第五章 第10話:輝く星は、月に隠れて。
──あらすじ──
王国中が熱狂する闘技大会が開幕。
フェリスが順調に予選を勝ち進む一方で、
セシリアは意外な苦戦を強いられていた。
そんな中、ルミナスは“とある姿”に変装し、
誰にも気づかれぬまま会場へ足を踏み入れる──。
アレクシア主催による闘技大会──
その参加者は、予想を遥かに超える約二万五千人。
“女神の口づけ”を賭けたこの大会に、王国中の猛者たちが血気盛んに集い、
その規模は当初の十倍にまで膨れ上がっていた。
各々が己の肉体を鍛え上げ、夢と欲望を胸に刻む。
──そして、予選当日。
あまりの人数のため、予選は数日かけて行われることになり、
その中で一足先に戦いを終えた一人の少女が、会場から出てきた。
──エルディナ王国・王宮近くの予選会場
「ん~~っ……! 楽勝だったわねぇ……!」
フェリスが伸びをしながら、上機嫌で勝利の余韻に浸る。
その剣技は冴えわたり、相手をまるで子ども扱いするように制していた。
「フェリスっ! おかえり~!」
手を振って出迎えたのはルミナス。
ベンチに座る彼女の元へ、フェリスはふらりと腰を下ろした。
「結構早かったね? もしかして相手、歯応えなかった?」
「ま、そりゃあね。魔族や魔獣とやり合ってると、人間相手なんて可愛いもんよ」
フェリスの眠たげな表情に、ルミナスは微笑みを浮かべた。
「……あ、そういえば。セシリアは?」
辺りを見回すフェリス。
彼女よりも早く登録を済ませ、予選に出場していたセシリアの姿が見えない。
その様子を見たルミナスは、背後の木陰に視線を向ける。
「……この裏に」
「え……?」
促されるまま木の根元を覗き込んだフェリスは、そこで目を疑った。
──セシリアが、地面に縮こまり、まるで抜け殻のように横たわっていた。
ゆっくりと近づき、恐る恐る声をかける。
「セシ……リア……?」
呼びかけに応じるように、気の抜けた返事が返ってくる。
「あー……フェリスですかー……お疲れ様ですー……」
そのあまりに覇気のない様子を見て、フェリスはすぐに察した。
「……あんた、もしかして──」
「落選した……?」
その一言に、セシリアの身体がピクッと反応する。
やがて彼女は、地面に顔を埋めるようにしながら、ブツブツと呟き始めた。
「ふっ……飛び道具も魔法も禁止なんて……あんまりじゃないですか……
初戦敗退ですよ……相手はアレクシア様……こんなの勝てるわけ……」
セシリアは、ルミナスの“キス”が遠のいたショックから、まるで魂が抜けたかのように項垂れていた。
「あー……」
隣でフェリスが苦笑いしていると、ルミナスが歩み寄ってくる。
「まさか、遠距離武器に飛び道具、さらには魔法まで禁止だなんてね……」
ルミナスが苦笑すると、フェリスも手にしたパンフレットを広げながら続けた。
「どうやら、参加人数が多すぎるから、なるべく公平を保つためにそういうルールになったらしいわよ」
ため息をつくセシリアの隣に腰を下ろすと、ルミナスは優しく彼女の頭を撫でる。
「セシリア、元気出して? あなたが元気ないと、私まで元気なくなっちゃうよ……」
──ちゅっ。
ルミナスはそう言って、そっとセシリアのおでこに口づけを落とした。
「っ──!!」
瞳を大きく見開いたセシリアは、突如としてルミナスの手を両手でがっしりと握りしめた。
「申し訳ございませんっ!! ルミナス様……!! 元気が出ました!! いえ、元気どころか……生命力がみなぎってまいりましたっ!!」
その顔は真っ赤に染まり、目はぐるぐると回っている。
やがて勢いよく立ち上がり、天へと拳を突き上げる。
「闘技大会など、もうどうでもよいですっ!! ルミナス様の恩寵を授かった今の私は──無敵ですっ!!」
その叫びに合わせるように、彼女の精霊の力が溢れ出し。頭上からはスプリンクラーのように水が噴き出し、空中に虹を描く。
──ぼふっ!
──どさっ!
