確信して踏み込んだ、その瞬間。
「っ……!!」
──タタンッ……!
フェリスは反射的に後方へ跳んでいた。
胸が早鐘を打つ。両手に握った木剣がわずかに震える。
(……目が、合った……)
踏み込んだ瞬間、ルーナと視線がぶつかった。
それだけで、全身に警鐘が鳴り響いた。
(あのまま斬っていたら……私は……)
恐怖を振り払うように頭を振り、もう一度木剣を構える。
(今度こそ──!)
「っ──!!」
踏み込みの意志を固めた瞬間。
──フッ……
ルーナの姿が、フェリスの視界からかき消えた。
「っ……!?!?」
(いなくなった……!?)
フェリスは目前の気配に集中しすぎ、左右の警戒を怠っていた。
その一瞬の隙に──左側から、かすかな踏み込みの音。
──タンッ……!
(左……っ! しまった!!)
──ドッ……!!
ルーナの木剣が、矢のような速さでフェリスの太ももを狙う。
「くっ……!!」
木剣の先が的確に命中。だが深手には至らない。
フェリスは即座に木剣を払って攻撃を弾き返し、
その勢いで後方に一回転しながら距離を取った。
片膝をつき、両手で地面を押さえ込んで体勢を整える。
「……はぁっ……はぁっ……!!」
全力で攻めに出たはずが、あっさりと返される。
ルーナは息ひとつ乱さず、ただ静かにそこに立っていた。
「……驚いたわ。まさかこんな剣士が、遠い島国にいたなんてね」
フェリスは汗を拭いながら、ゆっくりと立ち上がる。
「私の知り合いにね……とんでもなく強いやつがいるの。
あなた……その人と戦わせてみたいくらいよ」
ルーナは目を細め、どこか申し訳なさそうに視線を落とす。
(あー……ごめんねフェリス。その“とんでもなく強いやつ”……今ここにいるんだよね、……)
フェリスは木剣を握り直し、再びルーナを真っ直ぐに見据えた。
「……本当は本戦まで温存するつもりだったけど──出し惜しみしてたら、負けそうね」
──バチッ! バチバチバチッ!!
フェリスの全身に青白い火花が走る。
深く息を吐き、集中力を一点に収束させると、空気がピリピリと震えた。
それは、生体電流を極限まで高め、筋肉の出力を限界以上に引き上げる技。
誤れば、自らの筋繊維すら破壊しかねない危険な力──しかし、彼女はそれを完全に制御できる天賦の才を持っていた。
「ルーナ様……お待たせしました。行きますっ!!」
──シュッッッッ!!!
踏み込みと同時に、視界からフェリスの姿がかき消える。
雷鳴のような音と共に、青白い稲妻が走る。
その速さは先程を遥かに凌ぎ、振るわれる木剣は残像を幾重にも残していた。
「──《雷脈解放》!!」
次の瞬間、ルーナの周囲を何体ものフェリスが取り囲んだかのように見えた──。
「──!!」
──ヂッ……!!
(当たった……!)
フェリスの木剣が、ルーナの頬をかすめた。
予選では一撃も受けずに勝利したルーナに、わずかとはいえ傷を刻んだのだ。
その感触が自信に変わり、フェリスは攻めの手を緩めない。
──ガンッ!! シュンッッッ!!!
──ドガッ!! シュンッッ!!!
──バキッ!! シュンッッ!!!
雷のような速度で斬り込み、また視界から消える。
目まぐるしい攻撃の連続──しかしルーナは、
刃が届く寸前に木剣を差し込み、力を流すように受け止めていた。
(防がれてる……!)
それに気づいたフェリスは、さらに角度を変えて死角から踏み込む。
──シュンッッ!!! ブワァンッッ!!!
しかし、ルーナはわずかに前屈みになって避ける。
──スカッ……!!
(……強くなったね、フェリス。でも──)
ルーナは木剣を軽く翻し、鞘に納めるような構えを取った。
「なんですってっ……!?」
次の瞬間、斬り込もうとしたフェリスの胴を、鋭い一撃が貫いた。
──ドゴォッ!!!!
