第五章 第5話:蜘蛛糸は運命さえも引き寄せる。
──あらすじ──
討伐組合を後にしたルミナスたちは、エンヴェラ工房を訪れる。
王宮で開かれるパーティーの話をする中、仕事に追われるミーナの代わりに、
レシェナが意外な申し出をする──。
ルミナスたちは、討伐組合を後にし、王国の手前で討ち取った魔獣スパイクジロを携えて、エルディナ王国の鍛冶工房《エンヴェラ工房》へと足を運んでいた。
──ガチャ。
作業音が響く工房の扉を開け、ルミナスが中へと顔を覗かせる。
「やっほー! 二人とも元気だった?」
鋼を叩く手を止め、真っ先に振り向いたのはミーナだった。ハンマーを作業台に置き、目を輝かせて声をあげる。
「あれぇ~!? ルミナス様ぁ!?」
「おう、女神の嬢ちゃんじゃねぇか! なんだ、戻ってたのか」
剣の研磨中だったバルゴも、ゴーグルをぐいっと持ち上げながら笑みを浮かべた。
「今さっき帰ってきたとこなんだ!」
ルミナスは元気いっぱいに工房へと入り、指でピースを作って高々と掲げる。
「ふん、相変わらず呑気な女神様だぜ……で、どうだ? 魔聖剣グレイスはちゃんと使ってくれてるか?」
「もっちろん!! 今日はそのメンテと、あいさつと、それから──」
腰に帯びたグレイスを鞘ごと抜き、両手で持ち上げて見せる。
「おいおい、帰ってきて早々仕事押しつけるとは、人使いの荒い女神様だな」
「まぁまぁ、親方。いいじゃないですかぁ~!」
ミーナがにこにこと笑いながらルミナスの手から剣を受け取り、作業台にそっと置いた。
「それじゃあ、グレイスちゃんをお預かりしますねぇ~。それで、他のご要件は~?」
「うん、それがね。さっき魔獣を討伐してきたんだけど、それの解体をお願いしたくて」
ルミナスは外を指差し、荷馬車の方へと促す。
工房から顔を出したバルゴとミーナを見て、セシリアとフェリスも笑顔で迎える。
「あっ、おーい! 久しぶりねっ!」
「バルゴ様、ミーナ様。お二人ともお元気そうで」
フェリスは手を振り、セシリアは丁寧に一礼した。
「おう、おめぇらもいたのか!」
「あ! セシリアさんにフェリスさんも! おかえりなさいですぅ~!」
荷馬車にかけられた布をルミナスが取ると、中には大きな魔獣の姿が横たわっていた。
「これなんだけど、お願いできるかな?」
目の前に現れたスパイクジロを見て、バルゴは驚きの声を上げる。
「こいつぁ……スパイクジロじゃねぇか!」
「ほほぉ~……いつもゴロゴロ転がってて、なかなか討伐できないって聞いてましたが、初めてこんな間近で見ましたぁ~!」
ミーナは感心しながら、その硬質な鱗に触れてみる。
「こいつの鱗で防具なんか作れれば、相当いい代物が出来るぞ……」
「ルミナス様! このスパイクジロのお肉も、食用として解体しますかぁ~?」
「うん! 実は本命はそっちなんだよね!」
バルゴは目を細め、過去に魔獣肉を無理やり食べさせられた記憶を思い出して小さくため息をついた。
「……また魔獣の肉かよ……」
そんな彼の耳に、ルミナスの軽やかな声が届く。
「このあとね、王宮でパーティーがあるの! だから、持ってってあげようかなって思ってさ!」
その言葉を聞いた瞬間、ミーナの顔がぱぁっと明るくなる。
「えぇっ~~!? パーティーですかぁ~!? いいなぁ~!!」
浮かれた声を上げるミーナに、バルゴがぴしゃりと言い放つ。
「ミーナ、お前なぁ……まだ片付いてねぇ仕事の方が先だろうが」
「え~……防具の生地部分の縫合が一番時間かかってめんどくさいのにぃ~……」
頬を膨らませてふてくされるミーナ。その様子に反応したのか、魔馬車の影からレシェナがひょこりと顔を覗かせた。
「あ……あの……その縫合作業なら、あたし……手伝えると思います……」
おずおずと手を挙げ、控えめにミーナへと視線を送る。
「ほぇ!? 手伝ってくれるんですかっ!?」
嬉しそうに目を輝かせるミーナ。しかしその背後から、雷のような一喝が飛んだ。
「こらっ!! ミーナ!! 人様に甘えるんじゃあねぇ!!」
──びくぅっ!!