やがて小さな水蒸気爆発と共に、セシリアはその場にバタンと倒れ込んだ。
その光景を見届けたフェリスは、じと目を向けながら、呆れ気味にぼやく。
「……あのさぁ。いちゃつくなら、他所でやってくれない?」
ルミナスはセシリアの幸せそうな寝顔をしばらく見つめると、すくっと立ち上がってフェリスに声をかける。
「よしっ、フェリス。お願いがあるんだけど──」
「なによ?」
「セシリアを、お屋敷までお願いできるかな?」
「はぁ……? なんで私が……」
めんどくさそうに肩をすくめるフェリスだったが、少し考えた後、ふっと何かを察したようにルミナスに向き直る。
「あー……そういうことね。さてはあんた、闘技大会限定で出てる屋台を片っ端から食べ歩くつもりでしょ?」
「ちょっと! 人を大食いキャラみたいに言わないでよっ!!」
ルミナスはぷくっと頬を膨らませて抗議する。
セシリアをひょいと担ぎ上げたフェリスは、手を振りながら軽く注文をつけた。
「んじゃ、私。最近人気の“大判ライシュ焼き”ね。セシリアの分もお願い~」
背を向けて去っていくフェリスの姿を見送りながら、ルミナスは小さく手を振る。
「さて……と」
フェリスの姿が見えなくなったのを確認すると、ルミナスは静かに視線を予選会場へと向けた。
その瞳には、ささやかな闘志の光が宿っている。
「それじゃあ──行きますかっ!」
──エルディナ王国・予選会場
王宮の管理下にあるこの施設は、まるで現代のオフィスビルのロビーのように整然としていた。
中央には三つの受付が設けられ、組合の受付嬢たちが登録用紙を配りながら、参加者たちに手際よく説明をしている。
その中には、見慣れた姿──リゼットの姿もあった。
「次の方~、どうぞーっ!」
リゼットは元気な声で参加者を呼び込み、次々と受付をこなしていく。
「そちらの黒髪の……はいっ! どうぞこちらへ!」
「っ──!! あ……どもっ!」
彼女の前に現れたのは、冒険者風の軽鎧に身を包み、黒いキャスケット帽を目深にかぶった少女だった。
髪は黒く、後ろでお団子にまとめられている。
「ご登録はお済みですか?」
「あー……えっと、今からするんだけど……」
帽子のつばをわずかに下げ、リゼットから顔を隠すように答える少女。
「……? そ、それではこちらの用紙にご記入いただいて、再度受付へお持ちくださいっ!」
「ありがとっ!」
軽やかに礼を言うと、少女はぎこちない足取りでスタンディングデスクへ向かった。
その様子を目で追っていたリゼットに、隣の受付嬢が問いかける。
「どうかしたの、リゼット?」
「あ……ううん。なんでもないんだけど……」
首をかしげながら、リゼットは黒髪の少女の背中をじっと見つめる。
「なんだか、どこかで会ったことがあるような……でも、このあたりでは見かけない子なんだよね……」
「ふーん。ま、用紙に名前書くし、そのときわかるんじゃない?」
「そ、そうね!」
やがて少女が用紙を手に戻ってくる。リゼットは思わず、息を詰める。
(き……きたっ……!)
少女は帽子のつばを軽く押さえながら、記入済みの用紙をリゼットに手渡した。
「はい! ありがとうございます。それでは、内容を確認いたしますね!」
リゼットは手元の登録用紙に目を通しながら、眉をわずかにひそめた。
(ええと……名前は“ルーナ”? 姓は無し……うーん……?)
「はい、確認が終わりました。お名前はルーナ様で、お間違いないですね?」
「うん!」
にこっと笑って答える少女に、リゼットはさらに確認を続ける。
(性別は女性。年齢は……“17くらい”?)
「あの……ご年齢の記入欄なのですが、『17くらい』というのは……?」
「──っ!」
ルーナは一瞬、肩を小さく震わせると、慌てたように弁明する。
「あー……えーっとぉ~……そ、そう! 誕生日がわからなくて……だから憶測で書いちゃったんだけど、ダメかな?」
リゼットは少し戸惑ったような顔を見せたが、すぐに笑みを浮かべて頷いた。
「ええ……いえ、大丈夫です! そういったご事情があるのでしたら、問題ありませんよっ」
(もしかして……孤児の子かしら?)
「よかったぁ……」
胸を撫で下ろすルーナに、リゼットは最後の確認項目へと移る。
「それでは、ルーナ様が扱う武器種は“直剣”ということでよろしいですか?」
「うん! それで大丈夫!」
ルーナは腰に帯びたブロードソードをちらりと見せた。
「確認ありがとうございます。それでは、これより予選の説明をいたしますね!」
にっこりと笑ったリゼットは、丁寧に説明を始める。
「まず勝利条件ですが、相手の“気絶”もしくは“降参”の確認が取れた時点で勝利となります。
本戦では本物の剣を使用しますが、予選では“模擬剣”での戦いになります。
禁止事項としては──
・相手の命を奪う行為
・魔法の使用
・薬品の使用
・試合前に強化魔法をかけること
以上が発覚した場合は即失格となりますので、ご注意ください。
またルーナ様は“直剣”ということですので問題ないと思いますが、
飛び道具や遠距離武器での参加は不可となっております。ご了承ください」
リゼットの説明を最後まで聞いたルーナは、こくんと頷いた。
「うん、大丈夫だよ!」
「それでは、控室のほうでお待ちください。準備が整い次第、係員がご案内に参りますね」
ルーナは軽やかに一礼すると、笑顔で言った。
「ありがとう、リゼットさん!」
「……!」
その言葉に、リゼットの瞳が見開かれる。
──その声。
どこかで……いいえ、間違いなく……知っている。
だが目の前の少女は、見たこともない黒髪の子。
魔力反応を探知する装置も、何の反応も示していない。
(幻覚の魔法や偽装の魔法の可能性は無い……)
控室へと消えていくルーナの背中を見送りながら、リゼットは小さくつぶやいた。
「まさか……ね……」
──予選会場・控室
扉を開けて個室に入ったルーナは、まず中に誰もいないことを確認し、静かに扉を閉めた。
そして備え付けの鏡の前に立つ。
「……あっぶなかったぁ~……!」
緊張が解けたのか、ルーナは肩を落として大きく息をつき、鏡に映る自分の姿をじっと見つめる。
「ん~……自分じゃよくわかんないけど……ちゃんと認識阻害、効いてるよね……?」
独り言のように呟くと、キャスケット帽に手を添え、静かにそれを脱いだ。
──ズズズズ……
その瞬間、黒く結ばれていた髪がするすると解け、見る間に絹のような白銀の髪へと変化していく。
同時に瞳の色も琥珀色から、星空を映したような輝きに染まり、神秘的な光を宿した。
「……まさかリゼットさんが受付してるなんて……。声は変えられないから、本当に気をつけなきゃ……」
そう、ルーナという名前も姿も、すべては偽り。
その正体は、完全に変装したルミナスだった。