「か……っ……はっ……!!」
腹部に走る衝撃で、フェリスはたまらず膝をつく。
──ドサッ……!!
両手で腹を押さえ、倒れ込みながらかすれ声で問う。
「な……なんで……私の動きが……わかったの……?」
ルーナは木剣を納め、淡々と告げた。
「あの技──確かに素早さと攻撃力は抜群。
でもね……欠点がひとつある」
「欠点……?」
「持久力だよ。一撃ごとに次の動きが、ほんのわずかだけど遅れる。その一瞬を突いただけ」
フェリスは悔しそうに口元をゆるめ、微笑んだ。
「……悔しいわねぇ……」
そう呟くと、意識を手放した。
審判役の騎士が慌てて手を高く掲げる。
「しょ、勝者──ルーナ!!」
──おおおおおおおおおっ!!!
闘技大会でもないのに、訓練場は歓声と熱気に包まれた。
ルーナは小さく手を振って応え、倒れたフェリスを背に担ぎ、
そのままルミナス邸へと帰っていった。
──ルミナス邸
フェリスを背負ったルーナは、
庭で洗濯物を干しているセシリアに見つからぬよう、
そっと裏口からダイニングへ滑り込む。
テーブルでは、セシリア特製のデザートを頬張っていたレシェナが、
その姿に気づき思わず立ち上がった。
「え!? なになに!? 一体どういう──」
「しーっ!! フェリスが起きちゃうし、セシリアにもバレちゃうよ!」
大声を出すレシェナの口元に指を当てて制するルーナ。
手早くキャスケット帽を外し、クイックアーマーを鞄にしまい込むと、
そのまま帽子も一緒に押し込む。
黒髪の少女ルーナから、いつものルミナスの姿へと戻った。
「ふぅー……」
一息ついたところで──ダイニングの扉が開き、セシリアが戻ってきた。
「レシェナ様、どうかなされ……あら? ルミナス様、おかえりな──」
言葉が途切れ、セシリアの視線がルミナスの背中へ吸い寄せられる。
「フェリス!? 一体何があったんですか!」
慌てて駆け寄るセシリアに、
ルミナスとレシェナは息を合わせたように事情を説明する。
「な、なるほど……ルーナ様ご本人が……」
「そ、そうそう!! 私も偶然ばったり会ってね~。
『フェリスの自宅はどこですか~?』って聞かれたから、うちに案内したんだよ!」
レシェナもこくこくと頷き、話を合わせる。
「そうですか……。それで、そのルーナ様は? まだいらっしゃるのなら……」
「あぁ~……なんか用事があるって、もう帰っちゃったよぉ~!」
再びレシェナが頷いた、その時。
フェリスがうっすらと瞼を開ける。
「ん……。あれ……?」
「あっ、起きたね! フェリス!」
キョロキョロと辺りを見回したフェリスは、ここがルミナス邸だと気づく。
「……そっか、私……気を失って……」
「そうそう! ルーナがここまで運んでくれたんだよ!」
ルミナスはにこにこと笑いながら説明する。
フェリスは無言で立ち上がると、ゆっくり歩き出した。
「ルミナス……ちょっと部屋借りるわぁ~……流石にもう限界……」
そう言って、足取りも重く寝室へ向かっていく。
「珍しいですね……。ダイニングの上にあるデザートに食いつかないなんて……」
心配そうに呟くセシリアに、ルミナスは穏やかに微笑んだ。
「大丈夫だよ、セシリア。きっとたくさん動いたから、疲れちゃったんだと思う」
その視線は、フェリスが消えていった寝室の扉を優しく見守っていた。
──ルミナス邸・寝室
軽鎧を外したフェリスは、ベッドに倒れ込むように身を投げる。
──ボフンッ……
「……ふふっ……ルーナ様ぁ……」
寝言のように甘く呟き、そのまま静かな寝息を立て始めた。
闘技大会まで残り数日──
フェリスは胸に新たな目標を抱き、深い眠りへと落ちていった。