「ひぃっ……!!」
レシェナは驚きのあまりルミナスの背中に隠れる。
「黒髪の嬢ちゃん、すまねぇな。こいつ、すーぐ人に頼るわりぃ癖があってな──」
謝ろうとするバルゴに、ルミナスがさっと口を挟んだ。
「ここは一旦、レシェナに任せてみない?」
「いや、でもなぁ……初対面なのに仕事を任せるってのは……」
渋るバルゴに、ルミナスはにっこりと笑って言った。
「まぁまぁ! 見てもらえれば納得するからさ!」
「……? まぁ……女神の嬢ちゃんがそこまで言うんなら……」
そうしてスパイクジロの解体は裏の倉庫へ運ばれ、一同は工房奥にある作業スペースへと移動する。
そこには、ミーナが手をつけられていなかった防具の生地やパーツが散乱していた。
「これ全部そうなんですよぉ~……」
壁には防具の発注書、作業台にはそれに合わせた形紙と裁断されたパーツの山。
「これに合わせて縫うんですけどぉ……あんまり得意じゃなくってぇ……」
そう言うミーナに、バルゴが事情を補足する。
「本当はこの作業、俺の嫁──イレーナがやってたんだがよ……。病気で死んじまってからは、ミーナに任せてる」
「親方、指ぶっといから、針に糸すら通せないんですよぉ~」
──ゴチンッ!
「いだぁっ!!」
バルゴが迷わずミーナの頭にげんこつを落とす。
「──んで、黒髪の嬢ちゃん。手伝うって言うからには、できるんだな?」
レシェナは椅子に腰を下ろし、静かに作業台の上を見つめた。
まず発注書を取り、形紙や布のパーツにひと通り目を通す。
「これで縫い合わせていくんですか……?」
彼女は足踏みミシンを指さしてバルゴに確認する。
「あ、あぁ。……な、なぁ女神の嬢ちゃん、本当に大丈夫か?」
少し不安げに尋ねるバルゴに、ルミナスが自信満々に笑って返す。
「まぁ、見ててっ!」
レシェナは右手でミシンのハンドルを回し、カタカタと軽快にペダルを踏み込んだ。
──カタカタカタカタカタ……
「……出来ました。次……」
「え!? もうですかぁ!? は、はいっ!!」
「出来ました。次を……」
「りょ、了解ですっ……!!」
ミシンの軽快な音が響く中、レシェナが次々と防具の縫製を仕上げていく。
その手際の良さに、ミーナはただ驚くばかりだった。
それを見たバルゴが目を丸くしてルミナスに問いかける。
「お、おい!! こりゃ一体どういうことだ!?」
「レシェナはね、すっごい仕立て屋さんなんだよ! この服も、レシェナに作ってもらったんだからっ!」
ルミナスは両腕を広げ、自慢げに自身の白銀の衣を見せた。
バルゴは目を細めてその衣装をじっと見つめ、やがて声を落として尋ねる。
「……なぁ、黒髪の嬢ちゃん。あんた、名前は?」
レシェナは手を動かしたまま、静かに答える。
「レシェナ・モルヴァ……です」
「っ──!! も、もしかして……店、持ってたりしたか?」
「……? はい、ありますけど……」
「まさか、それって……“月糸の家”って店じゃねぇか……?」
「?? はい、そうですけど……」
「──!!」
バルゴは目を見開いたまま、突然玄関へと向かい扉を開け放つ。
「ミーナ!! ちょっと外出てくっから店頼んだ! すぐ戻ってくっからな!!」
「えぇ!? 親方っ!?!?」
──ガチャンッ!!
大きな音を立てて戸が閉まり、バルゴの「ばあさあぁぁぁんっ!!」という叫び声が遠ざかっていく。
ルミナスたちはその様子に唖然とし、ぽかんと口を開けていた。
「え……あたし……なにか、しちゃったかな……?」
不安そうに呟くレシェナに、ミーナがにこっと笑って答える。
「いえいえ! むしろ助かってますからぁ~! たぶん親方、レシェナさんのすごさに感動して……布地の追加でも買いに行ったんじゃないですかねぇ?」
──数分後。
「ひゃああああぁ〜! すごいですよぉ〜! レシェナさんっ、こんな短時間で全部終わっちゃうなんてぇ〜!」
ミーナが両手を頬に当てて目を丸くする中、レシェナは少し恥ずかしそうにペコペコと頭を下げた。
「いや、そんな……わたしはただ、手を動かしてただけで……」
「いえいえ! ほんとに感動してますっ。なんだか……お母さんを思い出しちゃいましたぁ〜」
懐かしそうに微笑むミーナの横顔を、ルミナスは優しく見守っていた。
その時、工房の扉がバンと勢いよく開く。
「はぁ……はぁ……待たせたな……!」
息を切らしながら戻ってきたバルゴの背後には、一人の老女が立っていた。
七十代ほどの白髪混じりの黒髪。腰には黄緑色のエプロンを巻き、しっかりとした杖を手にしている。
その姿に、ルミナスが目を見開いた。
「あれ!? 古着屋のおばあちゃん!? どうしてここに!?」
以前、セシリアが着ているメイド服を偶然古着屋で見つけた時、ルミナスが立ち寄ったお店の店主。
その“おばあちゃん”が、いま目の前にいたのだった。
老女はゆっくりとレシェナに視線を向ける。その琥珀色の瞳がまっすぐに彼女を捉えた。
「ミ……ミレティおばさんっ……!?」
レシェナは、思わず名前を叫んだ。
おばあさんはすぐにルミナスの方へゆっくりと向く。
「これは……ルミナス様。こうしてまたお会いできて、嬉しゅうございます」
そう言って、古着屋のおばあさんは丁寧に頭を下げた。
「え……あぁ……どもっ」
レシェナの声は聞こえてるはずだが反応しなかったことにルミナスは戸惑う
バルゴがその横で真剣な面持ちで口を開く。
「この方は……ミレティア・モルヴァ。俺の嫁の母親だ」
「──え?」
レシェナは、ぽかんと口を開いたまま動きを止める。
同じように、ミーナも硬直し、工房の空気がピタリと静止した。
「んん……? ど、どういうこと?」
ルミナスが困惑気味に首をひねる中、ミレティアは黙って、静かにコクリと頷く。その瞳にはうっすらと涙が滲んでいた。
「そうさね……。ミーナも混乱してるようだし、ちゃんと話しておかんといかんね……」
そっと涙を拭ったミレティアが、静かに語り出す。
「わたしは……ルネリアとイレーナの母親。そして、お前たち二人は……私の孫娘にあたるのさ」
「「──えっ!?」」
ルミナスとフェリスが驚愕の声を上げた。
ミレティアの話は続く。
姉のルネリアは、かつてザハールの地へ婿養子を迎えて嫁ぎ、レシェナと妹のシェレーヌをもうけた。
そして妹のイレーナは、このエルディナ王国に残り、バルゴと共にエンヴェラ工房を営み、一人娘ミーナを授かったのだという。
レシェナとミーナは、互いに顔を見合わせる。
「それじゃあ……わたしとミーナさんは……」
「従姉妹ってことに……?」
「ええ。間違いなく、血のつながった従姉妹さね」
ミレティアが優しく頷くと、ふたりの口から同時に叫びが飛び出した。
「「えぇぇぇぇぇぇぇ!?!?」」
その叫び声が工房中に響き渡ると、隣で静かに話を聞いていたセシリアが一つ疑問を口にした。
「ですが、なぜ……レシェナ様の母君、ルネリア様はザハールの地へと?」
その問いに、ミレティアは再びレシェナを見つめながら、ゆっくりと語り始める。
「そうさね……まずは、ルネリアがザハールに行った“きっかけ”から話しておかんと……」
バルゴがすぐに椅子を用意し、ミレティアは静かに腰を下ろした。
そして──語りが始まる。
ミレティアは、静まった工房の空気を感じ取りながら、ぽつりぽつりと語りだすのだった。